土曜日のシェイクスピア

「うー、寒い寒い。いやー、コタツってのは実に快適ですねえ。精霊界にもあればいいのになあ。今度一つ持って来てくれませんか、有栖くん」

「あのな……宿主の座椅子奪い取ってくつろぐ精霊がどこにいる! ほら、どけそこ!」

 11月。体育大会の件があってから、二ヶ月が経とうとしていた。

 蘭は順調に回復し、先月退院した。また騒ぎを起こすのではないかと俺と純先輩はやきもきしたが、意外にもそんなことは全くなく、むしろ、

「私もこれまでの生活を反省する必要がありそうですね……」

 などとらしくもない台詞を吐いたりしていた。本気で頭がどうにかなったのではないかと少し心配してしまったくらいだ。

 また、蘭の入院中、学校で一度、純先輩と一緒に早帆ちゃんを捕まえたので、問いかけてみたのだが、

「まどーし? なになに? 木寺くんコスプレでもするの?」

 と取りつく島がない。とは言え、その会話の最中、顔では笑っていたが瞳に全く表情がなかったことから、俺たちは彼女が確信犯であることを認識した。

 ただ、だからと言って、蘭の件は確かに蘭から仕掛けているし、ある意味正当防衛とも言えなくもない。かつ、彼女自身は今までの生活の中で、少なくとも俺が知りうる範囲内では問題を起こしたようなこともないのだから、俺たちが彼女を非難するのも違う気がした。

「暫くは関わらないで様子を見よう。有栖くんも気をつけて」

 そう言って、純先輩は自分の教室に戻って行った。

 あれ以来、純先輩とは偶然顔を合わせることはあっても、じっくり話し合うことは出来ていない。というのも先輩は受験生なので、この時期こんなことに時間を割いているわけにはいかないのである。

「いやいやー、有栖くん。僕は蛇ですよ? 本来この時期ならとっくに冬眠しているところを宿主のキミが心配だからという宿主想いの健気な精神でこうして律儀にも人間界に顕現けんげんしているわけじゃないですか。これくらいの自由は認められて然るべきでしょう」

「そういうことは、普段ちゃんとしているやつが言うんだよ」

 お前は一ヶ月に一度こっちに来ればいい方じゃないか。

「いやー、これでもなかなかモテるもんでね。愛しのハニーたちが離してくれないのですよ。お許し下さい、宿主様」

「その台詞は人間関係が泥沼化しているやつに限って言う台詞だがな」

 織姫曰く、『歩く生殖器』と揶揄されるその精霊は、大蛇。容姿ようし端麗たんれいで背も高く、いつも真っ白なタキシードを身にまとっており、これまた真っ白な帽子を被っている。モデルか何かだと言われても納得出来るような見た目であるだけに、モテるというのは頷けなくもない。

 が、なんか胡散臭いと感じるのはモテない男のひがみでしょうかねえ。

「それにしてもさ、蛇って水の属性じゃねえのかよ」

 そもそも蛇は元々水生だったという説もあるくらい、水のイメージがある。

「んー、まあそれもあるんですけどね。それはどちらかというと八岐大蛇やまたのおろちの神話に引っぱられているからじゃないですかね。僕は八股の経験はあれど、実際には股も頭も八つはないですからね。それ以上に蛇というのは生命の象徴なのですよ。脱皮は再生を想像させ、その形状は男性器の象徴とされることもある。豊穣神ほうじょうしんとして崇められる地域も少なくない。そして、人間にとって生命とは、土。即ちこの大地なのです」

「なんか無理矢理な気がするけど……まあ、その辺りは割と自由そうだしな」

 織姫が水曜の精霊として認められるくらいだし、別にその曜日に即したものでなければならない、ということでもないのだろう。

 というか八股ってお前。

「ですね。それに私にとってみれば、キミの存在の方が信じがたいですよ」

「何が?」

「いや、だってですね。周りにあんなに沢山の綺麗な女性がいるというのに、誰にも手を出さないなんて正気の沙汰さたじゃないですよ。僕だったら間違いなく全員口説き落としていますね。……キミひょっとしてコッチじゃないでしょうね」

「あほか。このリアル八股の大蛇が」

 女の子が好きに決まっている。

 ただちょっと──好きな女の子には好かれなかっただけの話だ。

「ふふ。それは褒め言葉として受け取っておきましょう。ああ、それにしてもやっぱり寒い。人間界は寒すぎるよ。ねえ、有栖くん。ものは相談なんですが、コタツとは言わず、家ごと精霊界に越してくる気はないですか? そうすれば僕ももうちょっと真面目に働けると思いますよ?」

 大蛇がいつの間にかその大きな体躯を肩までコタツに収めてこちらを見上げて言う。

「お前はどこに言ったって真面目になりゃしねーよ」

 それに、

「え? 有栖……精霊界に来るの?」

 前にそう言った精霊は体育大会以来、姿を見ていない。おかげでうちの家事は毎日自分でやる羽目になり、掃除もロクにしていない。

「……今のところ、そっちに行く予定はない」

 契約を解除でもされたのかと思えばそういうわけでもない。解除するためには、はっきりとそう宿主である俺に宣言し、渡している髪飾りを俺に返す必要がある。

「ふふーん。なるほど。キミの会いたい人も、精霊界にいる方が見つかりやすいとは思いますけどね」

「なっ! 馬鹿言え! ……何してんのかって気になるだけだよ」

 ふざけたやつのくせに見透かしたこと言いやがって。ビックリするじゃねーか。

「ははっ。キミはわかりやすいですね。……まぁ、年上のプレイボーイから一つだけ助言しておくと」

 自分でプレイボーイって言うのかよお前。歳いくつなんだ、全く。

「彼女のことは諦めた方がよろしい。彼女は僕達にとって存在が大きすぎるのですよ。それが恋や愛じゃなかったにせよ、身分違いの関係というのは、お互いを傷つけこそしても、安らぎや癒しにはならない」

「身分違いって……あいつはただの月の精霊だろ?」

 大体、あいつには憑依してもらったこともなければ、魔法を使った事もない。

 というか普段の言動を見ていると、本当にそれが出来るのかすら疑わしい。

「馬鹿ですねえ、全く。いや、まあ男は皆馬鹿なもの、か」

 そう言って、大蛇はコタツの中から這い出て、俺より20cmは高いであろうその身長で俺の頭に手を置き、

「覚えておくとよろしい。私たち精霊は人間に想像されるものを決して超える事は出来ない。例えば私なら、蛇に出来ないことは出来ません」

 逆に言えば、と大蛇は続ける。

「想像されるものに出来ることは出来る。出来てしまう。私は人間を毒殺することも可能ですし、絞め殺すことも可能です」

「ふむ」

 まあ、そうだろうな。

「だとすれば、火、水、木、金、土はまあわかります。普通に自然界に存在するものですからね。効果も規模も、ある程度人間に扱える範囲だと言えましょう」

 大蛇が『規模』という言葉を使ったのにはっと気づく。

「……そう。日や月の規模ってどうなんでしょうね?」

 考えてみればそうだ。月なんて地球上に存在するものじゃない。

 それこそ惑星規模の魔力をあいつが持っているのだとしたら。

「もしかして、『使えなかった』んじゃなくて『使わなかった』……?」

 大蛇は口の端を軽く上げ、俺の頭を軽く叩いて、俺に背を向け、ゲートの方へ歩いていく。

「少しおせっかいをしておくと、キミは一度その力を体感しているはずですよ。彼女は今そのことの罰を受ける準備をしています」

 実は想像の片隅にはあった。ひょっとしたら、という思いはあれど、海の出来事から体育大会までは普通に月曜日こっちに来ていたので、大したことではなかった──というか十六夜がやったことではなかったのかと思うようにもなっていたのだ。

「助けに行きたいですか?」

 俺は少し頭を巡らせてから答える。

「……あいつが困っているなら助けには行きたい。けど、今別にあいつは困っているわけじゃないと思う。きっと自分で選んだんだ」

 でなきゃ、あのタイミングで姿を消したりはしないはずだ。

 直後はその膨大な力を俺に悟られてしまったかもしれないことで、俺との距離感を測りかねていたのに違いない。

 そして、あいつの中で何らかの答えを出したから、俺の前からいなくなった。

 罰を受けようとして。

「だったら俺に出来ることは、あいつにおかえりを言ってやるくらいだ」

 とびっきりの笑顔でな。と言うと大蛇は薄く笑って、

「なるほど。どうしてキミが周りの女の子に手を出せないかわかりましたよ。キミはまだまだ子供だ。高校生にもなっていながら、欲望に任せて女の子一人抱けない、幼稚で夢見がちな少年なのです」

 と、こちらを見ないで言う。

「うっせえ。相手を泣かせるやつよりはマシだろ」

「いえいえ、決して悪い意味で言ったんじゃあありませんよ。そういうキミなら、ひょっとして、ってそういう無責任な希望を抱かせるくらい、キミはまっすぐだ。そう言いたかっただけです」

 と言って、そのままゲートに向かって歩き出す。その内、ふと足を止めて、

「そうだ、ロミオとジュリエットの話をきちんと最後まで知っていますか? キミがロミオとは違い、知恵と勇気を持ち合わせていることを切に願いますよ。宿主」

 とそう言い残して、大蛇はゲートの向こうに消えて行った。

「……なんだかんだ言って、あいつまたサボりやがったな」

 いや、ある意味既にいい仕事してくれたのかもしれないが。

 とりあえず行動の指針は決まった。

 ただ、今すぐはどうにもこうにも動けない。

 今はそういう時期なのだろうと諦め、さながら冬眠する蛇のように、春が来るのを待つのみだ。

 蛇が出るか蛇が出るか知らないが、いずれにせよ、俺は十六夜を信じて待つことにした。


「首尾はどうだね?」

「はい、両親の了解も取りましたし、皆へのお別れも済ませました。ですが、月の精霊の代理だけはどうしても……」

「まあそうじゃろうな。理由が理由だけに、儂としてもそこまで無理強いは出来ん」

「申し訳ありません」

「まあよい。お主の両親は健在なのじゃからな。完全に途絶えてしまうわけではなかろう」

 すいません。と、月の娘は繰り返し口にする。

「そこまで申し訳なく思うのであれば、一つ教えてくれんか。千年以上生きて来たお前なら、今まで人間など腐るほど見てきたであろう。何故一人の人間のためにそこまでしようとする?」

「……」

 月の娘は下を向いたまま口をつぐんでしまう。

「ああ、いや、今のは儂の興味本位じゃ。特に命令ではない。気にするな」

「……有栖は、私に言ったんです」


「おねーちゃん。なにしてるの?」

 人間の子供? なんでこんなところに?

「およ? ちびっこちゃん。こんなところに来たらこわーい精霊さんに食べられちゃうぞー、がおー」

「なにそれ。ぜんぜんこわくないんだけど」

「はぅ。キミ、ハッキリ言うねー。そこはほら、もっとビックリしてギャー、助けてー! とか叫ぶところでしょ」

 ……3歳くらいかなぁ。偶然こんなとこに入り込むわけないし、誰かと一緒に来てはぐれちゃったのかな?

「おれまどーしだから。せいれいなんかにまけるわけねーし」

 ほほう。魔導士の子供ね。

「あのね、魔導士って言ってもキミ程度の魔力じゃ、つよーい精霊さんに出会ったら一発でどかーん! ってやられちゃうんだから」

「そんときはそいつにけいやくしてもらうんだ。ぼくはようびまどうしだから」

 曜日魔導士、か。久しぶりに聞いたわ。元々曜日魔導士は魔導士の中では最強ランクに位置づけられていたのよね。日と──そして月の魔法が強すぎたから。けどその強すぎる魔力が人間界のバランスを崩すことを危惧きぐした精霊王様が、その存在を恥ずべきものとして最低ランクに位置づけ、以来新しい曜日魔導士は生まれていないはずなのだけど。

「そっかー。でもねえボク。精霊は自分より弱い魔導士と契約したりなんてしないよ?」

 例外はいるだろうけどね。

「だからおれつえーし。だいじょぶだよ。おねーちゃんだって、おれがまもってやる」

「いやいや、別におねーちゃんは誰かに襲われてるわけじゃないから」

 むしろ私の力が他の精霊を滅ぼしてしまったくらい。

「うそだー。おねーちゃんさっきからずっとつらそうなかおしてるじゃん。おれ、わかるし」

 子供っていうのは無邪気に現実を目の前に突きつけるよね。

「そ、そんなことないよー。ほーら、そんなこと言ってると、おねーちゃんがあなたを食べちゃうぞー! がおー!」

「むりすんなよ。つらいときはないたらいいんだって、とうさんもいってた」

「う、うるさいな。辛くなんてないってば!」

 嘘だった。でも強がっていないと、本当に涙がこぼれそうだった。

「そーだ。だったらおねーちゃん、おれとけいやくしようぜ。おれがいっしょうおねーちゃんのこと、まもってやるよ」

 その小さな男の子のその目は、驚くほどにまっすぐで。

「もう、そんなこと誰にでも言ってると、将来おろちんみたいなプレイボーイになるよ」

「だれそれ?」

 ただ、その瞳に吸い込まれそうで、この子なら、私の力を抑えてくれるんじゃないか、なんて、無責任な期待を押し付けて。

「じゃあさ。契約の呪文、ちゃんと言える?」

 からかい半分。期待半分でそう口にする。

「あったりまえじゃん。じゃあいくよ、おねーちゃん」

「うん」

「われ、なんじらせいれいとやくをもとめるものなり。そのちから、このみをかけてげんせへみちびきたもう」

「……我、その盟約に従い、汝と契りを交わさんとす」


「一生守ってやる、か。芽以の息子もなかなか言いよるな。カエルの子はカエルか」

「ご存知なのですか?」

 月の娘が意外そうに顔を上げる。

「なに、芽以の祖父……つまり彼のひいじいさんに当たるのかの。その人間には曜日魔導士の規模を縮小する時に随分骨を折ってもらったのでな。以来、木寺の一族とは縁があるのじゃよ」

「知らなかった……」

「思えば今も、芽以には随分と無茶な注文をしていると思う。今の精霊界の平穏の3分の1くらいは、あいつの手腕によるものと言っても言い過ぎではない」

「そうなんですか……」

 月の娘は少し口元を綻ばせる。

「しかし、そうであればお前はそのまま彼の傍にいてやっても良いのではないか? 決して今の関係に不満があるわけではないのじゃろう?」

「不満は……ありません。ただ、いつか私の力が、有栖の……彼の平穏を壊すような気がして」

 娘はうつむきながら続ける。

「でも……それでも傍にいたくて。彼の一生守ってやるって言葉を嘘にしてしまうのが嫌で。こんな……わがままな方法を選んでしまいました」

「……なるほどの。まあ、好きにするがよい。前にも言ったが、お前にはそれだけの権利がある。幼い頃から幾度となく、この精霊界の平穏に尽力してくれたのじゃからな」

「それが、月の精霊の使命ですから」

「それを使命づけてしまったのは儂らじゃよ。芽以のことと言い、儂らは永く生き過ぎたのかもしれん。綻びを取り繕うような統治を続けてもいずれボロが出ると自分でもわかっているのじゃがのう」

 だが今更やめられない。と口にする。ふと見た自分の手に、随分と皺が増えたもんだと思った。

「でもそれで、守られている生命もあるのですから。私たちがやっていることは決して間違いではない、と、そう……思わせて下さい」

「うむ」

 そうじゃな。王がこんな弱気なことでは示しがつかん。

「では、これから契約解除に行って参ります」

 そう言って深く頭を下げ、娘は部屋を出て行った。


「あっがりー! 木寺くんまた大貧民ー!」

「あ、ちょ、永遠お前! 全部2枚セットで残してやがったな!!」

 11月26日(土)。早帆ちゃんの誕生日。というわけで、早帆ちゃんの友達の女子1人(佐々木さん? 佐藤さん? なんかそんな名前だったような。夏に海に一緒に行った子だ。)と永遠、俺の4人で、稲家家を訪れていた。

「木寺くんよっわーい」

「今のは……そう、練習、練習だよ。次から本気出す!」

 いや、その実もう3連敗なんですけどね。

 ひとしきりハッピーバースデー的な催しが終わった後、ケーキやお菓子を食べながら、俺たちはトランプで大富豪をしていた。

「じゃあ次さあ、なんか罰ゲームかけようか」

 永遠がとんでもない提案をしやがった。

「あ、いいね、やろうやろう」

「木寺くんに何お願いしようかなぁ?」

「顔に落書きするとか? 木寺くん、肌白めだし書きやすそう」

「あ、それ面白いかも。木寺くんの顔って普段真面目だから余計面白そうだよね」

「あの、俺が負ける前提で話進めるのやめてもらっていいですかね」

 早帆ちゃんへの疑念はあれど、動かなければ何も始まらない。何も得られない。

 せっかく向こうから声をかけてくれたのだ。これに乗らない手はない。

「やれやれ。こんな狭い密室で男女が二人ずつ。さっさと乱こ……」

「いいからお前は黙って見てろ!」

 全くこの八股男は。あったかい場所だからって着いて来るのはいいが、勝手に早帆ちゃんのベッドに寝転がったりやりたい放題すんじゃねえ。

「……どしたの? 木寺くん。大きな声出して」

「あ……いや……永遠! そうだ。次は絶対勝つんだから黙って見てろ!」

「う、うん、なんだかすごい気迫だね」

 それにしてもどうしてこう、俺ばっか負けるんだ。確かに大貧民は2枚いいカードを大富豪に献上しなければならないから、最初に負けたら負けっぱなしということはよくあるにはある。

 でもさっきなんて、2枚献上しても2が2枚、Aが3枚あったんだぜ?

 数値的には絶対負けないと思っていたら、何故か皆が2枚出しやら3枚出しを続けるせいで一気に置いていかれてしまった。

「あ、じゃあさ、やっぱりここは、私が罰ゲーム決めていい?」

 早帆ちゃんが急に仕切り直す。

「お、じゃあ今日の主役に決めてもらいましょーか!」

 女の子が盛り上げる。

「じゃあ……負けた人は、好きな人の名前を言うこと!」

「え」

「おー! それもいいねー!」

「いや、ちょ。待って、俺そもそも──」

 いないし、と言おうとしたのを遮られ、

「主役の命令は絶対です。えっへん」

 と決められてしまった。女の子ってこういう話題好きだなぁ。

「へえ。なかなか面白い展開になったじゃないですか、有栖くん。いっそのこと、彼女に告白しちゃうというのはどうでしょう?」

 大蛇が横から茶々を入れる。

 二ヶ月前だったらそういう展開もありだったかもな。でも今の俺にはその展開はナシだ。

 と喋れるわけもなく、大蛇を睨んで訴えかける。大蛇は外人がやるように両手の平を上に向け、やれやれというような表情で明後日の方を向いてため息をついた。

「じゃ、罰ゲームは好きな人の名前を告白で!」

 というわけでとんでもない罰ゲームをかけて大富豪が始まった。


「いやあの……これで上がりなんだけど、俺」

「ええー!?」

 てっきり俺が負けると思い込んでいたのか、早帆ちゃんは早めに強いカードをバンバン使ってしまい、最終的に1枚残った状態で、俺が2枚出しの連続で上がるという、さっきの俺のような状況になっていた。

「良かったよ。僕が負けてたら誰もいないからさ……三次元には。皆ドン引きしてたよね」

 とコソコソ永遠が俺に耳打ちする。

「俺もだよ。いや、俺は別に二次元キャラが好きなわけじゃないが」

「あれ? 稲家さんのこと好きだって言ってたじゃん。ずっとさ」

「うん、まあそうなんだけど。最近ちょっと変わったっていうか」

 男子二人がコソコソやり取りをしている間、女子は女子で盛り上がっており、

「わーお、ミラクル! さー、早帆。あんたが言い出したんだからね。好きな人の名前言いなさいよ、このー。誰なのよ、この学年一人気者のハートを射止めた羨ましい男子は!」

 なんてじゃれ合っていた。

「あー、まあ、言いにくいならいいんじゃねーかな。盛り上がったし、良いだろ? 別に」

 若干聞きたくないのもあって、助け舟を出してみた。こういうの聞きたくないってことは、俺の中ではっきり気持ちが吹っ切れてるわけでもないんだろうな……。

「だめだよ、木寺くん、早帆を甘やかしちゃ! 主役でも何でも、こーいうのは公平にやるからこそ、楽しいのよ」

「……ま、そうだけどさ」

「ううん。いいよ、木寺くん、ありがと。……じゃあ、言います」

 ごくり、と唾を飲む音が聞こえるくらい、部屋が静かになる。

「……寺くん」

 へ? 何だって? と思わず聞き返してしまいそうになるくらい、小さな声で早帆ちゃんが呟いた。

「え? ちょっと聞き取れなかったな」

 永遠が問いかける。

「そうよ、覚悟決めて、ハッキリ言いなさい。早帆」

 また沈黙。そして、今度はハッキリと顔を上げて早帆ちゃんが言う。

「……木寺くん。木寺有栖くん」

「へ?」

「え」

「うそ」

 三者三様の驚きを見せる。

 ……俺? んなバカな。

 聞き間違い……じゃないよな?

「うん……私、木寺くんが……好き……です」

 そう言って、早帆ちゃんはうつむいてしまった。

「えーーーーー!? うそー! 早帆ってそうだったの? やだ、じゃあウチら超お邪魔虫じゃん。そういうの先に言っといてよー!」

「言えないよ……そんなの。バレたら嫌だったもん。嫌われたく……ないし」

 俺は永遠と顔を見合わせる。

「よ、良かったね」

 まだ驚きを隠せない表情で、永遠はそう言った。

「え、あ、いや、うーんと」

 だめだ、思考が働いていない。言葉がまとまらない。

「あ! じゃあちょっとさ、ウチら買い出し行ってくるよ、ね、水寺くん」

「あ、うん、そうだね。そうしよう」

 そう言って、二人はその場にい辛くなったのか、立ち上がってそそくさと部屋を出ていく。

「戻る時にはメールするから。その……ごゆっくり」

「いや、っていうか……ええ!?」

 いきなり二人きり? っておいおい、俺何言えばいいんだよ。

 そう思って、ベッドの方に目をやると、いつの間にか大蛇は姿を消していた。


「……」

 二人が部屋を出ていってからしばらくの間、お互い黙ったままで気まずい沈黙が流れる。何か言わなければ、という気持ちだけが焦り、全く何も言葉にならない。顔を見ると気恥ずかしいので、何となく俺は早帆ちゃんから目を逸らしていた。

 その内、後ろからくい、と服の裾を引っぱられる。

「……あの、返事……聞きたいな……」

 首だけ振り返ると、女の子座りのまま、早帆ちゃんがうつむきがちにこちらを見つめていた。

 その仕草に胸が苦しくなる。

 忘れたはずの、諦めたはずの気持ちがもう一度去来する。

「……お願い…………」

 そのまま早帆ちゃんがすっと目を閉じる。そのまま抱きしめたい衝動に駆られる。こ、これはもう……据え膳食わぬは何とやらってやつ……か?

「わかった」

 何がわかったのかわからない。

 返事にすらなっていない言葉を口にし、早帆ちゃんの方にちゃんと向き直る。

 そして早帆ちゃんの方に手を伸ばし──かけた時、何故かふと大蛇の言葉を思い出した。


「そうだ、ロミオとジュリエットの話をきちんと最後まで知っていますか? キミがロミオとは違い、知恵と勇気を持ち合わせていることを切に願いますよ。宿主」


 ロミオとジュリエット──って、いや、この話は十六夜のことで、今の俺には関係ないだろ、とは思うのだが、何故か気になって仕方がない。

 どんな話だったっけ?

 確か争い合う二人の家の反対を押し切って二人は恋に落ちて──。

「……木寺くん?」

 堪え兼ねたのか早帆ちゃんが目を開く。

 俺の目はその目を見つめることなく、明後日を向いたままで。

 ええと、二人が結婚した後、ロミオが誰かを殺して、それで──なんだっけ?

「だめ……かな? 私じゃ……」

 ええい、うっさい。今それどころじゃないんだ。

 えっと、そうだ、確かジュリエットが毒を飲んで死んだフリをするんだった。

 それでジュリエットは家を抜け出そうとするんだけど、ロミオはそれを聞いてジュリエットが本当に死んだと思って自殺して──。

 ──ってことは。そうだ!

「ジュリエットは実は生きていた!」

 ガバッと両手で早帆ちゃんの肩を抱え、そう叫んだ。

「は? え? ……なに? それ?」

 はっと気づくと目の前には潤んだ表情の早帆ちゃんがいて、その肩を抱いている自分がいた。

 けどもう俺はその表情には惑わされない。

「早帆ちゃん、ごめん。……二ヶ月前の俺だったらきっと、君の気持ちに応えていたと思う。でも、俺もう気づいちゃったんだ」

 俺のジュリエットは生きていることに。

 俺が見失いさえしなければ、彼女は勇敢にこちらへ向かってきてくれることに。

「何に? ……って、それは、私が聞いても仕方のないことだよね」

 早帆ちゃんは本当に悲しそうな表情で下を向く。

「うん。ごめん」

 そう言って、勢いで掴んでいた手を離す。

「ううん。良かった。これで踏ん切りがついたから」

 それにしても本気で好かれていたとは思わなかった。

 若干もったいなかったなあ、なんて情けない気持ちを抱えながらも、大事な人の想いに気づいた充実感が心を満たしていた。

 ──のがいけなかった。

「じゃあ……死んで」

 しまっ! 完全に油断し切っていた。

 彼女の目を見た瞬間、体育大会の時のように意識が断絶され、暗闇の中に飲まれていった。


「あれ? おろちん。有栖のとこにいたんじゃないの?」

「おー、これはこれはジュリエット様。意外とお早いお帰りで」

 久しぶりに人間界に戻ってきた。

 ありゃー、有栖め、私がいないとゴミ捨ててないんだね。キッチンにゴミ袋がこんもり溜まってるし。まあ冬だからゴッキーもそんなに湧かないと思うけど。

 全くもう、私がいないとダメなんだから。

「そんなこと言って軽口ばっか叩いてるから、本命の娘には逃げられるんですよーだ」

「はは。こいつは手厳しい。有栖くんね。そろそろ同級生の子に絡めとられたところですかね」

「え?」

 胸騒ぎがする。同級生──あの子だ、きっと。

「いやね、どう見ても有栖くんに好意を持ってる女の子の誕生日パーティーに呼ばれてたみたいで。途中まで僕も一緒にいたんですけどね。その場で女の子が有栖くんに告白しちゃって。なんか二人きりでいい雰囲気になったんで逃げ出してきたんですよ。さすがに僕と言えど、行為を覗く趣味はない──いたっ! 何するんですか!」

「キミの目は節穴かい? 全くもう、男ってやつはこうだから……」

 有栖も──騙されてるのかな。胸がズキッと痛んだ。

「あの子が何か?」

「あの子は『悪魔』の家系の魔導士よ。稲家なんて名乗ってるけど、きっとホントは日本人なんかじゃない!」

「はて?『悪魔』……って、まさか……シェイネ?」

「そう」

 イザボー・シェイネ。悪魔に魂を売った魔女。そう聞くと悪女に聞こえるが彼女の動機の発端は悪意を持ったものではなかった。十一歳のころ足を悪くし、治してもらうために彼女は『魔女』を訪ねる。その『魔女』に連れていかれ、悪魔の力で彼女は足を治す。そこまではまだ良かった。だがその魔力に魅せられた彼女は、悪魔と結託し、次々と治療困難となった病気や怪我を癒してしまう。

「一見いいことしていた風なのがタチ悪いですよね」

「そうなんだよね」

 人間が必要以上に長生きして、いいことなどあるわけがない。どんな怪我をしても死なないと確信した人々は次々と悪事を働くようになった。人を傷つけることにも罪悪感を抱かなくなった。

「そして、裁判にかけられ、火あぶりになる……。しかし子孫がいた」

「記録には残ってないけどね」

 そして今も時代の裏で暗躍を続けている。

 その治療代金として法外な料金を請求しながら。

「しかしどうして彼女がその子孫だと?」

「あの子は魅了の魔法を使ってるのよ。おろちんも知ってると思うけど、魅了の魔法は悪魔の魔法。悪魔と契約を交わした魔導士にしか使えない」

「悪魔召喚士……デビルサマナーというやつですか。確か数百年前から取り締まるようになりましたねえ。今の王様が人間界のバランスを崩すという名目で。とは言え、それだけでは彼女がシェイネであるという根拠には……」

「それがおかしいのよ。本来今人間界にデビルサマナーはいないはずなの。350年前に取り締まりを行ってから、一人も人間界に入れていないはずなんだから」

「ふむ……となると」

「そう。イザボー・シェイネが火あぶりにあったのが1656年。取り締まりの前だよ。彼女に子供がいたとしても、それは記録には残っていない。つまり、取り締まりで捕まえられていないんだよ。だから、今人間界にデビルサマナーが存在するとすればそれは」

「シェイネ以外にはあり得ない」

「そゆこと」

 そう言いながら、私は靴を履く。私の用事は──後回しだ!

「ほら、急いで! おろちんも行くよ。宿主のピンチかもしれないんだから!」

「穏やかではありませんね……!」

 そうして、おろちんと私は有栖の元に向かった。


「んぎっ! は……なせええ!!」

「無駄よ。その手錠には魔力を吸い取る精霊石が仕込んであるの。木寺くんがどんな強力な魔法を使ったところで、その状況じゃ発動しないわ」

 気がついた時、地下室に連れてこられていた俺は、木で作られた十字架を背に、磔になっていた。ご丁寧に両手には手錠がはめてあり、足下にも何だかよくわからない機械が設置されている。早帆ちゃんが言ったように、魔力が吸い取られているようで、ゲートが出せない。

「さて、それでは月の精霊との契約を解除してもらいましょうか」

「は? なんでそんなことを?」

 もしかしてそれが狙いだったのか?

「あなた自分で契約しておきながら何もわかっていないのね。いいわ。教えてあげる。あなたが契約している月の精霊はね。精霊界でも絶滅危惧種に指定されるくらい希少な存在なの。どうしてだかわかる? その魔力が膨大すぎることを理由に子孫を残すことを制限されたからよ。忌々いまいましい。どうしてそんなおままごとに付き合うために、本来世界を席巻できるほどの力を持っているはずの精霊が足かせをつけなければならないのかしら。おかしいと思わない?」

「……いや、何もかもが初めての話で、正直判断が出来ない」

 早帆ちゃんの話は筋が通っているようにも思う。

 ただ、一人からの話を聞いただけで簡単に信じ込んではいけない、とも思う。

「ふん。まあいいわ。ともかく、私たちの目的は、月の精霊を私たちの精霊として契約すること。そうすれば、今の人間界なんてひっくり返せるくらいの膨大な魔力が手に入るわ」

「……そういうことか」

 結局それも月の精霊に足かせをつけた連中と同じ、勝手な思いじゃねーのかよ。

「精霊は他の人間と契約している限り、契約することが出来ない。だから私たちはまずあなたを殺すことを計画したわ。宿主が死んでしまえば契約は全て無効になる。」

 ごくり、と唾を飲む。ためらいなく『殺す』と口にする早帆ちゃんの顔は、もはや俺の知っているそれではなかった。

「妙だとは思わなかったかしら? ここ数ヶ月の間に、急に次々と他の魔導士に出会うだなんて」

「……まさか」

「ええ、そうよ。私が呼び寄せたの。魅了の力を使ってね。とは言え、そうあからさまに襲わせるわけにもいかないから、役者を揃えた上でタイミングを図っていたのだけれど。さすがに一年は長過ぎたわね」

 確かに偶然にしては出来過ぎだとは思っていた。

「でも調査を進めていく内にわかったの。あなたはどうやら、私たちが想定していたよりもずっと強かった。このまま争っても、やられて私たちの計画がバレる可能性が高い。だから私を囮にして、あなたごと引き込むつもりでいたのよ。そもそも無理矢理あなたから精霊を引きはがしたところで、その精霊がこちらにつかなければ何の意味もないわ。それならあなたごと……それもあなたの意志でこちらについてもらった方が手っ取り早い」

「そこに……キミの気持ちはなかったんだよな」

 もはやわかり切っていることではあるが、聞かずにはいられなかった。

 未練がましいと笑うなら笑え。

「そうでもないわよ。私は自分の恋人が誰でもいいなんて思わないもの。木寺くんならいいな、と思ったのは本当よ。良かったわね」

「その言い方から愛情は全く伝わってこねーな」

 表情も口調も、今までとはまるで別人である。

 これが稲家早帆の本性なのだろう。

「月の精霊のことだけじゃないわ。あなたの曜日魔導士にしてもそうよ。元々は絶大な魔力を誇るエリート中のエリートだった。なのにその絶大過ぎる魔力が故に、精霊王の手前勝手な治安維持という名目で、その名を最下位ランクまで突き落としたわ。その名を名乗ることで生活すら困難になるくらいにね」

「そんな……」

 そんな経緯があったなんて、知らなかった。

「おかしいと思わない? 力があるものの方が規則に縛られがんじがらめになり、力のない者は規則で守られ、のほほんと何も考えずに生きている。私はそんな世の中をめちゃくちゃにしてやりたいのよ」

「……」

 正直、正しいのかどうかはこの場で判断出来なかった。

 早帆ちゃんの言い分はわかったが──。

「さあ、この話を聞いた上で木寺くん。あなたが私の恋人になるというのなら、今すぐその手足を自由にしてあげるわ。私の部屋でこれからのことについて話し合いましょう。それが出来ないというのなら、最初に言った通り、月の精霊との契約を解除するだけでもいいわ。私は猟奇殺人者じゃない、無駄に人は殺したくないもの。素直に契約を解除するなら何もせず、このまま解放しましょう。だけど、それすらも出来ないというのなら」

 早帆ちゃんが構えた右手は、悪魔のような長い爪のついた手をしていた。

「ここで死んでもらって契約を無効にしてもらうより他ないわね」

 予断を許さないようなその凄みに一瞬気圧された。

 が、気を取り直して答える。

「……答えはどちらもノーだ。俺は好きでもない人と付き合うわけにはいかないし、好きな人と離れたくもない」

「あら? 随分私にご執心なんだと思っていたけど、違ったの? それに……ふふ、好きな人だって。残念ながら精霊は人じゃないわよ。恋焦がれるのは自由だけど、人は精霊ほど永くは生きられないわ」

「そうだな」

 あっさりとそう答える。

「それでも俺はあいつが好きだ。別に……恋愛感情ってわけじゃないさ。十六夜だけじゃない。俺にとって精霊は、仲間であり、家族だ。だからお前みたいに道具扱いすることもしないし、簡単に裏切ったりしない」

「ああそう、ご自由に。それならそれであなたに死んでもらうだけだから」

「悪いがそれもごめん被る」

「わがままね」

「知らなかったのかよ。いいなと思った人のことは逐一チェックしておくべきだぜ」

「次からの教訓にしておくわ。さて、そろそろお喋りも終わりにしましょうか」

 くそっ。何とかならないのかこれ。

 ゲートさえ開ければ……魔力……魔力……。

「さよなら、木寺くん。あなたは私の初恋の人ってことにしておいてあげるわ。初恋は叶わないものだから」

「そうかい。俺も早帆ちゃんが初恋の相手だったよ。なるほど、初恋は叶わないものらしい」

 考えろ、考えるんだ、俺。死ぬぞ。

「はあっ!」

 ドゴーン!と大きな音がしてから、ズグシャッと爪が何かを貫く音がした。が、恐る恐る目を開けてみると、その刃は俺の身体に届いていない。

「やれやれ、痛いですねー。いくら蛇が再生すると言っても痛いものは痛いんですよ」

「大蛇!」

 真っ白なタキシードが真っ赤な血で染まっている。

「ちっ。別の精霊か」

 早帆ちゃんが警戒して飛び退く。

「有栖くん。なかなか格好の良い啖呵でした。感動しましたよ。出来ればご本人にももう一度聞かせてあげてください」

「え……」

「有栖!」

 声がして下を向くと、地面の穴から十六夜が出て来た。

 大蛇が穴を掘って来たのに違いない。

「おろちん速いよー。あんまり急ぐから服が泥だらけになっちゃったじゃない」

 十六夜が服についた泥を払う。何故か工事現場の黄色いヘルメットを被っている。

「そんなこと言ってる場合ですか。急げと言ったのはあなたでしょうに」

「べーだ。気遣いのできない男はモテないよーだ」

 そう言って、十六夜は早帆ちゃんに向き直り、

「話は聞かせてもらったぜ!」

 と指を差す。

 あんまり勢いをつけて振り返ったので、ヘルメットがずれて顔半分が隠れてしまっている。

「お嬢ちゃん、室内に入った時はちゃんとお帽子とりましょーね」

「はーい、って誰が幼稚園児か!」

「おーい、お前ら、今の状況わかってるかー」

 んっとにもう……まあこれが十六夜らしいっちゃ十六夜らしい。

 シリアスからは到底縁遠いやつなのだ。

「海に行った時から思っていたけど、あなた本当に月の精霊? それとも3年ほど前に悪魔に加担した精霊を全滅させたのはあなたじゃないのかしら?」

「……わたしだよ」

 十六夜が精霊を全滅? どういうことだ?

 というか急にシリアスパートに戻すな。頭がついていかん。

「有栖、ごめんね、わたし、有栖に何も言ってなかったよね」

 そう言って、いつもの調子とは違った真面目な口調で、こちらに背を向けたままで語り出す。

「わたしは精霊王様の命令で、人間界で悪さをしようとしている精霊達を滅ぼす。そういう仕事をしているの。というよりは、月の精霊の使命なんだよ、それが」

 表舞台に上がる『日』……つまり精霊王などの太陽の精霊に対して、『月』の精霊が仕事をするのは裏舞台なのだと十六夜は語る。

「平和ってね、長くは続かないの。それは人間界でも精霊界でも──ううん、どこでもおんなじだと思う。長く平穏が続くと、生物は争いを求める。そうしてね、それを表立って鎮圧してしまうと、必ずそれに反対する勢力が現れる。だから、」

 裏舞台が必要なんだよ。と十六夜は呟くように言った。

「最初に会った時、有栖はわたしを見て辛そうだって言ったよね。正にその通りなんだよ。わたし、ずっと月の精霊をやめたかったんだ」

 隙を狙って動こうとした早帆ちゃんを、大蛇が視線の威圧だけで押し止める。

「でもね、有栖がわたしを助けてくれた。わたしが有栖の精霊になってからもね、その裏舞台は度々あったけど、暗くなりそうな気持ちを、有栖は明るく支えてくれたの。有栖といるとね、月の精霊でいてよかったって、心からそう思えたよ」

「……俺だってそうだよ」

 その想いを聞いていた俺も、ずっと言えなかったことを口にする。

「お前に会っていなかったら、俺は自分が魔導士であることを嫌になっていたかもしれない。だってさ、お前に会った時、俺はそれが嫌で両親から離れたんだから」


 まどうしってなんだよ、なんでこんなこわいめにあわないといけないんだよ。

 おれ、まどうしなんかになりたくないよ。


「ガキなりに精一杯、女の子の前で強がってみたんだよ」

「その強がりは効果てきめんでしたな。少なくとも、その女の子のハートをがしっと掴むくらいに」

 背を向けたままの十六夜が少し笑ったような気がした。

「でもね、少し前の海での出来事があった時、わたしは自分の力が怖くなったの。このままいると、いつか有栖の大事なものを壊してしまいそうな、そんな気がして」

 だから、だから私は、

「月の精霊をやめることにしたの」

「え」

「……なんとまあ」

「な、何馬鹿なことを言っているのよ! あなたその絶大な魔力を自ら放棄するって言うの?」

 黙っていた早帆ちゃんが口を挟む。

「うん。わがままだけど、わたしは魔力なんていらない。有栖の傍にいたい。ずっと、ずっと一緒にいたい。そう思ったから」

「ってお前、そんな……そもそも精霊って、はい、やめます、ってやめられるものなのかよ」

 しかもやめてどうする気だ、お前。

「実際にそんなことが可能なのかどうかは私も知らないのですが……人間に転生する方法はあると聞いたことがありますね」

 大蛇が解説してくれる。

「はい?」

 転生……? 精霊が人間になるってこと?

「そうなの。だから、わたし、これからは人間として、有栖と一緒にいたい」

「でも確か……そんなに簡単なことではありませんでしたよね?」

 大蛇が確認する。

「うん……」

 十六夜が振り返る。少しのかげりも感じさせない、満面の笑顔だ。

「赤ちゃんから、やり直し。とーぜん、記憶とかもなくなっちゃうんだって」

「十六夜……」

「だから、暫く待っててね、記憶なんかなくったって、わたしがきっと有栖を見つけるから。17歳年下の美人妻もらうなんて、ヤリ手だねえ。このこの〜」

 十六夜の目から涙がこぼれる。

 そうまでして、人間に──俺にこだわったって。

「そんな……もし見つけられなかったらどーすんだよ。それに記憶もなくしてって……お前はそれでいいのかよ! いいわけないだろ!!」

 そんなのもう、お前であってお前じゃないじゃないか!

「有栖くん」

 大蛇が口を挟む。

「私には十六夜さんの気持ちが少しわかります。精霊の寿命は永い。その存在を覚えている誰かがいる限り、私たちは消えることは叶わないのです。愛する人が死んだ後、独りで生きていくのは辛いでしょう。それに、いくら好き合っていても、人間と精霊とでは、結婚することも、子を授かることも出来ません。それならば、万に一つの可能性でも、賭けてみたくもなりますよ」

「だからって!」

 お前は全部捨てるって言うのかよ。今の関係も、俺との思い出も全部。

「それは……有栖が覚えておいてよ。そして、いつかわたしに教えてよ。十六夜ってこんな子だったんだよって」

 泣き笑いのような顔になって、十六夜はもう一度俺に背を向けた。

「まあ、そういうことだから。とりあえず、稲家さん……いや、シェイネさん。有栖を解放して。もう私は月の精霊じゃなくなるんだから、有栖を捕らえていても意味はないでしょ」

「そんなことで、はいそうですかと引き下がれるとでも思ってるの? 私たちが、どれだけこの計画に賭けてきたか……。あなたが転生するのは木寺くんのためよね? だったらその木寺くんがいなくなればその転生する意味もなくなるじゃない」

 早帆ちゃんが何かの機械のボタンを押す。カチッと足下で音がした……と思った瞬間。

「熱っ!!」

 熱いどころの話じゃない。足下が燃え出したのだ。

「有栖!!」

「有栖くん!」

 大蛇が火を消そうと……というか機械ごと壊そうとする。が、勢いよく体当たりしたはずのその身体は力なく崩れ落ちる。

「大蛇!」

「はははっ。その機械は手錠と同じく、魔力吸引用の精霊石を詰め込んであるのよ。魔力の塊みたいなあなた達精霊には触れることさえできないわ!」

「わたしを……怒らせないで……」

「大蛇! しっかりしろ!!」

 俺の足もやけどでは済まなくなってきてはいるのだが、それ以上に、火の中にその身を投げ出している大蛇はまずい。いくら消え去りはしないとしても、痛みや苦しみを感じないわけじゃないのだ。

「くっそ! この精霊石さえ何とか──」

「有栖……少しの間目を閉じていて」

「お前、なにす……」

「いいから早く!!」

 あの日と同じ台詞だった。あの日、俺は十六夜の力を体感して、確かに少し恐くなった。

 ──けど、今は違う!

「俺は目を閉じない! 絶対にお前から目を背けない!! 何でもいいから早くやれ!!」

「……ムーンライト!!」

 十六夜の身体が光り輝く。と思うが速いか、その光がまるで巨大な掃除機でもかけているかのように、俺の捕らえられている機械に吸い込まれていく。

「無駄よ。いくら強力な魔法を使ったところで、そこじゃ吸い取られておしまいよ」

「はあああああっ!!」

 十六夜の光は全く衰えない。それどころか、どんどん勢いを増していっているように見える。

「ん?」

 もはや足下は熱いというよりは叫び出しそうなくらい痛くなってきていたが、感覚が鋭敏になっているせいか、耳元でピシッとかすかに音が聞こえた。

「光が……吸い込まれる量が減って……」

 と思った瞬間。

 目の前で閃光が瞬き、俺の視界を奪った。

 次いで、身体を吹き飛ばされる浮遊感を味わう。

「ぐあっ!」

 そのまま背中の機械ごと壁に叩き付けられた。

 身体がバラバラになるような衝撃を味わいながらも、感覚のない足をほったらかして、手だけで身体を起こす。振り向くと横に大蛇がいた。這って行って様子を確認する。精霊の生存確認なんて、どうすればいいのかわからない。とりあえず息はしているようなので大丈夫だとは思うが……。

 そして十六夜の方に目を向ける。十六夜は黄色がかった光の球体に包まれていた。その光は太陽のように目を背けなければならないほど強いものではなく、正に月のそれを見ているような優しい光だった。

 十六夜がその状態のまま、ゆっくりと歩いて早帆ちゃんに近づく。

「そんな……大型の精霊石10個の許容量を超える魔力を放出するなんて……」

 早帆ちゃんが戦き、足を震わせながら後ずさる。

 今日は土曜日。十六夜の魔力は著しく低下しているはずである。それでも尚これだけの魔力があるなんて、そりゃその力が怖くもなるはずだ。

「あなたは……本当はいてはならない人間なの。ごめんなさいね」

「うぐっ!」

 十六夜が早帆ちゃんの首を右手で掴み、そのまま身体ごと引っこ抜くようにして突き上げる。

「いざよ……い、やめろ……!」

 俺の声が届いたのか、十六夜はこちらに振り返る。

「有栖……ごめん、これがわたしの『仕事』なんだよ、いてはならないものをいなかったことにする。そういう仕事。……これが最後だから」

「この……世の中に……いてはならないものなん……て……いない!」

 俺はまだ誰の意見にも納得なんかしていない。

 早帆ちゃんには早帆ちゃんなりの、十六夜には十六夜なりの理屈があったことはわかった。

 でもどっちが正しいかなんて、正直俺には判別がつかない。

「げほっ! ごほっ!」

 むせて血を吐き出す。

 叩き付けられた時の痛みが少し落ち着いたので、そのまま身体を起こす。

「有栖は知らないんだよ……いてはならないものを放置することで、それがどんな大きな被害を生むかを」

「だからお前がそいつらの運命を決めるのか? ふざけるな!!」

 神にでもなったつもりかよ!

 と、神々しく光り輝く十六夜に向かって言葉を投げつける。

「失敗したらやり直せばいい。失ったなら取り戻せばいい。命まではそうはいかないけれど、逆に言えば生きてさえいれば、やり直しは効くはずだ。後悔はそいつらがすればいい、間違ったやつが傷を負えばいい。お前らのやっていることは、やり直しの機会を奪っているに過ぎないんだ!」

 と、純先輩の言葉を借りて俺は叫ぶ。

「じゃあ……じゃあどうすればいいのよ!? 目の前で広がる諍いを、そのまま放っておけって言うの!?」

「そうだよ! お前は今まで一回もケンカしなかったか? 他人と争ったことで何かを得ることはなかったか? 生物は争って進化してきたんだろうが! 中途半端に神様気取って自分に酔ってんじゃねえ! いい加減目ぇ覚ませ!!」

 そのまま十六夜を見つめる。

 すっと光が消え、その手から早帆ちゃんが滑り落ちる。

「じゃあ……じゃあ、わたしが今までしてきたことって……」

 十六夜が今にも泣き出しそうな顔をこちらに向ける。

「俺に言わせりゃそれも一つの失敗だ」

 言いながら、手だけで這い寄って、十六夜の元へ行く。

「だから背負え。その失敗と、お前が奪ってきた生命の重みを」

 十六夜が俺の元にしゃがみ込む。俺はそのまま這い上がって、十六夜に抱きついた。

「今なら半分は俺が背負ってやる。……俺はお前の宿主だからな。だから……捨てるなんて言うな。過去も、未来も。お前が後悔しないくらいには長生きしてやるから」

「うん……うん!」

 十六夜の涙が肩を濡らす。その涙はほんのり暖かくて、一瞬俺は目の前の女の子が精霊であることを忘れた。

 カチッ、と後ろから音がする。

「いやー、実にいいお話でした。バッチリ録音させて頂きましたよ。有栖くん」

 振り返ると何故か真っ白に戻ったタキシードを来たヤサ男がいた。

「お前……なんで?」

「いやだなあ……今日は土曜日ですよ? 私の魔法は色々ありますが、最も得意なのはリジェネレーション。再生です」

 ってことは、放っておいても平気だったのか、こいつは。

「いやいや、さすがに再生速度を超える攻撃を受けたらまずいですけどね、まああの程度の火なら人間で言うところの日に焼けた程度で済みますね」

「俺の心配を返せ!」

 本当に心配したんだからなこの野郎。

 ……とは言え、まあ本当は危なかったのには違いない。あの時魔法は使えなかったはずなのだから。軽口はこいつなりの気遣いなのかもしれない。

「過去も、未来も。お前が後悔しないくらいには長生きしてやるから」

「ちょ! お前、何してんだ!」

 どこから調達したのかわからないICレコーダーのボタンを操作しながら大蛇は言う。

「だから、言ったじゃないですか、私の最も得意なのは『再生』ですって」

「過去も、未来も。お前が後悔しないくらいには長生きしてやるから」

「いいからやめろ!!!!!」

「有栖、かっくい〜」

 いつの間にやら、俺の目の前に顔を持ってきていた十六夜がニヤニヤしながら言う。

「今なら半分は俺が背負ってやる。……俺はお前の宿主だからな」

「もうええっちゅーねん!!!!」

 とまあ、土曜日のある日、俺は大失敗をしたおかげで、一番大切な人──もとい精霊と、仲直りを果たしたのだった。 

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