その八

 ここで、楽三が僅かに眉をひそめた。そうして、店に客がいないのをいいことに声を低くする。


「実はその仏さん、大きな穴ぼこの中に転がってたそうなんですよ。自分で墓穴でも掘ったのか、とお話伺った方はそう言ってましてね」

「穴ぼこ?」

「折れた木の横に、かい?」


 目を丸くした辰馬と訝しげな顔をしたかずらに、楽三は「へえ」と小さく頷いた。大介も、露骨に顔をしかめる。

 家の庭に生えている木の横に穴を掘るのは珍しいこともないのではないか、と辰馬は思う。ただそれは死んだ犬猫を葬るためだったり、木に肥やしをやるためだろう。

 人が転がることのできる、墓穴のような大きさの穴がそのままになっていることなど、まずない。第一、その木は血を流すようになったという噂のある木であり、さらにその時は折れてしまっていたのだ。

 そこで大介が、ふと気づいた。発見場所が空き屋敷の庭、ということであれば。


「そういや、誰に聞いたんだい? 誰も住んじゃいねえお屋敷だろ」

「ご近所にお住まいの方で。塀越しに例の木がいつもは見えたそうなんですが、その日は見えなくなってておやあ、と」

「んで、もしかして裏木戸でも開いてたんじゃねえか?」

「そうでございます。それで、失礼ながらーと伺ったら」


 かつての屋敷の主が命を落とした木、それが折れていた。そのすぐ横には大きな穴が空き、血を奪われた仏が落ちていた。

 楽三がそれを聞いた第一発見者は近所に住む者であり、木が折れて外から見えなくなっていたためにこっそり中を伺ってその状況に気がついた。

 かなり、洒落にならない話である。さらにそこから、同じように血を吸われて死んだ仏が今朝までにしめて、六人。


「ごちそうさまでした」


 店内が静まり返った瞬間、辰馬が声を上げた。既に食器の中は綺麗に平らげられており、片付けるにも手間がかからずに済む状態になっている。


「毎度あり。お代は楽三が払うのよね」

「もちろんでございます。約束は違えないのが私の信条でございまして」


 辰馬に店員として礼を言った後のかずらの指摘に、楽三はにこにこ笑いながら今度は大きく頷いた。確かに、こちらは人に聞かれて困る話でもなかろう。

 そして、辰馬はひょいと立ち上がった。こよりで封じられた刀を手に取り、腰に佩く。


「それじゃ、俺はそろそろ」

「長屋にお帰りで?」

「いや、その前にちょっと寄るところができちゃって」


 楽三の質問にサラリと返し、そうして辰馬は暖簾をくぐる。慌ててかずらが「ありがとうございましたー。気をつけるんだよ、辰馬坊」と投げかけた声は、おそらく耳に届いただろう。

 辰馬の背中を視線で追った後、大介がかずらに振り返る。既に酒は抜けて、真面目な顔つきになっていた。


「かずら姐さん、行かせて良かったんですかい?」

「あたしの『使い』に追わせてるわよ。普段から」

「ありゃ」


 おそらくは大介も、そしてかずらも辰馬のこの後の行動は分かっているのだろう。そうして、苦笑を浮かべて筆を片付けた楽三も。


「姐さん、あのお人のことが心配なようでございますね」

「まあねえ。もともと真面目な性格だし、あんな刀持ってるでしょう。うっかり封が解けでもしたら、あの手の子は妖に惹かれるから」

「悪い妖に手を出されるよりは、姐さんが手を出しちゃった方が早いと思うんですがねえ」

「お黙り、野良犬」


 茶化すような言葉をかけた大介を一言で黙らせて、かずらは店の奥に顔を向けた。そこにいるもうひとりに声をかけるために。


「どう思う?」

「蝉、かのう」

「蝉ですか」

「さよう」


 この場合かずらの掛けた問いは辰馬に対してのものではなく、『血吸妖』に対してのものだ。


「普通の蝉なれば、木の幹に管を刺して樹液を吸うじゃろ。それが妖となり、人の血を餌とするならば」

「人の首に管を刺して、血を吸うわけでございますね」


 声だけが聞こえる。その言葉に楽三が頷き、かずらが続いた。


「主の血を吸って妖となった木。その木の樹液……いいえ、血を吸った蝉もまた妖となったってことかしら」

「木のままでは動けぬからのう。蝉の姿となり、人の血を吸って人の姿となったとすればその動きも分かるというもの」


 かずらの言葉に、くかかという小さな笑い声とともに更に言葉が続く。その意味を、彼らは気づかないわけがない。

 妖となった木の樹液を、たまたま蝉が吸った。成虫ではなく、おそらくは地中にいた幼虫だ。

 その蝉が妖となり、たまたま入り込んできた人の血を吸った。

 そうして人の姿を取ることができるようになり、屋敷を出た妖は少しずつ、獲物を狙う場所を移動している。

 その場所は、楽三の情報から推測することができる。多分、辰馬も。


「……今宵、張りましょうか」

「人が近づけば、出て来るであろうよ。新たな仏を転がすわけには行かぬの」


 大介の言葉とそれに返ってきた言葉が、彼らがこれからやるべきことであろう。辰馬が何をやらかすかは、彼らには簡単に予測できたから。


「ところで大介よ。熱燗ができておるぞ、取りに来い」

「結局それかよ!」

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