7
「よう、由美ちゃん、お化け見たんだって?」
十時の一服のとき、詰め所で塗装業者の親方、鴻上さんに声をかけられた。
「誰から聞いたんですか?」
所長からも変な噂が流れると、管理会社から苦情が来かねないから、余計なことを言うなと、戒められたばかりだ。
「誰って、噂になってるぜ」
きっと古河原さんだ。それともきのう事情を聞いた両隣のうち、どっちかが近所に広めたんだろうか?
それにしても、あれを見てからまだ三日とたっていない。噂が広まるのが早すぎるんじゃないだろうか?
「お願いですから、これ以上噂を広めないでください」
幽霊を見たなどと噂を広め、管理会社に損害を与えた女として、クビになってはたまらない。
「でもまあ、ぶっちゃけ、見たんだろ?」
「ここだけの話ですよ」
まあ、ぶっちゃけた。正直、この話を誰にもしないのは精神上よくない。鴻上さんなら無責任に噂を広めたりはしないんじゃないかな? ……たぶん。
「おいおい、勘弁してくれよ、姉ちゃん」
後ろからいきなり声をかけられた。今、B棟で足場を組んでる鳶の親方、三鷹さんだ。今は足を洗ったが、かつてはヤクザで背中に派手は刺青を背負ってるっていう噂だ。もっとも元ヤクザにしては人当たりはよく、顔もそれほど厳つくない。むしろイケメンといっても言いすぎではない。鴻上さんと並べてどっちが元ヤクザかと聞けば、十人中十二人は鴻上さんを指さすだろう。これは聞かれもしないのに、積極的にこの人はヤクザだと主張する人が二人はいるという意味だ。
「俺たちはあそこで足場組んでんだからよ。そんな怖いことは言いっこなしだぜ」
「ごめんなさい」
いや、べつにあんたに言ったんじゃないけど。とは言えなかった。
「それほんとですかっ、由美さん?」
またべつのやつが参加してきた。
鳶の若い衆、羽田君。また二十歳になったばかりだ。こっちは現役暴走族だという噂だけど、その真意は定かではない。もっとも見た目には怖いヤンキー臭さはなく、はっきりいうとチャラい。
「う、うん」
ああ、まずい。またしても噂が広がりそうだ。そして発信源はあたし。あとで羽田君から「だって由美さんがそういったんです」とか言われたらどうしよう。
「ええっと、ここだけの話だよ」
「っていうか、あの部屋、ほんとに空き家で誰も住んでないんですかっ?」
「そうだけど……」
「俺も見ましたよ、そこにいるのを」
「え、女の人を?」
……包丁振りかざした。
「女の人っていうか、女の子ですよ。まだ十歳になってないくらいの」
ぎくりとした。ここでは、まだ「ママ」とかいう女の子の声の話まではしていない。話を合わせたわけでもないだろう。
「おいおい、どうせ他の部屋と見間違えたんだろう?」
三鷹さんがたしなめる。どうしてみんな同じことを言うんだろう?
「いや、だってちょうど足場が切れるところでしょう? まちがいようがないですよ」
そうなのだ。足場がぜんぶ組み上がってるなら、まちがうことも普通にありそうだけど、あそこは足場の行き止まり。間違える可能性はきわめて低い。
「いや、それでも勘違いということはあるぞ」
「いや、それはないです。その部屋ですよっ」
羽田君は自信満々の口調で言う。
「どんな感じだったの?」
「いや、こっちをじいっと見てました。かわいい子でしたよ。ただ笑いもせず、無表情でした。俺がそれに気づいたら、ぷいといなくなりました。まあ、人見知りが激しいのかなと思ったんですけどっ」
「それいつの話?」
「足場にメッシュシート張ってたときだから、一週間くらい前ですかね?」
あたしが見たときより、三日くらい前の話だ。
「何時頃?」
「ええっと、たしかもう夕方でしたね。その日は雨雲が来てて、かなり薄暗かった気がします」
「羽田君。あの部屋の事情なんか知ってる?」
「え、なんですかっ、あの部屋の事情って?」
「ううん。なんでもない」
とりあえず、三年前、殺人事件があったことは知らないらしい。ならば余計な先入観でなにかと錯覚したとか、ましてや幻覚を見たなんてことはないだろう。
つまり、やはり誰かがいるんだ。でもまわりの人は誰も気づいていない。しかも鍵はかかってる。謎だ。
「おいおい、厄払いしてくれよ。頼むぜ。巫女さんでも呼んでよ」
まじめな顔でいう三鷹さん。
「由美ちゃん、また解決してみろよ。インチキ占い師のときみたくよ。まあ、あのときはうちが応援で入れたやつが迷惑かけて悪かったけど」
解決したのはあたしじゃなくて、鬼村さんなんですけど。しかも今回、その鬼村さんはノリが悪い。あたしの幻覚だと信じ切ってます。ちなみに暴れる担当だった古河原さんも、相手が幽霊だと手が出せないようです。
「頼むぜ」
一服の時間も終わり、職人さんたちは自分の仕事に戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます