第9話 健太郎の秘密。
大通りから外れて随分と歩いた。
園田温子は、通りの角を何度か曲がり、やがて静かな雑居ビルが並ぶ道に入った。
歩く人がまばらな細い道に入ったとしても、彼女との間には十分な距離を保っている。
ストーカーや、彼女本人でさえ、次郎の存在に気づくことは難しいだろう。
帰宅途中、わざと人の少ない道を歩いてストーカーをおびき寄せるという、多少荒っぽいオトリ作戦。
作戦を提案された当初は、園田も不安がって難色を示していたが、次郎の能力に絶大な信頼を寄せるヒナが説得をした。
これまでに同じような案件は何度も成功させている。
次郎たちにとって、今回の依頼はさほど難しくないものと思えた。
園田は、あえて人通りの少ない道を選んで歩いていく。
しかし次郎は、大通りを外れたあたりから、そんな彼女にどこか違和感を感じていた。
「どうするかな……」
彼女が先ほどの角を曲がったところで、立ち止まる。
やはり何かおかしい。
事前の指示では、最寄駅から自宅までの直線距離を少し迂回するだけのコースを取るはずだった。
だが彼女は、先ほどから自宅とはまったく正反対の方向に向かっている。
次郎は作戦前に、この辺りの地理をおおむね把握していた。
あの角を曲がった先に住宅街などない。
むしろ殺伐とした古い路地が、脇道にいくつも伸びている、多少物騒なエリアだったはずだ。
いくらなんでも危ないチョイスですこと。
最初はあれほど不安がっていたのに、思い切ったルート選択だ。
温子が角を曲がってから少し間を置いて、その通りの分岐まで一旦距離を詰める。
街灯の明かりの陰になったカーブミラーの下で、薄暗い通りに入って行った彼女の姿を確かめようと、行く先を覗き込んだ時だった。
100メートル程先を歩いていた温子が突然走り出すのが見えた。
「なんだ……?!」
次郎も角を曲がり、気づかれないように少しスピードを上げて後を追う。
何かに追われているのか?
一瞬そう思えたが、自分と彼女に間にストーカーらしき人物の気配はない。
明かりもまばらな夜道。
たとえ走って逃げられたとしても、見失わずに後を追うことは次郎にとって造作もないこと。
足音もなく夜闇の中を移動する。
そうして走り出してからいくらもしない内だった。
走るハイヒールの音が急に緩やかになり、脇にある小さな路地に逸れた。
そして、途切れる。
「チッ」
次郎は舌打ちをして、一気にスピードを上げた。
わずかに聞こえた、衣擦れと足を引きずるような音……
そして、驚異的な聴力を持つ次郎は聞き逃していなかった。
その後に続いた、くぐもった小さな悲鳴を……
数秒のうちに、次郎は温子が消えた路地にたどり着く。
しかし、すでにそこに温子の姿はなかった。
「なに……!?」
ほんの数秒の間に、温子は連れ去られていた。
マジか……
正直そんな馬鹿なという思いがこみ上げる。
人間ごときに獲物を奪われ、まんまと撒かれてしまうとは想像すらしていなかった。
後には、片方だけのハイヒールが、無残に残されている。
辺りは静寂に包まれていた。
次郎は、それを静かに拾い上げる。
それが園田温子の物だと確認したとき、次郎はピクリと動きを止めた。
「……………」
そして、突然
ブー、ブー、ブー、
ジャケットのスマホが震える音。
次郎は着信画面を見て、通話をスライドし耳に当てた。
「次郎 ?! 今どこにいるの!?」
「ヒナか。今そっちに向かって戻ってるところだ。」
「どうなってるの!? 突然みんなバラバラの方向に動き出しちゃって!」
「みんな……?」
次郎は、驚いて立ち止まる。
自分のすぐ後ろをついてきていた健太郎に、逆流しているはずの自分が鉢合わないのを不思議に思い始めた矢先だった。
「健太郎もずっと次郎の後を追いかけてたのに、突然別の方向へ猛スピードで移動し始めて……」
猛スピード……
車か。
「園田温子の方は?」
「それが、さっき次郎が立ち止まってた場所からすぐのところで、急に信号が消えちゃったの…!」
「そうか。ヒナ、今からすぐに大槻の人員を動かせるだけ動員して、信号が消えたポイントを起点に園田温子の捜索を始めてくれ。」
「わかった! 次郎は!? 次郎はどうするの!?」
「俺は健太郎の方を追う。俺ならまだ追いつけるかもしれない。」
「そうだね……! じゃあ次郎は私が誘導する! 園田さんの方は権田原に指揮を執らせるわ!」
「頼んだ。」
最初は左。
方角を確かめて再び走り出す。
スピーカーから、ヒナが可憐な声で黒服達に指示を飛ばしているのが聞こえていた。
画面をGPSアプリに切り替えて、健太郎の現在地を表示する。
居場所を知らせる丸い印は、すでに2キロ以上離れた場所を、およそ時速60キロほどで移動していた。
次郎にとって、それぐらいは大した距離ではない。
「逃がすかよ」
地面を蹴る足の力を増幅させる。風を切るように、次郎はスピードを上げた。
幹線道路沿いにある街路樹の脇に、黒塗りの車が停車する。
バタンと慌ただしくドアが開いて、小さな両手でスマホを握りしめたヒナが降りてきた。
夜闇の中では、ほとんど白に見える薄い水色のワンピースを、通り過ぎる車のヘッドライトが照らしていく。
街路樹の下の植え込みの傍に、次郎は屈んでいた。
土に汚れて、ひび割れたガラス画面。
手に取ろうとすると、まだ自動ロックが掛かっていない画面が白く点灯した。
「どこ行っちゃったの……?」
ヒナが震える声で問いかける。
「…………」
連絡もなく持ち場を離れ、消息を絶った仲間。
明らかに走る車から投げ捨てられたようなスマホ。
「これはまぁどう見ても……アレだろうな。」
「アレ……?」
「そう、アレ。」
拉致。
不安で泣きそうな顔をして隣に立つヒナを、次郎は笑って見上げた。
心配するな。ちゃんと見つけ出す。
そう、瞳で伝える。
「健太郎……」
「なんとかするさ。だって俺ヴァンパイアだし。 こうバーッと魔法でも使ってサクサク助けてやるよ。」
「……ヴァンパイアは魔法属性じゃないよ。」
「そうだっけか?」
そう言って、次郎は立ち上がり、汚れたスマホをヒナに差し出した。
引き出せるだけ情報引き出して。
頼りにしてますよ、ご当主様。
少しおどけて見せながら笑ってそう言う。
優しい笑顔の中、力強い瞳に促されて、ヒナはぎゅっとそれを握りしめた。
「任せて!」
「あ。あいつのパスワードだけど、たぶん桃の誕生日だから。」
「え、そうなの?」
「単純だもの。前に盗み見てやろうとしたら、自分の誕生日じゃないから絶対お前には開けねぇって、自慢気に語ってたんだけど。あいつが自分で覚えていられそうなパスワードなんてたかが知れてるだろ。」
もしくは、母親の誕生日ならコレコレで……と補足する。
「馬鹿だなぁ、健太郎。」
案の定、桃の誕生日で簡単に開いたスマホを見て、ヒナの顔にも笑顔が戻る。
「ねぇ、どうせなら次郎の魔力で健太郎の居場所を透視できたりしないの?」
「残念。さすがにそんなマルチ機能は搭載してないなー」
ふふふ、可笑しそうにしているヒナを見て、次郎もほっとする。
「さて、んじゃ行きますか。」
「行くって、どこへ?」
「そりゃもちろん、園田温子のところだよ。」
手がかりはそこしかない。
この二つの拉致事件が、到底無関係だとは思えなかった。
ちょうどそのとき、ヒナに黒服から連絡が入る。
「よし、すぐに移動するぞ。」
次郎とヒナは、車に乗り込んで元来た方角へと向かった。
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