海の上を歩く。
彌(仮)/萩塚志月
プロローグ
最寄り駅の改札を出る。
さっきまでいた電車の中は暖房が効いていて、とても暖かかったのに、一歩外に出るとマフラーを通り抜けるほどの寒さが首元を滑った。
思わず首を竦め、マフラーをかき集めた時、ふと目の前の男の人が目に入った。生成りのシャツをサラッと着こなした、大人な男の人。
一瞬思考がフリーズした。目を瞑り、頭を振る。目を開けた。やっぱりどう見ても見慣れた姿だ。
同時に、こちらに向かって、ひらひらと手を振る姿が目に入った。
思わずため息をつく。別に嫌な訳では無い。むしろ迎えに来てくれたことに対しては嬉しいのだが、あの人と並んで歩くのは何かと面倒なのだ。
一瞬躊躇ったが、先月買ったばかりのパンプスを大袈裟に鳴らしながら近づいた。
「おかえりなさい」
返事をせずに無言でスマホを取り出す。メモ画面を呼びだして、高速フリックで打ち込む。多少塩対応だが仕方あるまい。
“買い物に行きます”
彼は横から手元を覗き込んで、笑顔で言葉を返した。よかった、塩対応は癪に触らなかったらしい。
「そのために出てきたからね、行こうか」
優しい笑顔で差しだされた手を一瞥して、小さく睨みつけてから、その手を見なかった事にした。文句は、後で家に帰ってからだ。
「人参と、じゃがいもと、あと牛肉かなぁ」
“カレーですか”
先程の改札前から、未だにフリック入力を継続中だ。彼は画面に目を通してから、またスーパーの陳列棚に目の先を戻して言葉を返す。
「カレーだったら、豚肉じゃない?」
“祖母が作るのは牛肉でした”
「あー、関西圏の人だったのかな」
“おじいちゃんが大阪の人です”
なるほど、と笑って玉ねぎを手に取った。慌てて、上から手をかぶせるように奪う。同時に彼を見た。
「そんなに睨まなくても良くない?」
“物を取りたい時とかは言ってください”
もう一度、今度はわざと睨む。すると笑って、じゃあ頼みます、と言ってくれた。この人には危機感が足りない。
奪い取った玉ねぎを見た。玉ねぎは悪くない、この人が悪い。
そのまま玉ねぎをビニール袋に突っ込む。
「他は?」
今使っているものとは別のメモを呼び出す。日用品で必要なものの下に、ホットケーキミックスと書いてあった。
「あ、バター」
そう言えば、それも無くなっていたことに気がついて頷こうとしたが、少し気になって聞く。
“それマーガリンじゃ駄目ですか”
「庶民的だなぁ」
無言でまた睨む。別にマーガリンが好きなわけじゃない。ただバターは一般人には高いのだ。バターにお金をかけるくらいなら美味しいものを食べに行きたい。もしかしてこういう所が庶民的なのか。
「それで全部かな、お腹すいたでしょ。帰ろうか」
小さく頷いて、密かにため息をついた。
「ごめんね」
顔は正面を向いたまま、彼は口にした。
そう言えば、こうして二人で外に出るのは久しぶりだった気がする。なんだか色々咎めたのが申し訳なくなってきた。
“ちょっと楽しかったです”
困ったように見上げていたのかもしれない。
それを見た彼は、無言で手を差し出して来た。恐る恐る見上げてみると、彼はいたずらが成功した子供の様に笑っている。
今、少し申し訳なく思ったのを後悔した。
駄目だ、やっぱり家に帰ってから全部言わせてもらおう。
人がいないのを確認する。彼の手をぱちんと叩いて、小さく睨んでからレジに足を向けた。彼はまだ笑っていた。
スーパーのレジ袋をガサガサ言わせて、家の扉を開く。
後ろ手にドアが閉まったのを確認して、大きく息を吐いた。そして振り返ると同時に息を吸って、彼を睨みつける。
「迎えに来なくていいって私言いましたよね!?」
それを言うと、彼は大きく吹き出した。
「帰ってきて第一声がそれって」
「文句は聞きません!!」
「悪かったよ。でも、荷物軽かったでしょ」
「そりゃあ誤魔化すために私も持ってましたけど、ほぼあなたが持ってましたもんね!」
「そうだね」
「あ、あとあの玉ねぎ!ほんとに駄目ですって、誤魔化し効かないから、ただのポルターガイストになってるから」
そう。さっきまで塩対応を貫いていた理由がこれだ。物を持つことが出来て、会話も出来るから、ずっと接しているとつい普通の人間と錯覚してしまうが、これはれっきとした幽霊だ。
外から見たら影も形もないし、むしろ物が持てる分タチが悪いのかもしれない。玉ねぎは恐らくどころか確実に、外から見れば浮遊していた。
「取り敢えず、中入ろう。ご飯食べながら聞くから」
「私の家なのになんか人の家に招かれてるみたいですね」
「この家のことは、もう君より知ってるね」
「……なんか嫌ですね」
本気で不機嫌な顔をした私に、彼はまた吹き出した。
海の上を歩く。 彌(仮)/萩塚志月 @nae_426
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