第29話 Going going down.

 

 外開きのドアを蹴り飛ばす。金属で出来た板は大きくひしゃげて奥の階段へと続く道を空けた。逃げた狩人ハンターたちの足音は、目の前の階段を駆け上がり上へと向かっていた。


 上? 屋上?


 次郎が手摺に手をかけ足音を視線で追う。ちょうど建物の上空からプロペラが空気を叩く激しい音が近づいて来ていた。


 ヘリかよ。そんなもんまで用意してんのか。


 空へ逃げればいくらヴァンパイアといえど追跡は難しくなる。コウモリや霧に姿を変えて空を飛べるのは物語の中だけの話だ。あっという間に、ビルの上空まで迫ってホバリングするヘリが騒音をまき散らし出した。


 次郎は半ば呆れていた。自分の血を盗むためだけに、これだけ大掛かりなことまでして仕掛けてくる欲深い人間に。金のためなら迷わず同胞の命をエサにする業の深さにも。そんな奴らに渡すには、自分の血はあまりにもリスクが高かった。


 他のヴァンパイアのならいざ知らず……俺のだけはダメだろ。


 地下からは、水が噴き出す音が騒音の中に紛れてかすかに聴こえている。B2階はここから二つ下。次郎は迷わず手摺を飛び越えた。マッハで健太郎を救いだせば、まだ狩人ハンターたちに追いつくことも可能だ。


 連なる段を無視して踊り場や階下フロアに飛び降り、たった2~3歩で地下二階まで到達する。着地する時も少しの音も立てなかった。地下二階のフロアには薄暗い廊下の奥に扉が一つあるきり。あの扉の向こうに健太郎がいるに違いない。次郎は急いで廊下を突っ切り、扉を開けた。


「…………!」


 扉を開けるとそこは8畳ほどのガランとした小部屋だった。埃をかぶった段ボールが天井まで積み上げられている。壁際には掃除道具や使われなくなった折り畳みのパイプ椅子が横倒しになって雑多に置かれていた。ただ部屋の真ん中にちゃんと組まれたパイプ椅子がひとつだけ。その椅子の上に置かれたスマートフォンの画面には、大きく映し出された数字が刻々と失われていく時間をカウントダウンしていた。


「くそ……っ」


 先刻からの水の音は、そのスピーカーからだった。次郎はすぐに「やられた」と悟った。健太郎の姿はどこにもない。すぐ傍まで迫っていると思っていた人質は、未だ敵の手中だっだ。


『ご苦労さま、次郎さん』


 数字だけが映し出された真っ黒の画面から、女の声がする。同時に流れていた水の音が止んだ。そのわざとらしいBGMは次郎を引きつけるためのフェイクだった。次郎は屋上に向けていた意識を解いて、その椅子に向き直る。そして健太郎を救いだした直後に襲い掛かるつもりだった魔力を静かに手の中に収めた。


「わかった。俺の血はくれてやるよ」

『話が早くて助かるわ』

「ここまで計算ずくか」

『ええ。念には念を入れてね』

「…………」

『貴方をおびき寄せるには囮が必要だった。でも囮を素直に貴方の前に晒してしまっては、どのみち私たちが生き延びられる可能性は低い。必要だったのはほんの数秒。こうすれば、血を奪った後貴方の視界から消えるためのわずかな時間さえあれば、貴方はもう私たちに手出し出来なくなる』

「…………」

『安心して、健太郎くんはまだちゃんと生きているわ。その数字がゼロになるまではね』

「あいつを返せ。さもなきゃ――」

『約束は守るわ。殺して貴方の恨みを買いたくないしね。このデバイスに彼の居場所の座標を送る。だから私たちのことは諦めて。私たちを追う代わりに、彼を助けに行ってあげて?』


 次郎は椅子に近づいて、残された時間を刻むそれを持ち上げた。


「わかった」

『ふふ、やっぱりね。信じてたのよ、貴方なら必ず健太郎くんを選んでくれるって。優しいヴァンパイアさん』

「そりゃどーもー」


 女はどこか楽しそうに話す。女の言った通り、ヴァンパイアが人間を助けるために犠牲を払うなんて普通ならあり得ない話だ。実際、次郎自身も自分の行動を持て余している部分もあった。


 人の命なんて儚い。

 どんなに近しくなっても、皆あっという間に死んでいく。

 ひ弱で、愚かで、浅はかで、自己中で卑屈な生き物だ。

 そのくせ愛だなんだとまとわりついて、どんなにカナシイ想いをしても離れようとしなくなる。

 それならまだ……


 まだもう少しだけ、傍に置いてみようかって気になるだろ――


『じゃあ頑張ってね。またいつか会えたら、その時はお手柔らかに』


 そこまで言って、女は通信を切った。

 次郎は大きく息をついて踵を返した。部屋を出て、地上に戻る。ぶっ壊した車両用扉から外に出ると、騒々しかったヘリの音は遠くに飛び去って小さく聴こえるばかりになっていた。建物の周辺には、大きな物音やヘリの飛来に驚いた近所の住民たちが、少しずつ集まり始めている。次郎は視線を落として顔を伏せ、野次馬の人垣をすり抜けた。だが現場から出てきたこれでもかというくらい目立つ美形で長身の男を気に留める人間は、一人もいないようだった。


 今夜はいつもより幾分温かい夜風が頬を撫でていく。風が吹いてくる方へ歩き出すと、次郎の手元でポーン。と着信を知らせる電子音が鳴った。




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