第5話 45秒で何ができる?♪
「ありがとうございましたー」
男湯の最後のお客さんを見送って、俺は
「あの子最近やたらと来るなぁ~」
最後に帰って行ったのは、一瞬女の子と見間違いそうになるくらい可愛らしい顔をした中学生?くらいの男の子。
この2週間ほど2日と空けずに来てくれている。客離れが激しい銭湯業界で、新規の常連客は何よりも得がたい存在だった。「ありがたやありがたや」と俺は遠ざかるお客様の背中に手を合わせて感謝した。
さて、あと30分もすれば日付が変わる。
表の通りにも、もうほとんど人通りはない。
まだ冷たい春の夜風を髪に感じながら、俺は誰もいない通りの向こうに目をやった。
次郎、まだ帰ってこないな……
「すぐ帰るんじゃなかったのかよ」
零れた出た言葉は、甘い桜の匂いのする闇に吸い込まれていってしまった。
あれからもう2時間近く。
大人しく店番を続けながらも、俺はどこか落ち着かないでいた。
今頃何してんだろう。
やっぱ…… よろしくやってんのかな……
そう心の中で呟いて、同時にめくるめく夜を過ごす二人を想像してしまう。モヤモヤっと頭に浮かんだ良からぬ妄想を、俺は両手でバタバタとかき消した。
くそー俺にばっか店番させやがって……
「アホらし。さっさと閉めよー」
下した暖簾をクルクルと丸め、カラコロと草履を鳴らして中に戻ろうとした時だった。
ガシッ
「うわ!?」
突然、後ろからぐるっと巻き付いてくる腕。
「なっ誰!?」
「ただーいま」
じ、次郎!?
完全にホールドされて身動きが取れずにもがく俺。
耳をくすぐるような甘いトーンが、完全に俺を抱きすくめていた。
毎度からかうようにくっついてくる男に、なんだか俺はいつも以上にムッとした。
「遅かったな……」
「そうかー? あー疲れた」
「つ、疲れたって……そんな疲れるようなことしてきたのかよ……?」
ごにょごにょと口ごもる。
「あん?」
「くそー! なんでもねーよ! おかえり!」
「おー。やっぱまだこの時期冷えるわー。寒い寒い。」
次郎は、ふるふると震えながら凍りそうな程冷えた体でしがみついてくる。
「人の体温で暖を取るな」
「だって寒いんだもんよ。客は? もうみんな帰ったの?」
「今さっき最後のお客さんが帰ったとこ」
「そうか。んじゃ中入ろうぜ」
「あ、ああ」
ぽんと肩を叩いて、お先にと玄関からさっさと男湯の入り口をくぐって行ってしまう。
次郎が離れた背中がすぅっと寒くなるのを感じた。
畳んだ暖簾を中に入れ、表のシャッターをガラガラと締める。
ロックを確認してから番台に戻ると、脱衣所で半裸の次郎と目が合った。
「わ! 何脱いでんだよ!」
着ていたシャツの前を開いて、手首のボタンを外している次郎。開いたシャツの隙間からは、透き通るような肌が覗いている。
な、なんか
本当に血が通っているのか?と思えるほど白い肌に、つい目が奪われてしまった。
いや男の肌見えたからなんだって言うんだ俺。
「何って、冷えたから風呂入るんだよ。」
「今から?もうボイラー止めるとこなのに」
「そう固いこと言うなって。お前も入るか?」
「入るか!!」
0時になったらボイラー落とすからなー!と念を押して、番台に置いた本を手に取る。
忘れものがないのを確認して部屋に戻ろうと振り返ると、シャツを脱いで上半身が露わになった次郎が目に入った。
うわ……っ
驚いて思わず心の中で声を上げる。露わになっていたのは、思っていたより男らしく筋肉のついた美しい体だった。整った顎のラインに繋がる長い首筋、広い肩、綺麗に割れた腹筋。余すところなく美しい筋肉のついた腕は、指先まで見事に整っている。そして何より細く引き締まった腰の流線美。まるで絵に書いたような完璧さだった。
「人の着替えガン見かよ」
「へっ!? 違っ!! いやあの、いい体してんな…と…思って……」
「いろいろ違わねーぞそれ」
「別に変な意味じゃねぇよ!! お前ほんとに馬鹿力だけはあるし、細く見えるけど結構筋肉とかついてんだなと思って……」
「馬鹿力ねぇ。まぁそらそうだ」
「俺は男だからまだいいけど、女の人にはあんな力入れて抱きつくなよ。骨折れてもしらねーぞ」
「女?」
「……さっきの女の人とも、その、いろいろ……してきたんだろ?」
「いろいろって?」
それを言わせるか…っ
「とにかく! お前は日頃からスキンシップ過剰なんだよ 女とよろしくやった後でベタベタくっついてきやがって。嫌がらせか!!」
「あー、なるほど」
「なんだよ」
次郎は上半身裸のままスタスタ俺に近寄ってくる。
「近い近い近い! 裸で寄んな!」
「いや、妬いてんのかなと思って。慰めようかと。」
「誰が妬いてるんだ誰がッ」
スッと腰に手を回してくる次郎の腕を必死で避ける。
「別に、お前が想像してるようなことは何もしてねーよ」
え。
「なにも……?」
間。
いやなんの間よ、俺。
別にがっかりしたとかじゃないからね?
「夜に女と出かけたからってイコールなわけじゃないだろ。妄想チェリー少年」
「なっ! チェリー言うなっ」
「それに夕方も言っただろ。今は腹減ってないって」
誰も襲ったりしねーよ。と腹をなでるジェスチャー。
まぁそりゃあんだけ牛乳飲んでりゃな。
「でも、背流しってあれだろ? その…エッチなことするってことなんだろ?」
「大昔の話な。現代日本の銭湯でそんな商売してたら捕まっちゃうよ?」
そ……それもそうか……
「じゃあなんでさっきの女の人、あんなお金払って行ったんだよ。それに風呂にだって入らずに…なんか、お前のこと待ってたみたいだし……」
「そーねー俺人気者だからねー」
俺に抱き着くのを諦めた次郎は、番台近くに置いてあったさっきのハロウィンばりのお菓子の数々を、指先でカサカサと弄りながら、半裸のままロッカーにもたれた。
「じゃあやっぱり、そういうことなんじゃねーのかよ。」
「泣くなって」
「泣いてねーよ」
「そうだなー。そろそろお前にも教えとくか」
教える? 何を?
「今日のあの女は依頼人だよ」
「……依頼人?」
「仕事のな」
「仕事って何の仕事だよ」
「副業的な?」
オイマテ。その前に本業はどうした本業は。
「好きでやってるわけじゃないって」
「なんだよ。どんな仕事?」
「桃いわく、エスコートのお仕事」
「エ……ッ!?」
エスコートだぁああぁあ!?
やっぱりよろしくやってんじゃねぇーかコラぁああ!!
っつか、桃さんも噛んでんのかよ!!
「あーエスコートって言ってもヤラシイ意味じゃないよ?」
「じゃあ何なんだよ!」
「ググってみろよ」
ポイっとスマホを投げて寄越す。
次郎はお菓子の中からキャンディを選んで、ゴミだけ俺に渡して口の中に放り込む。そのまま長椅子に腰かけた。
渡されたキャンディの包み紙には、チェリー味の文字。
―― そこまで嫌味か。
最近のヴァンパイアはスマホ持参かよ。と、言われるがままに俺は「エスコート」の意味をグーグル様に尋ねた。
― エスコート
英語で護衛、護送者などの意味。
船団護衛に使われる軍艦。護衛駆逐艦、護衛空母など。
単に同伴者の意味(高セキュリティの施設に部外者を入れる場合など)
同伴の異性。特に、女性に同伴する男性。
出典:ウィキペディア
「護衛?」
「そ。人間で解決できない問題に巻き込まれて困ってる奴らを守ってくれる、化け物界のスーパーヒーローってやつ? ほら俺って優しいから」
「はぁ……」
ヒーローねぇ。
まー要はあれだろ? 探偵まがいの“なんでも屋”的な……
ていうか。最後の行の意味な。しれっと書いてあるしな。
「さっきの女もその依頼人。どこからか噂聞きつけてやって来るんだよなぁ。看板上げてるわけじゃないから、依頼がある奴はああやってここに来て、入湯料には不相応な代金払ってお願い事をしてくるってわけ。他の客がいたんじゃその場で詳しい話もできないから「背流しお願いします~」なんて言ってオプション頼む振りしてな。まぁ金になるなら桃も助かるし、気が向いた時に引き受けてる程度だけど」
ヴァンパイアが人助けですか……
「それで、さっきの女の人はどんな依頼を?」
「ストーカーに付き纏われて困ってるんだと」
「ストーカー? よくありそうな話に聞こえるけど。それならお前なんかに頼まずに警察に相談したらいいじゃないか」
「お前若いのにわかってないねー。警察は、何かコトが起こってからじゃないと何もしてくれないんだぜ?」
「まぁそうかもしれないけど…。でもああいう人って、注意受けたくらいじゃ諦めたりしないんだろ?お前に相談したところでどうこう出来るってもんじゃ…」
逆に体張って守ってくださいっていう依頼なんだとしたら、1万円は本当に安すぎやしないか?
「まー俺が普通の探偵とかボディガードなら無理かもなー。でもそこはホラ。俺、魔物だし?」
「…………」
「すげぇ疑ってんなその目」
「疑うだろ。魔物だぞ。どんだけファンタジーだよ」
「信じないねぇお前も」
「信じられるか」
「そんなに疑うなら体で教えてやってもいいけど?」
「体……?」
嫌な予感しかしない。
「いや、いい。」
「遠慮すんなって」
「結構です! 」
「いいから。そこでそのまま立って。じっとこの指見てみな。」
次郎は人差し指を立てる。
そして不敵に笑った。
「いいか、瞬き1回だ。」
言われたその直後、俺の瞼がぱちりと閉じる。
次の瞬間、俺は閉じていたはずの口の中に、ゴロっとした異物感を感じた。
モゴッ!?
舌の上に甘酸っぱい味が広がる。
なんだこれ??
ぺッと掌の上に吐き出す。
そこには、溶けてかけた飴玉がひとつ。
口の中に残る後味は爽やかなサクランボだった。
「…………」
思考停止。
「チェリーにはチェリーが似合うだろ」
ニヤ、と次郎が口端を引き上げる。
「うん、ちょっと待ってくれるかな次郎くん」
「ん?」
「これはあれかな? さっき君が……」
「ああ。俺が舐めてた飴」
あーんと口を開けて中が空なのを見せてくる。
あーん……じゃねぇええええええ!!!!!!!
「てめぇ!! 何すんだよ!!」
俺は袖でゴシゴシと口を拭った。
「よく見てみ? お前が吐き出した飴の大きさ」
「はぁ!?」
「おかしいと思わないか?」
おかしいって何がだよ……!!
って、あれ……?
よく見ると、掌の上の飴は溶けて随分と小さくなっていた。
あれ? これ、まだついさっき次郎が食べ始めたばっかりのはず……
「時計見てみな」
番台上の壁時計。
長針がもうすぐ0時を差そうとしていた。
「時間が……経ってる……?」
「お前がそれを口に入れてから、かれこれもう20分は経ってるよ」
なんで……??
「本気出したらスゴイって言っただろ?」
そう言ってにっこり笑う。
俺は袖口を唇に当てたまま言葉を飲んだ。
「今どきのファンタジー風に言えば「魔力解放」ってやつね。わかんなかっただろ? お前にはただ1回瞬きするだけの時間に感じられたはずだ。俺らの種族って腕力が強いとか動きが速いとかまぁいろいろ特技はあるんだけど、一番得意なのは人の心を惑わして取り込むことなんだよな。惑わせて操る。お前からは時間の感覚を奪ったんだよ」
「時間を奪った……?」
「そう。20分以上お前はボケーっとそこで突っ立ってたのよ実際は」
「マジかよ……」
「マジマジ」
こうやって人を操ることも出来るから、ストーカーの意識も操って女を諦めさせることも出来るのだと次郎は説明した。
「人を操れるのか……」
「そうそう」
「んで……俺には飴玉を」
「そうそう。口移しで。特別サービスな」
「そうか……口移しで……」
口移し……
口移し…………!!!!??
「口移しって!! 何やってんだよお前は!!」
「普通に口に放り込んでも面白くないだろ」
「面白さ求めてねーよ!! 何してくれんだ!! ふぁ、ファースト……ッ」
キスだったんだぞ。と言いかけて慌てて口を押える。
「ファースト…1塁?」
「~~~~~~!!!! なんでもない!!!!」
「相変わらずカリカリしてんなぁ~。よし! 一緒に風呂入るか! 湯に浸かって筋肉の緊張をほぐしてやろう」
「はぁ!?」
そう言って次郎にガシッと羽交い絞めにされる。
「入らねーよ!! 馬鹿!! はーなーせぇええええ!!!!」
「はいはいいい子だから遠慮すんな」
「遠慮なんかしてねぇ!! 0時!! 0時だからもう締める~~~!!」
「59分15秒だろ。45秒もあれば俺の“魔法”でチョチョイだ」
いーーーーやーーーーーー!!!!!!
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