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現場事務所は敷地内に、プレハブの小屋を建てている。二棟あって、ひとつは倉庫と打ち合わせ室。ひとつは一階が作業員詰め所で、二階が事務所という作りだ。事務所には机、棚といったものから、パソコン、電話、コピー機など必用なものが一式そろっている。もちろんネットだって使用可能だ。
あたしは事務所に戻るなり、今撮ったデジカメの画像をプリントアウトした。次に、パソコンからバルコニー調査をしたときの、森さんのバルコニーの写真を探す。
「え?」
そんな馬鹿な?
両者が明らかにちがっている。植木鉢によってはかなり遠くに移動しているものがあるし、さっき床に付いていた植木鉢が置いてあったあとに、最初は置いてあったようだ。
つまりほんとうに誰かが植木鉢を動かしている?
「植木鉢が動いてる。ど、どういうことですか、鬼村さん?」
「うむ?」
鬼村さんも首をひねった。
「なになに、どういうこと?」
首を突っ込んできたのは、所長でも主任でもなく、古河原さんだった。
あたしは今の出来事を説明する、
「はっはあ。そんなことあるわけないじゃん」
古河原さんは断言する。
あたしも諸手を挙げて賛成したいところだけど、だとするとこの写真はなんだ?
「でたらめな話をほんとうっぽくするために、ちょっとだけ動かしたに決まってるでしょ」
古河原さんはいいきった。
たしかに、バルコニー内で、多少植木鉢を動かすくらいならたいした手間でもない。だけどきょうあたしたちが来ることを見込んで、そんな小細工をあらかじめしておくだろうか?
「なんだなんだ?」
騒ぎが大きくなったせいか、ついに所長と主任も話に加わってきた。ふたたび一から説明するあたし。
「いや、ありえませんね」
冷静な態度で言い切ったのは主任だ。
「だってそうじゃないですか。それが本当なら、誰かが夜中か明け方、植木鉢を持って足場を一階から六階まで何度も往復したことになります。足場入り口のドアには鍵がかかってるんですよ」
そうだ。たしかにそうだ。
部屋の中を通れないなら、エレベーターで玄関まで行ってもしょうがない。だからといって、足場には一階から入れるけど、防犯上、仮設入り口のドアにはダイヤル式のチェーンロックがかかっている。
「仮にその番号を知っていて、開けられたとしても、みんなが寝ている間に何度も足場を往復すれば、絶対に誰か気づきます。今ごろ大騒ぎになってますよ」
たしかに。
足場の上を歩くと、それだけで多少なりとも音がする。昼間ならともかく、みんなが寝静まってるときに歩けば、それなりに響いてしまう。きっと何人も音に気づくだろう。そうなれば、泥棒が入ったと大騒ぎになるに決まってる。
「でしょ、でしょ? やっぱり、その女の嘘に決まってるって」
古河原さんが断言する。
「あたしもそう思います。だけどなんのためにそんなことしたんでしょうか?」
「そんなの決まってるじゃない、インミン」
そのあだ名はまだ生きてるんですか! 酔っ払いの一夜限りのネタじゃなくて。
「なによう、その不服そうな顔。あ、そうか、ペンネームのミンミンじゃなきゃ、いやだってこと?」
「ちがいます! そんなことより、なんのためにそんなことしたって言うんですか?」
「一度片付けた植木鉢を、誰かが勝手に戻したってことにすれば、動かす必要がなくなるからよ。あんだけの荷物を下に運ぶなんて、誰だってやりたくないに決まってるし」
なるほど。たしかにそういう主張をしてたな、森さん。
「まあ、せこいやつだな。今までごねて荷物を片付けたなかった居住者はいたけど、こんな言い訳をするやつははじめてだぞ」
そう言って、所長はわははと笑った。笑い事じゃないと思いますけど。
「じゃ、じゃあ、あたしたちであの植木鉢をぜんぶ下まで運ぶんですか? 所長」
「しょうがねえだろ。それともおまえ、あの植木鉢が運ばれていないことを証明してみせるか?」
あたしは名探偵かっ!
「ちょっと待ってください。一応、彼氏の坂下さんとやらにも話を聞いてみたいんですが」 鬼村さんが言う。
お、いいぞ、頑張れ鬼村さん。まあ、あれを運ぶことになるとしたら、あたしと鬼村さんでやる羽目になるのは目に見えてるしね。
「まあ、べつにいいけど、どうせ口裏合わせると思うぞ。それを覆そうとして、くれぐれも言い争いなんかするなよ。怒らせてもめんどくせえだけだからな」
「わかってます」
所長と主任は自分の席に戻った。この話はとりあえず終わりということだ。
ただ、あたしとしては納得いかないので、こっそり鬼村さんに話しかける。
「頼りにしてますよ、鬼村さん。森さんの嘘を暴いてください」
「なあ、由美。もし、森さんが言ったことがほんとうだったらどうする?」
「は?」
そんなわけないじゃないですか? みんなの話聞いてたんですか?
「なんか嘘ついてるようには見えなかったろ?」
たしかに森さんからは、嘘をついている後ろめたさはみじんも感じられなかった。
「いるんですよ、世の中には平気で嘘をつける人が」
たぶん、嘘をついてるときは自分でその嘘をほんとだと信じ込んでるんだろう。便利な精神構造だ。
だけど鬼村さんはなにか納得のいかない顔をしている。
「まあいいや。あとでその坂下さんとやらがいる302号室に行ってみよう」
「ああ、でもきっと無駄よ」
話に割り込んできたのは、古河原さん。
「あたしの聞いた話によると、そのふたりはつい最近つきあいだしたばっかり。それもその坂下さんの方から言い寄ったのよ。っていうか、そのためにわざわざ引っ越してきたみたい」
「ストーカー?」
「いや、引っ越してきたのは、つきあいだしてからみたいよ」
そりゃそうだよな。つきあうために引っ越してきたなら怖すぎる。
ちなみにA棟は基本的には分譲だけど、買った人が賃貸にしている場合がある。その部屋の持ち主に借りているんだろう。
「最近じゃ、坂下さんはしょっちゅう森さんの部屋に行ってるみたいよ」
「いっそのこと同棲すればいいのに」
半ばやけくぞ、ちょっと嫉妬混じりにいった。
「いや、森さんって案外私生活と仕事を分けるタイプで、仕事も家でするから、誰かに合い鍵を渡したりはしないタイプらしいよ」
それ本人も言ってたけど、ほんとのことなんですか?
「なんにしろ坂下さんはべた惚れらしいから、森さんの言ったことを否定なんかするわけないよ」
「ずいぶん詳しいですね」
「ま、ここのマンションの居住者のことならあたしに聞いてよ」
古河原さんが偉そうに胸を張る。
「まったくどっからそんな情報を得てくるんですか?」
「あれ、インミン知らなかったっけ。あたしの家もこのマンション群のひとつだし、ここには小学校から高校までの同級生がけっこういるんだから」
初耳ですよ、そんなことっ!
そうか。そういえば、この人は太陽建設工業の契約社員。地元民をとったのか。
「もっとも家族は親の転勤でいないから、今ひとり暮らしなんだけどね」
ひょっとして広い家にひとりで住んでる? 安アパート暮らしのあたしからすれば、うらやましい限りで。
「ちなみにA棟にも友達いるから」
「で、知ってるのか、その坂下さんを?」
鬼村さんが聞く。
「知ってるってほどじゃないけど……。まあ、体は大きくて力はありそうね。フリーターで仕事はいろいろ変わってるはずよ」
フリーターなのに、マンションにひとり暮らしか。いいなあ。
「なんにしろ、ほんとのことをいう可能性は低そうですね」
もっとも森さんほど、平気で嘘をつけるタイプの人間でなければ、態度や表情に出るだろう。きっと。
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