そして、また夜は明ける。のんびりとした朝がやってきて、そして。


「あんたあ、また飲み明かしてきたねっ!」

「うわあああ、かあちゃん済まねえってえ!」


 がっちゃーん、と音がしたのは、どうやら飯碗なり湯呑みなりが井戸あたりにぶつかって割れたからだろう。そう推測して、辰馬は顔を僅かに引きつらせながら家を出た。


「おはようございます」

「あ、相川様。おはようございますー」

「お、おはようございますう」


 本当にのんびりとしていたせいで、おそらくお加奈は既に仕事に出たあとのようだ。その代わり、今日も元気よくお角が平吉の胸ぐらを掴んでばしばしといささか大げさにひっぱたいているところに出くわした。


「平吉さん、相変わらずですね」

「い、いやだって、妖はやっつけられたって聞きましたし、つい!」


 あの後、楽三が瓦版で「『血吸妖』は化け同心に成敗された」という話をばらまいてくれた。そのこともあり、人々はほどほどに安心して夜を出歩けるようになったわけだ。もっとも、妖だけが夜の危険ではないのだけれど。


「だったら、夜中にでも帰って来たらいいじゃないか! 何また朝まで飲んで!」

「そうか、妖が出ないなら怖がって店にいる必要ないですもんね」

「相川様までそんなこと、おっしゃるんですかあ!」


 もう一度ばしっと叩いてから、お角は平吉をそこに放り出した。辰馬の言葉に平吉が半泣きで返している間に、自分の家から竹箒を持って来る。


「さて。ゆうべはいくら飲み干したのか、きりきり白状してもらうから覚悟しな!」

「わあ、やめろお角ー!」


 思い切り箒を振り上げた妻の鬼の形相に、平吉は慌てて立ち上がった。足をもつれさせながら、わたわたと逃げていく。


「こらあ、待てえ!」

「ししし、仕事だあああ!」

「道具も持たずに仕事かい!」


 そういえば、大工道具どうしたんだろう。どたばたと遠くなっていく夫婦を見送りながら辰馬はそんなことを考えて、それから彼らと入れ替わりにやってきた職人の男と顔を合わせた。


「おはようございます、大介さん」

「よ、辰馬坊」

「だから、坊はやめてほしいんですが」

「悪い悪い。ずっと言ってるから、つい」


 相手は妖で、おそらくかずらも含めて辰馬よりはずっと年かさなのだろう。だから、自分のことを坊と呼ぶのも分からないではない。

 ただ、当たり前のようにそう呼ぶのをやめてほしい、と思うのは辰馬のわがままではないだろう。

 もっとも、そうやって馴れ馴れしく呼ばれるのは正直、嫌ではないと思いながら辰馬は、自分を呼びに来たのであろうこの同僚についていくことにする。


「行きましょうか。『かさね屋』でしょう?」

「おう。仕事じゃなくて飯だが」

「小料理屋に飯食いに行くのは当たり前じゃないですか」

「そりゃそうだ」


 大介はにい、と目を細めて嬉しそうに笑いながら、辰馬と肩を並べて歩いて行く。

 「かさね屋」では親父さんと看板娘が、二人を今か今かと待っているだろう。もしかしたら若い同心や、瓦版売りもいるかもしれない。

 それが、化け同心となっても変わらない、相川辰馬にとっての日常である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

化け同心捕物帖 じゅぼっこ 山吹弓美 @mayferia

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説