第75話  一日に千頭絞り殺さむ

 界草平、犬八、カネヒコの三人は、落雷と大火事の中、苦労して先へ進み、ようやく神社の鳥居が見えるところまでやってきた。


「先生、これ以上は無茶ですよ。早くここから避難しましょう」


 周囲の家々のほとんどに火の手が上がり、熱と煙に耐えながらここまで来たが、もはや限界と犬八は叫んだ。


「いや、もう少しだ。ほら、あの崖の中腹に鳥居が・・・って、アレはなんだ⁉」


 母屋が焼け落ちる庭先で、草平は神社の方を指さした。

 石段を登り切ったところ、燃え上がる炎を背にして、それは佇んでいるように見えた。


「人? いや、しかし・・・」


 犬八は困惑の言葉を発し、首をかしげる。

 神社を取り巻いていた杉やその他諸々の木々は、ことごとく炎上し、先日に来た時の景観は見る影もなかった。


「人のようなカタチをした黒いモノが、八つの雷を纏っているようだ」


 草平は食い入るように見つめ、呟いた。


「頭に大雷、胸に火雷、腹に黒雷、陰に析雷、左手に若雷、右手に土雷、左足に鳴雷、右足に伏雷、併せて八つの雷神を纏いしは、黄泉国で蛆にたかられ死体となった、イザナミノミコト」


「え? いざ、イザナミノミコトですって⁉ あれが⁉」


 犬八は余りの出来事に、信じられないといわんばかりだ。


「実際、イザナミそのものではないにしても、それと同じ属性のナニかではないだろうか」

「そんなものがどうしてあそこに」

「知らんよ、僕だって」


 犬八は無意識にカネヒコの様子を伺ったが、先程から板についた無表情のまま、炎に囲まれたこの状況を眺めているだけだった。


「しかし確実にいえるのは、この大火と落雷が、あの黒いモノの仕業ってことかな」

「ど、どうするんですか? 先生ぃ」


 あんな恐ろし気なモノを相手に、どうしようもないじゃないですか、と抗議するように犬八は問うた。


「神話では、腐り果てた自分の醜い姿を見て逃げ出した夫のイザナギを追うイザナミは、黄泉平坂で大岩に行く手を阻まれ、『あなたの国の人々、一日に千の頭をねじ切ってやろう』と呪いの言葉を吐いたそうだ」

「今、そんな話をされましても・・・」犬八は困惑していった「まさか、アレもそんな風に呪いの存在だったいうんですか?」

「さて、どうだか・・・・、あれ?」


 草平は暗い曇天を見上げる。


「どうしました、って、あ⁉」


 犬八も何かに気付いて見上げた。


「雨⁉」


 二人して口を揃えた途端、滝のような雨が降ってきた。


「丁度いい、熱くて敵わなかった」

「しかし、なんだか泥臭くないですか? この雨」


 犬八は鼻をヒクつかせ、濡れた体の匂いを嗅いだ。


「贅沢いってられんよ。これで火勢も弱まるだろう」

「でも、あの雷野郎は、どうですかね」


 犬八は斜面の中腹に立つ黒い影に視線を戻した。


「それは・・・」


 草平はなにかいいかけて、カネヒコが背後の空を見つめていることに気付いた。


「カネヒコ?」

「来た」


 カネヒコの言葉に、振り返って空を見ると、黒雲と稲妻を抜けて、こちらに飛来してくるモノが見えた。


「あれは、龍?」

「あんなモノ、どうしてここに」


 犬八も思わず叫んだ。


「こっちに来る。いや、まさか」


 草平は再び神社の方を向いた。

 みるみる近づいてきた黒い龍は、一直線にあの雷の影に向かっていった。

 草平と犬八は、驚きで声も出ないまま、成り行きを注視した。

 黒龍は巨大なアギトを開き、雷纏う影を咥えると、そのまま上昇に転じで、暗雲の空へ昇っていった。

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