水曜日の願い事

「う〜、ジメジメするー」

「ここんとこずっと雨だからなー」

 6月。自宅。夜。月曜日。いつものように十六夜と食卓を囲む。

「髪の毛がべちゃーっとしちゃうんだよねー。やだなー。もっとふわふわさせたい」

「お前は頭の中がふわふわしてるからそれくらいがちょうど良いよ」

 そもそもその髪どうやって整えてるんだ。精霊界にも美容院的なものがあるのか。

「しっつれいな! 私の頭の中はマシュマロとわたあめのことで一杯だよ!!」

「ふわっふわじゃねえか!」

 なんだその甘々設定。ヘンゼルとグレーテルもビックリだ。

「ねえ、有栖ー。今度、おりちゃんの日になったら、この雨なんとかしてくれるように頼んでよー」

 十六夜が織ちゃんと呼んでいるのは所謂世間で言うところの織姫おりひめ

 そう、七夕伝説のアレである。

「別にいいけど絶対できねえぞあいつ。そもそもあいつが俺を宿主にしているのもただの代理なんだから」

 元々、俺の水曜日の契約精霊は「水走みずは」だった。その名の通り、水の精霊である。だが、精霊界でもミヅハノメ系の精霊は人気が高い。あちこちから勧誘を受けたらしく、最終的に別の魔導士と契約するに至った。

 精霊界での契約の重みは、人間界での婚姻こんいんのそれに近い。つまり、宿主が死亡したとか退きならない事情以外で契約解除するのは不義理とされている。水走もさすがに申し訳なく思ったのか、俺に自分の友達を紹介した。それが織姫である。

「はぁーあ。まぁしょうがないか。有栖の甲斐性かいしょうがないのがいけないんだよね」

「だったら誰か彦星役を連れてこい。喜んでフられてやる」

 織姫はそもそも水属性でも何でもない。元々、機織はたおりが得意で、水走達が着る水の羽衣はごろもを織っていたのが彼女である。というわけで、彼女の魔法は一度も使ったことがない。というか、そもそも魔法が使えるのかどうかも怪しい。

「大体、雨なんか止められたって止めちゃダメだろう。色々とバランスが崩れる」

 人間界はそれでバランスが取れているのだ。日照ひでりやかんばつに苦しむ人たちだっているのだから。

「いいじゃん。私の周りだけでいいよ。なんだったら私の髪の周りだけでもいい」

「わがままっ子かお前。もういっその事、防水スプレーとか吹きかけちゃえよそれ」

 そっちの方が確実に髪が痛みそうな気はするけどな。

「むぅ。相変わらず乙女心をわかってませんな、誰かさんは。乙女座のくせに」

「乙女座が全員女心を解していると思ったら大間違いだ。そんなことになったら乙女座の星座占いが成り立たなくなる」

 恋愛運がいつでも好調になってしまう。まあ女心を解しているからと言って皆が皆恋愛成就するわけではないが。

「名前は乙女ちっくなのにねえ」

「名前のことは言うな!」

 好きでこんな名前になったわけじゃねえ!

 けどそういえば自分の名前って変えられるんだっけ。犯罪歴のない人とか条件は色々あるっぽいけど、読みにくいとか字が難しいとか、その程度の理由で改名出来るそうだ。ただしその理由で変えられるのは最初の一回だけ。

「人形とか愛でてそうだよね。アリスちゃん」

「俺は箒に乗った魔法使いに恋したりはしない」

 むしろどっちかと言うと魔法使い側だろう。これでも魔導士なんだZE☆

「仕方ないなぁ。七夕様にお願いするかぁ」

「そういえばあの短冊に願い事書く風習は大分後から出来たらしいな」

 織姫に聞いたのだが、あいつが仕事をサボって天帝てんていの怒りを買った直後はそんな風習はなかったらしい。というか今でも日本以外ではその風習はないそうだ。

 そもそも七夕はお盆行事の一部であって、豊作を祖霊それいに祈るのが本来の目的である。笹は祖霊が宿る依代よりしろとなるだけであって、別に願い事を括り付けるためのものではない。むしろ近年はきちんとお盆行事にも参加しないくせに願い事だけは傲慢ごうまんになっていて、祖霊たちも皆苦笑いするしかないらしい。

「そーゆー夢のない話はしないの。モテないよ。アリスちゃん」

「俺の名前をちゃん付けで呼ぶな!」

 短冊に「俺の名前を変えて下さい」と書いてやろうか。まあ付けた張本人父親は未だ精霊界でバリバリ仕事して生きているわけで、じいちゃんばあちゃんからしてみれば、直接本人に言えってとこだろうけども。

「にしても雨やまないねぇ」

「だなぁ」

 そんな何をするにも気が滅入りそうな梅雨の時期のお話。


「有栖様!」

「げっ。見つかった!」

 とある日の昼休み。俺は逃げていた。一生懸命逃げていた。

「んもう。そんなに恥ずかしがることはありませんのに。将来の妻なのですから、ご遠慮なさらず」

「誰が妻だ! 勝手に決めるな!!」

 らん智亜ちあ。それが俺が一生懸命逃げている相手の名前である。しかして俺と同じ魔導士である彼女もまた、自分の親から逃げていた。

 蘭家と言えば、精霊界及び魔導士界隈で知らない者はいないくらいの名家中の名家である。その血筋を引く智亜は例にもれず優秀であり、彼女は同じく魔導士の名家である、江戸えと家の跡継ぎと生まれた時から婚約関係にあった。だが彼女はそれに納得がいかず、自分の結婚相手は自分で探す、とのことで、親に反抗し、人間界で高校生活を送っていたのである。

「いやですわ。この私の初めてを奪っておいて、逃げる気ですの?」

「誤解を招く言い方をするな! お前が初めて負けたってだけだろう!!」

 俺は一ヶ月ほど前の火曜日、彼女の召喚獣、ケルベロスを叩きのめした。以来一ヶ月間ずっとこの調子である。厳密に言えばそれだって焰の力であって俺の力じゃないのに。

「そんな些末さまつなことは良いではありませんか。ささ、私の作ったお弁当をお召し上がり下さいませ」

「いーやーだー!!」

 相手が相手なだけに何が入っているかわかったもんじゃない。ホレ薬なんか入れられた日には目も当てられない結果が待っていよう。

 実際そんなもんあるんだかどうか知らないが。

 俺は早帆ちゃん一筋なんだ!

「行き止まりか……。くそっ」

 廊下の端に突き当たる。

 非常階段への扉は、緊急時以外出入り出来ない。

「お困りのようじゃのう。宿主よ」

 水曜日の契約精霊は悠々ゆうゆう自適じてきとばかりに窓の外に浮いていた。

「──織姫。お前こんなとこで何やってんだよ」

「なに、ちと見学をな。いやはやミシンというものは確かにすごい。妾がまだ人間でおった頃にもあのようなものがあったらのう。このような仕打ちを受けることもなかったじゃろうて。なかなかこのような機械──もとい、機会がないのでの」

 超有名な伝説のヒロインは意外と庶民派だった。

「ってかやばい。逃げ道がない」

 火曜日だったら扉を叩き割るという選択肢も──ないか。後々ごまかすのが大変だ。

「こちらへ来ればよかろう。宿主よ」

「俺はお前みたいに軽くないんだよ」

 ただの飛び降り自殺になってしまう。

「頭の軽さだけは一級品であるのにのう」

「お前に言われたかねえ!」

 こいつも元々恋愛にうつつを抜かして仕事をほっぽった人間である。

 頭の程度は知れている──はずだ。知らんけど。

「ふむ。たわむれじゃ、たまにはわらわも力を見せてやろう。そういえば宿主の前では一度も使うたことがなかったしの。よい機械──もとい、機会じゃ」

「そのネタはいちいちはさまないといけないのか」

 とは言えこいつの魔法には興味がある。属性すらわからないし、一度使ってみたかったんだよな。

 織姫は着物の着崩れを直し、両手を胸の前で合わせる。

「我が主との盟約に従い、の足を束縛せし鎖を解放せよ!」

 織姫が窓をすり抜け、俺の体に入り込む。

「おおお!」

 焰のヘイストとは全く違った浮遊感。垂直落下系の絶叫マシーンで落下中の時のような感覚に襲われる。

「これ、ぼやぼやするな宿主。追っ手が来とるぞ」

 夢心地だった目の前に、現実を突きつける女性が現れた。

「はぁ……はぁ……全く、すばしっこいのですから。ようやく追いつめましたよ。さあ、観念してこのお弁当を召し上がりなさいませ!」

 よくよく考えるとここまでして逃げる必要もない気がするんだがな。蘭にしたって、ちゃんと時間と場所をわきまえていて、授業中まではこんなに強引には迫ってこないし。

 それに可愛くないなんてこともない。俺の好みじゃないと伝えた直後から、蘭は髪を伸ばし始め、肌も焼かないように外出時は日傘を持ち歩くようになった。

「有栖様の好みに合うよう、努力しますわ!」

 そう言った彼女はいい笑顔をしていた。

 ……出来ればその笑顔は別の誰かに向けて頂きたい。俺の隣はもう予約されているのだ。まあ、俺が勝手にそういうことにしているだけなんだけど。

「悪いけど今日はここまで。じゃ、また後でな! ──えっと」

「フロートじゃ」

「フロート!」

 窓を開けて真上に飛び出す。そこにはえも言われぬ快感が待っていた。

「おおー! 気持ちいいー!」

「今日は残念ながらこの曇天どんてんじゃが、晴天の空の下をかけるのもなかなかオツなものじゃぞ」

「今度絶対お願いする!」

 思い切り高く飛んでそのまま旋回する。この高さならほとんど他人の目に止まらないというのもありがたい。

「妾の属性は『空』じゃ。このように空を飛んだり雲を渡ったり。星を降らすなんてのもあるぞ。ゆめゆめ、お忘れなきようにの。宿主よ」

「機織りは?」

「ありゃまだ人であった頃からの趣味であり、特技じゃよ。魔法にはなんら関係ない」

 なるほどね。意外と言えば意外だが、それはそれで納得出来る話ではあった。こいつらずっと空にいることになってるもんなあ。

「あ、そう言えば」

 俺は雲を突き抜け、太陽の下に出た時点で止まって織姫に問いかける。

「お前、雨──というか天候を操作したりは出来るのか」

 ふと十六夜に言われたことを思い出した。属性が空なら可能かもしれない。

「ふむ。出来るとも言えるし、出来んとも言えるのう」

禅問答ぜんもんどうかよ。一体どういうことだってばよ」

「やれやれ。少しはその小さな脳みそで考えようとは思わんのかお主。そんなことでは立派なカエルにはなれんぞ」

「誰がカエルになりたいと言った」

 俺の発言に引っ張られ過ぎだ。その場のノリだけで会話すんじゃねえってばよ。

「雲を引き寄せることくらいは出来る。じゃがそれだけで雨が降るわけではなし。また、太陽を失くせと言われてもそのようなことが出来るわけもない」

「そりゃそうか」

 そこまで行くともはや大気圏外。空ではなく宇宙の話になってしまう。

女子おなごの下着を飛ばすことくらいなら出来るがの」

「是非お願いします」

 いや、実際飛んでいたら引くけど。別に空飛ぶ布切れにはこれっぽっちも興味はない。興味があるのはそのなか以下略。

「かっかっか。相も変わらずの馬鹿宿主じゃの。まあ妾はそういうお主が嫌いではない。退屈せんからのう。とどのつまり、妾もお主ら人間と同じじゃ。出来ることは出来るし、出来んことは誰に願われようと出来ん。それだけじゃよ」

「……そっか」

 毎年毎年、七夕で願われる無責任な願いにこいつは一つ一つ目を通しているのだろうか。だとすると、こいつはどんな気分で叶えられない願いを読んでいるのだろう。

「そう言えば全然関係ないけど彦星とはどんな話をするんだ?」

 ついでに聞いてみた。ただの野次馬ではあるが興味はある。一年に一度しか逢えない相手を前にした時、一体どんな話題が出るのだろう。

「ん? 大体が毎年、短冊の願いを読んで書いた人間を小馬鹿にしておるよ」

「お前は今すぐ全国の願いを書いた人達に謝れ!」

 いや、『お前ら』か。

「まあそう言うでない。やれ彼女が欲しいだの、家庭円満だの、おもちゃが欲しいだのを何百万と読んでおるとさすがに辟易へきえき、馬鹿にもしたくなるのじゃよ。……まあ中にはなかなか面白いものもあるがの」

「へえ……どんな?」

「息子の名前に女性みたいな名前をつけてしまったせいで息子がイジメにあっている。息子の名前を改名して下さい」

「ふむ。他人事とは思えないな」

 というかアンタが改名してやりゃよかろうに。まあ本人の同意がなければ出来ないらしいが、イジメにあうくらいなら本人も同意するだろう。

木寺きてら芽以めい

「何書いてんだくそオヤジ!!!!」

 だったら最初からこんな名前つけるんじゃねえ! 自分がそうだからって八つ当たりだろ絶対! それにイジメられてるのは精霊にだけだ!

「これで息子がそれなりに可愛けりゃ浮かばれるもんじゃが──はぁ、これじゃあどうしようもないのう」

「独り言を装ってサラッとひどいことを言うんじゃねえ!」

 しかもその可愛くない息子に憑依している状態で。

 ため息をつくなため息を。

「あまりにも可哀想だったので師走しわすに煙突から忍び込んで贈り物をしてやったわい」

「まったく違う風習を混ぜこぜにするんじゃない! やるなら赤い服と白ひげを身につけてからにしろ!」

 何気にショックだ。俺が小さい頃もらっていたプレゼントが、サンタ某でもなく父親でもない別の第三者からだったなんてな。

 ちなみに俺が『サンタさん』を信じなくなったのは小学校3年生の時に『サンタクロースっているんでしょうか?』って本を読んだからである。ただし、信じないと言うとプレゼントが貰えない事もわかっていたので『信じているフリ』はずっと続けていた。

「小賢しい子供じゃのう。可愛げのかけらもないわい」

「若気の至りってやつだよ。お前にだってあるだろう?」

 機織りをさぼって恋人に逢いに行くとか。

「木寺芽以さんには番組特製ステッカーと息子さんが作ったかのように見える肩たたき券100枚綴りをプレゼントしておきますねー。さて、続いてのお願いは──」

「ラジオのパーソナリティを装って話をらすな! 大体なんだその息子が作ったかのように見える肩たたき券って。悲し過ぎるわ!!」

 ってか普通に喋ろうと思えば喋れるんじゃねえか。わざわざ昔の人風の言葉で喋るからそれしか喋れないのかと思ってた。

「それが妾のパーソナリティじゃしの。そもそも話し方を合わせてしまうと大人数になった時に一体誰が喋っておるのだかわから──」

「ストップだ」

 それ以上は言うんじゃない。神の左手が発動して消し去られるぞお前。

「ふん。自分の語彙ごい力のなさを『忙しいから勉強する暇がない』の一言で片付けようとする神なんぞ恐るるに足りんわ」

 あーあ。言っちゃった。知らねーぞ俺。

「まあでもの」

 織姫はそれまでと打って変わって、寂しげな口調で語る。

「月日は人だけでなく精霊、あるいは神をも変えるものじゃよ。もはや妾と彦星の間に恋愛感情と呼べるようなものはない。有り体に言えば、ただの情じゃの。家族や友人に対するそれと同じじゃ。妾たちは風習に則って、規則に従って逢うておるようなものなのじゃ」

「どうしてだ? 好きだったからそうなったんじゃねーのかよ」

 だからこそ、罰を受けるのを覚悟でそうなったんじゃなかったのか。

「だから月日じゃよ。どれだけ強い想いも時間の経過と共に緩やかに削られていく。そして形を変えていくのじゃ。それが決して悪いとは言わん。変化とは成長であり、進化なのじゃからの。ただ、だからこそお主には伝えておきたい。自分の願いを追うばかりではなく、周囲の想いにも気を配れ。それが例え自分が望むものでなかろうと、受け入れてしまえば存外、自分の望む形に変化していったりすることもあろうぞ」

「……」

 周囲の想い、ね。

 織姫の言っていることはわかる。

 だが今の俺にはまだそれを受け入れるにはそれこそ時間が必要な気がした。諦めるのには早い気がするのだ。

 始まってすらいないのだから。

「というわけでどうじゃ、妾ととぎでもせぬか」

「いい話が台無しだ!!」

 周囲の想いはお前の煩悩だったのかよ!

「だってー。妾もう何百年もしてないしー。さすがに女としての存在価値がなくなるっていうかー」

「だったらもういっそ消えてしまえ」

 都合の悪い時だけ普通に喋るんじゃねえよ。

「……さまー…………」

「サマー?」

 遠くから人の声が聞こえた気がした。さすがに幻聴か。こんな雲の上で誰の声がするというのだ。

「有栖様ー!」

「おいおい」

 翼の生えたドラゴンに乗って雲の上までやってきたのは、俺を追いかけている召喚魔導士だった。

「やっと見つけました! 有栖様! ささ、お弁当を……」

 こんなことでワイバーン召喚すんじゃねえよ。ったくどいつもこいつも。

「織姫」

「なんじゃい」

「やっぱ俺にはまだ無理だわ。色々と」

 と、意気揚々と雲の上で弁当箱を開こうとする蘭に目をやる。

「ふ。ならば思うように足掻あがいてみるがいい。所詮妾が言うことなぞ年寄りの冷や水に過ぎん。案外お主なら別の解決を見出せるかもしれんしの。妾はそれを端から楽しませて頂くことにしようかの」

 そう言ってほくそ笑む。

「おい蘭。わかった、弁当は食うからせめて降りてからにしようぜ。こんなところで落ち着いて食事出来るか」

「食べて頂けるんですね!? 了解です! 有栖様っ」

 出会った時よりも随分と白くなった笑顔で蘭は素直にそう言った。


「で──案の定こうなるわけか」

 学校の屋上に降りて、蘭の弁当のご飯を一口食べた瞬間。身体がまるで金縛りにあったかのように動かなくなった。

「ふふふ……。さあ、有栖様。ここで既成事実を作ってしまいましょう。そうすればもう私から逃げる意味なんてなくなりますわ」

 蘭がシュルシュルとブレザーの紐をほどく。

「おい、織姫。宿主のピンチだ! なんとかしろ!」

 俺はまだ憑依したままの織姫に脳内で話しかける。

「いやー、この歳にして初体験とはのう。男の身体のままというのも実に興味深い」

「俺の周りにまともなやつはいないのか!」

 ちくしょう! こんな形で貞操ていそうを奪われてたまるか!

「ち、近寄るな! それ以上近づいたら舌噛むぞ!」

 情けない台詞ではあるが、それでも精一杯の抵抗を試みる。

「あらあらそれは困りましたわねぇ」

 蘭が動きを止め、考え込む仕草をする。

「……ま、そういうプレイもアリですわね」

「なしだよ!!」

 どうやら目の前の変態さんには何を言っても無駄なようである。

 嗚呼ああ──違うんだ、早帆ちゃん、これは事故なんだ──。

 諦めて目を閉じる。

「……」

 が、一向にその後の進展がないので再度目を開ける。

「……え」

 目の前に蘭がうつ伏せになって倒れていた。そう言えば目を閉じている間に鈍い音が聞こえたような。

「こーら! 校内での不純異性交遊は禁止ですよ!」

 視線を上に上げると、蘭が倒れている後ろにどうみても小、中学生とおぼしき茶髪の少女が、何故かうちの学校の制服を着てフライパンを持って立っていた。

「しかもその……女性にリードさせるなんて、汚らわしい!」

「いや、リードさせるどころかむしろ首にリードを繋がれるような勢いだったんだが」

 近頃の小中学生は耳年増だなぁ。

「やれやれ。惜しいことをしたもんじゃのう。まあお楽しみは本番まで取っておくとするか」

「安心しろ。その本番は絶対ない」

 織姫がぶつぶつ言いながら憑依を解除し、俺から離れる。大体人間と精霊でそんなこと出来るのか。いや、知らんけども。あまり深入りしたくもない話題だし。

「きゃははは。照れちゃって。かーわいー」

「お前は今俺に年相応の重要さを身をもって伝えてくれたよ」

 誰かさんと全く同じ台詞だというのに、今織姫に対して感じたのは嫌悪感だけである。

「うわわ。人から人が飛び出た!?」

 しまった! そう言えば目の前に女の子がいたんだった! ──って。

「今日……水曜日だよな?」

 間違いない。さっき織姫の魔法で空を飛んだばかりである。当然織姫は自分の魔力で自分の姿を隠しているわけで、普通の人には姿が見えるわけがない。『普通の人には』。

「キミは……魔導士か」

 全く妙なことが続くもんだ。今まで17年間生きてきて、血縁関係以外の魔導士に会ったのは二人しかいないのに、ここ数ヶ月でその記録に並んでしまうとは。

「ああ……なあんだ。精霊かあ。ビックリしたー。じゃああなたも精霊魔導士なんだね」

「ああ……うん……」

 俺は曖昧にごまかした。実は曜日魔導士というのは召喚系の魔導士で一番ランクが低い。契約さえ交わせばなんでも召喚出来る蘭の召喚魔導士が一番高位の魔導士であり、そこから精霊に限定された精霊魔導士がその下の中堅どころ。制約つきまくりの曜日魔導士はこの業界でも肩身は狭いらしい。

 某RPGの最初から仲間に出来る魔法使いが俺で、某神殿で転職した直後の賢者が精霊魔導士、いつでも大魔王を倒せるのに、メタル系で経験値を稼ぎ、パラメータアップの種を荒稼ぎするくらいのレベルが蘭の召喚魔導士だと考えてもらうと、イメージしやすいかもしれない。

「なんじゃ。お主いつから転職したのじゃ? お主は最低ランクの曜日魔導士じゃろう」

「大人の事情をばらすんじゃありません!」

 しかもわざわざ最低ランクをつけるあたり、わざとだろうお前。

「へー。曜日魔導士って実在したんだ! 初めて見たよー」

 女の子が目をキラキラさせてこちらを見る。悪気がないのはわかっているが、立場上馬鹿にされた気がして気分が悪い。

 某RPGと違って現実では転職は不可能だ。俺と同じ曜日魔導士は、その弱さに嫌気をさして、魔導士をやめてしまう人が多かったらしい。

 なので、もはやこの業界でも都市伝説と呼べるくらい希少な存在になってしまっている。

「でもさ、さっきみたいに憑依出来るってことは、それで魔導士自身の能力を高めたりも出来るんだよね。それって案外強くない?」

「まぁそうだけど……。高ランクの精霊連れてりゃわざわざ憑依しなくても魔導士に能力アップ魔法かけるくらいは出来るだろ」

 しかも魔力さえあれば複数同時召喚も可能なはず。ああ、俺もどうせならそっちがよかったよ。

「そうなんだ……」

「ん?」

 何故か目の前の女の子は暗い顔をする。

「ボクね。多分落ちこぼれなんだ。いつまで経っても契約してくれる精霊は増えないし……。身長も伸びない」

 気にしてたのか。

「いやいや、まだまだこれからでしょ。俺だって高校入ってから5センチは伸びたぞ」

 伸びる人は卒業した後でも伸びるって言うしな。

「うーん。でももう卒業まであと1年もないし、その望みは薄そうだね」

「何も中学にいる間じゃなくていいだろ。高校入ってからでもじゅうぶん……」

「ボクは高校三年生だっ!!」

 え。いやいやいや、この少女、なかなか高度なボケをかましてきたな。このボケは一見お寒いが、それだけにツッコミ次第で広げられれば今までに見ない未知の展開が期待出来そうだ。これはツッコミキャラとしての真価が問われている。

 ──いくぞ!

「なんでやねん!」

 敢えてシンプルに行ってみた!

「なんでもやねん!!」

 返された!! くそっ。もっと回りくどく攻めるべきだったか。終わってしまったじゃないか!

「いーよいーよ。どうせ中学生だと思ったんでしょ? 皆そうなんだ。純はいつまで経っても成長しないなってよく言われるもん」

「……マジで?」

 一瞬小学生かもと思ったことは黙っておいた方がよさそうだ。

「マジです」

 フライパンを構えて少女は言う。

「ってか全然関係ないんだけど気になってるから聞いていい? なんでフライパン持ってんの?」

 調理部か何かなのかもしれないが、それにしたって昼休みに屋上に持って来るのはおかしかろう。

「あなた聞いていい? って聞いてからノータイムで聞いたよね……。まあいいけど。曜日魔導士は必要ないのかな。ボク達精霊魔導士はね、精霊を召喚する時、依代となる魔道具が必要なんだ」

「ほうほう」

 初耳だった。なかなかこの業界、異職間交流が少ないからな。

 いや、うちが最低ランクのせいかもしれないが。

「で……これがボクの魔道具」

「ぶ」

 ふ、フライパンで精霊召喚すんのかよ。

「……笑いたきゃ笑えよ」

「ぶわっはっはっはっは!」

「笑うな!!」

 どっちやねん。──まあ気持ちはわかるけど。

「精霊魔導士の魔道具は、自分の思い入れが一番強いものになることが多いんだ。ボクの場合は……母親の形見のフライパンがそれになったんだよ」

「……笑って悪かった」

 にしても形見は他になかったのか。

「ボクはさ。小さい頃は普通の人間として育てられたんだよ。お母さんは大きくなったら素敵な人のお嫁さんになりなさいって。その時のためにちゃんと料理を覚えるのよって、ボクに料理をよく教えてくれたんだ」

 少女は俺に背を向けて語り出す。

「お父さんはいなかったから。母子家庭ってやつ? 貧しくはあったけど、でもそれはそれで幸せだったんだ」

「ふむ」

「でもまさか、両親共にこんな仕事をしていたなんてね」

「お前のところも……両親共に魔導士なのか」

 俺と同じだと分かった途端、妙に親近感が湧いた。

「『だった』が正しいね。お父さんもお母さんも、精霊界で仕事をしている最中に亡くなった。そんなに強くなかったのに、ボクのために、割のいい危険な仕事ばかりをしていたんだ」

「……そっか」

 精霊界では他の世界(人間界、冥界、魔界など)とのいざこざが絶えないらしい。そのため、精霊王は常時腕の立つ人間や精霊を募集している。うちの両親もそれで仕事についているクチだ。そんなに危険なことはしていないと思うが。あちらの世界でも、危険度が高い仕事ほど、報酬も高額になる。精霊は人間界の現金は持っていないが、あちらの世界には人間界で高価な宝石が腐るほどあるため、人間相手にはそれを報酬としている。

「で、お母さんが死んだのが去年の春。ボクの大学進学資金をなんとかしようとしたんだろうね。精霊界で暴れていたベルフェゴールを冥界に追い返す仕事に参加してたみたいで……帰って来なかった」

 女の子が後ろを向いて少し移動する。首から上しか動かないのでよく見えないが、少女が少し肩を震わせているような気がした。

「だからボクはそれから魔導士になることを望んだ。このまま普通の人間として生きて行くなんて出来ない。立派な魔導士になって、お母さんの仇を討つんだ。家を売ってアパートに引っ越して出来た資金で今は暮らしているよ。まずは精霊と契約しないと、だし。その時一つだけ家から持っていったのがこのフライパンなんだ」

 少女はこちらを振り向いてフライパンをかざす。

 ──いや、真面目な話だから、とは思うんだけど、その絵がシュール過ぎてどうも話に感情移入出来ない。

「まだ契約してもらえた精霊は一人だけなんだけどね」

「へえ。まあでも始めて一年だったらいい方だよ。それ」

 俺はここまで来るのに十年以上かかってるからな。

「そかな。ちょっと今呼んでみるよ。水の精霊なんだ」

「ほうほう」

 水の精霊は他の精霊達と比べて温厚なやつが多い。ほとんどが他者を守る能力をイメージして想像されている彼らは、魔力の低い魔導士でも契約してくれるやつが結構いるのである。

「我、汝ら精霊と約を結びし者なり。盟約に従い、その清らかなる流れを我に示せ」

 ん? ちょっと待て。その詠唱は確か──。

 フライパンからよく見たことのある水の精霊が飛び出る。

「こんな時間に珍しいね、純。誰かに襲われでもしたのかい?」

「やっぱりお前か!」

 呼ばれて飛び出たのは俺の元水曜日の契約精霊だった。

「げ。なんで有栖がいるんだよ」

「それはこっちが聞きたい。なんで水走がこの子の精霊になってんだ」

 お前確かあちこちから勧誘を受けて、最終的にもっと待遇のいいところを見つけたって言ってなかったか。

「……ちっ。ったくめんどくせーな」

「そうか。お前この子の話を聞いて……」

 水走はきっぷのいい姐さん、みたいな性格なので、放っておけなかったのかもしれない。

「ちげーよ。お前のとこの扱いがひどかっただけだろ。女みてーな名前しやがって」

「名前は関係ないだろーが!」

 いちいちそこ突くんじゃない。

「……まあでも、元気そうだね。安心したよ」

「今は身体がしびれてるけどな」

 未だにしびれが取れない。何てもんを食わしやがったんだこの女。

「水走。治してあげて」

「……純の命令ならしかたないね。──キュア!」

 俺の頭の上で水の球が弾けて、水滴となって降り注ぐ。暫くすると暖かい感覚が身体を駆け巡り、手足から徐々に身体が動くようになる。

「やれやれだ。もう人の弁当は絶対食わねー。サンキューな。水走」

「礼なら純に言いな。アタシは純の命令を聞いただけだよ」

「えと……あ、そう言えば自己紹介してなかったよな」

 膝に手をついて身体を起こす。

「2ーE、木寺有栖だ」

 そう言って、少女に手を差し出した。

「3ーA、瑠久純るくじゅんだよ。よろしくね。有栖くん」

 握手する。そっか、すっかり忘れてたけど先輩なんだっけ。

「ああ、ありがと、瑠久先輩」

「あ、純でいいよ。でもなんか……照れるね。先輩なんて呼ばれたことないから」

 まあこの風貌を見たらなかなか先輩だとは思わないだろうな。誰も。

「んじゃあ純先輩で」

「うん。あ、でも魔導士としては有栖くんの方が先輩だよね。なんか……こういうこと相談出来る人、いなかったから……。有栖くんさえよかったら、これから色々教えてくれると、嬉しいな」

 純先輩がうつむきながら申し訳なさそうに話す。不覚にもその姿がすごく可愛く見えてしまった。いや、これは浮気とかじゃないぞ。断じて。

「あーりーすー。やっぱりアンタ、変わってないねー。あっちこっちで女の子たぶらかして」

「してねえよ!」

 こちとら17年間独り身だっつーの。

「純。気をつけなよ。こいつすんげースケベだから」

「あ、うん。それはさっき見たから大丈夫」

「ちっがーう! あれは俺のせいじゃなくてそこに倒れてる女のせいだから!」

 あれはスケベなんて通り越して堂々と変態の肩書きを持って歩き回れる。

 大体、水走に対してスケベな姿なんて見せたことないだろ。

「こいつねー。わざわざ机の引き出し二重底にしてエロ本隠してやがんの。どんだけムッツリなんだよってね」

「ちょ、お前俺の部屋漁あさったな!」

 プライバシーも何もあったもんじゃない。

「……やっぱり、スケベ」

「いやいや、純先輩、それは違う。健全な男子高校生というのはですね。そういうので欲望を発散させることによって、実際の犯罪に手を出さないように自制しているのです」

「妹系が多かった気がするねえ」

「てめえ! それ以上喋ったら精霊界に押し返すぞ!」

 まあ俺が開いたゲートは俺の契約精霊しか通れないのだが。

「ははは。まあ純、心配しなくても有栖は意外と真面目だから大丈夫だよ。ナリはこんなだけど、それなりに根性も度胸もある。なんせアタシが選んだオトコだからね。安心して頼っていいよ」

「うん。よろしくお願いします」

 純先輩が頭を下げる。

「あ、こちらこそ」

 俺は少し照れ臭くなって頭を掻いた。

 キーンコーンカーンコーン

「あ、予鈴鳴った」

「そだね、もどろっか」

 随分長い昼休みだった気がする。一日分くらい。気のせいだろうか。

 純先輩が水走を引っ込め、屋上から中に入る時にふと気づく。

「この娘、どうしよう?」

「いや、放っておけばいいっすよ、こいつに情けをかけても仕方ないということがよーくわかった」

 しかしさすがフライパン、殴っても強い。

「殴られないようにしないとな」

「何が?」

「いや、なんでもねーっす」

 俺達はノビている蘭を放置して、それぞれの教室に戻っていった。


「くくく。なるほどのう」

「どしたのさ。織。気持ち悪い笑い方して。そんなに面白いネタあった? ってそれ今年の短冊じゃないよね?」

 織は去年のものらしき短冊をひっくり返し、その中から何かを見つけたようだった。僕達は毎年願い事が書かれた短冊の中から、気に入ったものをランダムに選んで持ち帰る。別にそれで願いを叶えられるわけではないが、少し頑張れば叶いそうな願いは応援したいし期待させてあげたい。短冊がなくなる=願いが届いたと考える人が多いのだ。

「いやなに。この風習も案外馬鹿にしたものではないのかもしれんと思っての」

「どれどれ……『友達が欲しい』って、なんだ、普通過ぎじゃん」

 そんなもの腐るほど読んできただろうに。

「そうじゃのう。妾たちはそれを当たり前のこととして馬鹿にしておった。じゃがな、他人にとっては当たり前のことであっても、本人にとっては真剣な願いもあるということを妾はこの短冊に教えられたわい」

「へえ。まあ確かにそうなのかもしれないね。案外世間一般において当たり前のことを書く人の方が切実な想いを願いに乗せているのかも」

 とは言え、僕たちもそれを叶えることなど出来ないわけで。願いを紙に書くことで、本人に自覚といい結果がもたらされればいいなあ、と願うくらいである。

「……彦。どうじゃ、今夜は数百年ぶりに楽しまぬか」

「いえ、遠慮しておきます」

「なんでー!? 今シリアスシーンでオッケーって流れだったじゃーん!」

「そういう気分じゃないの。大体それ、毎年言ってるじゃない」

「ちっ。この甲斐性なしが」

 織が手元の短冊をぽいっと投げ捨てる。ふと目をやるとその短冊には正確にはこう書いてあった。

『何でも話せる友達が欲しいです。   純』 

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