第30話 嫌いじゃない。
「これは結構ヤバそうな予感がするんですけど」
自分の身長よりも高いコンクリートの壁を伝って、小さな滝がいくつも流れ縦穴の底の水溜りを大きくし始めていた。片側からだけだった水の流れは、健太郎の背後にも回って四方から迫ってくる。噴き出す水音に比べれば、意外に水の量は少しずつゆっくりと流れてきていた。だが水を排出する穴など一つもない縦穴は、確実に水没へのカウントダウンを刻んでいた。
不意に、ポーンという電子音が鳴り響いた。
「なんだ?!」
電子音はそのままピッピッという時計の秒針のような音に変わる。俺は音の出処を探して辺りを見回した。当然縦穴の中には何もない。音は頭上から聴こえてきていた。見上げるとコンクリートの壁の縁に見覚えのあるフォルムの角がはみ出していた。薄っぺらい金属で出来たそれは、間違いなくリンゴの会社の通信機器。
シュワネェが置いていったのか?
なんでわざわざそんな物を置いていったのかは謎だったが、絶対絶命の俺には唯一の希望に思えた。急いで壁に向かって手を伸ばすと、床に繋がった鎖がピンと伸びて鉄が軋んだ。無駄に深い縦穴の壁は高く、俺の指はそれにかすりもしない距離で空をもがいている。
くっそ! 全然届かねぇ!
にしてもなんだよこの音……?! 電子音はきっちりと無慈悲に一秒ずつ刻み、否が応でも残された時が少ないことを俺に感じさせた。
『時間切レマデ残リ3時間15分デス』
ってホントにカウントダウンかよ!!
突然、無機質な声が不気味な残り時間を知らせた。そしてまた秒針を刻む。シュワネェが言っていた貯水槽の水量。あれが本当なら、それがあと3時間ちょっとで俺を埋めるってことだ。ご丁寧にアナウンス付きのカウントダウンで!!
そうこうしてる間に床の水溜りが忍び寄り、足の指の間に冷たい水がするりと入り込む。俺はあまりの冷たさに片足を持ち上げた。
「つめてっ……!」
春といえど今はまだ4月。外の気温は何度だろうか。火の気もないこの地下の部屋では、いつもよりずっと気温が低く感じられていた。ましてや服を脱がされてほぼ裸の上、さっきの水しぶきのおかげで濡れ鼠状態。水没より先に体温を奪われる危険の方が脳裏をよぎった。
逃げられなければ死ぬ。
俺は床で水に濡れていた十字架を拾い上げて、再び鉄の首輪の鍵穴に差し込んだ。カチャカチャと金属が擦れ合い、鍵穴の奥にあるはずのとっかかりを手探る。早くも寒さに身震いを始めた腕には必要以上に力が入ってしまっていた。そうしながらふと、この十字架を渡してくれた人のことを考える。
さっき聴こえてきたのは、やっぱり園田さんの声だった。俺の知ってる園田さんとは全然違う別人のような口ぶりだったけど。あのどこか含みのあるような艶っぽい声。彼女は電話越しにシュワネェに指示を出していた。ということは、やっぱり、そういうことなのか……?
にわかには信じられないし、信じたくない気持ちもある。だって彼女を助けるために俺たち頑張ってたのに、なんだったんだよって話だろ……。助けてあげたかったのに。絶対助けてやるって思ってたのに。なのに拉致だの監禁だの、いかにも傭兵って成りのデカい外人とそれにコレ。水責めって何のゲームだよ。冗談にしてはふざけ過ぎてる。パンピーな俺の頭がフル回転したところで、こんなことをする理由はわからなかった。なんにしても、これがゲームや遊びなんかじゃないってことはさすがにわかる。
「あの人、何がしたかったんだよ……」
考えが進むにつれて、力んでいた手から力が抜けていった。人にあからさまに裏切られんのって、結構ショックなもんだな。くそー。
俺は止まった手元にある十字架を見下ろした。
「それもこれも全部あいつのせいだろ」
いつもダルそうに俺を呼ぶ声とどこか余裕ぶった深い黒の瞳を思い出す。なんだかんだと理由をつけて仕事をサボっては、居眠りしてるかアイス食ってるか。慣れない毎日の中で慌てふためく俺の横で、気楽に行けよって、どーってことないって顔してろって言う……。そんなあいつが俺は嫌いじゃなかった。
あいつの血が目的だって言ってた。
生きていればここに来るって。
お前、何されたんだよ……
バカ次郎。
「頼むから、無事でいろよ」
俺は緩んだ指に力を込め直した。
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