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「そんなに暇じゃないんですけど」

 という訴えは却下された。森さんは直接所長に電話して承認をとってしまった。まったくどうやって説得したんだか。

 あたしにはくれぐれも幽霊の噂を助長するような行為は慎めと言っていたくせに、まったくいい加減なもんだ。たぶん、森さんがモンスター居住者化するのを事前に防ごうとしたんだろう。

 つまり、あたしは生け贄だ。

 というわけで、あたしは今足場の上にいる。もちろん、1304号室が見える例の行き止まりのところだ。まあ、現場監督なんで足場の上にいることは珍しくもなんともないが、そこでなにもせずじーっと待っているというのははじめてだ。

 外から1304号室を見ているが、なにも怪奇現象は起きない。窓からはなにもない部屋の中身が見えるだけだ。

 三時過ぎから刑事の張り込みみたいなまねをはじめ、すでに四時半。

 もう一時間半もこんなことやってんのかよ、あたしっ!

 褒めたい。自分を褒めたい。もしくは誰か褒めて。

 暇だ。はっきりいって暇だ。あたしに刑事とか探偵とかぜったいに無理だ。こんなことを仕事でやる人間の気が知れない。

 だってずうっとなにもない部屋を眺めてるんだよ? かといって、居住者が住んでいる他の部屋の窓をのぞき込んでると苦情が来そうだし。

 じっさい建物はここで直角に曲がっているため、この位置にいると1304号室だけじゃなく、1305号室も見える。といってもメッシュシート越しだから、そんなにはっきりとは見えないけど。

 普通、足場の端部は人が落ちないようにストッパーといって要は手すりをつける。通常はそれで終わりだけど、ここの設計監理者は「足場が組み終わる前にそこからものを落としたらどうするんですか?」という謎理論のもと、ストッパーだけではなくメッシュシートもその部分に張らせた。おかげであたしと1305号室の間にはメッシュシートがあり、ダイレクトには見えない。まあ、かなりスケスケではありますが、気分的にはちょっと楽。なんせ向こうからもこっちが見えるということだから、すこしでも見づらい方がありがたい。

 携帯電話が鳴った。出ると鬼村さんからだった。

『なにやってんの、おまえ?』

「しょうがないんですよ。べつにサボってるわけじゃありません。森さんが、所長を動かして命令するんですから」

『で? なに、おまえ幽霊が出るか見張ってんの?』

「そうです。出たら撮影兼すぐに連絡です」

 鬼村さんの馬鹿笑いが聞こえた。

『いつから探偵助手の真似事をするようになったんだよ?』

 まだ笑いながら聞いてきた。

 え~っ、最初にそんな真似をさせたのは、鬼村さん、あんたですけどっ!

『まあいいや。森さんはひょっとして玄関ドアを張ってるのか? ……やっぱり。俺が意見してきてやろう』

「ほんとうですか? 頼みますよ」

『わかった。おまえがそんなことしてると、その分俺の仕事が増えるからな。しょうがねえなあ、まったくよ』

 当てにしていいのだろうか? この前にみたいに、幽霊なんかいないと論破して手を引かせて欲しい。うん? いや、森さんは幽霊じゃなくて、トリックがあるって言ってたんだっけ。

「森さんを説得するなら、さっさと、事件を解決してください。誰もが納得する形で。じゃないとあの人いつまでもごねますよ」

 そう、あたしも、古河原さんも森さんも、根室さんも。みんながみんなハッピーで追われる解決して欲しい。

『おまえ、俺のことをシャーロック・ホームズかなんかと勘違いしてないか?』

「じっさい似たようなもんじゃないですか?」

『お、そうなの? まあ、悪くない気がしてきた。そこまで言うならちょっとやってみっかな、このわけのわからん事件の解決とやらを』

「ほんと、お願いしますよ」

 電話は切れた。

 なんかちょっとはやる気出たのかなあ?

 正直、森さんの探偵ぶりには期待していない。この事件の謎を解くとすれば鬼村さんしかないと思ってる。

 それからどれくらいたったろう? まわりが薄暗くなりはじめた。時計を見ると、六時になろうとしている。

 そろそろ終わりだよねえ。本来六時には足場の上から撤退してなきゃいけない決まりだし。

 鬼村さんはまだ森さんを説得してくれていないのか? どちらからも終了の連絡はない。まあ、森さんも簡単には引きそうになかったからね。

 ぽつん。

 顔に水滴を感じた。雨?

 雨はあっという間にどんどん強くなっていく。急激にまわりが暗くなってきた。

「やめやめ」

 こちらから終わっていいか確認の電話を入れようとしたとき、1304号室の中に人が見えた。

「え?」

 髪の長い女の人。こちらに背を向け立っている。

 い、いつの間に……。

 あたしは携帯電話を取り出すと、森さんにかける。一発で出た。

「森さん、大変です。女の人がいます。玄関から誰か入りましたか?」

『入ってない。つまり、出たのねっ!』

 興奮した声が返ってきた。

『そいつはなにしてる? どんな状態?』

 その女性がなにをしているか? ついさっきまではわからなかったけど、今ようやくわかった。なぜなら天井からロープがぶら下がっているのが見えたから。

「首吊りです。首を吊ろうとしてます」

『なにいっ!』

 受話器から男の声が聞こえた。鬼村さんが横で叫んだらしい。一応、森さんを説得すべく、そこにいっしょにはいてくれたようだ。

『止めろっ!』

 止めろ? いったいなにを言ってるんだ、この男はっ!

 相手は幽霊でしょ? 三年前、首吊って自殺した女の幽霊。それを止めろ?

 冗談にもほどがあるわっ!

「鬼村さんっ!」

『ああ、無駄。彼、窓から侵入するので忙しい』

 返事をしたのは、森さん。

 窓から侵入? そういえば、森さんのときもあっという間に廊下の面格子を外し、ガラスをたたき割って侵入したっけ。

 だけど鬼村さんは、今まさに首を吊ろうとしている幽霊を説得するつもりなのか? いったいそれになんの意味があるんだろう?

 幽霊はまさに天井からぶら下がっているロープに自分の首を入れた。

「ママっ!」

 今度は女の子の声が聞こえた。それも叫び声だ。

「ママ、やめてぇええ」

「うるさい」

「ええええん。えええええん」

 なに? いったいなにが始まったの? 頭がおかしくなりそう。

「鬼村さんっ!」

 気づくと叫んでいた。

 あたしの声につられて、首つり女が振り返る。首にロープをかけたまま。

 目が合った。

 蒼白で、絶望の表情を浮かべた顔。笑った。

 彼女はとんだ。

 あたしの目を見ながら、首つるんじゃねええええっ!

「ぎゃあああああああっ!」

 知らないうちに絶叫していた。

 あたしは腰を抜かし、目を背け、足場の上で座り込んでいる。

「由美ぃいいいいいっ!」

 鬼村さんの叫び声でようやく顔を上げる。

「救急車呼べぇええええ!」

 え? 声のほうを見て、あたしは混乱した。

 鬼村さんが叫んでいるのは1304号室ではなかった。隣の1305号室だったのだ。

「早くしろぉぉおおおおお!」

 あたしはわけもわからず、119番に電話した。

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