第3話 お客様、死んでも化けて出ないでください

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「ねえ、三年ほど前、このマンション内で殺人事件があったこと知ってる?」

 昼休み、事務所でお弁当を食べていると、古河原さんが言った。

「三年前? この工事が始まる前だな。知らんと言いたいが、聞いたことはある」

「え、知ってるんですか、鬼村さん?」

 あたしは初耳だった。古河原さんのことだから、どうぜたちの悪い冗談かと思ったけど……。もっともこのふたりが阿吽の呼吸であたしをからかおうとしているんじゃないかと思わないでもない。

「古河原さんはここに住んでるんだから、当然知ってたでしょうけど、なんで急にそんなことを言い出すんです?」

 そんな衝撃的な事実があるなら、もっと早い段階で言っていたんじゃないだろうか?

「だって今度そこの棟の工事が始まったじゃない」

 今度工事が始まった棟? B棟だ。ついこの前から外部足場をかけ始めた。

「た、祟られるとか?」

「なに、おまえ、幽霊とか信じるタイプ?」

「し、信じるわけないじゃないですか、そんなもん」

 鬼村さんがにやにやする。

「っていうか、幽霊が出てるんですか、そこに?」

「さあ、聞いたことはないな」

 鬼村さんが古河原さんを見る。

「ん、まあ、事件直後はいろいろ無責任な噂が流れたけど、最近はあまり聞かないよ」

「無責任な噂って?」

「夜、共用廊下を歩いていると、殺された双子の女の子が立っていたとか。部屋の中から斧でドアをぶち破るような音がしたとか」

『シャイニング』かよっ!

「そもそもどんな事件だったんですか?」

「母子家庭だったんだけど、母親がノイローゼになって、ある日、双子の女の子を包丁で殺害。そのあと、本人も首を吊って自殺」

「……斧でドアを破るっていうのは関係なさそうですね?」

「いや、それがひとりを刺し殺したあと、もうひとりがバスルームに閉じこもったのよ。もちろん鍵をかけて。それを破るのに斧を使ったみたい」

「包丁はともかく、なんでこんなマンションの一室に、斧なんてものがあったんだ?」

 鬼村さんが聞く。

「さあ、そこまでは知らない。もっともそこまで警察が発表したわけじゃないから、当時、まわりで音を聞いた人の証言によるものだし、じっさいは斧じゃなくてべつのものかもしれないけどね」

「動機はなんですか? ノイローゼって、ほんとにおかしくなってたんですか?」

「そうなんだろうね。だってそうでなきゃ、自分の子供を殺して自殺なんかしないよ」

「それって、じつは他殺だったって可能性はないのか?」

 この質問は鬼村さん。

「それはないみたいよ。だって、当時、子供の叫び声とかが廊下に漏れて、同じ階の人がそのひとの部屋の前に集まったんだって。もちろん、インターホンを鳴らしても返事はないし、鍵はかかってる。それで警察を呼んだらしいんだ。だけど、警察が来るまで誰も玄関から逃げてない。それは複数の人が証言してる。警官が中に踏み込むと、殺されたふたりの子供と、首を吊った母親しかいなかったんだ。さすがに他殺はないよ」

「バルコニーから犯人が逃げた可能性はないのか?」

「だって十三階だよ。それにサッシのクレセント錠も中から下りてたって話あとで聞いたし。さすがに密室殺人っていうのは無理があると思う」

「ふ~ん?」

 なんか鬼村さんが考え込んでいる。どうせ、犯人が密室工作をしたとしたらどうやったかとか、ろくでもないことを考えているに違いない。

「ああ、そういえば事件の数日前、自殺した母親が近所の人に言ってたんだって。うちの娘は悪魔かもしれないって」

「悪魔?」

 それはたしかにノイローゼかもしれない。それもかなり重傷の。

 なぜそんなことを思い込んだかは知らないけど、それが原因で一家が全滅ということなら、悲しいことだ。

「由美、新たに小説のネタができたなっ。また印税が稼げるぞ」

 鬼村さんに肩を叩かれた。

「ホラー小説書いて、印税ア~ップ!」

 古河原さん、サムアップ。

 くそっ、ほんとにこのふたりをモデルにして書いてやるからな。新入女子社員を危険にさらす、パワハラ上司として。

「俺たちを出したらちゃんとモデル料払えよ」

 こっちの考えてることを見透かされてる?

「焼き肉でいいよ、焼き肉で」

 つまり小説に出したらおごれと? 鬼村さんはともかく、古河原さんは食いそうだなあ。

「ところで今、その話を持ち出したのは、俺たちに対する嫌がらせか、古河原?」

 お、めずらしくこのふたりが対立?

「え、つまりこれから工事が始まる棟で殺人事件があって、幽霊も出るかもしれないって脅かして喜んでいると? そんなわけないじゃん。そこまで根性腐ってないって」

 そうかな?

 これに関しては、鬼村さんもあたしとたいして考えがちがわないようだ。

「じゃあ、なんだ? なんで急にまたそんな話を蒸し返す?」

「じつはねえ、新たな証言を聞いたのよ」

「新たな証言?」

「そこの棟の十三階にいる人からなんだけど、問題の部屋から真夜中、『たすけてー、お母さんに殺される』っていう女の子の声が聞こえたんだって」

「マジかよっ!」

 ほんと冗談じゃないんですけど。

「それその部屋じゃなくて、どっか他の部屋からじゃないのか? たとえば隣の部屋とか。で、その殺されるっていうのもちょっと大げさに言ってるだけで」

「それがその階って、小さな女の子がいるところはないのよ。隣だって、片っぽは夫婦ふたりだけだし、もう片っぽは奥さんだけ。旦那は子供連れてべつの女と出て行ったとかでひとりのはずだよ」

 いや、ぜったい嘘だ。この人はこんなことを言って、あたしたち……というか、あたしを怖がらせようとしているだけだ。

 ほんとは内心にやにやしてるくせに、なんか怖そうな顔をして。この役者がっ!

 ぜったい怖がってなんかやるもんか。ぜったい、ぜ、ぜった……。

「でさ、鬼村君。この謎説いてくんない?」

「なんで?」

 鬼村さんが意外そうに言う。あたしも不思議に思った。どうしてこの人がそんなことを頼むんだろう。

「だって怖いじゃん。幽霊じゃないことを証明してよ」

「怖い? おまえが? 幽霊を?」

「なによ、悪いの?」

 鬼村さんが吹き出した。

「おまえにそんな弱点があろうとはな」

「だって相手は幽霊だよ。キックもパンチも効かないんだよ」

 まあ、そりゃそうだ。

「なによ、インミンだって怖いよね?」

「え、まあ、それはそうかも」

 え? ほんとに怖がってる? つまりは作り話じゃないってこと?

 わああ、本気でびびらすなあ!

「ほら、インミンだって怖いって言ってるじゃん。あんたは怖くないよね。どうせ理屈で解明できないことは信じないタイプだし。だから、それをあたしにも納得させてよ」

「鬼村さん、あたしからもお願いします。なんかその棟にいくのが怖くなりました。っていうか、行かなくていいですか?」

「いいわけねえだろ!」

「じゃあ、なんとかしてください」

「わかったよ」

 思わず、古河原さんとハイタッチ。あれ、こんなこと、この現場にきてはじめてじゃ?

「まあ、俺もちょっと興味が出た。どっちかというと、三年前の事件の方だけどな」

 つまり密室殺人事件を解きたいと。

 まあ、なんでもいいです。あたしとしては、その事件はたぶん見たまんまの事件で、犯人が密室から消えたわけじゃないと思うけど、それならそれでどうして母親が自分の子供を殺して自殺したのか、気になる。

「ところで、……そこ何号室ですか?」

「1304号室」

 なんてラッキーナンバー! って、そんな番号は欠番にしろっ!

「ちなみに事件のあった家族の名前はたしか四谷家」

 それもなんとなく怪談風だし。

「事件以来、その部屋はずっと空き部屋のはずよ」

 ますます近づきたくなくなった。

 そんなことを話しているうちに、昼休みは終わった。

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