うちのバイトのヴァンパイアが全然働かない事案。

@kohaku_wt

第1話 本日16時より営業致します。



 ゴワンゴワンゴワン……


 鈍いモーター音が響く脱衣所。

 先ほどからたった一台動いているのは年季の入ったマッサージチェア。

 赤茶けた合皮のカバー

 肘掛けが擦れて中身がむき出している。

 抜けるように白い肌の男が一人、そこにだらりと体を預けていた。


 開店から1時間は経とうという頃だが

 未だ一人の客も来ていない。


「あ゛ー……」


 背もたれに頭を乗せポッカリ開けた口から漏れる声は、腹の底から地響きでもしているよう。

 例えて言うなら凍てつく寒さの日、お母さんがチンチンに沸かしてしまった風呂の湯に体を沈めるじじいの声。

 開店するや一番風呂を浴びた男は、湯だる体を冷やさんと頭の上にはアイスノン代わりのガ○ガリ君を乗せてくつろいでいた。


「極楽……」


 スパァアアアン!!!!!!

 突然乾いた音が脱衣所に響き渡る。

 緑のビニールスリッパの芯が一回で折れる程のクリティカルな一発が、男のデコ上のガ○ガリ君を弾き飛ばした。


「イーッテ……!!」


 頭を押さえながら男がのそりと上体を起こす。


「なにすん……」

「店のアイス勝手に盗んでんじゃねぇ!!」


 スリッパ片手に仁王立ち。

 わなわなと肩を震わす青年に、なんだ健太郎かぁと声をかけた。


「そんなのいつものことじゃん。え、何それスリッパで殴ったの?俺風呂上りなのに……」


 汚れる……とまだ水滴の浮かぶ髪に触れて確かめる。


「むしろ開店早々なんでお前が風呂上りだぁ!!」

「えーやっぱ風呂は一番風呂だろ?つかスリッパ半分に折れてんじゃん、折り畳み状態じゃん。どんだけ本気だよ」

「本気だろうとも!客より先に風呂に入るなアイス盗むなマッサージ機勝手に使うなぁ!!」

「ヤダなぁ健太郎くん、若いのにカッカしちゃいけないよ?天引き。バイト代から天引きしといてよ」

「働いてからモノを言えぇぇぇええ!!!」


 アクビ交じりの返答と健太郎の怒声が男湯を突き抜け、女湯…果ては玄関暖簾をくぐって表の通りまで響き渡った。

 ご近所のじいさんばあさんが思わず立ち止まり


「おー健ちゃんまたやってるねぇ」

「飽きないねぇ」

「次郎さん相手に凄んだって疲れるだけなのになぁ」

「若いねぇ」


 あはは。と顔を見合わせて笑う。


 ここ大泉町御厨通りに面して建つ風呂屋『鬼の湯』は、いかつい名前もそのままに古くは江戸時代から続くって話もある老舗の銭湯。

 界隈のシンボル的な建物は、木造瓦葺きの昔ながらの風情で佇んでいる。

 ひょろりと伸びた煙突からは、今日も頼りない白煙が細々と立ち昇っていた。


 のらりくらり…と床に滑っていったアイスを拾う男に向かって、健太郎はぜぇと肩で息をしている。


「そんなに興奮しちゃって……ハゲるよ?」

「……。いいからちゃんと働けよあんたは」

「え、なに今の間。気にしてる?もう生え際上がってきちゃってる?」

「ハゲてねぇよ!呆れてんだよ!」

「なんだ。つまんねぇ」

「あんた一応バイトなんだからさ!ちゃんと働いてくれよ!なにお客さんより先に一番風呂いただいちゃってるのよ!」

「えー客なんてどこにもいねぇじゃんよ」

「いないからってくつろぐなって言ってんの!」

「えー……」

「お客さん少なくて経営厳しいって言ってんだから。暇なら客引きでもしてきてよ。その無駄に外人臭いイケメン面遊ばせてねーで有効活用してこい。」


 風呂上りとは到底思えない程、冷たく透き通った肌に漆黒の髪。

 ご近所から「次郎」の愛称で呼ばれるこの男は、およそ日本人離れした容姿をしていた。

 黙っていれば誰もが羨むような美形。

 黙っていれば。


「いや健ちゃんよ。仮にな?俺がナンパまがいに客引きしたとするだろ?セールストークするだろ?

 『奥さん、うちで熱いシャワーを浴びていきませんか?』って。

  ……ヤバくない?」

「語彙のセレクトがいかがわしいんだよ!もっと普通に言やいいだろ?そもそも風呂屋でなんでシャワー一択なんだよ!風呂に浸けろ!湯船に!」

「艶のないこと言うねぇ」

「風呂屋の客引きで艶出すんじゃねぇ!どう転んでも怪しいから!!」


 はいはいわかったから声が大きいよ、と言って次郎は拾ったガ○ガリ君の袋を開けた。

 あー割れちゃった……。と中身を覗き込む。


「半分食う?」


 振り向いてふわりと表情が緩む。

 その笑顔に魅せられ思わず一瞬言葉に詰まった。

 自分がどんなに怒鳴っても凄んでも、いつもの調子を決して崩すことのない男。

 たぶん天地がひっくり返ってもこうやってアイスかじってそうだよな。

 憎めないんだよなー……と半ば諦めたように最後はいつも折れてしまう。

 なんだかんだいって俺も”ジロリアン”か……。

 心の中でそう呟いて健太郎は手を伸ばした。


「……食う」




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