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「鬼村さん、出ましたっ!」

 あたしは事務所に戻るなり、叫んだ。

「おい、シートを直しにいった報告がいきなりそれかよ?」

「シートなんてどうでもいいです。っていうか、それは直しました。問題ありません」

 あたしの剣幕に鬼村さんも一瞬たじろいだ。よほど切羽詰まった顔をしていたらしい。

「で、出たって、なにが?」

「幽霊に決まってるじゃないですかっ!」

「おーい。なんの話だあ?」

 事情を知らない円山所長が聞いてきた。

「出るんです、幽霊が。なぜならあの部屋は三年前に殺人事件が起きた部屋だから」

 あたしはこれ以上ないくらい力説した。

「殺人事件って、四谷家のことか?」

「知ってるんですか、所長?」

「ん、まあ、一応知ってるさ。自分のやる現場で過去殺人事件があったら、やっぱり気になるしな」

「じゃあ、幽霊が出ても驚かないですよね?」

「それとこれとは話が違うんじゃないですかね?」

 話に絡んできたのは主任だった。銀縁メガネをくいっと手で押し上げる。

「殺人事件があったから幽霊が出るというのは論理的ではありません。というか、私は幽霊の存在を信じない」

「で、でも、……見たんです」

「だから、具体的になにを見たんだ?」

 鬼村さんにつっこまれる。

「誰もいないはずの1304号室に女がいたんですよ」

「ほんとにその部屋だったのか? べつの部屋と勘違いしたとか」

「それはぜったいにありません」

 あたしはムキになって足場の平面図をテーブルに広げた。所長以下、事務所のフルメンバーがそこに集まり、図面を見る。

「今、足場はここからここまでかけているじゃないですか。さっきシートがめくれていたのはこの辺です。その先の足場の行き止まり、ここは1304号室じゃないですか? 建物自体ここで直角に曲がっていて、そこからは1305号室になるわけだし、まちがいようがないですよ」

「まあ、たしかにそうだな」

 鬼村さんが同意する。主任もそれに関しては納得した。

「じっさい、そこには誰もいなかったんです。それが一瞬のうちに現れ、包丁を振りかざしたと思ったら、次の瞬間にはもういない」

「ありえねえだろ、さすがに」

 鬼村さんは信じていないらしい。

「だから、幽霊なんじゃないですか?」

「怖っ。やっぱり幽霊出るんじゃん!」

 ただひとり信じてくれたのは、古河原さん。

「階を間違えた可能性は?」

 主任、あたしをどこまで間抜けだと……。

「ありません。そもそも4号室で空き家なのは十三階だけじゃないですか。たしかに最初に見たときは、家具もなにもない部屋だったんです」

「じゃあ、見間違いでしょう?」

 身も蓋もないことを言う。

「ちがいます。だって声もしたんですよ」

「声って包丁振りかざした女のか?」

「いえ、子供の声です。女の子が『ママ、出してよ』とか、あたしに向かって『行かないで』とか言ったんですよ」

「嘘くせえ」

「あたしも自分で言っててそう思うけど、事実なんだから仕方ないです」

「それ、玄関に鍵がかかってるの確認したか?」

「え?」

 所長がなにを言いたいのか、すぐには理解できなかった。

「だっておまえ、もし不審者が勝手に入り込んでるなら問題だろ?」

 不審者が勝手に入り込んで、包丁振りかざすんですか? 相手もいないのに。

「まあ、確認してくるか。由美、いっしょに来い」

 鬼村さんに言われ、しぶしぶうなずく。

 ちらっと古河原さんを見ると、ぶんぶん首を振った。いっさい関わり合いになりたくないらしい。

 正直、この人がここまで幽霊を怖がるのは意外だった。

 あたしは諦め、鬼村さんのあとをついていった。

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