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 あたしは朝から頭が痛かった。ついでに吐き気がする。早い話が二日酔いだった。

 なぜか鬼村さんや古河原さんは、あたしより飲んでいたはずなのにけろっとしている。もちろん所長や主任もだ。この業界の人はなんかおかしい。

 朝礼が終わると、さっそく鬼村さんが絡んできた。

「うらー、由美、元気ねえぞ」

 なんであんたはそんなに元気なんですか?

「あ、あの、まさかとは思いますが、あたしきのう暴れてないですよね?」

 なぜそんなことを聞いたかといえば、途中から記憶がないからだ。

 鬼村さんはそれを聞いてにんまりと笑う。ほんとにうれしそうに。

「いやあ。きのうはすごかったぞ。だっておまえ俺に酒つぐんだもん。作家先生様の酒が飲めないのか? あたしは印税あるんだぞってな」

 ぜったい嘘だ。

「まあ、しょうがねえよな。俺、印税ないし」

「聞いたあたしが馬鹿でした」

「なんだよ、信じないのかよ。庶民は相手にしないのかよ」

 はいはい。

「しょうがねえなあ、先生様は。罰として、A棟のジャングル見てこい」

 ここには敷地内に大小いくつものマンションが並んでいる。それぞれが時間差で工事を始めていくから、すべて終わるには数年かかる。A棟はその中のひとつで、一戸の部屋数が少ないタイプ。だいたいひとり暮らしか、若いカップルが多い。

 ちなみにジャングルとはなにかというと、まあ、ジャングルだ。バルコニーが。

 早い話がせまいバルコニーの中、所狭しと植木鉢が並んでいる。植木鉢といっても、かなり大きいものも含まれるし、小さいのも数がそろえば壮観だ。

 で、とうぜんながら工事の邪魔になる。壁や天井の塗装、床シートの張り替え、シーリングの打ち替え、とにかくなんにもできない。

 もちろん、工事着工前の住民説明会では、バルコニーの荷物は片付けてくださいとはお願いしてる。まあ、あたしはまだそのときはいなかったから、所長から聞いた話だけど。

 しまうスペースがない人のために、外部に植木鉢置き場まで作った。これは屋外の共用スペースに足場材で棚を作って、大小の植木鉢を置けるようにしたものだ。

 さらには足場が立ち、いざ補修工事に入る一週間前には、片付けのお願いのチラシを各戸に配っている。さらにはつい先日、バルコニーをひとつひとつ足場から見て回って、片付いていない部屋には再度チラシを配った。「邪魔だからどかせぇえっ!」ではなく、「工事の際、汚したり、傷つけたりするかもしれませんので、片付けてくださいねっ」ってやつを。

 それでも片付けない人は片付けない。

 ちなみに鬼村さんが言った見てこいというのは、片付いてるかどうか確認しろという意味だ。

 片付いてるわけないなとは思いつつ、足場の昇降階段を上っていく。

 問題の部屋の前まで来ると、案の定、植木は一個も片付いていなかった。

 むしろ増えてないか?

 しかも木のまわりをハトが飛び交ってよけいに野生化している。まあ、ハトの時点でジャングルっぽくはないのだが。

 携帯電話でその状況を鬼村さんに説明すると、彼はこうおっしゃった。

『直に訪ねて、お願いしろ』

 うへえ。やっぱりそれか?

 気が進まなかった。そこの人とは一度だけあったことがあるが、気の強いお姉さんなのだ。あたしの言うことなんか聞くわけがない。

 もっともあの人はあたしだけじゃなく、誰が行ってもいうことを聞かないだろう。たぶん。

『返事は?』

「はい。行きます。行きますよ」

 あたしは足場から建物の共用廊下に乗り移った。行きたくはないが、命令とあれば仕方がない。

 ちなみにそのお客さんの名前は森さんという。

 森さんの玄関の前まで行くと、インターホンを鳴らした。

 出てこない。

 念のため、しばらく待ってからもう一度押す。

 やっぱり出てこない。

 ま、いないもんはしょうがないですね。

 そう自分に言い聞かせ、Uターンしようとした瞬間、玄関ドアが開いた。

「なによ?」

 あからさまに不機嫌な顔をしてる。寝ていたのかもしれない。

 ていうか、寝てた。間違いなく。

 だって着てるのがジャージだし、髪の毛に寝癖が付いてるし、目が眠そうだ。

 二十代半ばの独身女性が、なんで平日の午前中家にいるんですか?

 もちろん、そんなことは聞けない。

「あ、あの、工事のものですけど、バルコニーのお片付けをお願いしに来ました」

 せいいっぱいの愛想笑いをして言う。

「片付け? なに言ってんの、やったわよ、きのう」

「へ?」

「だから、きのうの夜、彼氏とふたりで植木をぜんぶ下に下げたんだから。もうなにもないはずよ」

 そんな馬鹿な? だってあたしはたった今、確認したんですけど。

 だいたいあれだけの量の植木を、ふたりとはいえ一晩のうちに下まで持って行けるはずがない。……いや、できなくもないだろうが、この人がやるとは思えない。

「で、でも、現にまだありますよ」

「そんなはずないでしょ?」

 思いっきり不機嫌そうな顔で金切り声を上げる。

 ぷいとあたしに背を向けると、ずんずん廊下の奥に歩いて行った。今を横切って、バルコニーを見たとたん、叫び声が上がる。

「な、なによ、これ? なんであるの?」

 それはたぶん片付けていないからでは?

「嘘よ。きのうちゃんと片付けたんだから」

 あたしに言い訳してるわけではないらしい。ひとりで叫んでいる。

 つかつかとふたたび玄関に歩いてくると、あたしに向かってこう言った。

「なんの嫌がらせ」

「え?」

 意味不明。まったくもってなにを言いたいのか、この人は?

「あんたたち、外の植木置き場から、今朝、足場伝いに植木をまたバルコニーに置いたでしょう?」

「は?」

 正気か、この女?

 あたしたちは片付けてほしいの! 片付いてれば万々歳なの。仕事が進められるの。

 それをなにが悲しくて、ふたたび持ってこなきゃならんのだ?

「そんなわけないですよ」

「だってそれしか可能性ないじゃん? あたしはきのう間違いなく片付けたんだから」

 それは夢では?

「だいたいどうしてあたしたちがそんなことを?」

「あたしに対する嫌がらせに決まってるわ」

 嫌がらせのために、あの量の植木をわざわざ下から足場伝いに持ってきたと?

 どんだけあたしたちが暇だと思ってんだ、こいつ。

 でも嘘をついてるようにも見えない。となると……。

「ひょっとしてお酒飲んでました?」

「それどういう意味? あたしが酔っ払ってあることないこと言ってるってこと?」

 いや、ないことしか言ってないと思います。

「こんな侮辱を受けたのははじめてだわ。あんたみたいな小娘じゃ話にならない。偉い人呼んできなさいよ」

「え、偉い人ですか?」

「そうよ。今すぐっ!」

「わかりました」

 あたしは回れ右して、走った。

 ええ? どうしよう? 所長に言ったら怒られるかな? でも主任よりましか。

 そんなことを考えながらエレベーターにたどり着いた。まさに乗り込もうとしたとき、中から出てきた鬼村さんと鉢合わせになった。

「どうした、青い顔して?」

「先輩!」

 この際、この人でいいや。あんまり偉くないけど。

 あたしは半ばやけくそぎみに、鬼村さんに今の出来事を語った。

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