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けっきょく、きのうのピカちゃんとの対談は、なにか鬼村さん的に得るものはあったのだろうか?
きょうはそれなりに忙しかったが、あまり遅くまで残業はできない。なぜなら、シャンゼリーゼの店に夕方予約を入れていたからだ。
まあ、シャンゼリーゼの店といっても、現場の敷地内にあるわけだけど……。
まだ所長も主任も残っていたけど、あたしは「お先に失礼します」と言って、着替えた。
「ん? デートか?」
所長があたしの格好を見て、言った。
「ち、ちがいますよ」
「なんかいつもと感じが違うからな」
まあ、それは鬼村さんの指示だからだ。
いつもはジーンズにボロシャツやら、カーディガンやら、カジュアルながら普通の格好だが、きょうに限っては、原色の星だの花だの水玉だのといった模様が散りがめられているど派手はシャツに、ショートパンツ。膝まで来る縞々のソックス。赤渕のメガネに野球帽。まったくどういうセンスだ。
っていうか、所長、この格好を見て、なぜデートだと思うんですか!
ちょっとあたしの美的センスが疑われている気がした。
「とにかく失礼します」
あたしは逃げるように事務所を出た。
とりあえず、鬼村さんは事務所に残る。だけどあたしとシャンゼリーゼの会話は筒抜けになる。なぜならあたしの体には小型の隠しマイクがつけられ、ワイヤレスで鬼村さんが聞いている手はずになっているからだ。
ついでに言えば、あたしの髪で隠れた耳にはイヤホンがセットされ、鬼村さんの指示がダイレクトに聞けるようになっている。
あたしはD棟に行くと、エントランスのインターホンでシャンゼリーゼの部屋番号を押した。
「予約した東野です」
インターホンのマイクに話しかける。
『どうぞ』
女の人の声とともに、エントランスの扉が開いた。
中に入りながら、頭の中で復習する。きょうのあたしの設定は、学校をサボり気味の美大生。彼氏に浮気されて、別れるかどうか悩んでる。ついでに卒業後の進路も絶望的。なぜならプロの画家やイラストレーターになる実力もなければ、デザイナーのセンスもない。美術教師も向いてない。
どういう設定じゃ!
なぜあたしが浮気されて悩む女にならなくてはならない? しかも壊滅的に絵の才能がないあたしが美大生? 絵かけりゃ、小説家じゃなくてマンガ家目指してるっつうの。あるいはデザインのセンスがあれば、今ごろこんな会社じゃなくて設計事務所に行っるはずだ。もっともほんとうに美大に行っていれば、この設定と同じように、就職に困って悩んでいたかもしれないけど。
しかも鬼村さんの余計な設定では、あたしの彼氏はDV男で、趣味は競馬とパチンコ。ヘビースモーカーでアル中、毎晩一升瓶を片手に飲みまくる。どうやらあたしはダメ男に弱い女らしい。あたしが見てないと、あの人はだめなの。ってやつか?
あの男はいったいどういう眼であたしを見てるんだか。けっ!
エレベーターで上の階まで行くと、あたしは共用廊下からシャンゼリーゼの玄関ドアを探した。この棟はまだ工事が始まっていないので、勝手がわからない。
ここか。
たどり着いたところは、他の部屋とまったくかわらないたたずまいで、占いの看板も出ていない。表札にはシャンゼリーゼとも出ていない。神谷だけだ。知らない人が来ても、ここが占いを商売でやってるところだと、ぜったいに気づかない。
玄関前でふたたびインターホンを鳴らすと、「開いてるわ」と中から声が聞こえた。
遠慮せずに入る。なんせきょうのあたしは客だ。
三和土で靴を脱ぐと、用意されていたスリッパを履き、廊下を奥に進む。
え?
リビングの中は異空間だった。黒いカーテンで窓を隠し、本来白いクロス張りの壁は、やはり黒い布で覆われていた。床も黒い絨毯。その真ん中には机が置いてある。もっとも普通の事務机ではなく、木製のアンティーク調のやつ。けっこう高級そうだ。机の上には水晶玉。さらにはタロットやら、よくわからないけど古びた本が置かれている。さらにこの部屋は電灯が付いていなく、明かりは蝋燭。机の上にある燭台と、壁掛けの燭台につけられた蝋燭の灯りが、ゆらゆらと室内を照らしていた。鼻腔をくすぐるのはお香? なんだろう。よく知らないけど、麝香とかかな? かすかな音量で、ゆるやかでやさしい音色の音楽が流れている。
「ようこそ、『神の眼』へ。私がシャンゼリーゼ神谷です」
水晶を見つめていた若い女性が立ち上がった。
恐ろしいまでの美女だった。クールとはちょっとちがって端正かつ神秘的な顔立ち。長い黒髪は腰まで届き、長身で痩せている。純白のワンピースを着ているが、かなり薄そうな生地で、ここは暗いからいいけど、屋外で逆光になれば、体の線が透けて見えそうだ。ネックレスとブレスレットはおそらく純金で、それに宝石がちりばめられている。客に売りつけた安物とはわけが違いそうだ。
なんか圧倒された。全身から高貴なオーラがにじみ出ているというかなんというか。まあ、これが占い師というより、ペテン師の手口なのかもしれないけど、だとすると策略にすでにはまっているかもしれない。
ただどう見ても純正日本人。すくなくとも欧米の血が混ざってるようには見えない。シャンゼリーゼってなんなんだよ?
「どうぞ、おかけください」
シャンゼリーゼは机の前にある椅子を指さした。シャンゼリーゼと机に目を奪われていて、そこに存在していることにすら気づかなかったが、たしかにそこには小さな黒い椅子があった。
言われるがままに、そこに座る。
シャンゼリーゼはあたしの全身を舐めるように見た。鬼村さんが言うには、おそらくシャンゼリーゼは並外れて鋭い観察眼を持っている。相手の素性なり、性格なりをずばずば当てられる原因のひとつは、間違いなくそれだろうということだ。
わかりやすく言えば、ホームズが依頼者の服装や持ち物からあれこれ推理し、依頼者しか知らない情報をずばり当ててしまう。
もっともそういう意味では、シャンゼリーゼはシャーロック・ホームズ並みの観察眼と推理力を持っているということになるわけだけど。
あとは事前の情報収集だけど、今回、あたしがここに来ることは鬼村さんと古河原さんしか知らないし、偽名も使っている。探りようがないはずだ。
シャンゼリーゼは凝視をやめ、いったん目を閉じる。
「あなたのオーラを拝見させていただきました」
オーラと来たか。
さてどれくらいあたしの姿から事情を察することができただろうか?
「まず、ご相談したいことを伺いましょう」
あれ? ずばり隠していることを暴いて、心酔させようという作戦はなし? というか、なにもわからないんだろうな。もっともきょうのあたしはいつもなら絶対にしない格好をしているから、服装だけではなにも判断できないはず。
「えっとぉ。あたし美大の四年生なんですけど、どこにも就職できそうにないんです。だってプロの絵描きになんてなれないし、教師なんて死ぬほど向いてないんです。っていうか、それ以前に美的センスが皆無なんです」
そんなやつは美大に入学できないとつっこまれそうだが、じっさいあたしには無理だろう。
「なるほど。たしかにあなたには美的センスはありませんね」
全肯定かよ! すこしはフォローしようと思わないわけ? きっとこの服装で判断してるな。あたしは普段こんなとんちきなシャツはきな~い!
「もしあなたにそんなものがあれば、今ごろ改修工事の現場監督などやらずに、素敵な住宅の設計でもやっていたはずですから」
「え?」
あたしは愕然とした。素性がばれてる? なんで?
『すっとぼけろ』
イヤホンから鬼村さんの指示が飛ぶ。
「言ってることがよくわかんないですぅ。だって、あたし美大生、二十二歳」
「いいえ、あなたはこのマンションの改修工事の現場監督さん。美大とは、というか芸術関係にはまったく縁がない人です」
そこまで言うかっ!
あたしは美的センスゼロの芸術に縁のない人間じゃないぞ。……たぶん。
よく考えてみれば、この人はこのマンションの住人。まだこの棟の工事を始めていないとはいえ、あたしの顔を知っている可能性はある。変装はしたつもりだけど、不十分だったのか?
いや、待て。それだけじゃ納得いかない。
だって今この人は、美的センスがあれば住宅の設計でもやっていた、と言い切った。それはつまりあたしが大学時代は設計志望で、夢かなわず現場監督をしているということを知っていなければならない。そんなことは家族か学生時代の友人くらいしか知らないはずだ。
まさか……本物の超能力者?
「ち、ちがいます。きっとあなたの思ってる人に似ているだけです。あたしは現場監督なんて大それたもんじゃないですから」
そんなはずはない。超能力なんてあるわけない。口から出任せ言ったのがたまたま当たっただけだ。
「あたしはドメスティックバイオレンスも受けているんです。彼氏がそういう人で、しかもアル中なんです」
「DV彼氏?」
「そ、そうなんです。どうしたらいいですか?」
ぷっと吹き出した。
おお? 暴力の被害者だと言ったら笑われたぞ? なんか新鮮。じゃない。ここは怒るところか?
「し、失礼じゃないですか?」
「だってあなた彼氏いないじゃないですか?」
「な、なにを根拠に!」
「見ればわかります」
大きなお世話だ、この野郎!
そこまでわかりやすいの? 見ただけで、「あ、こいつ彼氏いねえ」って断言できるほど。そんなはずはねえっ!
「べつにあなたに女としての魅力がないと言ってるわけじゃありませんよ」
シャンゼリーゼがほほえんだ。私が見るからわかるんだと言いたいんだろう。
「まあ、魅力があるとも言いませんが」
こいつ、ただの性格の悪い女じゃないのかっ!
『おい、挑発に乗るなよ。じっさいねえだろ? 女の魅力なんて。普通に考えれば、おまえに彼氏なんかいねえ』
鬼村、おまえまでなにほざくっ!
「あなたは相談者のふりをして、私を探りに来た。そうでしょう?」
ほんとに超能力者か、こいつは?
「そ、そんなことはありませんよ。だいたい、そんなことをして、あたしになんの得が?」
「そうねえ、あなたにはなんの得もないかもしれませんねえ。だって、あなたはただの手先ですから」
『まじかよ。背後に俺がいることもお見通しか?』
言われてみれば、すげえ。なんでもお見通しだな、こいつ。
「予言します。あなたとあなたを背後で操る不届き者は、近いうちに災難に遭います。それは重大なもので場合によっては死につながるかもしれません」
「それって、脅迫ですか?」
「ちがいます。私がなにかするわけではありません。なにかよからぬことに巻き込まれると予言しているのです」
鬼村さんのせいで、なんかとんでもないことになったんですけど。
「それって、なんとかなりませんか?」
「なります」
「え? なんの?」
「これを買っていただければ。幸せのブレスレット」
例によって安っぽい金メッキのブレスレットを取り出した。
「大負けに負けて、十万円」
「買います!」
『買うのかよ! 馬鹿かおまえは?』
いいの。あたしは死にたくない。
「おふたついかがですか? あなたを背後で操る腹黒い男のために」
「いいえ、ひとつでだいじょうぶです。腹黒い男はどうなってもかまいません」
『おまえなあ』
じゃあ、いるのかよ? 買ってもお金払ってくれないでしょうが。
「わかりました。きっと災難が降りかかるにしろ、それはそっちの男に降りかかることでしょう」
「ははあ」
『おまえ、ミイラ取りがミイラになるって言葉知ってる?』
知らん。知っていても知らん。
だってこいつ本物だよ? こいつに呪われたくない。
「お支払いは現金で? それともカードで?」
クレジットカードは作っていなかった。
「現金で。明日持ってきます。それでいいですか?」
「いいでしょう。ただし、返品不可。約束を破ると災難は倍返しですよ」
おまえは半沢直樹かっ!
そういいたかったけど、だまってブレスレットを受け取った。
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