8
「おう、由美ちゃん。おまえ、森さんになんかした?」
事務所に戻るなり、所長にいきなり言われた。
「森さん?」
ここのマンションの居住者で、しばらく前にバルコニーの植木鉢がらみの、ちょっとした事件が起ったところだ。
「いえ、なにも心当たりありませんけど」
「さっき電話があってきてくれってことだ。由美ちゃん指名でな」
「ええ? クレームですか?」
「それがよくわからない。だが、電話の雰囲気ではそういう感じでもなかったな。とにかく今から行って、話を聞いてきてくれ」
「わかりました」
まあ、あの人には悪意をもたれることもないはず。あたしじゃないけど、鬼村さんがあのときの事件を解決したし、あたしはあのあと、けっきょくひとりで大量の植木鉢を下に運ぶ羽目になったわけだから、感謝されることはあっても、恨まれる筋合いはない。
ということで、あたしはけっこう気軽な気持ちで森さんの部屋に向かった
玄関ドアの前まで来ると、インターホンを鳴らす。
数秒後、玄関ドアが開くと、森さんが言った。けっこう真剣な顔つき。
「まあ、入って」
「失礼します」
なんだろう? 急に不安になってきた。
「座って」
リビングでソファを勧められて座るあたし。
「あたし、なんか気に障ることでもしました?」
「ん? そうじゃないよ。あんた見たんでしょ?」
「なんの話ですか?」
まさか……。
「とぼける気? 幽霊の話に決まってんじゃん。勘違いしないでよ。べつにライターとしてそんな話を聞きたいわけじゃないんだからね。だけど、あんたが怖がってそうだからさ。なにか力になれるかと思ってね」
そういう台詞は自分のことを好きな男にしか通用しません。
つまり、フリーライターとして、ネタが欲しいと?
「録音していいでしょ?」
あたしが返事をする前に、森さんはボイスレコーダーのスイッチを入れた。
「あの、一応上からはこれ以上噂を広めるなって言われてるんですけど」
「ああ、噂が広まって、ただでさえ入居者が三年間決まっていないあの部屋に、誰も住まなくなることを恐れてるんでしょ? もう手遅れだと思うけど」
え、そうなの?
「だってあたしの棟でも噂はもう広まってるし、作業員にも知れ渡ってるんでしょう?」
作業員にはまだ知れ渡ってるというほどではないが、時間の問題かもしれない。
「もっともこのマンションの外には広がらないだろうから、同じことじゃない?」
「でも所長からは……」
っていうか、あなたが記事にして発表すれば、日本中に拡散されるんじゃ?
「勘違いしないでよ。あたしはこのマンションを幽霊屋敷として広めたいわけじゃない。ぜったいなにかトリックがあるはずなの。誰がなんのために、どうやってやったか。それを暴きたいのよ」
「それはあたしも同じですけど」
「じゃあ、協力して」
「でもあのときは事件を解決したのは鬼村さんと古河原さんですよ。あたしはなにもやってません」
推理したのは鬼村さん。犯人を倒したのは古河原さん。あたしがやったのは、あとでバルコニーの植木鉢を植木置き場まで運んだことくらいだ。
「で、今回はそのふたり、当てにできません」
鬼村さんはやる気ないし、古河原さんはびびってる。
「だいじょうぶ。探偵役はあたし自身がやる。あのときは彼に手柄を譲ったけど、本来ああいうことをするのがあたし」
「そうなんですか?」
つまり、この人は自分も探偵役が務まると豪語している。
「つまり、あんたは見たことや知ってることを証言してくれればいい」
要するに、あたしは探偵助手でもなんでもなく、ただの証人らしい。
もういいや。
なんかめんどくさくなって、あたしはぜんぶ話した。見たことはもちろん、きょうの若い鳶の証言や、両隣りの人に聞いたことすべてを。
「なるほどねえ」
森さんはしきりに感心している。
「たしかに幽霊の仕業に見える。だけど必ずなにかトリックがあるはずなんだ」
「それが今の話からなにかわかるんですか?」
「今、話を聞いたばかりだろう?」
ぱちーんと頭をはたかれた。わからないらしい。
まあ、あの鬼村さんだってお手上げなんだしね。だから無理矢理あたしの幻覚ということにしているくらいだ。
「あんた、これから足場に上って、その部屋を外から監視するのよ」
「は?」
あたしはただの証言者じゃないんですか?
「あたしは廊下で玄関を見張ってるから。もし、また出たら必ず玄関から出てくるはず。どうやって合い鍵を作ったかは知らないけど、それしかないでしょ」
つまり、あたしは足場から一歩も動かず、中を見張って、異常があったら電話で連絡する係ということらしい。
っていうか、あんた鬼村さんですかっ?
「じゃあ、今からいくからね、由美」
しかも呼び捨てかよっ!
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