第2話 デザートは別腹。
おっす!オラ健太郎!
俺んち『鬼の湯』があるのはここ大泉町。
その昔、村のあちこちから澄み渡った泉がとめどなく湧き出て、行き交う旅人を癒したっていう昔話がある田舎町。
戦前くらいまでは三つ角曲がれば風呂屋って言われるくらい、たくさんの銭湯があるので有名だったらしい。
でも近代化の波に押されて、次第に銭湯に通う人も少なくなり……
今やこの町にある唯一の銭湯は、うちの『鬼の湯』だけになってしまった。らしい。
「らしいらしい」って連呼してるけど、別に記憶があやふやになったってわけじゃない。
実は俺もこの町に引っ越してきたのはまだほんの1か月前なんだ。
そう1か月前……
突然両親が交通事故で亡くなり、一人っ子だった俺は天涯孤独になってしまった……。
と、思った。
思ったんだけど、葬式の日、突然現れた弁護士さんに実は俺には母方にまだ存命のばあちゃんがいると告げられた。そしてそのばあちゃんが切り盛りする銭湯を相続したとも。
まぁとりあえず「ばあちゃんまだ生きてるのに俺が相続ってなに?」ってなったんだけども……
ばあちゃんはじいちゃんが死んだ後もずっと一人でこの『鬼の湯』を守ってきたらしいんだけど、年を取るにつれてだんだん耳も遠くなって番台で勘定するのも怪しくなってきた…てことで、何年か前から母さんが後見人になってたんだそうだ。
ところがその母さんの方が先に死んじゃって…俺に役目が回ってきたってわけ。
20歳そこそこの若造が敷地だけはバカでかい土地家屋を受け継いでラッキーなんじゃないかって?
ちょ、お前一回ここ座れ。
はっきり言っておく。
今の俺は……
「あーーー!!くっそ!!なんで俺ばっかりこんな目に!!」
ていうお決まりのセリフを叫んでいる今日このごろだ。
「だいたいそもそもからして従業員が学生の俺入れてたった3人ってなに?!こんな無駄に広い銭湯どうやって維持管理してけってんだよ!浴槽洗い場脱衣場の掃除に始まりボイラーにお湯の入れ替え、飲みものアイス備品の仕入れに補充。果ては背中流しの湯男の真似事まで…ッ。唯一番台のローテーションは紅一点のばあちゃんが置物みたいに長時間座っててくれるから女性客も安心して来てくれるけど…ばあちゃんもはや釣銭計算する気ねぇから常連さんみんな小銭キッチリ置いていってくれるシステムでちゃんと収支合ってんのかもわかんないし……」
俺はガ○ガリ君を食べ終えて男湯の長椅子につっぷした。
大学3年を迎えた春。
いきなり人手も足りず傾きかけているこの風呂屋を押し付けられ、日夜経営を立て直さんと毎日きりきり舞いしていた。
「まぁそう悲観すんなって。今までだってどうにかなってきたんだから」
そう言って次郎は”きゅぽん”といい音を鳴らして牛乳瓶を開けた。
「いやむしろ今までお前とばあちゃんだけでどうやって店回してきたのかもはやミステリーだから。なんだったらお前全然仕事してないしね?ばあちゃんニコニコ笑って座ってるだけだからね?目には見えない力で運営されてたとしか思えない……。妖精的な。」
「人聞き悪いな。俺もそれなりに仕事してんのよ?」
「どのへんが?」
「それに桃は生まれた時からずっとこの町に住んで物心つく前から番台座ってんだ。客はみんな顔見知り。信頼関係で成り立ってんだ。結構なことじゃないか」
「スルーか。」
「現にお前がガッコ行ってる日だって問題なく営業してるだろ?気苦労ばっかしてっと本当にハゲるよ?」
そう言ってまた”きゅぽん”と本日通算3本目になる牛乳瓶を開けた。
すかさずスパァンとスリッパで後ろ頭をはたく。
何本飲む気だお前は。仔牛か。
「テー。そのスリッパ本当に綺麗なんだろうなぁ?」
次郎はまた髪を気にして指で梳く。
「知るか」
「まぁどうしてもってんなら俺が湯男してやってもいいよ?うら若き乙女の背中をお流しします。1回5万円。」
「高いわ!どんだけ自信あるんだお前。売れっ子風俗嬢かよ」
「何言ってんだ。お江戸に将軍様がいたころなんざ男も女も入り乱れて芋洗い状態だったんだぞ、風呂屋なんてもんは。湯女にしたって盛りの頃は遊郭の女郎と変わらんサービスを提供してだなぁ」
「え!?そうなの?!」
「おーよ。ここの2階だって無駄に広い座敷がいくつもあるじゃねーか。おかしいと思わなかったか?旅館でもねーのに。一番賑やかだった頃はその広い座敷も襖で仕切っていくつも小部屋並べてなぁ。夜ごと艶っぽい声が響いて……」
「わー!わー!もういいよ!」
思わず想像してしまって顔が熱くなる。
まさかこの家(建物)でそんなことが繰り広げられていたとは……
俺の部屋二階なんだぞ。
それにしても……
「お前、相変わらずまるで自分で見てきたみたいに昔話語るよね。桃さんのことも呼び捨てにするし。」
桃っていうのは俺のばあちゃんの名前。
生まれてから一度も会ったことなかったから、俺もにわかに「ばあちゃん」とは呼びにくくて、ついさん付けして呼んじゃったりしてるけど。
次郎に至ってはまるで小さな子供に対するみたいに名前で呼ぶ。
「年食ったからっていきなりさん付けなんて変だろ。それに桃は若い頃はそら美人の看板娘だったんだからな。ばあちゃん呼ばわりなんて失礼だぞ」
いや、桃さん御年80超えてんだけど。
「それってさー…やっぱり例のあの……」
「ん?」
俺はじっと次郎の顔を見つめた。
そう。
俺が急変した毎日にあたふたと振り回されてしまっているのは、なにも相続云々引っ越し云々だけが原因てわけじゃなかった。
むしろ本当に頭がついていかずに狼狽えているのは……
「あんたがヴァンパイアだって話……だったりする?」
そう言って俺は次郎の顔から視線を外した。
どこを見て言っていいのかわからない。
いやそもそも自分が言ってることが自分で信じられない。なんだったら信じたくない。
そう、この男は……
「ああ、もちろん」
自分をヴァンパイアだと言って憚らない痛い奴だったのだ。
「お前、まだそこで引っかかってたのか」
「引っかかルダロ普通。」
思わず声が裏返る。
だって皆さんそうでしょう。
そんなファンタジー誰が信じるっていうんだよ。
そんなん言われて真に受ける奴なんて中二病女のゴシック女くらいじゃね?
「だって吸血鬼って血を吸うんだろ?お前ゴクゴク牛乳飲んでんじゃん。仔牛ばりに飲んでんじゃん。ガ○ガリ君だってしこたま食ってるし」
「健太郎よ。お前の好物はなんだ」
「え?カレー」
「お前はそのカレーを最大何日連続で食える?」
「いや、カレーの持続力は他の料理を圧倒してるでしょ。1週間はいける。」
「うん。その1週間カレーをお前は月に何度開催できる?」
「え゛……いやそんなにしょっちゅうは」
「だろ?そんな毎日カレーばっか食えないだろ実際?飽きるだろ?時にはハンバーグやオムライスも食いたくなるだろ?ひじきの煮物だって切り干し大根だって食いたくなるだろ?」
「まぁ……」
「それが人情だよ」
「今ヴァンパイアの話してるんだよね?」
だーかーらー!と言って次郎は座っている丸椅子から立ち上がった。
そして俺が瞬きする刹那……
次の瞬間には数メートル離れていたはずの次郎が俺の目の前に移動していた。
俺はアッ!という声上げることさえ出来ず、長椅子の上で仰向けの自分を組み伏せる男の双眸に息を飲んでいた。
「そう。俺の話。」
垂れ下がる次郎の髪が俺の頬に触れるほどの至近距離で、不敵に笑う。
まるで獲物を捕らえたような仕草で、俺の首にそっと手をかける。
鋭い爪に皮膚が切れてしまうんじゃないかと錯覚を起こす冷たい感触。
身動きが取れなくなった。
「人間は俺らのことを色々誤解してんのよ。血液が栄養として不可欠なのは本当。でも別にそれだけ食らって生きてるわけじゃない。不老不死ってのも本当。日本に来たのはたしか天正の頃だ。もう自分がどれだけ生きたのか正確にはわかんねぇ。心臓に杭打ったら死ぬってのも嘘。ぶっちゃけどうやったら死ねるのかわからんくらいよ。教えてもらいたいね。日光に当たると死ぬってのもなぁ……。ほら俺ってば色白じゃん?肌の透明感半端ないじゃん?日焼けすると赤くなって水ぶくれ出来ちゃうんだよねーってレベル。あと、ニンニクは大好物だから餃子の時は抜かないでね。」
そんくらいかなー。と、次郎が喋る度に俺の睫毛に息がかかる。
その温度はびっくりするくらい冷たい。
冗談なのか本当なのかわからないと半ば混乱状態で話を聞いていたけど……
その温度だけはこいつが本当に俺とは違う生き物なんじゃないかと思わせる冷たさだった。
っていうか、近いんだよ!
思えば冒頭、あんなトリッキーでライトなノリのテンションで自己紹介始めたのだって、なんだかんだで精神にキてるからかもしれない。
だって先生。
3組の次郎くんが自分のことヴァンパイアだって言うんです。
「あとはなんだろ。まだわかんないことある?」
そう言って笑いかける次郎のあまりの距離感の無さに、目を見ていられなくなる。
俺は微妙に目を逸らしながら訊いた。
「か、鏡には?鏡には映るの?」
「あー鏡な。うーん説明が難しいんだが。鏡に限らず人間が俺の姿を捉えることが出来るのは、俺がオーラ抑えてるからなのよ。芸能人でも普段はオーラ消してて気づかれなくなるっていうじゃん? 俺はその逆。ヴァンパイアが本気でオーラ放ってお仕事してる時、その存在に気づける人間なんてまずいない。」
「獲物を襲うときだけ気配を消せるってこと?」
「そーそれそれ。魔力使って不可視になれるってこと。それを昔の奴らが『鏡に映らない』て勘違いしたの」
「ふーん。じゃあ……コウモリには変身できる?」
「できるわけねーべ」
「でも空は飛べる?」
「飛べねーよ」
「十字架嫌い?」
「フォルムは好き」
「聖水嫌い?」
「ただの水」
「じゃあ俺は?」
「・・・ん?」
ん?
え?俺今なんて?
「俺のことは嫌い?」
はぁ!?
何言ってんだ俺……!!
ちょ、意味わかんねーなんだこの乙女ちっくな質問!!
口が勝手に!!
「男の割には美味そうだとは思うが、あいにく俺は女専門なんでね」
ニヤっと口元を釣り上げて次郎が笑う。
「ばっ!!馬鹿野郎!俺だってそんな趣味はねぇよ!!……くそっ一体何言ってんだ俺は」
「お前、俺の気に当てられてんだろ。まぁこんだけ近づきゃな。俺のフェロモンに酔っちまったのよ。獲物を惹きつけたり麻痺させるために出ちゃうヤツなんだけど。これだけ自分ではコントロールできないんだよなー。狩りの時に強くなるってのはあるんだが」
「かっ狩る気かよ!!」
「自分の巣穴で狩りなんかするかよ。これはお前が勝手に酔ってるだけ。この距離であと2~3分もすれば自分から「食って」て言い出すぞお前」
ふふふ、と可笑しそうに笑う。
「なっ!!ふざけんな!!離れろ!!」
「あはは。力で俺に勝てるはずがない」
そう言うと次郎は俺の両手を肩から押さえつける。
言葉通りとんでもない力で押さえられて、ピクリとも動けない。
「馬鹿力……!!いいから離せ!!」
「そう怒るなって。言われなくても今はアイスと牛乳で腹チャポチャポ。もう一滴も飲めねーよ」
言ってふわっと押し付けられていた力が解放される。
体を離してスタスタと番台の方に歩いていく背中を確認するや、俺は勢いよく起き上がって次郎に向かって身構えた。
そんな俺に見向きもせずに、次郎は番台に頬杖ついてばあちゃん…もとい。桃さんに優しい声で話しかける。
「もーも。パン屋のトーキチがくれたケーキあんだ。一緒に食おうぜ。」
そう言って、二人は嬉しそうに母屋へ続く扉に向かう。
ぎゃー!!
も……桃さんいるの忘れてた!!
一気に体中の血液が顔に集まるのを感じながら、俺は扉の向こうへ消えていく二人の背中を見送ったのだった……
「ケーキは食うんかい」
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