第25話 献血はナイわ。


崩れたパレットの下から、ガラガラと音を立てて男が立ち上がる。


「あー。すごい力だな」


髪や服についた木くずを埃と一緒に叩き落としてから、ノーアードは二の腕に突き刺さった太い木片を指で摘まんだ。まるで痛みなど感じていないように、平然と血の流れ出す肉からそれをゆっくりと引き抜く。


「お前がぶっ飛ばされるとこなんて初めてみたよ! すげーな! 純血ってのは!」


ベルベロンが興奮した様子で両腕に構えた小銃をガチャリと鳴らした。ノーアードは血まみれの木片を指で弾いて「まったくだ」と同意した。


「次は俺の番だぜ!!」


言うが早いか銃口を向けると同時に左右の引き金を引いた。激しい乱射に踊る銃弾がコンクリートが細かく抉り破片が飛び散る。だが次郎の姿は既にない。辛うじて目の端で捉えた残像を追って、ベルベロンは左へ銃口の向きを変え建物の壁に弾痕の曲線を描いた。


「べらぼうなスピードだなおい~!!」


ぎゃははと喜声を上げてフロアにあるあらゆる物を薙ぎ倒し、およそ生き物の動きとは思えないバンパイアの霞む影を凶弾が追撃する。弾の限りを撃ち尽くした跡は凄惨たる様相だ。やがて両方のマガジンが底を尽いた。


「くそ!! どこ行きやがった!!」


砲口の熱で煙を燻らせる小銃を構えて吠える。他の死神たちも警戒して周囲を見回し消えた次郎の姿を探した。


「よくまーそんなモン、この日本に持ち込んだな」


呆れかえった声が上から落ちてくる。死神たちは一斉に天井を見上げた。そこには、真っ平なコンクリートに逆さに膝をつく次郎がいた。拳銃ばかりか自動小銃まで持ち出した重装備っぷりに溜め息をつく。


「なっ! なんてトコに!」


まさしくヴァンパイア然とした格好。まるで重力など無視したかのように、洞窟の岩壁に逆さ釣りになるコウモリさながらの姿。ジャレッドが思わず驚嘆する。


「ひゃっはは! まさかそのままコウモリに変身する気じゃないだろうな! ヴァンパイアじゃなくてバッ○マンってか!」

「だーから。コウモリになんて変身しねーっつの」


自分を追い回していたイカれたスキンヘッドに、ヴァンパイアの性質をご丁寧に教えてやる。次郎は馬鹿笑いするベルベロンを見ながら、自分のスピードに曲がりなりにもついてきたその動体視力を侮れないと感じていた。凡庸なアンデッドなら、あの執拗な銃撃に絡めとられていただろう。ノーアードといいこのベルベロンといい、強化人間アーマードの中でも極めて能力が高い連中だということは間違いなかった。


「バーカ。見ろ、あいつの手元を」


ドットが逆さ釣りのヴァンパイアに興奮するベルベロンに、その仕掛けを教える。見ると上下逆さまに天井にしゃがんだような格好になっていた次郎の指が、天井のコンクリートめり込んでいた。


「指の力だけで逆さに体重を支えてやがるのかよ……」

「ジャレッド、感心してないでご自慢の銃をちゃんと構えてろよ。あいつらヴァンパイアは純血にもなると自分の体重はおろか、重力すらお構いなしに動けるっていうからな」


肩を回しながらノーアードがジャレッドに近づく。その腕からは血が滴り落ちているが、傷口はすでに塞がっていた。異常な回復力もまた、強化人間が得た力の特徴だった。


「そんなの関係ないね」


小さな黒い影が、言葉と共に天井に張り付いた次郎に2本のナイフで切り付けた。いつの間にか天井高くまで飛び上がり、次郎の側面に迫っていたのだ。飛び掛かったのはスザクだった。

次郎はコンクリートから指を引き抜き、天井を蹴って横に飛ぶ。スザクは次郎を逃して弧を描いたナイフを、そのまま振り被って中空へ逃げたヴァンパイアに投げつけた。半月型の肉厚なナイフが回転して速度を増し胸を狙う。次郎は上体を反らし身体を翻して1本2本とギリギリでそれを躱した。地面に降りるとスザクが間髪入れずに太腿に差していた諸刃の短剣を突き刺してくる。両刀使いらしい少年は左右の刃で猛攻を仕掛けた。高速で2本の短剣が空を切る音が響く。次郎はその全てを紙一重で躱していた。突然スザクがフェイントを挟んで懐に潜り込んだ。そして渾身の一撃を顎に突き上げる。キメに来たその刃の腹を指で突いて、次郎は全ての力を自分の側面から背後に逸らせて動きを止めた。


「はっや」


思わず感想が漏れる。息を切らせる様子もないこの少年が、スピードでは彼らの中で一番だろうと感じた。

幼さの残る面立ちの中で、鋭い目元が自分を睨んでくる。次郎は彼の死角から左足を振り上げて小さな暗殺者を傍から追い払った。蹴りを避けて軽々と飛び上がり、スザクが仲間の陣まで退がる。


「はぁー。こりゃ一人ずつ相手になんてしてられないな」


各々の獲物を手に自分を睨む男たち。暗黙のルールなのか、一度に襲い掛かって来るのは一人だけだった。まるでゲームや腕試しを楽しんでいるようだ。そんなものに律儀に付き合ってやる義理は、次郎にはなかった。


「先を急ぎたいんだけど、一気に片づけちゃっていいかな?」


そう言って、だらりと下げていた腕を返す。次郎が両掌を正面に向けると、痺れるような振動がノーアードたちの鼓膜と皮膚を突き刺した。波打つように振動が徐々に強まっていく。同時に次郎の周りの空気がズシンと密度を増して、吊り下げられた蛍光灯の光がじわじわと点滅し始めた。彼が作り出す闇に光が吸い込まれていくかのように、光で照らされている範囲が急激に狭まっていく……


「まずいぞ……!」


かつて感じたことのない強力な魔性のエネルギー。ジャレッドはスザクに後ろに下がるように促した。


「ノーアード……」

「ああ。今が使い時だな」


強大なエネルギーを無尽蔵に生み出そうとするヴァンパイア、このままでは危険だと察し、ドットの問いかけにノーアードは合図を出した。


「次郎さん! あなたの物をひとつお返ししますよ!」


風が起こり周囲を駆け巡り始めた時だった。ノーアードが風の中心にいる次郎に声をかける。先ほど扉をぶち破ったのと同じ方法で、目の前の死神たちを一掃しようと力を爆発させる寸前だった次郎がピクリと反応した。そして間もなく次郎の耳に女の短い悲鳴が届いた。


「…………!」


後ろ手に腕を掴まれ、ドットに連れられて奥の部屋から現れたのは、あろうことか次郎がまさに助けに来た一人、園田温子だった。


「離して……っ」

「大人しく歩いてよお嬢さん」


髪は乱れ、片方の靴は脱げたままで、黒いパンストにはあちこちに穴が開いてしまっている。乱暴に扱われたのか白いブラウスは汚れて一番上のボタンはちぎれてなくなっていた。その姿を見て、次郎が集中していた闇を霧散させる。


「ほんと趣味悪いなー……お前ら」

「お褒めいただいてどうも」

「わかった……。大人しくしてやるから返せよ」

「もちろんお返しします。でもタダでとはいきませんよ?」

「何が欲しいんだよ」

「わかってるでしょう?」


温子の腕をドットがさらに締め上げる。温子はくぐもった悲鳴を上げた。


「俺の血かな?」


口調とは反対に、冷ややかな視線を金髪翠眼の男に送る。


「話が早くて助かります」とノーアードは微笑んで、注射針とそれに繋がるプラスチックバックの入った一式を投げて寄越した。


「まさか……、これに採血するつもり? 本気で?」


地面に落ちた採血キットを拾い上げて相手の正気を疑う。この緊迫した状況下で、のん気に献血しろと?


「ええ。うちの顧客って商品の質にうるさいんですよ。今ここであなたの血を俺たちが飲むなら別ですけど、それを待ってるお客さんたちはみんな海の向こうなんです。劣化させずに持ち帰るためにもぜひご協力を」


笑顔のままそう言うと、トッドに温子の腕をさらに締め上げさせ、悲鳴を上げさせる。


「はいはい、わかったから女に乱暴すんな」

「ヴァンパイアも高貴な純血種は物分かりが良くて助かります」

「ただし、出来るもんならの話な」

「え――?」


そう言って、次郎は採血キットを地面に投げ捨てた。


「…………!!」


パチンと器用に指を鳴らす。すると途端に天井から吊り下げられた蛍光灯がパンパンと激しく音を立てて弾けた。続けざまに破裂してガラス片が降り注ぐ。


「…………!!」

「…………ッ!!」

「きゃあ……っ」


一瞬全員の目と耳がその衝撃に奪われた。ガラスが砕け散る激しい音と揺れる灯りに照らされるフロア。しかしそこのいたはずの次郎の姿がない。


「しまった……!! ドット!!」


慌てて人質を押さえていたドットを振り返る。いつも表情を変えないドットが、苦悶の表情を浮かべて首の後ろを押さえ地面に片膝をついていた。


「はい、一丁上がり」

「…………!!」


声のする方を振り返ると、そこには温子の腰を抱いた次郎が悠然と立っていた。「しまった」と己の油断を悔いるが、もう遅い。


「次郎さん……!」


温子が歓喜の声を上げて次郎に抱きついた。


「俺が欲しがってるもん、目の前に出したらダメだって」


取り返すことなど造作もない。そう言わんばかりに次郎はノーアードに忠告した。抱きついていた温子を背後に隠し、死神たちに向き直る。


ヴァンパイアと強化人間アーマード。対峙する彼らの間に再び戦慄にも似た緊張感が走った。破裂させた蛍光灯の残りが、ゆらゆらと揺れて幾分薄暗くなった部屋を浮かび上がらせている。




「さあ、もう一回仕切り直しといこうか」




あと、一人。

刻々と過ぎていく時間を、時計の針が刻んでいた。





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