第22話 闇深みて血の踊る…
太陽がビルの合間に沈んでいく。
オレンジ色に染まる空の下で、ハンズフリーにしたスピーカーから、バタバタと忙しなく走り回る音が掠れて漏れていた。足元の影が、見る間に長く伸びて辺りを夕闇が飲み込んでいく。
左手に嵌めた皮の手袋を口元で引っ張りながら、ざらつくコンクリートの壁を背に、次郎はもう片方の手に握られたスマホから聴こえるその音に耳を傾けた。
『次郎さん、配置完了しました』
声を抑えてそう報告したのは、権田原だった。
「オッケー。ヒナはちゃんとそこにいる?」
スピーカーの向こうに、念を押すように声を掛ける。
「ちゃんと待機してますっ」
ブスっとふてくされたヒナの声が不満そうに返事をした。
心配してはやる気持ちを抑え、ヒナは危険を避けるために大槻本家での待機に甘んじている。
グループLINEで繋いだのは6か所。ヒナのいる本家と、ようやく絞り込んだ十数件の物件の中から、例の図面のビルと思しき建物を5棟、権田原を筆頭に2~3人ずつ4つのグループに分かれて包囲していた。
「俺が合図するまで絶対に建物内には入らないこと。あと、怪しい奴らが出て来たら接触はせずに後をつけて俺に報告してくれ」
「わかりました。しかし……」
「しかしじゃねーよ。接触は絶対禁止だかんな」
「それはわかっています。
権田原が心配そうに確認する。膨大な数の候補の中から十数件まで絞り込んだとはいえ、捜索の人員は広範囲に散らばっていた。消去法で最終的に的と定めたこの5か所に再集中させるには、まだ時間が足りなかった。次郎が選んだのは捜索範囲の最も北の端に位置した建物。この建物を見張るのは、次郎一人だけだった。
「ま、そこは俺ヴァンパイア様だし。ここへ後2~3人人間が加わったところで、足手まといになるだけだよ。一人の方が気楽でいい」
「そうですか……」
次郎は、もう片方の手にも黒の革手袋を嵌め終えて、2ブロック離れた周囲の中では比較的背の高いビルに目をやった。灰色の壁面、小さな複数の窓、入り口は車両用と通用口の2か所でどちらも固く閉じられている。商業用ビルなどではない、どちらかといえば閉鎖的な印象を与える建物だった。そして、高いビルの側面には『
「そ。んじゃ、そっちの4か所の指揮は一旦権田原に任せるから。下手に音出して相手にバレてもあれだし通話は切るぞ。GPSのモニタリングは引き続きヒナちゃんヨロシクね」
「わかった!」とスピーカー越しにヒナが答える。権田原が「各員現場待機。指示を待て」と言ったのを確認して、次郎は通話を切った。
実は、次郎には思惑があった。十数件まで絞り込めたと報告が入ったとき、順番に捜索するというヒナ達の意向を無視して、次郎はわざわざこの一番外れにある建物の捜索を志願したのだ。その理由は、この建物の場所と名称にあった。例の暗号。
―― TZBLB22359
(T)滝(Z)澤(BL)ビルディング。
候補に挙がった建物の中で、あの暗号と符合するのはここだけだったのだ。
シンプルな暗号ですこと。
次郎は小さな声でそう独り
健太郎たちを囮にして自分をおびき出すのが目的なら、奴らが仕掛けた暗号めいたヒントはわかりやすいもののはず。間違いなく俺を罠におびき寄せるために。そう確信していた。
そして、このロケーションも次郎にとっては好都合だった。大槻家の黒服たちも、広範囲に点在する拠点を限られた人員でひとつずつ調べるにはバラけて行動する必要がある。必然的に次郎が選んだこの離れた場所に駆けつけられるのは、どう頑張っても他を当たって一番最後。ましてや自分が「足手まといになるから来なくていい」と言えば、自分の持ち場に意識を集中している大槻の面々は手を出してこないだろうと踏んだのだ。相手は金のためなら人の命など躊躇わずに奪う暗殺を生業とする連中。いくら組織立って次郎を補佐しているとはいえ、普通の人間に変わりない大槻家を巻き込むのは望むところではなかった。
初めから一人。
自分のモノを取り戻すのに、危険に身を晒すのは自分ひとりで充分。
次郎は、己の中に懐かしい感覚が蘇ってくるのを密かに感じていた。
辺りはすっかりと夕闇に閉ざされていた。少し先のコンビニの明かりだけが煌々と周囲を照らしている。
次郎はビルから目を離すことなく、スマホを尻のポケットにねじ込んだ。
「じゃあ戦闘開始と行きますか」
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