その七

 辰馬と大介の話を、楽三とかずらは興味津々で聞いていた。楽三はいつも持ち歩いている矢立から筆を取り出し、これも持ち歩いている帳面に内容をすらすらと書き写している。


「血、どころか涙も唾もないくらいからっから、ですかい」

「ああ。番屋まで運ぶの、かなり楽だったぞ」

「兄さんが運ばれたんですか……土左衛門とか、やたら重いと伺いますしね」


 大介の言葉に、彼が呼びに来たのはそれでかと納得する辰馬。楽三は別の意味で頷きながら、筆を動かす。それを、お茶を新しく取り替えてきたかずらが見ながらふと「そういえば楽三」と呼びかけた。

 

「今まで、『血吸妖』にやられた仏さんはいくつ上がってるんだい?」

「あ、はい。少々お待ちくださいませ」


 彼女の問いに、楽三は筆を置くと帳面をめくる。そこに書かれた名をひいふうみ、と指差し確認してから答えが出てきた。


「吾作さんで六人目、でございますね」

「六人かよ」


 さすがに、その数には辰馬も呆れた。

 片手の指に余る人数。それだけ、夜の闇の中で血を吸われ干からびて死んだ者がいる。しかも未だに下手人は分からず、よってまだ増える可能性がある。昨晩襲われた吾作も、そのために増えた六人目だ。

 自身番で出会った村井の顔を思い出して、辰馬はぼそりと呟いた。


「そりゃあ、町同心も血眼になって走り回るか」

「人の辻斬りもたちが悪うございますが、妖もそこら辺は同じですわなあ」

「辻斬りだと、口に出して言えねえお家柄の方とかいたりするもんな」


 被害者の名を改めて確認しながら、楽三も同じように呟く。その隣で大介が小さくため息をついて、徳利を傾けた。そこで空なのに気がついて、ちぇっと口を尖らせる。


「親父さん、酒追加ー」

「程々にしろよ、大介え」


 奥から声が帰ってきたが、注文の追加であることもあり小言はそれだけで済むようだ。代わりにかずらが「真っ昼間から酔っ払ってんじゃないよ、馬鹿犬」とその頭を盆で叩いたのだけれど。

 そのかずらは、頭を抱え込んだ大介には目もくれず楽三に問うた。


「その六人、共通点はあるのかしら」

「仏になった事情は当然同じですがね、他は……」


 かずらの問いに、楽三は帳面の記述をあちこち見返しながら確認する。ただ、あまり彼女のご期待には添えないようだ。


「大川のそばから、ちょっとずつ離れていってますな。しかしまあ、基本的には夜に一人で人気のない道を通った、ということくらいですか」

「つまり、行動範囲が少しずつ移動していて、その範囲内をうっかり通りかかった不幸な人が餌食になった」

「そういうことになりますです」


 楽三の答えを聞いてかずらが出した結論に、一同は神妙に頷いた。ただ、その行動範囲のずれが分かれば次にその妖がどのあたりに出るか、それは推測ができる。

 そして。


「あ、そういえば」


 ぽん、と楽三が手を打った。全員の視線が集まる中、くるりとした目で彼らを見渡して帳面の中のある場所を指し示す。


「最初に吸われた仏が転がってた場所なんですが、確か川端の空き家でしたよ。ほらええと」

「大川のそばの? あ、もしかして道乃屋かい?」

「ああ、そうだ。五年前だか、押し込みにあって全滅したおたなだよな」

「主がもたれて死んでた木が、それ以来血を流すようになったってあれか?」

「そうでございます」


 かずらが問い返したことをきっかけに辰馬も、そして大介もその場所のことを思い出した。そこが最初の被害者の発見場所であることを知らなかっただけで、別の意味で有名な場所だからだ。

 大川が流れるそばにひとつ、長く主のいない店がある。かつては道乃屋という廻船問屋で、それなりに儲かっていたのだがそれが裏目に出た。

 五年前の寒い夜に盗賊の一味が押し込み、一家と使用人たち十三名をことごとく殺害。店と蔵からは数千両にのぼるとも見られる金がそっくりなくなっており、当時町同心たちは血眼になって盗賊一味を探し回ったものだった。

 おそらくは盗賊の中に何らかの妖がいたはずなのだが、五年経った今になっても金の行方も、盗賊たちの顔貌も分からぬままである。

 そうして主を失った店は、外に出ていたりして僅かに残った使用人たちによってほんの半年ほどは頑張った。だが店の資金はほぼ全てが盗賊の懐に入り、借金もかさんでしまったため商売もままならない。その上に縁起の悪さや事件の悲惨さも相まって、すぐに暖簾を下ろすこととなる。


「廻船問屋ってえと、船主とか向こうの港での商売相手とか、いろいろお相手がいるんでございます。ですが、押し込みの一件からお客がほとんどいなくなったとかで」

「まあ、基本的に信用と金が物を言う商売だものねえ。さすがに、よその廻船問屋にに鞍替えされたんでしょうよ」

「かずらの言う通りだな。ひでえな、ちくしょう」


 辰馬が吐き捨てたものの、商売とはそういうものだと分かってはいるのだ。ただ、何の罪もないのに盗賊に皆殺しにされた道乃屋が哀れ、だとは思うのだが。

 そして、住む者を失った店は今もそのまま静かに佇んでいる。場所は悪くないのだが、何しろ押し込まれて全滅した店である。引き継いで店を開こうという豪胆な商人はおらず、また取り壊しもされないままになっていた。

 一度は更地にされそうになったのだが、そのときに件の木が血をだらだらと、まるで涙を流すように垂れ流した。そのために職人たちが逃げ出し、僧侶による祈りも神主による祈祷も効果をなさなかった。妖払い、と称する怪しい行者もやってきたのだが、その行者は店の主と同じように木にもたれ、骸となっていたという話だ。


「その血を流していた木が、折れて倒れておりまして。その株の横で、最初の仏が転がっていたとあたしはそう聞きました」

「ああ、それでですね」


 ここでやっと、話は『血吸妖』の事件に戻る。最初の被害者は、その道乃屋の庭で発見されたとそういうことなのだ。

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