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「すみませ~ん。太陽建設工業ですけど」

 鬼村さんはあたしを連れて、森さんちの玄関まで行くと、いっさいの躊躇をせずにインターホンを押した。

 森さんはすぐに出てくる。もちろん不機嫌そうな顔のままで。

「なによ。あたしは偉い人を連れてこいって言ったのよ」

 あたしに向かって怒鳴る。

 この人の認識では、鬼村さんもあたし同様下っ端らしい。

「すみませんねえ。今、所長も主任も留守なもんで」

 鬼村さんはへらへらしながら、平然と嘘をついた。

「そんなんでいいわけ? かならずどっちかいるようにしなさいよ」

「だいじょうぶです。私はこっちのど新人とちがって、それなりの経験がありますから。若く見えますが、童顔なだけです。普通の現場なら責任者やってます。ここは大きいから一応名目上、上司が付いているだけですから」

「そ、そうなの?」

 いきおいに押されて小声になった。

「一応、こいつに話は聞きました。なんでも昨夜、バルコニーの植木をぜんぶ下に下ろしたとか?」

「そうなのよ。でも、今朝見たら戻ってるのよ」

「では確認ですが、下の植木置き場には、ご自分で運ばれたんですか?」

 さっきは彼氏とふたりで運んだと言い切った。

「え、ええっと、まあ、じっさい運んだのは彼氏だけど」

「つまりご自分では運んでいない?」

「まあ、そうね」

 なぜかふんぞり返って答える。

「じゃあ、その彼氏がほんとは下ろしてないのに下ろしたって言ったんじゃないですか?」

 その可能性は充分にある。どんな男か知らないけど、この女に対抗できる男はそうざらにいないと思う。つまり、夜中呼び出されて、命令されたけど、やってられないからごまかしたんじゃないだろうか?

「それはないわよ。だって、終わったっていうからあたしちゃんと確認したもの。リビングから外を見たらバルコニーにはなんにもなかったわ。それは間違いない。そもそも彼氏は、あたしのいいつけに背けるような男じゃないんだから」

 なんかちょっとその男に同情する。

「なるほど。ところで、どういういきさつでその方が夜に植木を運んだんでしょう?」

 どうせ、自分でかたすのがいやだから呼び出したんでしょう?

「まあ、きのうそいつと飲んでたのよ」

 やっぱり酔っ払ってたんじゃないか。どうせ、終わったあと確認したとかいうのも、

酔いすぎてて見間違えたに違いない。

「外で?」

「そう。すぐそこの居酒屋でね。まあ、彼から誘ってきたから安いところでも我慢したの。といってもたいして酔っちゃいなかったから勘違いしないでよね」

 それはツンデレが好きな男にいう台詞です。

 まあ、酔ってないから見間違いなどしないと言いたいのだろう。

「で、おふたりでこの部屋に来た?」

「うん。そしたら思い出したのよ。ああ、植木を片してくれって言われてたなって。ちょうど都合のいいやつがいるじゃん?」

 彼氏のはずが、いつの間にか都合のいいやつに格下げされていた。

「だから頼んだの。そこの植木をぜんぶ、外にある植木置き場に運んでねって」

 命令したのまちがいでしょ?

「彼氏は快く引き受けたと?」

「もちろん」

 そんなわけない。あれだけの植木を夜中にひとりで運ぶなんて、苦行もいいところだ。それもかなり酔っていただろうに。

 それとも酔っ払っていたから、いきおいでやっちまったんだろうか?

「あなたもすこしは手伝ったんでしょうか?」

「なわけないじゃん」

 だと思った。

「すごく疲れてたから眠ったわ」

 すごく酔っ払ってたからの間違いじゃ?

「で、起きたらバルコニーが片付いていたと?」

「ま、まあ、そんな感じね」

 さすがにちょっとばつが悪そうに言う。

「それ、どれくらい時間がかかりました?」

「え、そうねえ」

 森さんはすこし考え込んだ。

「ま、いいじゃないの、そんなこと?」

 要は帰った時間も、いったん寝て起きた時間も覚えてないんだろう。

「だってちゃんと確認したのよ、バルコニーを。なあんにもなかったのは間違いないんだから。時間なんてどうでもいいでしょ?」

「とりあえずはいいです。で、そのあとはどうしました? 起きてたんですか?」

「まさか。彼氏にバイバイして、そのまま寝たわよ」

 で、ついさっきまで寝てたと。

 ちょっとフリーダムすぎんでしょ。いったいどうやって生活してんのか知らないけど。どうせ、いい年して親の臑を……。

「ちょっとそこの小娘。今、思ったでしょ? いい暮らししてんなあ、このニートがって」

 あ、やばっ。顔に出たかな?

「とんでもありません。そんなこと思ってもいないですよ」

「いい? あたしは在宅仕事なの。フリーのルポライターなんだからね! 今だってちょっとやばい仕事を追ってるのよ。相手は巨悪なんだからね。ただきょうは取材の必要がないだけ。家で原稿書く日なわけ」

 そうなんだ。っていうか、ほんとかな? フリーのライターとか、カメラマンなんて言ったもの勝ちだしね。それで食えてるかどうかはともかく、プロって言っちゃえばプロなわけだし。

 だいたいなんだよ。やばい仕事とか、巨悪とかって。中二病?

 ニートの言い訳にしか聞こえないんですけど。

「ちょっと小娘、あんたまだ疑ってるでしょ。どうせ、酔っ払いの戯言だと思って」

 すみません。もっとひどいこと思ってました。

「そんなことはありませんけど、ただですね、もしそうなら、床に植木を動かしたあとがついてるんじゃないかな~っ、とか思ったりして」

「む?」

 森さんは一瞬、ほおを膨らませたかと思うと、どたどたとバルコニーに向かっていった。

「おい、口の利き方に気をつけろ。ああいうタイプは怒らせてもこじれるだけだぞ」

「で、でも、常識で考えてもあり得ないじゃないですか? さっきはよく確認しませんでしたけど、どうせ動かしたあとなんてぜんぜんないに決まってるんですから」

「声がでけえ」

 小声で怒られた。

 反論しようとしたとき、どたどたと森さんが戻ってきた。

「はっはあ。ちゃああんと、動かしたあとがあるわよ」

 これ以上できないくらい胸を張る。

 え、それってたった今動かしたんじゃ?

「来て見てみなさいよ。入っていいからさ」

「ええっと、お邪魔します」

 そこまでいうなら見てやろう。そんな気持ちで上がり込む。鬼村さんも無言で続いた。

「バルコニーに出るんなら、靴持ってきてよ」

「は、はい」

 言われるがままに、靴を片手にリビングまで案内されると、そのまま三人でバルコニーに出た。

「ほら、見てみなさいよ。動かしたあとがあるでしょ?」

 森さんは鬼の首でも取ったかのように言う。

 たしかにバルコニーの床シートには、植木鉢を置いていない箇所に置いたあとが付いている。それも何カ所にも。さらには土がこぼれ落ちたりもしていた。つまり動かしたってことだ。

 そんな馬鹿な!

 たしかにこれはたった今、森さんが動かしたということはない。あたしたちを玄関に待たせて、戻ってくるまでの時間はほんの一分くらい。ここまで動かそうと思えば時間がぜんぜん足りない。

「それにほら、足場の上にも土が落ちてるじゃないの。足場を通ってこれを運んだ証拠よ」

 勝ち誇るように足場を指さす、森さん。

「ほ、ほんとだ」

 たしかに足場の上に若干土が落ちている。

 いや、待て。土はたった今、バルコニーからばらまいたとして、植木鉢の位置は、最初っからこうだったのかもしれないぞ。バルコニーの荷物調査をしたとき、足場の上からバルコニーの写真を撮っているから、あとで比べてみればいい。

「これ、写真撮ってもいいですか?」

「好きにすれば」

「失礼します」

 あたしは証拠写真を撮った。どうせ、片付けのお願いをする前と同じに決まってる。正直、どんな配置だったのかまでは覚えてないけど。

 鬼村さんはなんか納得がいかないって顔をしている。

「ちなみに、彼氏さんはしょっちゅうここに来るんですか?」

 お、彼氏に直接はなしを聞こうってのか? それがけっきょく早いかも。

「来るっていうか、ここに住んでるよ。三階だけど」

「え、同棲ってやつですか?」

 思わず口走った

「話をよく聞きなさいよ。このマンションの別の部屋に住んでるの。ちなみに302号室の坂下っていうやつ」

 ここは六階、602号室。三階分離れた真下の部屋ってことか。

「じゃあ、彼氏の部屋に入り浸ってる?」

「だれが入り浸ってるの! あたしはそいつの部屋に行ったことはないわ。そいつがあたしの部屋にしょっちゅう来るだけ」

「じゃあ、合い鍵を渡してるんですね?」

「渡してないわよ! なに言ってんの?」

 一喝されてしまった。

「あたしは仕事とプライベートを分けるたちだから。ここには重要な仕事の資料とかあるから、彼氏や友人といえど、あたしのいないときに好き勝手にはさせないわ」

 巨悪を追い詰めるための資料ですか? えっと、そういう中二病設定ですね。

「そいつに話を聞きたきゃ、勝手に聞きにいって。でも今はたぶん仕事に行っていていないと思うけど」

「わかりました。そうさせていただきます」

 これ以上、あたしにはしゃべらせないぞ、という感じで鬼村さんが答えた。

「ただ、あたしはもう動かさないわよ、これ。だって一回動かしたんだもん。誰が戻したか知らないけど、あんたたちで犯人探して、そいつにやらせるのね。さもなきゃ、自分たちでやるか」

 玄関ドアが閉められた。

 あ~あ、犯人なんか出てくるわけないから、けっきょくあたしたちが下ろさなきゃならないってことか。

「おまえ、客に対してなにげに失礼だよな」

「え? そ、そんなことありませんよ」

 たぶん。

「まあいい。事務所、戻るぞ、由美」

 あたしたちは森さんの部屋をあとにした。

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