6

「アキちゃ~ん」

 古河原さんはインターホンも押さず、玄関前で騒いだ。

「もう、相変わらずね。ちょっと静かにしてよ。近所迷惑」

 すぐに玄関ドアが開き、ちょっとだけ怒った顔で若い女性が出てきた。古河原さんの友人、通称アキちゃんらしい。ボーイッシュでなかなかしゃきしゃきした感じの人だ。

「すみません。ちょっとお聞きしたいことがありまして」

 鬼村さんが申し訳なさそうに言う。

「あ、あら。工事の人ね。ごめんなさい。今言ったのは、あなたたちにたいしてじゃなくて……」

 ええ、この脳天気な事務員に言ったんですね。だいじょうぶですよ、わかってますから。

「あ、高中亜希子といいます。こいつとは同級生です」

 こいつ呼ばわりして古河原さんを指さした。

「なに、同級生って言い方、水くさすぎ。マブダチね、マブダチ!」

 一昔前のヤンキーマンガか!

「すみません、こういうやつで」

 高中さんがすまなそうに頭を下げる。

 すみません、どちらかというと、それはこっちの台詞です。あなたはお客様ですから。

「アキちゃんの両親は別の棟に住んでるんだけど、プチ独立って感じで、ここでひとり暮らししてるんだ」

 古河原さんが偉そうに言う。

「ま、まあ、入ってください」

「あ、いや、ここでもかまいませんよ」

 一応、鬼村さんは遠慮していたが、いつの間にか、古河原さんは靴を脱いで乗り込んでいた。

「ほら、ぐずぐずしない!」

 あなたの家じゃないんですけど。

「失礼します」

 ここまで来たらしょうがない。あたしと鬼村さんも上がり込んだ。とりあえず高中さんは笑っている。

 リビングに入ると、古河原さんはすでにソファに座っていた。

「おふたりもどうぞ」

「す、すみません」

 思わず恐縮しつつ、あたしたちも座った。向かい側に高中さんが座り、ほほ笑む。

「それでなにが聞きたいんですか?」

「あ、それなんだけどさ。きのうの夜、上の部屋、ばたばたしてなかった?」

 古河原さんが聞いた。もちろん、ばたばたというのは、植木を運んで何往復もしたかどうかということだ。

「うん、してたよ。すっごいうるさかった。よっぽど怒鳴り込んでやろうかと思った」

「え?」

 あたしは思わず口に出す。

 ばたばたしてたの? ほんとに?

「それ、何時頃の話ですか?」

「え~っ、何時だろ? っていうか、夜中の間、ずっと誰かが歩き回ってる感じ。あとその間何度か、玄関から出入りしてる気配もあったけど」

 そんな馬鹿な? 森さんが言っていたことは嘘でも寝言でもなかったのか?

「一応念のために聞くけど、年がら年中、上の人夜中うるさいわけじゃないよね、アキちゃん?」

「うん、それはない。普段は静か」

 う~ん。いったいどういうこと?

「ひょっとして、バルコニーでもなんか動かすような音してました?」

「うん。そんな感じ。いったい、上の人、あんな夜中になにしてたの?」

「そ、それは……」

「まあ、本人曰く、バルコニーの植木を下ろしてた」

 言いよどんだあたしに代わり、古河原さんが答えた。

「ああ、なるほどね。だけどそういうことは夜中にやらないでほしいわ」

 高中さんはみょうに納得している。つまり、そんなような音だってことだ。

 あたしは思わず鬼村さんを見る。

 なんか難しい顔していたが、ちょっと考え込んだあと、高中さんに質問した。

「一応念のために聞きますが、明け方かそれに近い時間、誰かが足場の上を歩いてる気配はありませんでしたよね」

「たぶんないと思う。まわりが静かだと、足場を歩けば響きますよね」

 そう、その通りなのだ。

「もっともずっと起きてたわけじゃないから、寝てたら気づかなかったかもね」

「なんだ、頼りないなぁ」

 古河原さんが失礼なことを言っている。まあ、友達だというから、いいのかも。

「でもなんでそんなこと聞くんです? 植木を下に運ぶなら、とうぜん足場なんか使わないで、廊下からエレベーターを使いますよね。台車かなんかに乗せて」

 まあ、それが世間一般の常識というものです。

「アキちゃん、それがさあ、上の人いわく、夜中に植木下ろしたんだけど、次の日の朝早く、誰かが足場からそれをもとに戻しに来たんだって」

「そんなわけないって」

 高中さんは古河原さんが冗談を言ったと思ったらしく、ぱーんと彼女の頭をいきおいよく叩いた。

 容赦ないつっこみだな!

「だけど現に今、下ろしたはずの植木が戻ってるんだから、アキちゃん」

「ええ? 嘘、ありえないっ!」

「でしょ、でしょ? でもあったんだって」

 いつの間にかふたりは爆笑している。

 どん、どん、どん。

 上からなにかが続けて落ちるような音が響く。

「え、きょうも騒がしいの?」

 古河原さんが憎々しげに言う。

「でもきのうとちょっとちがうかも。あれはわざと床を踏みならした音だと思うんだ」

「あ、あのう」

 あたしは遠慮がちに言った。

「あれは壁ドンならぬ、床ドンでは?」

「壁ドン?」

 古河原さんが立ち上がると、高中さんの方に歩いて行き、真っ正面から顔を見つめ、片手を壁につけた。

 とたんにぷうっと吹き出すふたり。

「そ、そっちじゃない!」

 どん、どん、どん。

 ふたたび床ドンが。

「だからうるさいって意味で、叩くやつです」

 そう、壁ドンといえば、かつてはやかましい隣人に「うるせい、だまれ」の意味で壁を叩いたことだった。いつから世界は少女マンガに支配されるようになったんだろう?

「ほう、昨夜、あんなに騒音をまき散らしていたくせに、生意気な」

「ほんとだよね、アキちゃん」

 まあ、たしかにそうなんだろうけど……。

 玄関のインターホンがピンポン、ピンポンと鳴った。

「はあい」と高中さんが出る。

「ちょっとあんたたちうるさいわよ!」

 なんと森さんが苦情のため、わざわざやってきたらしい。

「きょうは原稿書くので忙しいんだから、気を散らさせないでちょうだい!」

 血相変えてまくし立てる。

「なによ、あんただってきのうは夜中にドタバタ落とさせて、眠れなかったんだからね」

 高中さんも負けてはいない。

「は? 知らないわよ、そんなこと。とにかく、あたしはきょう、巨悪を叩く記事を書くのに忙しいから邪魔しないで!」

「巨悪ぅ? あんた正義の味方?」

 いえ、中二病だと思います。

「まあまあまあ」

 あたしは見るに見かねて、間に入った。

「なんでここにいるのよ、小娘」

「どいて、こいつ殴れない」

 もう、勘弁してぇ!

 とりあえず、言いたいことを言ったせいか、森さんは自分の部屋に退散した。

「すみません、お邪魔しました」

 あたしたちも事務所に戻ることにした。

「アキちゃん、また遊ぼうね」

 古河原さんだけが脳天気だ。まだいたそうだったけど、鬼村さんが引っ張り出した。

 エレベーターの中で鬼村さんが古河原さんに言った。

「今の人のケータイ番号知ってんだろ? 教えてくれ」

「え、ナンパ? アキちゃんをナンパすんの?」

「いいから」

「しょうがないなあ」

 やけにうれしそうに教える古河原さん。それをメモる鬼村さん。

 なんだかなあ。と思ったら今度はあたしに話しかけてきた。

「由美、おまえ仕事上がったら、今夜俺につきあえ」

 ええ?

「えええええ? 鬼村君、そうだったの? っていうか、アキちゃんに気があるんじゃないの?」

 古河原さんがあたしより驚いた声を出す。

「いや、あんたもいっしょに来てくれ」

「3P? 大胆!」

「ちが~う!」

 鬼村さんが咳き込んだ。

「そうじゃない。なんかいやな予感がする。ちょっと張り込みたい」

「張り込み? 刑事みたいじゃん」

 うれしそうな古河原さん。

 それに比べて、あたしの正直な気持ちというと。

 ええっ、めんどくさっ!

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