第6話 13代目当主、大槻ヒナ登場。

 俺のチェリー騒動のくだりが、ジロリアンLINEで町内に一斉配信された穏やかな春の日。

 みなさんいかがお過ごしですか?

 こんにちは。健太郎です!




「死んだね。」


 頬を伝う一筋の涙も乾ききり、天を仰いだまま天井のシミの数も数え尽くした午後。

 開店前の男湯には、一人の少女が真っ赤なランドセルを背負ったまま俺の座る長椅子の上に立っていた。

 俺の目の前で意識を確かめるように手を振る。


「憐れだね。」

「1時間前にLINE開いてからずっとそのままだ。」

「なんだ、ジロリアンLINE健太郎も入ってるんだ?」

「みたいだな。」

「まさか自分のこと流れてくるとは思ってなかっただろうね、可哀想に。」

「まーあんだけ派手に叫んでたらなー。」

「次郎もその場にいたんだ?」

「ああ。バージンは悪いことじゃないって一応慰めたんだけどな。」


 コーヒー牛乳を片手に、漫画雑誌のページをめくる次郎。

 ふーん、と適当に相槌を打って少女は俺の隣に座り直してランドセルを降ろした。

 少女の名前はヒナ。

 近所の小学校に通う6年生だ。

 実家は大金持ちらしく、時折お迎えに黒塗りの高級車が店前に横付けされたりする。

 着ている服も華美ではないものの、良質な素材で仕立てられた上品なものばかりだ。


「ていうかお前、よくチェリーの意味なんかわかったな。」

「最近の小学生ナメないでくれる? それくらいわかるよ。小6ともなれば泣かせた男も数知れず…」

「末恐ろしいな。」

「勝手に告ってくるの。アタシのせいじゃないもん。子供っぽ過ぎて相手してないけどね。」

「まー男なんていくつになってもガキみたいなもんだからなー」

「次郎レベルならいつでもOKだよ?」

「あと10年したら相手してやるよ。」


 ふふふ、とヒナが嬉しそうに笑う。


「ていうかさー。健太郎も次郎のこと好きだよね。」


 はぁ!?


 不穏な言葉を聞きつけて、俺はようやくそこで意識を取り戻した。


「誰がこんなヤツ!!」

「あ、起きた。」

「適当なこと言うなよ!また配信されたらどうしてくれんだよ!」

「えー。別にLINEで教えてもらわなくてもみんな知ってると思うけど。」

「みんな知ってるって何が……?」

「健太郎が次郎のこと好きって。毎日飽きもせず痴話喧嘩してるの有名だよ?ジロLINEも入ってたんでしょ?」

「そっそれは町の動向を知るためにやむなく……」

「まぁ否定したいなら好きにすればいいけどー」


 くりんとした大きな目で俺を覗き込む。

 きっと将来美人になるんだろうな、と予感させる整った顔立ち。

 この子も黙ってれば可愛いのに。


「それで、今日は何の用で来たの?」


 ヒナはちょくちょく開店時間前にやって来る。

 たいていいつもは次郎目当てで、他愛もない話をして帰っていくのだが、今日は開店時間が間近に迫ってもまだ帰る気配がない。


「あ!そうだ! 健太郎があんまり面白いから忘れるとこだったよ」

「悪かったな」


 俺より二回り程も小さい白い手で、ランドセルを開ける。

「自由帳」と書かれたノートを取り出して、筆箱から鉛筆を1本選んだ。


「それで? その女の人の名前はなんて言うの?」


 真っ白なページを開いておもむろにそう尋ねる。


「女の人って?」

「昨日来たんでしょ? ここに。名前と住所と連絡先。ほら次郎!」

「はいよ」


 読んでいる漫画から目を離さないまま、ヒナに一枚の紙きれを差し出す。


「なんだ、珍しくちゃんとメモしてあるんじゃない」

「昨日はここが使えなかったからな。」

「そんなに早い時間に来たの?」

「ああ、普段ならまだ桃が番台入ってる時間。昨日はたまたま健太郎が受け付けたみたいだけどな。」


 え……?

 それって昨日のあの美女の話なんじゃ……


「ふーん。じゃあ健太郎も見たんだその人。どんな人だった?」

「え……そりゃ綺麗な人だったけど……っていうか、え? なんでヒナがそんなこと知ってるんだ?」

「え?次郎話してないの?」

「あー。そうだな。任せた。」

「もう~~」


 次郎が差し出す紙を受け取って、さっきの自由帳に挟む。

 しょうがないなーとヒナが話し出した。


「次郎からどこまで聞いたの?」

「え?」

「次郎がやってる仕事のこと!」

「あ、ああ。なんか、エスコートってボディガード的なことをやってるとは聞いたけど……」

「じゃあ次郎がヴァンパイアだってところまでは知ってるのね?」

「え、それも含めるの?」


 タラり。と汗。


「ええ!? そこもまだなの!?」


 もー何やってるのよ次郎はー!とぷんぷんと怒ってみせる。

 その仕草が可愛くて、自分に妹がいたらこんな感じかな……なんて想像した。


「教えてるけど信じないんだもんよ。」

「本当にちゃんと教えたの?」

「昨日もいろいろシテみせたんだがこの有様な。後はもう俺が血でも吸って見せなきゃ信じないんでないの?」

「もう!吸ってやればいいのに!」


 いやいやいや。吸ってやればいいってそんな恐ろしいことを。


「いい健太郎?現実逃避したい気持ちはわかるよ?でも次郎の傍にいる限りはちゃんと覚悟決めとかないと、危ない目に遭うことだってあるんだから!」

「危ないことって…?」

「ヴァンパイアと組んで悪者退治するんだよ?危なくないわけないじゃない!」

「それは本気で言ってるのかな?ヒナちゃん。」

「本気!」

「はぁー……」


 じゃあ何か?やっぱりこいつは本物のヴァンパイアで、ヒナもそれを信じてるってこと?

 ってことはもしかして……


「それって町内中の人が知ってたりするの?」

「それはない!」

「ないんかい。」

「そんなの町中の人が知ってたらパニックになるに決まってるでしょ!他の人にはバレないように内緒よ!」

「じゃあなんでヒナは知ってるの?」


 なにやら事情通らしいこの美少女は一体何者なんだ?


「アタシの名前は大槻雛。うちの家は次郎とは”古い付き合い”なの。」


 大槻か。

 大槻といえばこの辺り一帯の大地主。

 そこのお嬢様だったのか。


「古い付き合い?」

「うちが大泉で暮らすようになったのは300年くらい前なの。次郎が村にやって来たのはその50年後だったんだって。それからずっと大槻は次郎の力を借りたり助けたり。ずーっと一緒に生きてきたの。もちろん、桃おばあちゃんと健太郎の『鬼の湯』も一緒にね。」


 あー…やばい。だんだん話が手の届かないところに……


「今も次郎の仕事を手伝うのがアタシ達の役目!だいたいこの『鬼の湯』の名前も次郎がいるから『鬼の湯』なんだから。」


 そうなの!?!?


 もう何て言ったらいいか。言葉が出ない。

 俺が神妙な面持ちで頭を抱えてる後ろで、次郎ときたら今度はマッサージ機で「極楽……」なんてまったりくつろいでるし。

 でもこんな小学生までが、『鬼の湯』の歴史がどうの、何百年前からの付き合いがどうの、ヴァンパイアがどうのって話してるところをみると、本当なのかもしれないと思えてくる。

 いよいよ俺もヤバくなってきたな。

 かくなる上は……


 よし。とりあえず一旦呑み込んで様子をみよう。


「わかったよ。それで、具体的に俺は何をすればいいの?」

「週末までに今回の依頼人の素性を調べさせておくわ。土曜日なら私も学校休みだし。健太郎もでしょ?午前中に集合して、作戦を練りましょ!」


 小学生を中心に、トントンと話がまとまっていく。

 俺たちは今週末、ストーカー退治に繰り出すことにあいなった。

 正直に言えば頭の中はわけのわからないことばかりでぐちゃぐちゃだけど、もう考えるだけ無駄なんじゃないかとも思えてきて。

 それよりも何とかジロリアンLINEの情報流出を食い止められないかと、最後にはそんなことばかり考えていた。


 黒塗りの高級車が正面玄関に横付けされる。

 ヒナは赤いランドセルを片腕に引っ掛けて、靴箱から小さな革靴を出すと、コンコンとつま先を鳴らして帰っていった。


「相変わらず大槻のご当主は頼りになるねぇ」

「小学生とは思えないよね……」

「ホントになー。」


 俺たちは二人揃ってヒナをお見送りした。


「じゃあそんなわけで、俺はゴン太と野暮用があるからちょっと行ってくるわ。」

「ああ、うん。」

「帰りに土産でも買って来てやるよ。桃によろしくなー」


 ひらひらと手を振り次郎は表の暖簾をくぐって出て行った。

 それにしてもあいつ、なんだかんだと知り合い多いよな……

 これからゴン太と野暮用かぁ……

 ゴン太……

 ゴン太……?


 …………。


「ゴン太は近所の野良猫じゃねーかーぁぁああ!!!!」


 桜舞う、卯月の午後。

『鬼の湯』まもなく開店です。









 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 この後の時系列で、この『うちのバイトのヴァンパイア…』の番外編を短編で1本書いております。


『季節外れのハロウィンにご注意。』


 興味のある方は、作者作品ページからご覧ください。

 次郎と健太郎が仲良く喧嘩しながらイチャついている?のがお好きな方はぜひどうぞ。かるーい読み物です。

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