第11話 目的地へと続く地図。



 光る夜の街が、車の窓に反射しては通り過ぎる。

 車内では、隣でヒナが温子の捜索に出ていた部下から、連絡を受けていた。


「わかった。ありがとう。それじゃ私たちもすぐに向かうね」


 電話を切って、運転手に行先を伝える。

 ヒナは、大きな瞳で次郎を見つめた。


「温子さんがいなくなった場所の近くで、彼女らしい女の人を、男が無理やり車に押し込むのを見た人がいたって」


 ヒナは、男が使った車には、ある清掃会社の文字があったそうだと付け加える。

 落ち着いた口調の彼女を見て、次郎はその情報に驚くこともなく答えた。


「ヒナのことだから、ある程度目星はつけてたんだろ?」

「うん。温子さんからの証言と事前の調査で、何人かの犯人候補は挙がっていたの。その中に、彼女が勤めるデパートに出入りしてる清掃会社の男がいたわ」

「さすがご当主様」

「男は作業服姿だったそうだから、仕事帰りに襲ったのかも。だとしたら、そのまま連れて一度家に戻ってるんじゃないかな」

「男の家は、一軒家?」

「住所によると…… いいえ、アパートみたいだね」

「なら望み薄かな。壁の薄い集合住宅じゃ、女を連れ込んでも周りの住人に気づかれる危険が高い」

「それじゃ……」

「けど、手がかりは今はまだそこだけだ。行ってみるしかない」


 そう言って、次郎はヒナの頭をポンポンと撫でた。

 次郎は、警察にも情報を流すように言って、運転手に先を急がせた。






 車は、程なくして静かな住宅街に着いた。

 いくつか並んだ賃貸アパートの内、一番古い建物の前に停まる。


「お嬢様、着きました」


 運転手が車を降りて、ヒナの横の扉を開けた。


「ここの、202号室」


 ヒナは車を降りて、アパートの2階の窓を見上げる。

 次郎は立ち止まることなく、入り口すぐの外階段を上がり始めた。

 薄い鉄板を踏む、乾いた音が響く。


 202号室の扉の前。

 次郎は、汚れて見えにくくなった手書きの表札の表面を擦った。


「男の名前は?」

「松浦邦雄。何年も前に離婚して、今は1人暮らしのはずだよ」


 汚れを拭った下には、確かに形の悪い「松浦」の文字。

 ドア横の窓からは、部屋の明かりは見えなかった。

 次郎は、躊躇せず丸いノブに手をかける。


「ちょ、ちょっと待って次郎。ピッキングの道具今持って来させてるから」

「必要ない」


 ギリ、と金属が軋む音がして、次にガチャリとノブが回る。

 次郎が手首を回すと、ドアは掛け金ごと引きちぎれて開いた。


(次郎、思ってたより……怒ってる?)


「時間もったいないだろ」

「そうだけど。一応不法侵入だからね、私たち」


 極力音を立てないようにヒナに注意されながら、ゆっくりと中に入る。

 パチンと玄関横のスイッチを入れて、明かりをつけた。

 中は、キッチンと兼用になった狭いスペースと、その奥に4畳半ほどの和室がひと続き。

 部屋は散らかっていて、食べ終わったカップラーメンの器や、空き缶、脱ぎ捨てた服が、和室の真ん中に置かれた低いテーブルの上や下に散乱していた。

 次郎は、土足のままそのテーブルに近づいた。


「次郎!靴!」


 ヒナが小声で注意する。


「気にすんな。そのまま上がってこい」


「変態の家に遠慮することなんかない」と、テーブルの上の空き缶やカップ麺をどける。

 ヒナは、遠慮がちに上り口に靴をかけた。


 次郎がどけたカップ麺の容器の下に、何枚かの写真を見つける。

 食べこぼしやタバコの灰で汚れた写真には、街を行き交う人の姿がいくつも写っていた。

 その中に、園田温子の姿が見て取れる。

 ピントは、彼女に合わせられていた。


「どうやら、こいつがストーカーってのは間違いないみたいだな」

「やっぱり。じゃあ、温子さんや健太郎を襲ったのもこの人?」

「うーん……」

「違うの?」

「いや、まぁ、そうだろう」


 歯切れの悪い言い方をして、次郎は辺りをキョロキョロと見渡す。

 そして、テーブルの横に敷かれた万年床の脇に、何かを見つけてしゃがみ込む。

 あったのは、真新しいノートパソコン。

 最近、何度かCMで見かけたことのある機種だ。

 次郎はパソコンのディスプレイを開いて、電源を入れた。


「それにしても…… この松浦って人、意外に淡泊なんだね。ストーカーって言うと、もっと壁いっぱいに好きな人の写真貼って、うへへーって眺めてるイメージだった」


 ヒナは、質素で飾り気のない部屋のを見渡す。

 そこへ、パソコンのOSが立ち上がる音が聴こえてきた。


「なに?パソコン?」

「ああ。今日の拉致が仕事帰りの衝動的な犯行なら、それにしては手際が良すぎただろ。俺から獲物を横取りしたんだからな。仮にこれが事前に計画されたものなら、相当入念に準備したはず。パソコンを持ってるなら、何かしらの手がかりが残ってないかなと思って」

「そうだよね……」


 確かに、次郎が誰かに出し抜かれるのを見るのは、ヒナも今夜が初めてのことだ。

 二人は、立ち上がったパソコンの画面に注目した。

 デスクトップにはこれと言ったものは見つからない。

 次郎は、さらに深くを探っていく。


「何もないね……」


 ヒナが、肩を落として呟く。

 どのフォルダやファイルにも、それらしいものは見当たらない。

 次郎は、少し考える間を置いて、おもむろに指を動かした。


 ―― □ 隠しファイルを表示


 チェックを入れて、OKを押す。

 途端に、いくつものファイルがウィンドウ内に表示された。


「あ!」


 ヒナが思わず声を上げる。

 ファイル名は、暗号のような規則性のない数字の羅列でタイトルが付けられていた。

 その中に、複数の画像ファイルを見つける。

 次郎がクリックすると、どうやらそれらは、どこかの建物の図面のようだった。


「これって……」

「監禁場所、かな」

「絶対そうだよ!わざわざ隠してあったんだもの!」


 ヒナは、急いでマイクロSDカードをアダプタに繋いで、パソコンに差した。

 フォルダ内にあるデータをすべてダウンロードする。


「図面から見て、どれも全部どっかのビルみたいだな。同じ数の地下階の図面も。個人がやすやすと忍び込める場所じゃない。この男の勤め先で扱ってるビルに、この図面と合う場所がないか調べてくれるか?」

「わかった!」


 ダウンロードし終えると、すぐさま自分のスマートフォンにカードを入れ直して、データを部下に転送する。


「大規模なビルは除外していい。夜間警備員を置いているところも。それから、地下施設のない小規模のものも。」

「でも、小さなビルの一室でも人を監禁するには十分でしょ? 地下がないビルの可能性もあるんじゃ……?」

「相手は、たぶん単独犯じゃない」

「……!」

「俺から同時に二人も奪った。これが同一犯の仕業なら、相手は少なくとも二人以上…… いや、もっといるかも。小さなビルの空き部屋に、複数の人間が出入りしてたらさすがに目立つ。人質が騒ぐ可能性もあるしな」

「じゃあ……」

「ここにある図面には、その数に比例して地下階の見取り図がある。地下がある建物だけをピックアップしてるんだ。ただ、ここまで詳細な見取り図を用意した目的はわからんけど…… 何か意味があるんだろう」

「わかった。すぐに調べさせるね」


 時間は、夜の11時を近くになっていた。

 窓から見える狭い景色からは、近所の家の明かりが1軒1軒消え始めている。




「ヒナ、もう1件行きたいところがあるんだ」




 電話で指示を出していたヒナが振り返る。

 次郎は、玄関を出て、外階段の上から運転手に次の行き先を告げた。

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