第2節/仮設住宅地区

 S市の中心部に長年住んでいる者達の感覚からすると、震災以降の生活再建に追われている間に、いつの間にか近くにできていた。そんな場所が仮設住宅地区である。


 賑わいを取り戻しつつある高層ビルが立ち並ぶ中心部。


 シャッター通りが増えてきた伝統的商店街。


 大型ショッピングモールが建設中の再開発地区。


 そして、沿岸部から避難してきた人たちが一時的に暮らしている仮設住宅地区。そんな場所が混じり合っているのが現在のS市だ。


 灯理と悠未が復興活動で通い慣れた仮設住宅地区に辿り着くと、問題は意外なほど早く解決した。磯山のおじいちゃんの入れ歯は、すぐに見つかったのだ。


「おじいちゃん。少し認知症の症状が出てきてるかも」

「まだそうとも言えんさ。あのくらいのうっかりは、ご高齢の方にはわりとある」


 磯川のおじいちゃんの入れ歯は、洗面場の横にあったコップに、入れ歯洗浄剤に浸かったままになっていた。


 その後和やかに談笑して別れたけれど、灯理としては不安も過る。


 磯山さんも、一人で色々できなくなった時に、頼れる家族は遠くにしかいないという人だから。


 とはいえ、高齢化の問題は一朝一夕で灯理達にどうこうできるものでもなかった。


 とりあえず本日の活動は一区切りかと思っていたら、事件は思わぬ所から転がってくるもので。


 一ブロックほど地区の出口に向かって進んだ所で、見知った顔を見つけた。あちらも気づいたようで、仮設住宅の壁を塗装していた少年が脚立から降りてくる。


ホムラ君、またアート?」


 まだ発展途上の身長に、金髪を乱している。一瞬生来のものかと感じさせる自然な色だが、染めたもので、彼自身はこの国にルーツを持っている。


 鋭い眼差しが備わっている様子は、一昔前の「不良」というより「アウトロー」を標榜している感じ。


 いわゆる優等生・普通の生徒とは違うこういう雰囲気の男子は灯理が中学の頃も教室のスタンダードからは外れた辺りに少数いて、意外と女子に人気があったりしたなぁなどと思い出したり。


 服装も上下とも黒がベースで、シルバーアクセサリをつけてたりする。


 少年とは、何度か仮設住宅地区に通ううちに面識ができていた。


 三つ年下で、灯理達と同じ双桜学園の中等部に所属している子だが、最近は学校には通わずよくこの地区に来ている。


「灯理さん、こいつは?」


 くいとあごで灯理の隣で住宅の壁面に描かれた絵を見上げている悠未を指す。


「灯理と色々復興関係の活動をやってる悠未だ。イイ絵だな」


 焔君は、仮設住宅の壁面に絵を描いていた。


 ここ一帯の住宅には珍しいことではなく、遠方から訪れたボランティアの人達、地元の美大生、様々な人達が仮設住宅の壁を絵で彩るということをやっている。


 そこには、生活の場所に明るさをという観点と、あくまで仮の家だからキャンバスにできるという両方の観点がある。


「こんなの。何にもなんねぇ」

「でも、ユナイテッド・リンキング・フラワーズとか、そんな感じを表現してるんだろう? 各々の花は独立していて、でも繋がってもいる、みたいな」


 悠未が繋がった花のアートをそう評すると、焔君は顔を赤らめた。褒められ慣れてないので、素直に賛辞を受け取れない。そんな感じ。


「無理やり引きずられていくように生活してるだけでは、苦しくなる。そんな時、『イメージ』は俺達を助けてくれる。焔と言ったか。この『イメージ』は、イイ感じだ」

「なんかアンタ、調子狂う」


 焔君は悠未から視線を外すと、灯理に向き直った。


「灯理さん。著作権って、金になるのか?」


 唐突な質問だが、焔君からすると、灯理は物知りなお姉さんに見えるらしく、これまでも幾度か社会のこと、言葉のこと、芸術のこと、そんなことを質問されたことがあった。


「人気作の著作権なら、もちろんお金になるよ。それこそ、世界的なヒット作だったら何億円とかさ」

「先生が、持ってるらしいんだ。それを目当てで、何か変な連中が出入りするようになってさ。いや、イイ。何でもない」


 灯理はともかく、悠未に聞かれる類の話じゃない。焔君はそんな態度で。


 灯理は透徹とうてつな瞳で少年を観察した。


「焔くん。服の、下?」


 たぶん、殴打によるアザがある。


「灯理さんがその何でも見透かすような目ぇするの、苦手だ。何でも、知ろうとすんな」

「お金で解決できることなら、その方が良いことも多いよ」


 純真に、気遣いから出た言動だった。だが、それは、焔君の何か譲れない部分に引っかかった。


「ほら、やっぱり金だ。大人は、汚い!」


 強い言葉を灯理に対して叩きつけると、焔君は描きかけの絵を放棄して、仮設住宅地区の外に向かって歩いて行ってしまった。


 ◇◇◇


 悠未が、焔君の「先生」の住居はどこなんだとすぐに尋ねてきた時、灯理は飾らない彼の素の温かさのようなものを感じた。


 焔君が「先生」と呼んでいた両義りょうぎさんは、三十代くらいの女性で、こちらとも灯理は少し面識があった。


 仮設住宅で私塾を開いている人で、その場は焔君のように既存の学校制度からはあぶれた若人わこうどの、教育の受け皿になっている。


「たぶん『莱童らいどう物語』の続編の件です」


 灯理が率直に焔君が陥っている危機について伝えると、両義さんはポツポツと語り始めた。


 場は仮設住宅の一室である。


 入口横には簡素な炊事場があり、すぐに居住スペースとなる。


 シンプルな作りだが、床には絨毯じゅうたんが敷かれ、上方の空間を横断する紐には洗濯物が干され、テーブルには複数の座布団。ここにも既に何年も人が住んでいるという生活の息吹が感じられる。


 十年ほど前にヒットしたファンタジー小説、『莱童物語』の作者こそが、この両義先生であり、今、その続編の原稿が手元にあるという。


 メディアミックス等も想定すれば、その価値は計り知れない作品であるが。最近コンタクトしてきてるのは、ブラックなWEB系の会社だという。


 現在過去の人気作品の利権を様々な手段で回収しているその会社は、最近こそコンテンツ系の事業を開始しているが、実態として、詐欺まがいの商品の販売、搾取的性産業、表に出せないようなお金の取引、そういった事業を展開しているという。


 過去に世間的に知られた作品が持つ「信用」の利用。例えばそういったコンテンツを入口にして、ユーザーを裏に用意しているアンダーグラウンドな事業に誘導していくようなビジネスモデルもあり得るだろうか。灯理はそんな可能性に想いを馳せる。


「大手の出版社から堂々と出版するわけにはいかないんでしょうか?」


 灯理の問いに、両義さんは言葉を選びながら答えた。


「『莱童物語』の続編は、これまでとは少し違う形で世に届けたいのです。急ぎたくない。効率性を追求したくない」

「失礼ながら、お金はすぐにでも必要な状況だと推察いたしますが」


 悠未が、両義さんの心情をおもんばかりながら口にした。「お金」というキーワードと、誠実な態度で対応してくれながらも、全ては語れないといった両義さんの微細な表情。


 悠未から少し遅れて、灯理にもピンときた。例えばそう。そのブラックな会社との間に両義さんは何か金銭的なトラブルを抱えている。そしてつけ込まれている面があるのかもしれない。


 しかし、彼女は首をうつむかせると。


「一等星の名声には及ばない名もなき星の明り。ランキングには載らないあなたのための物語。そして、富を集めることはできなかったけど私の愛する人。そういう存在に捧げる作品なのです。今、お金になるからとこの物語を届ける本懐のタイミングを曲げることは、筋が通らなくなってしまうのです。とはいえ」


 両義さんは続けた。


「焔君には、もうここには来ないように話してきかせます。私の道を貫く途上で傷つくのは、私だけでよいはずですので。幸いこの街にはまだ、私の私塾の他にも、ああいう子を受け入れてくれる場所はあるはずです」

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