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あたしたちはそのまま古河原さんの家に入った。といっても、このマンションの一角にある一室だけど。
さすがに事務所だと盗聴されているから込み入ったことは話せない。
中は意外にも小綺麗だった。リビングもよく掃除されている。ぐちゃぐちゃのあたしの部屋とは大違いだ。
古河原さんはあたしたちにソファを勧めると、自分はテープルの上にシャンゼリーゼのパソコンを置き、操作しだした。
「すげえ。これ情報の宝庫」
感心したように言う。
「まずあたしたちの個人情報がこれでもかってくらい漏れてる。たとえば、ほら」
モニター上のフォルダーにあたしたちの名前が書かれている。よりによってあたしの名前のフォルダーをクリックした。
『南野由美、二十三歳。身長一五六センチ、体重○●キログラム、胸囲△センチ、Cカップ……』
「ちょ、ちょーっ」
あたしは慌てふためき、モニターを手で覆った。
「邪魔するなよ。ふん、心配しなくても、おまえの体重や胸の大きさなんかに誰も興味はない」
すっげえ、むかつく!
モニター上のデータ表示はまだまだ続く。
『道南工業大学、建築工学科卒。世界的な建築家に憧れ、芸術的な建物のデザイナーに憧れるが美的センスがないため、現場監督となる。しかしゼネコンに入る学力もなかったため、改修工事の中堅専門業者アリス美装に就職。女なのと建築知識がとぼしいことで職人から舐められつつも愛されている』
「愛されてるってよ。よかったな」
ほっとけ!
『趣味として小説を書く。電子書籍を自主出版。ペンネームは南ミンミン。それがもとでインミンと名付けられ、いじられる』
ちょー。これどこまで書いてあんの?
『現在独身。彼氏なし。過去にいた形跡すらない。それどころか親しい友達もいない』
大きなお世話だっ!
『実家は札幌。両親は健在で、妹と兄の三人兄妹。兄は馬鹿だが、妹は超優秀にして美形。東大医学部在籍で、「あたしの兄や姉はどうしてこんなに馬鹿で不細工なんだろう?」と毎日嘆いている』
「嘘をつけ、嘘を!」
「あ? 嘘なのか? 妹が東大医学部って」
「え、いや、それはほんとうだけど……」
嘘のような話だがほんとうです。
「妹がそんなことを言ってるはずがない。あたしは妹に愛されてますからっ!」
「……まあ、愛されてるのと馬鹿なのはまたべつの問題だがな」
「そうそう、べつに矛盾しないよ」
あたしは妹に愛されてる馬鹿な姉。って、なんでよ!
「だいたい妹が毎日嘆いてるって、インタビューでもしたのかっ!」
「したのかもよ?」
「したんだよ、きっと」
え? マジ?
ふたりはげらげら笑い出した。ようやくからかわれたことに気づく。
「ふたりともずるいですよ。あたしのだけじゃなくて、鬼村さんと古河原さんのやつも開いてください」
「却下だ」
「そうそう、やっぱり美女には秘密がないとね」
それなにげにあたしは美女じゃないって言ってますよね。まあ、じっさいそうだけど。
「それにしてもすっかりだまされたわ。まさかこんなに細かく情報を集めているなんて」
古河原さんは、他のフォルダーをちょこちょこと開きながら感心している。
たしかにこの現場の人間だけでも、今ここにいる三人以外にも、所長、主任はもとより、各業者の職長がもれなく調べられている。職人も全員とは言わないが、かなりの数がリストアップされているようだ。
さらにはピカちゃんの高校のほうも、フォルダーを作られている子だけでも、五十人以上はいる。もちろん、それぞれの交友関係も完璧に把握しているのだろう。
「ふん、こうやって情報を集めるだけ集めて、あとはうまく悩みを解決させるには誰になにを振ればいいかを考えればいい。そういうのは動かせる駒が多ければ多いほど機能するから、信者と呼べるようなやつらを増やしていったんだろうな」
「人を増やせばそれだけ集金だって容易になるしね」
まあ、今のところよく当たる占い師でとどまっていたけど、このまま行けばカルト宗教の教祖になっていたかもしれない。
「ところで、どうするんですか?」
あたしは鬼村さんに聞いた。
この前の事件は、森さんが直接襲われたから、最後は警察を呼んだ。今回は、ちょっと微妙だ。
「どうするって、あいつ盗聴してたんだよ。もちろん警察に言うべきでしょ?」
「でも盗聴器は押さえてないんですよね? さっき見つけたというのはハッタリで。パソコンのデータだけじゃ盗聴の証拠にはならないんじゃ?」
鬼村さんがしまったという顔をした。
「もう、撤去されたかもしれん。あいつの手先が今も現場内にいればだが」
「今からでも探した方がいいんじゃ?」
「そうするか」
鬼村さんはちょっと考え込んだ。
「由美、おまえはここにいろ。まさかと思うが、やつらがパソコンを取り戻しに来ないという保証もない。俺と古河原が盗聴器を探している間、施錠してここには誰も入れるなよ」
「了解です」
頼まれても入れない。だって怖いし。
ふたりが出て行ったあと、あたしは玄関ドアの施錠をし、チェーンをかけた。ついでに各部屋のサッシ戸のクレセント錠が閉まっていることを確認する。
もっともこの棟はまだ足場がかかっていないから、外から侵入することはほとんど不可能だ。まさか特殊部隊のように、屋上からロープで下りてくるなんてことはさすがにないだろう。
あたしはほっと一息つくと、リビングに戻った。
「え?」
なんで? 誰かがそこにいる。そんな馬鹿な?
「このパソコンは返してもらう」
そいつの顔には見覚えがあった。ああ、そうか。応援で入ったことがある若い塗装屋さん。名前はたしか染谷。鬼村さんが怪しいといったやつがやっぱりシャンゼリーゼの手先だったということだ。
「どうやってここに入ったの?」
ついさっき玄関戸は閉めた。それは間違いない。そのあと、なんらかの方法で外から開けた? そんな気配はなかった。たとえ、鍵を持っていたとしてもドアを開けて入れば音がする。
「いたんだよ。おまえら三人がここにきたときすでにね」
そんな馬鹿な……。そんなことは不可能だ。
「信じられないって顔してるね。シャンゼリーゼは読んでいたんだよ。おまえら三人が今夜ここにパソコンを持って来ることを」
嘘だ。パソコンを奪われることを予期していたと? あり得ない。
「そもそも……どうやってこの中へ」
「合い鍵がある。古河原から鍵をすりとり、合い鍵を作ってまたこっそりポケットに戻しておいた」
「なんでそんなことを……」
手下にスリがいればそれも可能かもしれない。だけどなんのためにそんなことを?
「さあね」
染谷はにやりと笑う。
そ、そうか。きっとこの部屋の中にも盗聴器か隠しカメラがある。それを仕込むために鍵をすりとったんだ。目的は事務所では得られないプライベートな情報を得るためだろう。
そういえば、古河原さんはひとりのとき誰かに監視されてるような気がしていたと言っていた。それは本当だったんだ。ひょっとしてこいつ、忍び込むのは今回がはじめてじゃないのか?
あたしたちは今夜、シャンゼリーゼの部屋に行く前、ここで打ち合わせをした。鬼村さんもここなら盗聴されないと思っていたんだろう。それが裏目に出た。
ぜんぶ筒抜けだったんだ。
だから万が一に備えて、あたしたちがシャンゼリーゼの部屋にいる間に、こいつをここに忍ばせた。もしパソコンを奪われるようなことがあれば、きっとここに入ると読んで。
まずい。
携帯電話を手にした瞬間、あたしは腕を蹴られた。電話は天井にぶつかり、そのまま床に落ちた。
「連絡はさせない」
え、これって、ひょっとして……絶体絶命?
染谷はじりじりとあたしのほうに歩み寄ってくる。
「パ、パソコン取り戻したんだし、あたし帰っていいよね? あたしになにかしても面倒なことになるだけよ」
「だめだ。口封じする。おまえのあと、あのふたりもだ」
目が据わってる。やばい。やばすぎる。
染谷はポケットに手を入れると、なにかを取り出した。
大ぶりのジャックナイフ。ぱちんという音とともに刃が飛び出す。
「ひいいいいい!」
染谷がナイフを持った手を上に振りかざす。
「はい、それまでだ」
驚いて声の方を見たのはあたしだけじゃない。染谷も振り返った。
「鬼村さん?」
「なんでここにいる? 玄関ドアは中から施錠した。入れないはずだろうが」
「なんでって、そりゃおまえ……」
鈍い音とともに染谷は前方に一回転し、そのまま床に崩れ落ちた。
「ここはあたしの部屋だ。入れるに決まってるだろうが!」
古河原さんが染谷の後頭部を蹴った脚をくるりと戻す。
あたしは安堵のあまり、床にしゃがみ込んだ。
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