木曜日の予感

「あーづーいー」

「今年は過去最高の暑さらしいからな……って毎年言ってる気がするが」

 セミがミンミン鳴り響く夏本番。8月である。関係ないが、犬や鶏の鳴き声は英語だと全然違う表記になっている。(というか鳴き声そのものが国で違う。)

 昔から気になっていたのだが、種類によって鳴き方の違うセミは海外ではどのような鳴き声になっているのだろう。ってかそもそも海外にセミ、いるのか?

「そんなのどーでもいい。ありすー、あいすー」

「冷凍庫の中にあるから自分で取れよ。あとそれ声に出すとそこまで似てないからな」

 くだらないことばっか思いつきやがって。

「んじゃ有栖、愛す」

「ば、馬鹿じゃねえのお前」

 って急に真面目な顔すんじゃねえ。不覚にもドキッとしたじゃねえか。

「あれあれ〜? 有栖くんもこの暑さにやられましたかね? お顔が真っ赤ですよー」

「うるっせえ! さっさとこれでも食ってその暑さでとろけてる脳みそを冷やせ!」

 冷凍庫からカップアイスを取って十六夜の顔にくっつける。

「ひゃっ。んもう、びっくりするじゃん」

 ぶーぶー言いながらも嬉しそうにアイスを受け取る。

「ぅうーん。しゃーわせ」

 カップアイスを食べながら心底幸せそうな顔をする。

 まあ、悪い気はしないな。

「ってちょっと待て! それ俺の分じゃねーか!」

 あんまり幸せそうなので、俺も食べようかなと思って冷凍庫を開けると、そこには一つ残っているはずのアイスがなくなっていた。

「へ? そーだよ。だから優しい優しい有栖くんが、愛する私のために自分のアイスをくれたんでしょ? フェミニストだねぇ。このこの〜」

「んなもんでごまかされるか! 返せこのやろ!」

 十六夜からアイスを取り上げようとする。

「だーめ! もうこれは私の! こら! だめだってば!」

「いいからさっさと手を離せ!」

 カップアイスを掴んで離さない十六夜の両手を掴む。

「やだってばー。こうなったら! はむっ」

「あ、このやろ!」

 十六夜がスプーンを放り出して、カップアイスに直接口をつける。犬かてめえは。

「ふっふっふ。なめ回してやったぜ。これでウブなアリスちゃんはアイスに手を出せまい」

「んなもん関係あるか!」

 がぶっと俺も十六夜と同じように、カップアイスに直接口をつける。

「あ……」

「うわっ!」

 十六夜がアリスに手を掴まれたまま急にアイスから手を離したので、アリスは手を離し、落ちそうになるアイスをアリスは必死に受け止める。

 ……ええい、ややこしい!

「急に離すなよ! あっぶねー」

「ご、ごめん」

 十六夜は何故か後ろを向いて、胸に手を当てている。

「ど、どう? アイス、おいしい?」

「ん? ああ、やっぱバニラだな。まぁ他の味もおいしいけど王道って言うか」

 クッキー&クリームとかストロベリーも好きだけど。

「そかそか。よかったね」

「ああ……?」

 なんだこいつ。さっきまであんなに抵抗してやがったくせに。

「残り──食うか?」

「い、いやいやいやいや。いい! いいよ! もう私1カップ食べたしね! 女の子は冷えに弱いのよ! 全く有栖は気が利かないんだから」

 お前が食いたいっつったんだろーが。

「ああ、もう騒いだら余計暑くなっちゃった。ちょっと精霊界で避暑ひしょってくるね」

「勝手に名詞を活用させるな」

 でもこの手の表現、最近増えて来ている気がする。ら抜き言葉ももうほぼ公用語になっちゃったもんなあ。別にそれが悪いわけじゃないけど、言葉に限らず、進化は過去を置き去りにしていくようで、残されていく過去が少しだけ切なく感じる。

 そそくさと十六夜が出ていった後、一人で残ったアイスを食べ切る。

 ──にしても。

あちぃ」

 夏はまだ始まったばかりである。


「海水浴?」

「そうそう。せっかくの夏休みだから夏っぽいことしようって連絡があって」

 帰宅部のため絶賛夏休み満喫中の俺は、自室のクーラーの冷気に守られている部屋の中で永遠と電話していた。ちなみにリビングはたまにしかクーラーをつけない。普段俺しか家にいないので、電気代がもったいないのだ。

「連絡って、誰から?」

「ん? 稲家さん」

「ぶっ!」

 ちょっと待て! クラスで──いや、学年でも1、2を争う人気の美少女である早帆ちゃんがなんで永遠なんかに連絡するんだ!?

「お前……いくら払った?」

「あのね……いくらなんでも三次元の女の子に連絡もらうためにお金払ったりはしないよ」

 二次元なら払うのか。

「家にかかってきたよ。だけどさ、ひょっとしたら彼女、木寺くんのこと気にしてるんじゃない? 木寺くんも誘ってってお願いされたんだけど」

「なんですと」

 これは由々しき事態ですよ奥さん。学校一美少女な女の子(妄想フィルター発動により規模拡大)から好かれていたのにも関わらず、今の今まで気づけなかったなんて! バカ! 俺のバカ!!

「いや、だってさ、普段、稲家さん他の男子に自分から話しかけたりしてないし」

「た、たまたまだろ」

 内心ドッキドキである。──いや、待て。落ち着け。これは罠だ。こんな上手い話があるわけがない。ドキドキ脈打つ心を落ち着けるんだ!

「縄文土器は大森貝塚を発掘したモースによって発見され……」

「何の話?」

 くっ! 土器の話程度じゃこのバクバクは収まらないというのか! ええい、ままよ!

「成獣の体長は1.7~2m程度。ブタのような体つきをし、ゾウの鼻のような口吻こうふんをもつ。奇蹄目きていもくはその名が示すとおり、通常奇数の指をもつが……」

「なんで女の子の話してる時にWeb百科事典読んでるのさ」

 バレたか。さすがに俺は動物博士ではないので、バクの生態については暗唱出来るほど詳しくない。

「少し落ち着いた。で、何の話だっけ?」

「いや、だから海水浴のお誘い」

 そうだった。海水浴ねえ……。自分の貧相な身体を見せるのは気が引けるなぁ。しかも早帆ちゃんの前で。

 ──ん? 待てよ。

「永遠。海水浴というのは水着でということかな?」

「服のまま海では遊ばないと思うよ。普通」

 ひゃっほーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーう!!!!!!

 落ち着け。落ち着け俺! まだだ! まだ騙されんぞ!!

「念のため聞くが永遠。それは早帆ちゃんも水着ということでいいんだよな?」

「……木寺くんって結構面倒くさい人だったんだね……」

 YesでもNoでもない返答だったのに、俺は永遠の言葉など聞いておらず、その場で小躍りして喜んだ。

「ミィー?」

「お、木霊こだまじゃないか! 喜べ! お前の宿主様がとうとう大人の階段を昇る時が来たぞ!」

「ミィー! ミィー!」

 デフォルメしたクリスマスツリーのような形をした淡い緑色の生物は、俺の木曜日の契約精霊の木霊である。こいつは他の精霊に比べて、人間の言葉が喋れない。年齢が若いとかそういうことではなくて、そのように『想像された』からである。ただし、こちらの言葉はわかるようで、『ミィー』という言葉の抑揚で喜怒哀楽をちゃんと表現している。『はーい』だけで全てを表現する人間の子供といい勝負だ。しかし普通人間の子供が一番初めに喋る言葉として『はーい』は覚えな以下略。

「木寺くんってペット飼ってたの? 飼い主がどうとかって」

 そう言えば永遠と電話してる最中だった。

「あ、そうそう。犬を少々な」

「少々って。習い事じゃあるまいし」

「いやいや、永遠。うちの犬を舐めてもらっちゃ困るぜ。芸をさせたら右に出る犬はいない」

「へえ。じゃあ今電話越しで出来るのやってみてよ」

「ばう! ばうわう! ……これジョン。バフッ」

「それただの一人芝居じゃないか! しかもパクりだし」

 いいだろ。好きなんだよ。

 しかしネットで昔のネタを見たりしていると、若い頃のネタは勢いがあって無茶苦茶面白い。特にお兄ちゃんがあんなに連続でボケを畳み込んでいる姿はもう見られないだろうなぁ。

「……ま、いいや。じゃあ木寺くんも参加でいいよね?」

「もちろんだ。俺の魂は海と共に在る」

「聞いた事ないけど」

 今思いついたんだから当然だ。

「んじゃあ来週の木曜日。10時に駅集合で」

「了解」

 電話を切る。切った途端、勝手に妄想が暴れ出しそうになるのを抑えるのに必死だった。

「ミィーイ?」

 ふと振り向くと、木霊がこっちを見て、何か聞きたそうな顔をしていた。俺は木霊を両手で抱き上げる。

「そう、水着だみず……じゃなくて、海だ海。海水浴だ。わかるか?」

「ミィ!」

 と返事をするや否や、木霊が俺の手から飛び降り、その葉っぱの手でクロールのような動きをする。

「はは。そうそう、泳いだりもするぞ」

「ミィーィ」

 そう言うと、木霊は動きを止め、手で自分自身を差すような仕草をする。

「ん? なんだ?」

「ミィ! ミィ!」

 その場で自分を何度も指差したかと思えば、いきなりジャンプして俺の頭の上に飛び乗った。

「ミィ!」

「もしかして……連れてけってか?」

 いや、別に連れて行くのはいいんだけど、構ってやれないしなあ。

「ミィー……」

 木霊が落ち込んだ様子で、寂しげな声を出す。

 うーむ。

「あら、あなた。ダメじゃない、子供を泣かせたりしたら。まったくもう。ほらほらー。こだまんは可愛いでちゅねー」

「色々ツッコミどころは満載だがとりあえず存在からツッコませてもらおうか! 今日は木曜日なのになんでお前がこっちにいる!!」

 いつの間にか部屋に入ってきていたのは月の髪飾りをつけた、金髪で色んなところがふわっふわの女の子だった。

「いやー。それがさー。精霊界の私の家のエアコン壊れちゃって。暑過ぎてしょーがないからこっちに避暑りにきた」

「うんうん。まぁ精霊界にエアコンなんかないだろってのは百歩譲っていいとしよう。よく知らんし。だがなんだ、その格好は!」

 フリルのついた水着に浮き輪。ご丁寧にカエルの顔をしたゴーグルまでつけてやがる。

「ふっふっふ。気づいたね。有栖君。実は何を隠そう、私が犯人の悩殺せくしーおねえさんだったのだよ!」

「怪盗某みたいに言ってもそんな格好で雰囲気出るか! 大体なんだよ、セクシーお姉さんって!」

 ツッコミながら十六夜の女性らしいポイントに目をやる。が、

「はぁ……」

「はいはい、ちょっとアリスちゃん、こっち来なさーい」

「はーい、ぺったんこおねえさん」

「誰がぺったんこか! そのため息はどういうわけかね!」

「いや……そうだな。現実って……残酷だよね」

「有栖がなんか悟りを開いたような口調で私の身体的特徴を揶揄やゆしている!!」

 何とも言えない。ただ水着がビキニで良かったよなってことくらいか。ワンピースでその体型だったら余計ひどいことになっていたに違いない。ただの小学生に見えそう。

「で、最初の質問に戻るけどなんで水着なんだよ」

「いや、ほら、あっちぃし?」

 精霊界は暑ければ水着で出歩いてもいいのか。なんて楽園なんだ。

「俺も精霊界で暮らそうかな」

 まぁあっちはあっちで苦労することがあるんだろうけどな。

「え? 有栖……精霊界に来るの?」

「え? あ、いや、冗談……なんだけど」

 思った以上に十六夜が真剣な顔でこちらを見たのでちょっとビックリした。

「あ……あー。冗談、ね。冗談冗談」

 随分開放的な格好をしている割にまだ暑いのか、十六夜が両手でパタパタ自分の顔を扇いでいる。気になったのでエアコンの温度を1度下げてやった。

「まあじゃ、せいぜいこっちでくつろいでいけよ。俺はちょっと今から出かけるから」

「どっか行くの?」

 俺達がバカなやりとりをしている間に眠ってしまった木霊を膝の上に乗せて、ベッドに座った十六夜が問いかける。

「ああ。来週海水浴に行くことになってな。俺、水着、学校のやつくらいしか持ってないからさ。買いに行こうかと」

「へー。ぼっちの寂しさに耐えかねて人の多いところに行きたくなったんだね」

「どれだけ寂しいやつなんだよ! 俺だって友達と行くわい!」

 友達と……友達以上になれたらいいなって思ってる人と。

「友達って誰?」

「ん? お前俺の友達なんて言ったってわかんねーだろ。いやほら、水寺って男子とか……その、稲家さんって女子、とか」

 何となく恥ずかしくなったので名字にしておいた。

「いや、違うぞ! そんな不純な動機があるわけじゃなくだな……」

「……それっていつ?」

 ふと見ると、十六夜が随分険しい顔をしている。なんでだ?

「来週の木曜だな。どーかしたか?」

「ふむ」

 十六夜がおもむろに腕を組む。その拍子に木霊を落っことしてしまう。

「……ミィ?」

「おい、お前木霊が」

 可哀想だろ、と言おうとしたのだが、それより先に十六夜が木霊を抱え上げ、

「こだまん。海水浴行きたいの? あー、もうそんなに行きたいんだー。しょうがないなー。こりゃ連れてってあげないとおさまらないよね。あーでも困った。有栖は友達と一緒だからこだまんの相手なんてしてられないんだー。あー困った」

 と某アイドルの日本語吹き替えも顔負けの棒読みで呟く。

「じゃあ誰かが着いていくしかないよねー。そっかー。あ、そうだ。来週の木曜日はたまたまわたし暇なんだったー。じゃあーわたしがこだまんを連れて行ってあげるねー」

「お前な……」

 まぁ十六夜の奔放さは今に始まったことではないのでそこまで驚きはしないが。

「ってか木曜だぜ? お前思いっきり人に見られて大丈夫なのかよ?」

「うん、ふつーの女の子として行くからだいじょーぶ。いえい」

 こっちに向かってピースサインをする。いえいじゃねーよ。何故かその笑顔には先ほどの険しさが少し残ったままだった。

「ったく、しょーがねーな」

「わぷっ」

 俺は十六夜の頭に手を置き、少し撫でる。

「じゃ、一緒に行こうぜ。その方が他人に話しかけられにくいだろ。俺の従姉妹いとこってことにしとけば、そんなに不自然じゃないさ」

「有栖……ありがと」

 十六夜が照れ臭そうに呟く。

「ばーか。お前がいなくなったら誰がうちの掃除すんだよ。勝手に見つかって罰くらっていなくなったりしたら俺が困るんだっつーの」

「えへへ……そだね」

「ミィー! ミィー!!」

 十六夜が思いっきりぎゅーっと木霊を抱きしめている。

 苦しいんじゃねえか? それ。

「ま、とりあえずそういうわけで水着買ってくるから。適当に涼んだら帰れよ」

「あいあいさ! っていうかわたしも今から向こうに戻って新しい水着買って来る!」

 なんで? っていうか精霊界にも水着なんて売ってるのか。

「いやー。だってほら、ちょっとこれ、子供っぽいかなーって」

「そうだな。もっと寄せて上げてもらわないと……いてっ!」

 スネを蹴られた。

「誰がぺったんこおねえさんか!」

「今度は言ってねえよ!!」

 まあ、小さい方には小さい方で需要はあると思うぞ。多分。

「いいの! すんごいセクシーなの選んで有栖をぽかーんとさせてやるんだから!」

「へーへー。せいぜいバレない程度に加工してくださいな」

 こうして俺はいつの間にかできた従姉妹と、いつの間にか飼っていたことになったペットを連れて海水浴に行くことになったのであった。

「天国だ……」

 青い空! 白い雲! 照りつける太陽に蒼い海! なーんてもんは一切目に入らず。

「うー。あんまり見ないで。……恥ずかしい」

 さすが早帆ちゃんだぜ! プロポーションも完璧。出るとこは出て、引っ込んでるとこはちゃんと引っ込んでるもんなあ──それに比べて。

「はぁ……」

「ため息つくなっちゅーの! 誰がぺったんこおねえさんか!」

 いやだから言ってねえって。

「それにしても木寺くんにこんな可愛い従姉妹さんがいたなんてね」

 ビックリしたよ。と永遠が言う。

 いや、うん。俺も一週間前に初めて知った。

「そんな……可愛い新妻だなんて」

「おい、勝手に言葉を置き換えるな」

 早帆ちゃんに聞こえてなかったからいいものの、誤解されたらどうする気だよ、全く。

「ミィ! ミィ!」

 木霊は砂浜が気に入ったようで、砂を掘ったり、堀った穴に潜ったりして遊んでいた。まああれくらいならバレないだろ。

 木曜で木霊自体の姿は見えないはずだし。

「で、どうしよっか? とりあえず海?」

「うーん、それもいいけど、ちょっとおなか空いたかも」

 早帆ちゃんがお腹を押さえながら言う。昼過ぎちゃったしな。

「じゃ、何か軽く食べようか。海の家っぽいのがあっちにあるし」

「さんせーい」

 というわけで俺たちは海の家へ向かった。混雑しているかと思いきや……いや、混雑はしていたんだが、タイミングよく集団の客が出ていったのですんなり入ることが出来た。

 出て行った客の目が虚ろだったのが気になったが……熱射病とかになってんじゃねえだろうな。

「いやしかしあれ、全部半分以上残ってたんじゃねえか? もったいないことすんなあ」

「木寺くんそういうの細かいよね。僕がピーマン食べないといっつも見つけるし」

「永遠だって飯自分で作るようになってみろよ。絶対気になるぜ」

 自分が苦労して作ったもんなんだから残さず食べたい、と思ってしまう。

「へえー。木寺くん、一人暮らしだっけ? 料理出来る男子ってポイント高いよ」

 早帆ちゃんの女友達が俺を持ち上げてくれる。もっと言って!

「まあ、大半はレトルトだけどねー。後はわたしが作り置きしておいたのをチンしてたりとか」

 十六夜が余計な解説を入れる。

「おいこらちんちくりん」

「なんだぼくねんじん」

 いらんこと言うなっつーの。

 せっかく早帆ちゃんにアピール出来るチャンスだったのに。

「えと、まだ聞いてなかったと思うんだけど……従姉妹さん、名前なにかな?」

 ああ……ほら見ろ、早帆ちゃんが俺よりお前を意識しちゃったじゃないか。

 ってか、答えないと。

「あ、そうだっけ? えーっと」

 どうしよう。何も考えてなかった。さすがに十六夜はおかしいよな。

 えーっと、えーっと。

「有栖の妻です。奥さんって呼んで下さい。ぽっ」

「何言っとんじゃおのれー!!!!」

「あはは。おもしろーい」

 ほっ。まあなんとかごまかせたみたいだし、ウケたからよしとするか。

 ったくもう、ヒヤヒヤするぜ、全く。

 程なくして、皆が頼んだ焼きそばやらカレーやらが来たので、一旦会話を中断して食べ始める。

 俺はカレーを頼んだので早めに食べ終えて、水をがぶ飲みしていたところ、左からちょいちょい、とTシャツの肩の部分を引っぱられる。

「木寺くん……あの、よかったら残り、食べてくれない?」

 早帆ちゃんは小食なのかー。やっぱその体型を維持するには、好き勝手食べてちゃダメだよなあ。うんうん。

「あ、うん、いいけど……稲家はもういいの?」

「うん。ほんとは食べられるんだけどね。ほら、お腹出ちゃうと……恥ずかしいし」

 いや、もうアカン。

 その仕草が間近で見られるだけで昇天しそうですワタシ。

「自分からお腹すいたーって言ってたのに。おじょーさまは自由ですなあ。もぐもぐ」

 右隣のちんちくりんが嫌みったらしい台詞を吐いた。

 が、せっかくのいい雰囲気を壊したくなかったので、

「いやー、俺腹減ってたんだよ、察してくれたんだよね。やっぱ優しいなあ、稲家は」

 そう言って箸を手に取る。

 あ、ちょっと待てこれ、ある意味間接キスじゃねえのか?

 そう思うと急にドキドキしてきた。

 こ、この割り箸に早帆ちゃんのく、口が……。

 とドギマギしていたところ、その手からさっと割り箸を取り上げられ、別のものに変えられる。と同時に、目の前の皿に焼きそばが大量に追加された。

「そっかー。有栖はお腹空いてたのかー。鈍感でごめんなさいね! 気がつかなくて! さ、思う存分食べてくださいな!」

「おま……いくらなんでもこんなに……」

「お腹空いてるんでしょ? 食べるよねー。腹ぺこアリスちゃん」

 っのやろ! っと俺が割り箸を十六夜に投げつけそうになった瞬間、もう一度左から、くいくい、と今度は服の裾が引っぱられる。

「やっぱり、私ももうちょっと食べようかな。何となく、食べ足りないかも」

「え……。あ、うん、じゃあこれ、半分こしようか」

 これだよこれ。

 やっぱり落ち着いてる女の子は違うなあ。可愛さの極みだぜ。

 見たかバーカ。というような表情で十六夜を見やると、何故か十六夜はひどく落ち込んだ表情をしていた。自分の嫌がらせが上手くいかなかったからかな。

 ざまみろだ。少しは反省しやがれ。

 その後、永遠と早帆ちゃんの友達、俺と早帆ちゃんで他愛もないことを喋りながら食事をした。その間中ずっと、十六夜は一人で海の方を見つめていた。


「ビーチバレー用のボール借りてきたよー」

「おっし、じゃあチーム分けしよっか。えっと、じゃあ、男子対女子?」

 十六夜を入れて5人なので、2チームに分けるのはちょっと難しい。

「うーん、それも何だかな。間違いなく、俺ら二人より稲家の方が運動神経いいし」

 早帆ちゃんは勉強、運動どれもそつなくこなす。

 やっぱ完璧美少女は違いますなあ。

「うーん、じゃあどうしよっか?」

「あ、いーよ。わたしちょっと熱射病っぽくなっちゃったかも。日陰で休んでくるからー」

「だいじょーぶ? えと……その、奥さん」

 しまった! 訂正をしていなかったせいで皆は十六夜のことをそうとしか呼べない。

 だが俺のそんな想いをよそに、十六夜はキツめの口調で、

「ほっといて」

 心配する早帆ちゃんにそう言い残し、日陰へ歩いていった。


 それから俺たちはビーチバレーを十分に楽しみ(結局どの組み合わせでも早帆ちゃんがいるチームが全部勝った)、そのままの勢いで波打ち際で遊んで、日が傾きかけてきたところでそろそろお開きにしようかということになった。

「そう言えば……奥さんは?」

 この短時間で『奥さん』がナチュラルに聞こえてしまうのが恐ろしい。

 いやいや、本当に奥さんにしたいのはアナタです。

「バレーやってた頃は海の家の影にいたけどな……どこ行ったんだあいつ」

「木寺くんさ、ちょっと彼女に冷たかったんじゃない? いや、身内だからそんなものなのかもしれないけどさ」

 早帆ちゃんの友達に注意される。

 冷たかった……かなあ?

 でもあいつが悪いだろ、絶対。やたらめったら絡んできて、そのくせ雰囲気悪くする発言ばっかしやがって。

「あの子さ……きっと、寂しかったんだと思うよ。木寺くんが、構ってくれないから……」

 早帆ちゃんにこんな心配させるなんて、あの馬鹿。帰ったら説教だ。

「そういや、木霊もいないな」

「誰それ?」

 思っただけのつもりだったのだが声に出ていた。えーっと、

「ほら、電話で言っただろ、犬だ犬。ペット」

「え、だって木寺くん、ペットなんて連れて来てなかったじゃない?」

「だよなー。そうなんだよ。連れて来てなかったんだよ。でもいたんだよ。不思議だろー?」

 俺の発言の方が不思議だ。

「へえ。飼い主追いかけてくるのかあ。犬って凄いね。まあ電車で二駅だし、そこまで遠い訳じゃないけど」

 すまん。というかこの手の話題で永遠には嘘をつき続けている気がする。いい加減、精霊を人前に連れ出すのはやめにしないとな。

「とりあえず……皆で探してみよ。この辺りにいるのは確かなんだし」

 来た頃は人で埋め尽くされていたビーチも、今や随分と人が減っている。しかもどんどん日が傾いてきて、肌寒くなってくる。そんな中、俺たちは十六夜を探して回ったが、全然見つけることが出来なかった。

 そうして、さすがに帰ってるんじゃないか、とそう相談し始めていた時、早帆ちゃんが海の方を指差し、

「ね、あそこ。あそこに誰かいない?」

「あんのバカタレ!!!」

 俺は間髪入れず海へ向かって走り出した。沖の方でお腹の上に木霊を乗っけて浮かんでいたのは、どう見てもうちのぺったんこおねえさんだった。

 精霊だったらサクッと魔法とかで帰ってこいよ。ったくもう。


「はぁっ。はぁっ」

 気を失ってたりすんのか? あいつ。

 波が来ようが太陽が沈んで行こうが十六夜は全く微動だにしない。半分くらい泳いで来たが、どんどん水が冷たくなってきて、腕が動きにくくなってきた。

「十六夜ー! 気がついてたら返事しろー!!」

 さすがにもう周りに人はいなかったので、遠慮なく名前を呼ぶ。すると十六夜はこっちに気がついたようで、こっちに──は向かわず、逆方向に向かって泳ぎ出した。

「おい、こら! なんで逃げんだよ!!」

「わー! きゃー! 変態男子高校生に襲われるー!」

 海の上で何言ってんだよ。

 ああ、もうめんどくせえ。

 俺は右手を空中に挙げ、魔方陣を描く。

「我、汝ら精霊と約を結びし者なり。盟約に従い、集え、生命の息吹!」

 十六夜を直接呼ぼうとしても失敗するに決まっているので、木霊の方を呼び寄せることにする。焰を呼ぶ時にも使ったこのゲートは、呼び出す精霊の目の前に現れはするが、そのゲートを通ってこちらに来るかどうかは精霊の意志による。十六夜と違って、木霊は俺から逃げる意志はないように感じたのだ。

「ミィッ!」

 案の定、木霊はゲートをくぐり抜け、俺の頭の上に乗った。

「ああっ! こだまん、裏切ったね!!」

「ミィー?」

 知らんぷりして口笛を吹くような仕草をしている。……意外と芸達者だな、お前。

「うし。木霊。あのちんちくりんを連れ戻すぞ!」

「ミィ!」

 そう言って、木霊は詠唱を始める。

「ミミミィミミィミーミーミミミミミ、ミミミミミィミィミミミミーミ!」

 絶対にわからんと思うので、以前十六夜に訳してもらった言葉を付け加えておこう。

 『我が主との盟約に従い、その身に森林の躍動を!』

 木霊の属性はその名の通り『木』。葉っぱを刃物のように鋭く飛ばして攻撃したり、蔓を伸ばして相手を捕らえたりも出来る。

 が、今は手頃な植物が周囲に見当たらないので、

「グロウアップ!!!」

 ワカメやらなんやらの海草類を異常成長させることにする。

「わわわ!」

 急激に成長した植物は、一時的に海面を突破し、その勢いで十六夜の体を海上へ突き上げた。

「オーライ」

 成長の勢いが止まらない内に、その植物の上を走り、勢いで空中に浮いた十六夜の体をキャッチする。

「……もう。ほっといてよ」

「お前な、俺が言ったこと忘れたのかよ。お前がいなくなったら誰がうちの掃除すんだっつー話だよ」

「……家政婦さんでも雇えば?」

 そんな金があったらもっと豪勢な生活しとるわい。

「……悪かったよ。なんかほら、ないがしろにしたっつーかほったらかして。俺も早帆ちゃ……友達と海に来ることなんか滅多にないからさ、はしゃいじゃって」

「ふん。お気に入りの『さほちゃん』と一緒にいればいーじゃん。わたしのことなんか放っておいてさ」

 寂しいのはわかるけど子供じゃないんだからスネるなよ。ったくもう。

「いいから帰るぞ。どんなお気に入りの友達がいようが、お前は別カテゴリーだろが。お前は精霊、俺の身を守るのが仕事だろ。何があってもずっと一緒にいろよ」

「……それってさ、わたしは特別ってこと?」

 何を今更。

「そりゃそうだろ。俺にとってお前は初めて契約した精霊なんだし」

 当然付き合いも一番長いんだから。

「むぅ。なんかちょっと違う気がする。そんなんじゃ乙女のハートは傾きませんな」

 誰が乙女だ。このまま海に放り出してやろうかと思ったが、また捕まえるのが面倒なので、

「やかましい。……いいからずっと俺の傍にいやがれバカタレ」

 そう言って海の上に浮いたまま、十六夜を後ろから抱きしめる。

 ……むぅ、恥ずい。

「……え。ねえ、有栖……」

「あー、もううっせえ! やっぱ今のなし! 」

 慌てて手を離す。

「ほらさっさと……ってうおあ!!!」

 喋ってる間にふっと暗くなったと思ったら、後ろからとてつもなく大きな波が、今正に俺たちを飲み込もうと襲ってきていた!

 今日は天気も崩れていないし、そんな気配全くなかったのに。

 こんなもんに飲み込まれたら、それこそ溺れ死んでしまいかねない。

「有栖! 目を閉じて!!」

「十六夜、お前なにす……」

「いいから早く!!!」

 慌てて言われた通りに目を閉じる。

 ざっばーん! と波に飲み込まれ、俺はその衝撃で意識を失った。 

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