第14話 その胸キュン、犯罪です。

 


「健太郎は怪我人なんだから。とにかく休んでね?」


 半分だけシャッターの閉まった『鬼の湯』の前。

 ヒナは、健太郎にちゃんと休息を取るように念を押して、車に乗り込む。

 園田温子の捜索は、引き続き大槻家が不休で続けることになった。

 次郎の肩を借りて、健太郎は遠ざかるテールランプに手を振る。


「まだ明かり点いてるね。誰か起きてるのかな?」

「そりゃ銀だろ。お前がいなくなった時、ヒナが連絡入れたからな」


 「桃には心配するから伝えるなと言ってある。安心しろ」と補足して、健太郎を抱えた腕とは反対の手で、半開きのシャッターを持ち上げた。

 ガシャガシャと騒がしくシャッターの開く音。

 それを聞きつけたのか、奥の方から、まるで転げながら走って来るようなけたたましい足音が近づいてきた。

 ガラガラっと勢いよく男湯の戸が開く。


「健坊!! 無事だったのかよ!!」


 中から飛び出して来たのは、短い銀髪をツンツンに起ち上げたヘアスタイルの浅黒い男。

 薄っすら涙まで浮かべながら、健太郎の帰還を喜んで仁王立ちしていた。

 そして、大股で近寄ってあっけに取られる健太郎をガッシリと抱きしめる。


「あー、ただいまー? えっと、銀さん、だよね?」


 逞しい腕に締められて、健太郎が息苦しそうに答えた。

 銀は、今度は逆にベリっと体を引きはがして、怪訝な顔で健太郎の目を覗き込む。


「俺に決まってるだろ! まさか頭でも打っておかしくなったんじゃないだろうな!?」


 わしゃわしゃっと健太郎の髪をかき分けて、頭の傷を探す。


「ちょっとちょっと。大丈夫だって。銀さんのことならちゃんと覚えてるよ」

「本当だろーなぁ?! お前が攫われたって聞いた時は、肝が縮み上がるかと思ったぜ!」

「アハハ。ごめんね、心配かけて」

「ていうか、銀。こいつ結構重いんだ。話なら中入ってしよーぜ」

「あ! そうっスね! すんません、次郎さん!」


 見た目には銀よりずっと若く見える次郎に言われて、慌てて姿勢を正す。

 次郎の肩には、健太郎の上にさらに銀の分の体重ものしかかっていた。

 良かったらお前が連れて行っていいよと、肩に回していた健太郎の腕を銀に預ける。

 少し触るだけでいつもギャーギャーとうるさい健太郎のことだ、手当ても銀に任せてしまった方が無難。次郎はそう判断した。


「あ! ちょっと! 待てよ次郎!」


 責任もって最後まで運べよなー! と頬を膨らませる健太郎の声をスルーして、次郎は中に入って行った。


「まーまー。次郎さんも疲れてんだろ」

「ったく、優しいんだか優しくないんだかわかんねーあいつ」

「なんだ、次郎さんに優しくされたいのか? 珍しいこと言うじゃねーか」

「怪我人なんだから当たり前だろー。大体あいつ、ヴァンパイアなら俺の体重なんて片手でヨユーなくせに……っ」


 さっさと男湯の方から入って行ってしまった次郎に向かって、ぶつぶつと小声で文句を言っている健太郎に、銀は目を丸くした。


「はっはっ! 怪我して心細くなると人も変わるもんだなー!」

「だって、さっきは“心配してたよ”なんて言っといてさ」

「わかったわかった。次郎さんの代わりに俺が肩かしてやるから。そう膨れんなって!」


 二カッと笑って背中を叩く銀の顔を、健太郎は真顔で見つめる。


「お、おう。なんだ?」

「笑顔も可愛いし、腕逞しいし、爽やかスポーツマンって感じで悪くないんだけど」

「へ? はあ?」

「いいよ。足もう大丈夫だし、自分で歩ける」


 そう言って、健太郎は預けていた体を真っ直ぐに戻して、次郎のいる男湯へひょいと歩き出す。

「次郎~! のど乾いたからフルーツ牛乳飲もうぜー」と大きな声で飲み物を催促した。


「おっおい健坊! ……どうなってんだ?」





 ―― そして、男湯。


「あれ? 次郎の奴どこ行ったんだ?」


 先に脱衣所に入ったはずの次郎の姿がそこにはなかった。


「ん? 次郎さんいないのか?」

「いないっぽい。どこ行ったんだろ」


 健太郎は辺りをキョロキョロと見まわす。


「大方、疲れたから先に部屋に戻ったんだろ」

「あいつ……! なんて薄情な……!」

「まーいいじゃないか。休ませてやれよ。でもお前はまだダメだからな。傷の手当てしてからだ。救急箱取って来るから、その辺で座って待ってろ」


 銀は、そのまま次郎を探しに行ってしまいそうな健太郎に、布石を打って座らせる。健太郎も、しぶしぶそれに従った。


 程なくして、置き薬や消毒液の入った救急箱を手に銀が戻って来る。

 蓋を開けると、アルコールと一緒にツンと鼻をつく整腸薬の匂いがした。


「手当てと言っても、消毒して絆創膏貼るくらいしか出来ないけどな」

「だからいいって言ってるのに……」

「ダメだ。ちょっとした切り傷でも、破傷風になることもあるんだから。次郎さんだって、俺が手当てするの見越して休みに行ったんだろうしな」

「ふーん……」


「よしゃ! これでいいだろ! 先に風呂で洗ってからの方がいいと思ったんだが……本当に入らなくていいのか?」

「あぁ、うん! 俺もすごく疲れちゃったし、もう早く休みたいなーって」

「そうか。 ならしっかり休め! 朝起きてどっか調子が悪いようだったら、すぐに病院に行くんだぞ?」

「うん、わかってる。大丈夫だよ」

「よし。んじゃ俺もそろそろ帰るとするか。すっかり遅くなっちまったしな」


 銀は時計を見て「もうこんな時間か」と、バイクの鍵を握った。

 気がつけば、もう午前3時。

 日の出まで、そんなに時間も残されていなかった。


 銀は、戸締りをしっかりするように言って、フルフェイスのヘルメットを脇に抱える。健太郎も、玄関まで銀を見送った。

 排気量充分のエンジンが音を立てて、『鬼の湯』の前から走り出しあっと言う間に遠ざかっていく。

 半開きだったシャッターを足で踏んで、健太郎はしっかりと鍵をかけた。


「これでよし」


 腕を組んで、誰もいなくなったことを確認する。

 そして、おもむろに男湯から繋がる母屋へのドアに近づいた。


「あ、電気は消さなきゃか」


 まだ煌々こうこうと電気の点いた明るい脱衣所を振り返って、スイッチのある番台横の壁際まで戻る。

 パチンパチンと、すべてのスイッチを切ると、周りは真っ暗になって何も見えなくなった。


「ちょっと~! もーなんでスイッチの位置をドアの横にしとかないかなー!」


 母屋へのドアに戻るには、真っ暗な脱衣所を丸々横切らないといけなかった。

 明かりが急に消えて目が慣れないからか、椅子やロッカーの片鱗さえ見つけられない。

 健太郎は、手探りしながらドアへと進んだ。


 あ。よしよし。これがドアノブかな?


 壁伝いに歩いて、目の前に来たらしきドアのノブを掴んで回す。

 ドアを開けて、奥に続く廊下へと足を踏み出した。

 その時だった。

 あると思っていた場所に床がなく。健太郎の体が大きく前に傾く。


「うわ!」


 慌てて何かに掴まろうとするが、ノブを掴んでいた左手は、ドアが前後に動いて頼りなく、既にバランスを崩していた体は容赦なく前のめりに勢いづいた。


 落ちる!!


 見失った真っ暗な床に叩きつけられると思った瞬間、背後からふわりと腰を抱える腕が、健太郎の体を受け止めた。


「いつも段差あるから気を付けろって言ってるの、お前だろ?」


 耳元で柔らかい声がする。


「びっ、びっくりしたー」


 健太郎はバクバクと鳴る心臓を鷲掴んで、胸を撫で下ろした。


「っていうか、お前どっから湧いて出たんだよ!」


 まだドキドキしているせいか、健太郎は自分を抱きかかえる男に向かって思わず怒鳴った。


「どこって。向こうからだけど」


 暗闇の中から現れて助けてくれたのは、音もなく近づいてきた次郎だった。

 一寸先も見えないこの真っ暗闇の中で、どうやら次郎は女湯の方を指さしているようだ。


「お、女湯!?」

「ああ。桃の様子見に東棟ひがしむねのドアからから入ったから」


 女湯側の出入り口から戻って来た、と教える。


「自分の部屋に戻ったんじゃなかったのかよ」

「銀のバイクの音が聴こえたから。帰ったんだなと思って。お前の様子見に来たんだけど」


 耳元で、自分を心配したのだと言われて、健太郎は不覚にもキュンと鳴ってしまった胸を押さえた。


「ツンデレかよ」

「ん?」

「なんでもない!」


 聞き返す次郎から、健太郎は顔を背ける。

 どうも素直なのか素直じゃないのかわからない態度ばかり。

 次郎は「はぁ」とため息を付きながら、抱えた健太郎の後頭部に額をぶつけた。


「いいから、部屋戻るぞ」





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