第3節「ヒーローがいなくなった世界で」

 夕刻。悠未がもう一度焔君に会う必要があると言うので、灯理は仮設住宅地区より少し沿岸部に向かう途中にある公園を訪れた。


 SNSのアカウントも交換してないような仲だったけれど、こっちに行けば会える気がした。


 伝え聞く所によると、携帯も普及してなかったこの国の隆盛期やその黄昏時は、それで案外会えちゃっていたそうで。


 灯理の周囲だけは、そんなアバウトさゆえの余裕に未だ包まれているのを感じさせる。


 一方で、そんな中だからこそ磨かれている直感のようなものを、今でも彼女は持ち続けている。


「だばばー」


 自分でもちょっと意味不明なかけ声で、ブランコに座って瞑目めいもくしていた焔君に、後ろから声をかけた。


「んだよ。何でここが分かった?」

「何となく?」


 焔君が立ち上がると、ブランコの鎖の連結部から、キィと錆びついた音がした。


「私たちから、警察に相談しようか?」

「ダメだ。両義先生は、ちょっと微妙な立場なんだ」


 焔君の返答から、しばし意味する所を読み解く。


 特に二○一一年からしばらくのこの街の混乱期、様々なスタンダードな立場から外れた状況で何とか生き抜く人達を観てきた灯理なので、察する所がある。


 あの頃からある程度の時間が過ぎても、白か黒かと言われたら、灰色くらいの生き方で何とかやっている人達。そういう人達もまだいっぱいいるのだ。両義さんもまたそんな立場の人なのだろう。


「灯理さんは金が大事だって言ったな? それは、そうだろう。だがな、本当に『カッコイイ大人』達ってやつは、俺や両義先生みたいな人間が困っている時、物言わず助けてくれるんだ。『街アカリ』って知ってるか?」


 焔君は、目の前の灯理ではなく、何か彼だけに見えている遠い美しいものを見ているような瞳をしている。


「震災の後しばらくしてから夜の街に現れた、助っ人集団だ。ヤクザみたいな連中とか。その予備軍みたいな連中とか。県外からの窃盗団とか。あるいは宗教的な連中とか。カオスになったこの街の夜で、『街アカリ』は困ってる人達をただ助けて回った。金? 金で動くのはヒーローじゃない。ビジネスマンだ!」


 その言に対して冷たい声が、場に響く。


「そんなのは、綺麗事だよ」


 灯理の言葉に、焔君は一歩後ずさる。


「何の対価もなしに人を助けるなんて、綺麗事だよ。ビジネスマンの何が悪いの? 焔君だって本当は知ってるはずだよ。大変な今の世の中で日常を支えているのは、そうやってお金を貰いながら、辛い時があっても自分の仕事を丁寧に全うしている人達だって」


 悠未はただ、二人を見守っている。少しの沈黙の後、落ち着いて諭すような灯理をよそに、焔君は震えだした。


「灯理さん……正しいこと言ってる。でも、そういうこと言うヤツが、俺や両義先生を傷つけてきた」


 どこかで、負ってしまった傷の痛みが暴れているように。


 絆創膏ばんそうこうを貼っていても、傷口の痛みは誤魔化せないから、よけいに他人への怒りに変換するしかない。そんな様子で。


「失望した!」


 焔君はそう灯理に言葉を叩きつけると、駆け出してその場を去って行ってしまった。


  ◇◇◇


 あくる日。復興部の部室で、灯理と悠未は二人だけで話した。


 ドアに施錠してしまうと、この世界に二人きりのような錯覚を覚える。


 悠未は、閉じた世界と外の世界の経路であるかのように、半分だけ開いている窓の外を見ている。


「焔君の言葉、ズキってしちゃった」


 悠未は、室内を飛翔する小さな羽虫をごく自然に優しく指でつまむと、そっと窓から逃がした。


 何気ない動作だが、例えば学生のスポーツの領分で、剣道や柔道で全国レベルの人間でも、こんなことが可能だろうか。


「助けて欲しかったって、言ってるように感じた。できれば、失う前に」


 悠未は無表情のまま応じた。


「『街アカリ』でも、全員分の光源はなかったってことだ。焔には、分け与えられなかった」

「我がまま、言ってもイイ?」

「灯理、いつもだろ」

「私、季節外れの花火をあげたい」


 灯理のその言葉は、分かる人間にだけ分かる暗号になっていた。


 この場でその含意を解せる人間は、目の前の悠未だけである。


 悠未は、頷いた。


  ◇◇◇


 ホムラは、震災で失った母と。その後の経済的困窮の中、心身を疲弊させながら母親代わりに自分を育て、やがて彼のことが負担になった姉のことを思い出した。


 母も姉も守れなかった自分だとしても。


(両義先生のことは何とか守ってみせる)


 街にとばりが落ちる頃、焔は路地裏の待ち合わせ場所に辿り着いた。


 苦しい現実の中、焔は、インターネットに溢れる強い言葉に心地よさを感じることがあった。


(『街アカリ』のアカウントと連絡が取れたのは、ラッキーだった)


 ネット上の噂話によると、『街アカリ』は煌王こうおうという強い人物を中心とした、しっかりとした集団らしい。


 焔は民主主義よりも優れた人間による帝政の方が勝っているという、いつかスマートフォンの画面上で読んだ言説に想いを馳せた。


 そうだ、端的に言って、灯理達は良い人だけど頼りなかった。助けは、強い人間達に求めなければ。


 やがて、路地の入り口を覆うように、大きな人影が現れた。


 二メートルには達しようかという巨漢で、サングラスをつけている。肌の色は褐色。頭はアフロであった。


「『街アカリ』? あなたが、煌王?」


 少しイメージと違うなと思ったのも束の間、アフロの巨漢の影から、スーツ姿の小兵こひょうが現れた。


 その姿に、見覚えがある。両義りょうぎ先生の著作権を得ようと交渉に現れていた男だった。


「なんで!?」

「小僧。お前の名前がランディングページ経由のリストに入っていた時は、小躍りしたぜ。最近のガキは、実名に抵抗ないのか」


 小兵はひげた笑いを浮かべる。


「悪く思うな」


 一方で、巨漢のアフロ――煌王の方は寡黙な印象で、低い声を発した。


 鉛のような拳が振り下ろされ、焔は頭部を強打される。


 失われゆく意識の中で焔は思う。


(この世界は、苦しいな)

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