第25節「歓楽街に、現る」

 ここは歓楽街。


 S市で「夜の街」と言えば、まず皆がこの街を連想する。


 これも一つの伝統と言えるだろうか。夜でも眩い光に満ちているこのK町は、震災の前でも、後でも、途切れずに人々の性的な意味でのパッションも乱れ咲いている。そんな場所だ。


 町の中核に、堅牢なる建物があった。佇まいはシックであるけれど、入口の装飾は絢爛けんらん。連綿と続いている正統性と、大人の遊び心とが同居しているようなその建物は、一階が高級クラブになっている。


 これまた街の要人から高給取りと言うよりは、そういうエリート達をさらに使役する立場の人間。そんな「高み」の人間が利用している場であると、街の一般人たちは漠然と知っているお店であった。


 今宵。そんな高級クラブ――「エメラルド」の中では、歓談というよりは儀礼がとり行われていた。特等席に座る今宵の主役二人を中心に、街の名だたる人間が席についている。


 まずは主役である男女二人。獅子堂ししどうヒカル久美くみ真雪マユキの服装が、一般的に結納ゆいのうという言葉が意識される洋装の正装であった。


 獅子堂光の方は白いスーツ姿だ。しかし彼の場合、どんなに高級な服でも、服自体の印象は薄くなる。みな、その中身、分厚い筋肉で覆われた彼の肉体本体に、本能的に意識を向けてしまうからだ。


 久美真雪の方は白いワンピース姿である。儚くも、可憐。彼女の名前も相成って、みなが今日の彼女の存在を「純白の」と形容したくなるかのよう。


 獅子堂と真雪をもてなす立場のキャスト陣も、店のトップが顔を連ねる。


 キャストの女性の中には、過去に真雪と確執があった者もいたが、そういった者でも、概ね今日の真雪のことは祝福していた。


 どんな形であれ、幸せの片鱗を掴んでくれるなら、それは喜ばしいこと。様々な立場の人間達にも、どこかで、彼女のような人間は報われるべきだと。そう思わせるだけの朴訥ぼくとつな人格・日頃の徳行を真雪は兼ね備えていた。


 華のキャスト陣に混じって、「固い」立場の要人達も場には混ざっている。


 この街と関わる政治的・経済的な重要人物達。獅子堂と彼らとの会話が、一つ一つ、何らかのみそぎを落とすように進んでいく。


 堅実な復興プランと、それを裏打ちするお金の話。


 海外で研究されている、人々の暮らしを変える最先端の技術の話。


 哲学。モラル。新しい思想の話。


 そういった話を通して、獅子堂光という男の正しさが提示されればされるほど、真雪は純粋に彼に尊敬の念を抱くと同時に、首の辺りをつかまれ、徐々に締め付けられていくような息苦しさを感じていた。


 やがて、宴もたけなわというところで。


「ちゃんとした人間が、ちゃんと栄えていく、そんな世の中じゃないとねぇ」


 獅子堂が、真雪に対して、同時に周囲に対してそんな言葉を述べた。


 獅子堂光こそが、街に復興をもたらす英雄であり、同時に可哀そうな真雪を救い出すヒーローでもある。その事実はもはや盤石である。ならば。といった風に、獅子堂は自然な流れで、小箱を真雪の前に差し出した。


「真雪さん。受け取ってぇ、くれるかい?」


 小箱の中には金の指輪が納められていた。


 真雪も今宵、こうなることは分かってこの場にきた。自分なりに結論も出してきたつもりだ。


 場も、優れた人間達が、それがイイ、それが正しいと、一つの方向へと流れを後押ししていた。みんなが幸せになれる一致点。それが、真雪がこの指輪を受け取ることなのだと。


 それがどれだけ正しいか、考えつくしたはずだったのに。いざ、指輪を目の前にして真雪の心に過ったこと。



――お母さんに。顔向けできない。



 今は亡くなった母が。祝福してくれる気が、しない。心の中に今もいる母が、笑っていない。


 それでも。そういう納得のいかないこと。自分の本来の心の形とは違うもの。


(そういうものを飲み込んでいくのが、大人になるということなんだ)


 既に自分は汚れた体で。今更のことだ。


 真雪がそんな想念を抱いて全てを諦めかけた時である。フイに「エメラルド」正面の扉が開き、外から意外な人物が入ってきた。


「おっとっと」


 店に入ってきたダークスーツに蝶ネクタイといった姿の少年は、床に足をつっかけると倒れ込みつつダイブして、獅子堂と真雪が並んでいる場の中心まで、一気に距離を詰めた。


 焔であった。


「何だぁい? 君は」


 獅子堂が訝しむ。


「焔……? なんで?」


 周囲のキャストや街の要人達も、ざわつき始める。そんな場に波及し始めた混乱を、さして気にしないというように、焔は立ち上がり。真雪だけを正面から見つめて。


「助けに来たんだ」


 はっきりと、言い切った。


「そんなヤツの愛人になんかなるな。もう一度、俺と一緒に暮らそう」


 懐かしい。子供の頃からずっと側にいてくれた焔の声が、真雪の魂に木霊した。


 しかし、その響きを遮るように、真雪が言葉を返す前に、獅子堂が立ち上がり、焔の前に立ちふさがった。


「真雪さんの弟かい? そんな言い方されちゃあ。何だか俺が、悪者みたいじゃぁないか」


 獅子堂の立ち居振る舞いは、なお、堂々としたものだ。彼は彼で、自分の言動・行動に迷いも偽りなく、その挙動の一つ、言葉の一つが、強い。


「伝わってないみたいだな、英雄ヒーロー。もっと、はっきり言ってやる」


 だが、焔も引かなかった。もう、目の前の愛する姉――真雪が心から笑ってくれていることが、自分にとって一番大事なことなんだと分かっていたから。


「もう、俺の姉ちゃんに指一本も触れんなって言ってんだ。この豚野郎」


 獅子堂が片眉だけ動かす。


 一方、場から一人、獅子堂の右腕である切り目の黒服の男が立ち上がった。男は、戦闘に関しても相当の手練れであることが分かる殺気を放っていた。場に現れた異質を排除する。そんな意志が動き始めるその時。


「ま、どうして俺がこんな強い言葉を使えるかって言ったら」


 焔の態度は今度はどこか穏やかで。真雪に、彼女と一緒にいられなかった時間にも、何か良いことはあったのだってことを、報告でもするかのように。


「俺は今はもう、独りじゃないからなんだけどね」


 直後、「エメラルド」の店内が暗転する。


 暗闇に包まれた時間は、わずかに数秒程度。


 そして、次に灯りがついた時。


 店の一階フロアの四方に、その四人は立っていた。まるで最初から、気づかれずにそこにいた、とでもいうように。


 現れた、グレーとブラックを基調とした様式モードに包まれた「制服」を纏った男女。


 東西南北に、悠未、灯理、祈、奈由歌の四人が、それぞれの姿勢で佇んでいた。


 あるいは、自然界の絶対王者、獅子を葬るために、人間という知性ある弱者が陣形を敷いているかのごとし。


「何者だぁねぇい」


 獅子堂は、既にこの夜は荒事になるのを察知したのか、スーツの上着を脱ぎ始めていた。中から、人間の範疇を超えた強靭で柔軟な肉体が顕わになる。


「ユーミ、聞かれてるぞ? 名乗った方が、いいんじゃないか?」


 奈由歌の脳の芯に響くアニメ声が発せられると。


 まずは東。悠未は無表情のまま、「そうだな」と頷くと。少しだけ首を曲げて、骨の音を鳴らしながら。


「一人目。悠未。戦ったりする人だ」


 次に西。灯理はキュっと襟元の黒いネクタイの位置を直して。


「二人目の、灯理。考えたりする人」


 そして南。祈は、悠未にも増して、荒事の準備はオーケーとばかりに、拳をパキパキと鳴らしながら。


「祈。三人目だね。バックアップしたりする人」


 続いて北。奈由歌はちょっと大げさに、ツインテールを振りながらその場で一回転して、くるくるとスカートを回してから。ピタっと静止して。


「四人目の奈由歌じゃ。ただ生きてたりする人」


 最後に、中央の焔が。胸の蝶ネクタイを左右に一旦ピンと引っ張ってから、クイッと顔をあげて。正面から相手の顔をガン視して。


「俺は焔。五人目だ。何ができるかは、まだ分からねぇ」


 代表して悠未が、獅子堂に、真雪に、そして場にいる全員に聴こえるように、その存在を名乗った。


「昼は地道に復興活動。夜は荒事ありの助っ人稼業。機動共同体『街アカリ』、だ」

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