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「なんか妖気漂ってません?」
「気のせいだ」
鬼村さんはそういうが、あたしは1304号室の玄関ドアからなにか得体の知れないものが発散されているような気がしてならない。
「鈍すぎますよ、鬼村さん。どす黒く禍々しい気が、まるで目に見えるようじゃないですか?」
「おまえは霊能力者か?」
「ちがいますよ、シャンゼリーゼじゃあるまいし。ごく一般的な人間の感覚として、なんかやぱいとか感じないんですか?」
「感じねえよ。おまえがそう感じるのは、さっき外から得体の知れないものを見たからだ。暗示だよ暗示。はっきりいえば、びびってんだ、おまえは。まあ、もっともほんとに幽霊らしきものを見たのかどうか怪しいがな」
「怪しくないです。百パーセント見たんです。あれは見間違いでも幻覚でもないです」
「幽霊なんてものは、嘘の証言でないとすれば、ほとんど幻覚だ。無意識に軽い催眠状態になっていたり、なにか暗示にかかっていたりしていると見るんだよ、幻覚を」
「ほとんどでしょ? ほとんど。やっぱり少数ながら本物もあるってことじゃないですか?」
「残りの少数は、悪意による人工のものだ、まあ、軽い悪戯だったり、もっと悪意ある場合もあるが、要はただのフェイクだよ。もっと少数派には偶然に偶然が重なって、なんか霊現象のように思えるってこともある」
「じゃ、じゃあ、今度の場合はなんなんですか?」
「幻覚だな」
他に言いようがないのか、この男はっ!
「だっておまえ、びびってたじゃん。古河原の話が完全に暗示になってる」
まあ、それはたしかにそうだけど……。
っていうか、普通怖いだろ、あんな話をされちゃ。
「それか案外、ほんとに不審者がここを勝手に根城にしてるのかもな」
鬼村さんはそういうと、ドアノブをつかんだ。がちゃがちゃ回そうとするが、ドアは開かない。
「鍵はかかってるな」
「ほーら」
「なんで偉そうなんだ、おまえは?」
「だ、だから、誰かが勝手に中に入ってたとかじゃないってことですよ」
「それが即幽霊というわけじゃないぞ」
「じゃあ、なんですか? 誰かがピッキングかなんかで入り込んで、ひとりで包丁振りかざしてたんですか?」
「そんなやつはいねえよ。だから、おまえの幻覚なんだよ」
「却下です。だって女の子の声だって聞こえたんです」
「幻聴だ」
「それじゃあ、ただの頭の固い親父ですよ、鬼村さん。なんかあたしを納得させられる推理はないんですか? なんかこう論理的なやつ」
「論理的と来たか?」
鬼村さんはなんかあきれ顔だ。なんで? あたしが論理的と言ったら悪いわけ?
「じゃあ、おまえの見たのが幻覚ではないと仮定しよう。幽霊説も却下だ。そんなものはすべての可能性が否定された最後の最後にとる仮説だからだ。ここまではいいな」
「はい」
「となると、誰かがこの部屋の中に入り込んでいたことになる。ただし今現在鍵がかかっている。つまりそいつは鍵を持っていたと考えるのが自然だ。なぜならそいつがピッキングなどの手段で入った場合、出るときも同じ手法でわざわざ閉めるとは思えないからだ」
「ま、まあ、そういうことですかね?」
「今、この部屋は空き家だ。つまり鍵を持っているのは管理会社。つまりおまえは管理会社の人間が暗くなった頃、会社が管理する物件に入りこみ、包丁を振りかざしているところをおまえにたまたま見られたと言いたいわけだな?」
「え? ちょっと待ってくださいよ。あたしはべつにそんな……」
「なぜなら外から中を覗いたのはほんの偶然。というより、普段であれば六時以降は誰も足場の上にはいないはずだから、おまえがあそこにいたのはイレギュラーな事態だ。だから当然、その包丁を振りかざしていた女は、誰かに見られることを想定していたわけじゃない」
「そ、それはそうかもしれないですけど……あ、でもよく考えたら、あたしはシートを直しに来たわけだから、案外、計算されて……」
「ほう、つまり、おまえは、苦情を入れてきた老夫婦が犯人だと?」
……ねえな、それは。
もしそうなら、シートのひもを切ったのも、その老人ということになる。八十を超えたくらいの老人が足場に上ってシートのひもを切る? さすがにない。
それに誰かに見られるかわからない。見つかったら言い訳できない。
となれば、たしかに誰にせよ、あれをあたしに見せるためにやったわけではなさそうだ。
「じゃ、じゃあ、あたしはたまたま殺人現場を目撃したんですよ。ここは空き家だからなかなか見つからないだろうという目算で、誰かをここにおびき寄せて殺したんです」
「ほう? つまり、おまえはこの部屋の中に死体が転がっていると?」
「う、そうなんじゃないかな……」
「すると犯人は、管理会社の社員だ。しかも女。ずいぶんと特定されるな。もし女性社員がひとりしかいなかったら、そいつがほぼ犯人確定だ」
「きっとそうです」
ほんとかよっ!
自分で自分につっこみながら、だんだんわけがわからなくなっていく。
「鬼村君、インミ~ン」
声のするほうを見てみると、古河原さんがベージュのスーツを着た見知らぬ女性を連れて、こちらに向かって歩いてきている。
「幽霊が怖くて、来ないんじゃなかったのか?」
鬼村さんが言うと、ちょっと口をとがらせた。
「ひょっとしたら、インミンは殺人現場を目撃したんじゃないかと思ってさ」
「ほう?」
鬼村さんがにやりと笑う。
どうせ、あたしと同レベルか? とか笑ってんだろ!
「で、この部屋を管理してる会社の人、連れてきた」
「え?」
な、なに? なんでそんなに素早いの? 無駄に行動力ありすぎっ!
「ひょっとして、その管理会社って、このマンション内にあるのか?」
「うん。だから、あたし知ってたんだけど」
ほんとこの人、このマンション内のことはいろいろ知ってるよな。まさに主だ。
「はじめまして。わたし、この部屋を管理している月夜野不動産の根室と申します」
なんかすごく上品そうな女性だ。年齢はたぶん三十代後半。
「あの、すみません。あなたの会社に女性社員は何人もいるんですか?」
ちょっと気になって聞いてみる。
「うちは小さな会社なので、女性社員はわたしひとりです」
根室さんは、にこりとほほえんだ。
「あ、なんかこいつがあなたに言いたいことがあるらしですよ」
鬼村さんが、うすらわらいを浮かべながら言った。
「はい、なんでしょうか?」
彼女は優しげな笑みを浮かべて言う。
あなた、ここで誰かを呼び出して刺し殺しましたね?
言えるか、そんなことっ!
「な、なんでもありません。……いえ、鍵を持ってきたんですよね? 中に異常がないかぜひ調べましょう」
「はい」
根室さんはドアノブに鍵を差し込むと、がちゃりと開けた。
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