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 きょうはなんだかんだいって忙しい。工程写真撮影にかけずり回ったかと思えば、午後からはべつの棟では検査が入る。検査者は設計事務所の監理者。立ち会いに主任。あたしは書記で、指摘事項を記録にとらなければならなかった。幸か不幸か、朝から現場をばたばた駆け回ったおかげで幸せのブレスレットのことは忘れていた。

「きょうはありがとうございました」

 無事検査が終了し、主任が設計の先生に頭を下げた。あたしもそれに習う。

 監理者が帰ると、主任はあたしに指示を出す。

「それすぐまとめて、業者に渡して」

「はい」

 つまり、指摘事項を直してもらうための作業だ。

 事務所に戻る途中、木村さんとばったり会った。

「おう、検査どうだった?」

「大きな指摘はありませんでした。主任がうまく話してくれたみたいで」

「そうか。そりゃよかった」

 鬼村さんはたしかべつの棟で、職人に指示を出しに行っていたはず。

「あ、そういえば鬼村さん、朝の話の続きですけど……」

「あ? もう終わっただろ、あの話は」

「終わってないですよ。あたしは今日中に十万円払わないと、約束破ったとみなされて、災難倍返しですから」

「だから今日中に解決するって言っただろ」

「そんな当てもないことを信じるほど、お人好しじゃないです」

「だいじょうぶだって」

 なんの根拠が?

 と言いたいが、なんだかんだいって鬼村さんはこの前も変な事件を解決している。あるいは、ひょっとして名探偵なのかもしれないのだ。

「ほんとに当てにしていいんですか?」

「まかせろ。おまえは自分の印税でも計算してりゃいいんだよ」

 計算するほどないんですけど……。

「まあ、泥船に乗ったつもりで……」

 沈むだろ?

 言葉にしてつっこもうとしたとき、いきなり鬼村さんが抱きついてきた。

 え? な、なに、この展開?

 わ、押し倒された。わわわ? ぎゃああああ!

 次の瞬間、がしゃんと大きな音がすぐ側で響いた。

「え?」

 ようやく、上からなにか落ちてきたということがわかった。見ると床で植木鉢が砕けている。

 鬼村さんはすぐに立ち上がり、上を見る。あたしも寝転んだまま、そっちを見た。

 足場の外部に張ってある、落下防止用のメッシュシートがめくれていた。そこから落ちてきたらしい。

 鬼村さんは走り出す。そのまま足場の昇降階段を上った。

 あたしは立ち上がり、怪しいやつが降りてこないか見張る。

 偶然? 誰かがあやまって蹴飛ばしてしまったのか? たまたまメッシュシートが外れていて隙間が空いていた。まあ、その可能性もある。でもなんで植木鉢が足場の上に乗っていたんだろう?

 それとも誰かがあたしか鬼村さんを狙って、落とした?

 まさかね。

 だが完全に否定できない。当然の疑念として、シャンゼリーゼが浮かぶ。

 災難起きるの早いだろ? 今日中に払えば問題ないんじゃなかったのかよ!

 しかしここはA棟。シャンゼリーゼの部屋があるD棟ではない。彼女が自分の部屋のバルコニーからなにかを落としたという単純な事件ではないのだ。

 しばらくここにいたが、とりあえず、怪しい人物が足場から降りてきたり、建物のエントランスから出てくることはなかった。

 そのうち、鬼村さんが降りてくる。

「怪我はないよな」

「ええ、だいじょうぶです」

 そうか、飛びついてきたのは、落ちてきた植木鉢からあたしをかばったんだ。ひょっとしてそうしてなけりゃ、あれがあたしに直撃? ぞぞぞぞっ。

「舐めやがって」

 鬼村さんが誰にともなくつぶやく。

「上、どうだったんですか?」

「ああ、バルコニーの植木鉢が足場の上に乗ってた。これはまあ、職人が邪魔だからどかしたんだろうな」

 それはありがちなこと。バルコニーの中を作業する段階で、中の荷物を片付けてくれないお客さんもいる。その場合、どかしてくれるのを待つのがセオリーだが、そうとばかりも言っていられない。つい、邪魔なものを足場に乗っけて作業を始めたりしてしまう。

「メッシュのひもは切られてはいなかった。ほどいたのか、自然にほどけたのか、見た目では判断できない」

 つまり故意か事故かはわからない。

「事故だと思います?」

「そんなわけねえだろ。馬鹿なやつだ。やりすぎだ。やつは俺をマジで怒らせた」

 やつって、シャンゼリーゼだよね、もちろん?

 鬼村さんは、悪魔的な笑みを浮かべた。怖っ!

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