6


 彼に呼び出されるのは、きまって、とある酒場だ。

 夜になると危ないことばかりが渦巻く、華やかな汚辱と混沌に満ちた巨大な街の、ひときわ怪しげな裏路地に、その小さな店はある。肩のぶつかるような狭い店内に訪れるお客さんも、姿をぱっと見ただけで怖いような人たちばかりだ。

 その日も、昼前に彼から電話が来て、私は店を訪れた。街も、店も、明るいうちは、くたびれたような静けさが広がっている。もちろん店のやっていない時間だけれど、彼と店主のお兄さんは齢も違わないのに主従のような間柄らしく、私が待ち合わせのために訪れると開けてくれる。

 真夏の白昼だから、外が嘘みたいに眩しかった。シャッターを開けただけで明かりのない店なかは、かえって暗く見える。店に冷房はなく、扇風機がまわっているだけなので、身体が溶けそうな、嫌なぬるい空気だった。私は、お兄さんにすすめられるままにビールを飲んで仄かに涼しさを味わいながら、彼を待った。

 すぐに彼も来た。彼は、店に入って来るなり、何も言わずにお兄さんの手からビール瓶を奪った。そして、直にぐびぐびと飲んで、気持ちよさそうに息を吐く。その横顔が、リュウくんにそっくりであることに、私はうっとりしながら、少し待たされたと笑い交じりに責める。彼は、からから笑って、やかまし、とだけ答えた。それから、なにぐずぐずしとんねん、と、私の腕を掴み立ち上がらせる。カウンターのなかで、しゃんと固まっているお兄さんに、二階使わしてもらうど、と彼は短く声をかけた。

 私は、彼に手を引かれるがままに、二階の和室へあがった。

 部屋に入るなり、なにも言わない彼に、私は髪を掴んで押し倒された。思わず、痛い、と声を上げると、彼は昂ぶるように私の唇を噛んだ。

 彼と出会ったのもこの酒場だし、彼と縁のできたのもこの部屋だし、彼とはじめての時もこんなふうに虐げられた。

 故郷を出て間もなかった頃、自分がどこを歩いているのかもわからないほど道に疎くて、私は怪しい場所とも知らないでこの街に迷い込んだ。困り果ててうろついていると、突然、若い男の人に、一緒にお酒でも飲まないかと声をかけられたのだった。断るのも面倒で、なんの気なしに誘われるがままついていくと、この酒場に連れて来られた。

 彼は、私を誘った男の人に、兄貴と呼ばれていた。怖い人だとは、世間知らずの私にも、さすがに分かった。しかし、そんなことよりも、私は、彼を一目見て言葉を失った。目と髪の黒いのをのぞけば、顔立ちや仕草が、リュウくんが大きくなったかのように似ていたのだ。

 なに人の顔まじまじ見とる、と眉を顰める彼に、リュウくんにそっくりだから、とひとりごちるような気分で呟くと、呆れたように苦笑して、変な女じゃ、と彼はもらした。そのあと、私はお酒を一杯も飲まぬうちに、彼に抱かれた。

 私は彼の名を知らない。あの日、名乗ろうとする彼を、私は黙らせた。せっかくリュウくんにそっくりな男の人に、別の名前を認めたくなかった。

 噛まれた唇に血の滲むのを感じながら、あつい、と私はこぼした。彼は、そうじゃの、と、服を脱ぎながら立ち上がって、窓を開けた。どこかで工事をする音が、遠くから聞こえてくる。外の激しい明るさが微かに差し込むだけの薄暗い室内に、熱気がただよう。

 彼の拳と爪が、私の肌を傷つけていく。身体のあらゆるところが鋭い痛みと血に染まる。リュウくん、と、私は彼に抱きついて叫んだ。肌にまざまざと刻み込まれるような痛みが、リュウくんがいると私に叫ばせるのだった。

 最も深いところをえぐられ、片手で首をしめられ、もう片手に握った小さなナイフで肌の表面を撫でるように切られ、自分でも悲鳴なのか嬌声なのかわからない声がはじけた。息も絶えそうで、霞む眼で必死に彼を見つめながら、切ない痛みに身もだえし、リュウくん、会いたかったよ、会いたかったよ、と胸中と声で何度も繰り返した。黒い炎に焼かれるような痛みが激しくなればなるほどに、リュウくんがいる悦びは高まっていった。

 すべてが終わり、疲れ果ててしまうと、また工事の音が、ぼんやり聞こえてきた。視界も耳も、しだいに醒めていく。痛みのやわらぎつつある身体が、血と汗でどこもぬめっていて気だるい。

 彼が、裸のまま一階へおりていって、すぐに戻ってきた。純白のタオルを持ってきて、私の身体をそっと拭いてくれる。タオルはみるみるうちに血を吸い取って、変色していく。私の肌も、昂ぶりが鎮まるのも手伝って白くもどっていく。

 私は、人形のように脱力してしまって、彼に身体をあずけきって綺麗にしてもらいながら、窓の向こうをぼんやり眺めていた。眩しすぎる白昼の日差しと、明るすぎる青空が広がっていた。私は、やりきれない空しさで、涙も出なかった。心が枯れたように、かなしみなんて欠片もなくて、空虚だった。

 私の足元に跪いて脛のあたりを拭いてくれている彼は、もうリュウくんじゃなくなっていた。

 リュウくんがいない、そう思った瞬間に、私は本能のように、彼に覆いかぶさっていた。

 なにしとんや、と鬱陶しそうにこぼす彼に、私は叫んだ。いいかげん殺してよ。

 そして、せがむように、激しい接吻を浴びせた。


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