第27話 タイムリミットはパンツ一枚。

 

「お前さぁ、バックアップが誘拐されるってどういうことよ」


 一触即発。身じろぎひとつせず対峙する死神とヴァンパイア。

 張りつめる空気の中でも、次郎はいつもの飄々とした声でスピーカーの向こうの雇用主に盛大に溜め息をついてみせた。


『開口一発目がそれ!? だってしょーがねーだろ! こんな事態予測できるかよ!」

「スピーカー割れてるって。元気そうだな」

『元気で良かっただろうが! もっと喜べ! っていうかある意味風前のともしびだから! あと一枚の命だから!!』


 一枚? と首をかしげてから、例の鬼の言葉を思い出す。そういえば身ぐるみはがされているんだったか。そんな心許ない健太郎の姿を想像して「あー」と納得した。


『あーじゃねーよ! ていうかお前今どこにいんだよ!? 助けに来てんなら早くッあッちょ、待ってシュワネェッ……』


 そこまで聴こえて、女がこちらに向けていたスマホを手の中に納め直す。


「どう? 24時間ぶりに聞く愛しい彼の声は?」

「相変わらずだな。人質なら人質らしく、しおらしくしてりゃ可愛げもあるのに」


 思った以上に元気な様子に、思わず笑いが漏れた。


「それじゃ、バカが元気なうちに返してもらおうか」


 そう言って、革の手袋をきゅっと締め直す。


「強がらないことね。さっき貴方を刺した針は鉄製よ」

「…………」

「鉄は純血種にとっても唯一の弱点でしょ? だから貴方も私たちの武器に直接触れないで済むようにそうやって手袋をしてる。触れただけで肌は焼け爛れ、突き刺された傷は塞がらない。痛々しいわね」

「…………」

「最後に血を飲んだのはいつ? 貴方の行動を監視し始めてひと月経つけど、誰かを襲うところは見ていない。ちょうど体が限界まで弱ってきた頃じゃないの?」


 女は首筋にトントンと指を当てた。


「健太郎くんはバージンらしいし、家の中で彼を食べてるのかと思ったけど、脱がせてみたらどこにも噛み跡はなかったわ。本当は空腹で立っているのもやっとだったりして」


 なるほど、脱がせたのはその為もあったのか。


「意外よね。獰猛どうもうな純血種が、ご馳走を前にして指を咥えてるなんて」

「好きなものは後に取っとくタイプなのかもしれねーじゃん?」

「まあ、随分プラトニックなこと」


 女は可笑しそうに笑った。


「だとしたらやっぱり私の狙いは正解ね。人間なんて食料くらいにしか思ってないはずのヴァンパイアが人に混じって仲良く暮らしてるなんて、最初は耳を疑ったけど。中でも健太郎くんとはまるで恋人みたいに仲良しね。見てるこっちが恥ずかしくなるくらい」

「覗きまでなさるとは。大した変態だな。どっちがストーカーだよ」

「お気に入りのペットを侍らせてるあなたに言われたくないわ」

「……ペットじゃねーよ。あいつも他の奴らも」

「あら、じゃあどういう関係? まさか家族だなんて言うつもりじゃないでしょうね?」

「それは……あいつらに聞いてくれ」


 次郎は血が止まらない傷口をきつく掴んで、手袋についた赤黒いぬめりを舌で拭った。


「無駄口は聞き飽きたし、そろそろ返してくれよ。俺の恋人とやらを」

「ご冗談を。今彼を解放したら、貴方躊躇ちゅうちょせず私たちを殺すでしょう?」

「もちろん」


 にっこり笑って答える次郎にジャレッドとスザクが身構える。ノーアードが「早まるな」と二人を制した。


「だから試してみたくなったの。私と健太郎くん、どちらを選んでくれるのか」

「なんだそれ」

「アンデッドの血で強化人間アーマードになった私たちが、純血の貴方に敵うわけがない。そんなこと百も承知よ。だからこそ、入念に罠を仕掛けて貴方を誘い込み、“赤い悪魔”を盗む計画を立てた。これだけ準備していた私達が最後にむざむざ殺されるような馬鹿な真似をすると思う?」

「俺に挑んできてる時点で相当バカだと思うけどな」

「それもそうね。ふふ、あの暗号を覚えてるかしら?」


 ―― TZBLB22359


「滝澤ビル。“B2”は地下二階。数字の後半“2359”は23時59分。つまり日付が変わればタイムオーバー。健太郎の命はないって脅しだろ」

「ご明答よ」

「でも0時までまだ数時間はある。あのバカがこの真下にいるなら、俺がアンタらを全員始末してあいつを助けに行くのにそんな時間かからないと思うんだけど」

「どうかしらね。でも約束するわ。時間までに間に合えば、ちゃんと返すって」


 女はおもむろに手の中の電話を耳に当てた。そして通話の相手に合言葉を告げる。


「 Leo, Start counting down. 」


 スピーカー越しに「OK」という不敵な声が聴こえてくる。嫌な予感がした。


『うわっ!! 何してんだよシュワネェ!! 冷てぇ!!』


 男が返事をした後に分厚い金属を殴るような音が立て続けに2回。そしてどこからか噴き出すような水の音が聴こえて、健太郎の慌てる声が続いた。


 タイムリミットってのはそういうことか……


 スピーカーから聴こえて来くる音で、健太郎の身に何が起こっているのか容易に想像できた。


「彼が今いるのは地下に掘られた縦穴の中。見張りの男に同じ部屋の中にある貯水タンクを破壊させたわ。噴き出した水は彼のいる穴の中へと流れ込む。全ての水が流れ込んだ時、身体が完全に水面下に沈むように、ちょうどいい長さの鎖を彼の首輪に取り付けてあるの」

「本当に悪趣味だな、お前」

「早く決めた方がいいわ。ここで私たち全員と闘って時間を無駄にするか、すぐに彼を助けに行くか」

「逃げるための時間稼ぎってわけね。でもさ、何度も言うようだけど……」


 次郎は再び濃い闇をその身に纏い始める。地面近くで風が揺らぎ、彼を中心に円を描くように回り始める。手のひらに力を集中して周囲の密度を急速に集めた。


「瞬殺すればいいんだろ? お前ら全員」


 風切る音がキリキリとひずんで耳をつんざく。身体中から黒い靄を立ち昇らせ、血の色より深く濁る瞳だけが纏った闇の中で一層赤く光っていた。その瞳と対面しているだけで身を切られるような痛みが体の奥から湧き上がってくるのを感じる。闇に生きる本物の魔物の姿。アンデッドとは比べ物にならない純血のヴァンパイアの桁外れの力に、死神たちは背中に走る戦慄を隠せなかった。


「今よ!! ベルベロン!!」


 ドンッと腹に響く音がして、ベルベロンが次郎めがけて大砲を放った。バズーカ大のそれから発射された弾は次郎の放つ瘴気に触れた瞬間に破裂する。そして中に仕掛けられていたモノが瘴気全体を包む大きさで次郎に覆いかぶさった。


 ワイヤーネット……!?


 中から飛び出してきたのは、鉄のワイヤーで編まれた巨大な網だった。瘴気をすり抜けまとわりついてくる金属に一瞬気を取られる。その隙にフロアの奥の扉がバタンと開く音がした。女を先頭に今まで自分に向けて銃やナイフを構えていた男たちがドアを潜って次々に立ち去っていくのが見えた。


 闘わずに逃げる気かよ。


 耳に響いてくるのは猛スピードで駆ける複数の足音。扉の奥はおそらく地上出口と地下どちらにも通じる通路だった。力の集中を解いて、絡まるワイヤーを振りほどく。奇をてらった武器が次郎に通用したのはほんの数秒だけだった。逃げる気だったのなら、外に逃走車両を用意しているだろう。強化人間アーマードのスピードなら、本気で追わなければ逃げおおせる。次郎は選択に迫られていた。



 ―― 私と健太郎くん、どちらを選ぶ?







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