8

 顔を見られ、観念したのか、坂下さんは抵抗をやめた。

 その瞬間、鬼村さんはポケットから出したロープで、瞬く間に坂下さんを縛り上げる。

「なんで坂下君が?」

 部屋の主、森さんは茫然自失状態。

 そりゃそうだろう。さっぱりわけわからないわね。もちろん、あたしもだ。

 ちらっと古河原さんを見た。

 この人はずいぶん楽しそうに暴れていたが、意味がわかっているのだろうか?

 あたしの視線に気づいたのか、にへっと笑うと鬼村さんを指さした。

「謎解きよろしく!」

 断言しよう。この人もぜったいなにもわかってない。

「どういうことなんですか、鬼村さん!」

 もう本人に聞くのが一番早い。

 ちょっとしゃくだけど。もう、まったくなんにもわからないのがけっこう恥ずかしいけど。

「由美、おまえ不思議じゃなかったか? 森さんの大量の植木がいったん戻したにもかかわらず、元に戻っていたことが」

「え、だってそれは森さんが嘘ついてあたしたちに植木を運ばせようとしたか、あるいは酔っ払って適当なことを言ってただけじゃ」

「この小娘ぇえ。そんなこと思ってたの!」

 あ、いけない。本人がいるんだった。

「俺も最初はそう思った」

「あんたもかっ!」

「だけどじっさい会ってみると、嘘をついてるようにも見えなかった。そもそも嘘をつく理由がない。どうしても植木をどかしたくなかったら、そんな嘘みたいな作り話をしなくたって、どかせませんと開き直ってしまえばいい。森さんはそんな主張ができないような内気な人にはとうてい見えない」

「やかましいわっ!」

 鬼村さん、本人……目の前ですよ?

「じゃあ、酔っ払って、どかした気になってただけってのは?」

「そうだとすれば、なぜこいつはそれに口裏を合わせる?」

 こいつというのは、もちろんふん縛った坂下さんのことだ。

「え、だから、森さんにべた惚れしてたから、否定しないんじゃ……」

「口裏合わせて嘘をついてたんならともかく、酔っ払いの戯言を、とっさの機転で全面肯定するか?」

「まあ、たしかに不自然な気はしますが、じゃあ、ほんとうに植木は下ろしたとでも言うんですか?」

「もちろん、下ろしていない。下ろすことは可能だが、次の日の朝まで誰にも気づかれずにふたたび戻すことが不可能だ」

「下ろしたわよ。ほんとだって」

 森さんが噛みついてきた。

「だって実際に下ろしたところ見たわけじゃないでしょ? 片付けたって言われたから、バルコニーを見たら、なにもなかった。だから下ろしたんだって思っただけですよね?」

「ま、まあ、そうだけど……」

 鬼村さんがなにを言いたいのか、わからないらしい。あたしもだ。そしてぜったい古河原さんも。

「森さん、あの日、あなたは居酒屋に飲みに行っていた。この男に誘われて」

 この男。坂下さんを指さす。

「ええ、そうよ。それがどうしたっていうの?」

「けっこう飲みましたよね?」

「ま、まあね。だからそれがどうしたのよ?」

「あなたは彼に担がれ、自室まで来た。鍵を渡して、ドアを開けてもらったでしょう?」

「そうだったかもしれないわね」

「だが、じっさい、入ったのはあなたの部屋じゃない。彼の部屋だ」

「は?」

「だって同じマンションの、階は飛んでるとはいえ真下の部屋。早い話が部屋の間取りはいっしょだ。エレベーターから玄関までの道のりも。酔っ払っていたら気づかない」

「いやいや、家具の位置とか、カーテンの柄とかいろいろちがうでしょうが」

 あたしは思わず口を挟んだ。

「いっしょだとしたら?」

「え? いくらなんでもそんな偶然あるわけないじゃないですか?」

「偶然じゃないとしたら? なにせこいつは森さんの部屋に何度も入っている。どんな家具をどういう風に置いてあるか完全に把握している。同じものを同じように置くことは可能だ」

「まさか? いったいなんのために!」

 やっぱりこいつ、ストーカーなの? 好きな女とまったく同じような部屋で生活したいとか? キモっ!

 あたしは思わず後ずさった。

 よく見たら、古河原さんも同じことをしていた。

「おまえらの考えてることはたぶん見当外れだ。ほんとうは森さんが留守のとき、部屋に忍び込めれば一番簡単なんだが、森さんは合い鍵を渡してくれない。仕事柄そういうことにはしっかりしてたらしいからね。だから、こいつはこういうチャンスを狙っていたんだ。酔っ払わせて、部屋に連れてきたふりをして、自分の部屋に連れ込む。その際、玄関ドアを開けるときは、鍵を借り、開けるときはとうぜん自分の鍵だ。そして自分の部屋だと錯覚させて寝かしつけ、その間に、自分はその鍵で森さんの部屋に侵入する」

「キモっ!」

 古河原さんと思わずハモった。

「そういう計画だった。ところが酔っ払った森さんはバルコニーにあふれている植木をぜんぶ下に持って行けと命令する。それはこいつにとっても計算外だった」

 鬼村さんが笑う。

「バルコニーの植木までは用意していなかったからな。バルコニーに出られると自分の部屋でないことがばれて面倒だ。だから、わかったやっておくから、とかいって、森さんを寝かしつける」

 んん? なんかなんとなく真相が見えてきたようなこないような……。

「そしてこいつはまんまとすり替えた鍵で森さんの部屋に侵入。あるものを探す」

「あるものって?」

「そいつは俺も知らない。だが、探しまくった。バルコニーの植木も含めて。これが植木の位置がずれ、下の階の高中さんが夜中に物音を聞いた理由だ」

 森さんの目つきが変わってきた。ちょっと馬鹿にしていた目から、真剣なまなざしに。

 そしてそのまま坂下さんを睨み付ける。

「だがけっきょくその捜し物は見つからなかったんだろうな。その日はあきらめ、自分の部屋に戻る。そのまま寝ている森さんを六階の部屋に運び込むつもりだった。だか、彼女はそこでいったん目を覚ました。さらにはバルコニーが片付いたか、確認したのさ」

 おおっ。だが、とうぜんそこにはなにもない。だから、坂下さんは言われたとおり、下に持って行ったと言うしかない。

「安心した森さんはふたたび眠る。今度こそ、こいつは森さんを自分の部屋に連れて行った。さいわい、このときは目を覚まさなかったらしい」

「でもそこまでして、いったいなにを探してたって言うんですか?」

「森さんはルポライターで、巨悪を追ってるって言ってただろ?」

「え、でもそれって見栄張ってただけじゃ?」

「小娘ぇえ。あんたそんなこと思ってたの?」

 あ、いけない。本人いた。

「じつは俺もだ」

「あんたもかっ!」

 そりゃそう思うよね、普通。え? っていうことは、まさか?

「ほんとに巨悪を追ってたんですか?」

「巨悪かどうか知らんが、とにかくやばいネタをつかんだんだろう」

「じゃあ、この人はその証拠を奪い返そうとしたってこと? これが巨悪?」

「まあ、その部下か、雇われた私立探偵かなんかだろうな」

「そうなのっ!」

 森さんが叫んだ。坂下さんは答えない。

「どうなのよ?」

 床に這いつくばっている坂下さんの頭を踏みつける。

 ど、どういうプレイですか、それは?

 らちがあかないと判断したのか、森さんは代わりに鬼村さんに問い詰める。

「間違いないの?」

「でなきゃ、今ここにはいないでしょう?」

「っていうか、そもそもなんで今、この人はここにいるんですか?」

 あたしはつい口を挟んでしまった。

「追い詰められたんだよ。俺たちが嗅ぎまわり出したからな。といっても、植木の移動に関して調べただけなんだが、こいつにしてみればそこから真相を暴かれることを恐れた。まあ、俺たちが周囲に聞き込みを続けていけば、真相がばれるのも時間の問題だろうからな。だから、きょう強行してバルコニーから夜中に忍び込んだわけだ」

「忍び込んでどうする気だったんですか?」

「そりゃ、口封じだろ?」

「ええええ?」

 つまり証拠隠滅できないのなら、森さんを殺してしまおうと?

 その言葉に、森さんは明らかにびびっていた。

「だけど、どうして今夜来ると?」

「まあ、今夜来るかどうか確信はなかった。ただ、焦ってるなら一日でも早く来たいと思うだろ? まあ、ほんとうに来るかどうか、半分は勘だったがな」

 勘ですか? まあ、ぴったりだったわけだけど。

 っていうか、もし今夜来なかったら、明日も同じことをする気だった? もう、かんべんしてください。

「まあ、高中さんに電話でお願いしておいたんだ。もし今夜、夜中に足場を誰かが上る音がしたら、すぐ俺に電話してくれってな」

 そうか、高中さんはすぐこの下の部屋。誰かが下から足場を上ってくれば気づく。それで電話番号を聞いていたのか。

「なんだ、よかったね、インミン。鬼村君がアキちゃんの電話番号を聞いたのは、そのためだったんだ。ナンパしてたわけじゃないってよ」

 なんか古河原さんがにやにやしている。

「え、そんなのべつにどうでもいいですけど」

「またまたあ」

 ぺーんと頭をはたかれた。なんなんだ、いったい?

「でもどうして足場から来ると?」

「こいつは玄関キーの合い鍵を作る暇がなかった。さすがに夜中にやってる合い鍵屋はないからな。訪ねていってもよかったんだろうが、それより寝静まってるときを狙って、静かに仕事を済ませたかったんだろう。だったら、バルコニーから侵入して、ガラス切りを使えば音もしない」

 なるほど。坂下さんならバルコニーから足場に上がって、足場の昇降階段を使えば、二階分の移動ですむ。静かに歩けばそんなに音もしないだろう。

「そもそも廊下から来たほうが、俺たちとすれば阻止しやすかったろうが」

 まあ、それもそうですね。

「っていうか、あんたそんなにやばいネタを追ってたの?」

 古河原さんが森さんに聞いた。

「それは秘密。でも結果的にはラッキーだったかもね。だって、こいつの素性が割れれば、あたしの追っていた事件が、思ってたとおりだってことが証明されたわけだもんね」

 そういって、森さんはにんまり笑う。

 なんかすごいプロ根性。ニートだと疑ってすみませんでした!

「じゃあ、こいつが探してた証拠の品っていうのは?」

「それも秘密。だけどすっごい代物よ。みんなが驚いてぶっ飛ぶようなね」

 そこまで言われると、逆に案外しょぼいネタなんじゃと疑いたくなるけど……。

「で、こいつどうするの?」

 古河原さんの質問に、鬼村さんはとうぜんとばかりに答えた。

「もちろん警察を呼ぶ」

 ああ、拷問して、森さんの追っていた事件の黒幕を吐かせるわけじゃないわけね。

 あたしはちょっと、ほっとした。

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