第6章




少年は1人、時間の割には暗い夜道を歩いていた。だがその顔に淋しさは見当たらない。だが、少年の住むアパートに近づくにつれ表情が変わっていった。

玄関を静かに開け、恐る恐る家の中へと入る。

「おかえりなさい」

優しげな声。

「遅かったじゃない。ご飯は?」

母だ。

少年はただいまと応え、お腹はすいていないと伝えた。

「そう。ならもうお風呂に入りなさい。葵はもう寝ちゃったわ」

あぁ。

「…うん」

そうじゃない。

少年は、電気のついた部屋を険しい顔で出ていった。

そんな事じゃないんだ。

古いアパートの小さい部屋に、ささやかながら一人部屋をくれた。もちろん、妹は母親と一緒に寝る。少年はそれを、心なしか羨ましそうに眺めていたりもした。

そんな事知るわけない。

風呂上がり、少年がふと目にしたものは母親が使っているだろう剃刀だった。おもむろに手にし、ポケットに仕舞う。そしてそのまま、あの一人部屋に戻っていった。パタンと後ろ手でドアを閉め、鍵をかける。

普段なら絶対に鍵なんかかけないのに。

ポケットから剃刀を取り出した。

──今日はやけに月明がうるさい。剃刀がそれを跳ね返し、さらに煩わしく思えた。が、少年はどうでもよかった。

上着を脱ぎ、刃を胸にあてる。

…ここなら誰にも見られないと思ったからだ。

──ヒヤリ。

先ずその冷たさが喉を裂いた感覚に陥った。

まだ白く、柔らかい胸の上で剃刀を這わす。

…痛くはない。

できた傷を眺めていた。

…おかしい。

血が、出てこないのだ。

…なんで?

代わりに出てきたものは、血液よりもどろりと固く、闇よりも黒い…水銀のような不気味なものだった。

少年は目を見開き、出てきたものを凝視していたが、それもつかの間。彼にはコレがなんなのかが分かっていた。

───これは…。

「これは僕の………苦しみ」


瞬間、少年の何かが。

感情を留めていた何かがブチンと音を立てて弾け飛んだ。傷口からとめどなく流れ出てくるソレはますます勢を強め、部屋中を黒い闇に染め上げていく。

少年はもう、彼では無かった。

窪んだ瞳は空を睨み、傷口をむしる。『バケモノ』と化した彼はもがき、声にならない『苦しみ』を叫び、窓の外に飛び出していった。

理性などとっくに吹っ飛んだように見えるが、きっと行き着くのはやはり。

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