お客様、工事現場での推理は天候に左右されます
南野海
第1話 お客様、バルコニーのお荷物はお片付けください
1
きょうは仕事が早く終わったと思ったら、飲み会に突入した。場所は仕事場の近くにある居酒屋「安兵衛」だ。
時間はまだ六時半。いつもなら事務所で書類仕事かなんかやってる頃だけど、今は中生のジョッキを手にしている。
「お疲れ~っ!」
忘年会でも誰かの歓迎会でもない、よくわからない慰労会は、
みんなぐびぐびとビールをあおる。そういうあたしも人のことはいえなかった。だんとジョッキをテーブルの上に置くと、「ぷは~っ」とつい口にしてしまう。
「いい飲みっぷりじゃねえか、由美」
隣りにいた先輩の
ちなみに鬼村というのは「鬼の木村」が短縮されて鬼村になったわけではない。もともとこういう字で「きむら」と読む。
「ほんとお酒なんか飲めませんって顔してるくせにねえ」
事務のお姉さん、
ちなみに今、古河原さんが言ったのは、たぶん黒縁メガネにボブというよりおかっぱという表現がぴったりの髪型、総じて田舎の文学少女みたいなあたしの容貌を茶化してのことだろう。
「べつにいいじゃないですかっ」
「誰も悪いなんて言ってない。飲め飲め。新人は飲むのも仕事だ」
「そうよぉ。あ、お姉さん、ビール追加!」
古河原さんが勝手に追加する。
「さ、頼んだからミンミンちゃん、空けて」
あたしゃ、パンダかっ! もしくは蝉?
彼女のあたしの呼び名は、由美ちゃんからユーミン、そしてミンミンちゃんに進化した。他の人は由美か、由美ちゃんにとどまっている。名字の南野で呼ぶ人は主任くらいだ。
ええい。もうとことんまで飲んじゃる。
ぐび、ぐびっ。
「おいおい、鬼村。あんまり無茶させんなよ。由美ちゃん、一応か弱い乙女なんだから。わはは」
円山所長の声がなんとなく聞こえる。
呑気だけど豪快。陽気で楽天的。見た目も大柄な中年太り。ライオンのたてがみのような白髪。まあ悪い人じゃないんだけど……。
「だいじょうぶっすよ。じつはこいつ、意外と飲めるし。そもそも乙女じゃないし」
「そうそう。だいじょうぶでっす。あたしがちゃんと面倒見ますから。あたしも乙女だけど」
この無責任な発言は、とうぜん鬼村、古河原コンビだ。
「おまえらのだいじょうぶってのは根拠がないからな。がはは」
そう思うなら止めてください、所長。っていうか笑うな!
「急性アルコール中毒にだけはならないでくださいよ」
自分の保身しか考えてない発言は、菱川主任だ。
この人は痩身で銀縁メガネ、七三わけといったマンガに出てくるエリートサラリーマンのような格好をしている。
このあたりでジョッキ一杯飲みきった。ナイスタイミングでおかわりが来る。
「ほうら、来たぞ、おかわり。なんてタイミングのいいやつなんだ」
そういう先輩もジョッキは空になっていた。もちろん古河原さんも。
「わはは。飲んでばかりいないで、なんか頼め」
「すみません、いいですか? ええっと……」
とりあえず、適当に頼んだ。
「食い物が来るまで、飲め。まあ、土建屋の宿命だ」
先輩が煽る。
鬼村さんがいうように、あたしが就職したのはアリス美装。新築工事ではなく、建物の大規模修繕工事、つまり既存の建物の外装タイルを貼り替えたり、ペンキを塗り直したり、シーリングを打ち替えたり、屋上の防水工事をしたりする会社だ。土建屋の一派ということでまちがいないだろう。
といっても職人ではなく現場監督。昔、女子はまずいなかったが、最近では数こそ少ないもののゼロではない。
一応、あたしは大学の建築科を出ている。設計事務所でアート的な建物のデザインをするのが希望だったけど、夢は叶わず、女だてらに現場に出る羽目になってしまった。それも一部上場のゼネコンなどではなく、補修専門の中小企業。建築科では補修工事のやり方など一切教えてくれなかった。
もっともここはふた現場目で、小さな現場をひとつ経験してきているから、もうまるっきりの素人というわけでもない。
ちなみにここにいるアリス美装の社員は、あたしと鬼村さんだけで、あとの人は元請け企業、太陽建設工業の社員。まあ、古河原さんは地元採用の契約社員だけど。
つまり太陽建設工業がマンションの管理組合から仕事を受けて、アリス美装に流している。現場事務所には元請けの太陽建設工業と下請けのアリス美装の社員が混在しているというわけだ。
いつの間にか、食べ物でテーブルは満杯になり、飲み物もビールから酎ハイに変わった。とうぜんかなり酔ってきている。といっても、気持ちが悪くなったわけでもないし、意識が飛ぶこともない。むしろノリノリの気分だ。
「ところでさあ、ミンミンちゃん。あんた、小説書いてるよね?」
「は?」
古河原さんの口から発せられたのは、衝撃的な質問だった。
「な、なんのことですか?」
焦ったのは、心当たりがなかったからではない。ありありだったからだ。
「またあ、とぼけちゃってさ」
ぺーんと頭をはたかれる。
「なに? こいつ小説書いてるの?」
鬼村さんが話に乗っかってきた。
「そうなのぉ」
そうなのぉ、じゃねえっ!
「な、なにを根拠にそんなことを?」
たしかにあたしは書いている。だけど、誰にも言ってない。この連中にばれているはずがない。
「ええっと、なんだっけ? たしか『わんわん……』」
わんわん?
一瞬なんのことかと思ったが、すぐにひらめいた。たしかにそんなのを書いている。
「ええっと、わんわん……探偵団?」
わんわんじゃねえ。イヌイヌだ!
あたしは「イヌイヌ探偵団」という小説を書いていたのだ。きっとそれをいいたいのだろう。
問題はなぜ古河原さんがそのタイトルを知っているかだ。
っていうか、つっこむならタイトルくらい正確に覚えとけ!
「知りません。そんなアホみたいなタイトルの小説」
「じゃあさ。南ミンミン」
「げっ!」
それはあたしがネットに公開している小説のペンネームだった。
「なんだおまえ、ミンミンってあだ名気に入ってたのか?」
鬼村さんがつっこむ。
「し、知りませんよ。そんなアホみたいなペンネーム。勝手にあたしだと思わないでください」
ペンネームがまったく思いつかず、けっきょくやけくそぎみにミンミンにしたのは間違いだった。しかも、この現場でペンネームと同じあだ名をつけられるとは、恐ろしい偶然だ。その名を呼ばれるたびになんでこんな名前をつけたんだろう後悔している。
「誰もあなたのペンネームだなんていってないけど」
古河原さんがにやにやしつつ、いった。
「え? あ、うぎゃ、はわわ」
は、嵌めやがったなあ。この女ぁ!
「まあだ、しらを切る気かなあ。じゃ、これだ」
古河原さんはスマホを取り出すと、「南ミンミン」で検索しだした。
や、やめてくれぇ!
「ん、なになに? 『奥様は二丁拳銃』南ミンミン著」
スマホをのぞき込んだ鬼村さんが叫んだ。
「電子書籍? うん? 売ってんのかよっ!」
「そう、売ってんのよ、この子!」
古河原さん、指さすなっ!
そう、今やキン○ルのおかげで、ど素人でも電子書籍を売れる時代になったのだ。
「え? ひょっとして印税入ってくるのか、これ?」
「そう、入ってくるのよ、バンバンと」
「印税? ……ごくっ」
ごくって、口で言うなっ!
「きょうのお代はミンミンもちかな? 印税あるから」
「そうだな。なんせ印税あるんだからな」
「え、なに? 印税がどうした?」
円山所長まで聞きつけてきた。
「なんでもありませんっ!」
くそーっ。印税だと? たしかにあるよ。
総額二千円くらいだけどなっ!
「あ、いいこと思いついたっ!」
古河原さんが叫ぶ。どうせ思いついたことはろくでもないことに違いない。
「今までミンミンって読んでたけど、これからはインミンにするね」
「インミン?」
わけがわからないのはあたしだけじゃないらしい。疑問を口にしたのは鬼村さんだ。
「だって印税のミンミンじゃない。縮めてインミン」
「なるほど。南インミン先生かっ!」
「そうよ。インミン先生よっ!」
「インキンだぁ!」
殺す!
もっとも聞き間違えたのは所長なので殺せない。しかし、この一言に、鬼村古河原のいじりコンビは爆笑して転げ回った。
まじ殺す!
「怒るな、インキン先生!」
やかましいわっ! そんなに死にたいのか?
あたしはグラスを煽った。そのあとのことは覚えていない。
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