第73話  盲目の術師

 現状は緊急を要していた。

 雨夜は神社へ向かう馬車の中で、考えを巡らせた。


 いくらなんでも突然過ぎるし、異常過ぎる。

 あんなモノが出現するなんて・・・。

 これは、おそらく人為的に引き起こされた事象だ。

 しかし、今はアレを止めることが先決だ。

 このままでは大火災になってしまう。


 出した結論は、現場に居る榎木とほぼ同じだった。


「旅子さん、行先を上野公園の不忍が池に変更して下さい」


 雨夜は、同乗している侍者の旅子に指示を出した。

 旅子は馭者に行先変更を伝え、猛烈な勢いで走る馬車は、間もなく方向を変えた。


「雨夜様、着きました」


 旅子はそういって、馬車の扉を開け、タラップを下ろした。

 雨夜の手を取り、馬車から下ろす。

 馬車に乗っていたときは気付かなかったが、外ではひっきりなしに雷鳴が轟き、雷光が瞬き、遠くでは半鐘の音が絶え間なく鳴り響いていた。


「北の空が真っ赤です」


 微かに煙の匂いがした。


「旅子さん、不忍が池まで一緒に走って下さい」


 旅子は雨夜と手を繋いだまま、池の方へ走った。


 目が見えないのに、それを感じさせないくらいに一緒に走っている。


 旅子の頭を、そんな考えが一瞬よぎった。

 見えてるんじゃないだろうか、と思うことがときどきあった。

 それだけ感が鋭いんだろう。恐ろしいくらいに。


 そこで急に雨夜が立ち止った。

 気が付けばもう池のほとりだった。

 すると雨夜は躊躇なく、不忍が池の暗い水面に割って入っていった。


「雨夜様、なにを⁉」


 今は師走の大晦日の夜、只でさえ寒いのに、水の中などは冷たいにもほどがある。


「あの大火を止めなければ」


 神社のある方角の空は、稲妻が絶え間なく走り、真夜中だというのに黒雲は赤く染まり、この世の終わりのような体を成していた。

 旅子には見えないが、今神社周辺の村々は炎に包まれているのだろう。


 そんな状況をどうやって止めるのか。

 そもそも盲目で術が使えるのだろうか。


 一年ほど付き添っているが、雨夜が術を行使しているところをまだ目にしていなかった。

 今まで大抵の事件では、部下の働きで事が済んでいたし、雨夜が直接動いても、あざ丸の使用だけで解決してきた。

 術とは文字や図象を意識の中で想い描き、現実に発動させるもの。

 あるいは術式や曼荼羅など予め描写されている物を使用して発動させる。

 生まれながらにして目が見えず、術式も持たない雨夜はどうやって大火を止めるのか。


 術以外の手立てがあるのか。

 見届けなければならない。


 旅子は久し振りに自分の使命を思い出した。

 雨夜の魅力に当てられて心酔してしまっているが、旅子は本来明治政府から密命を受けた雨夜へのお目付け役だった。

 除籍され野に下ったとはいえ、スメラギの弟である。監視もつけずに野放しではいろいろ問題があるという訳だ。


 雨夜は腰まで水に浸かった辺りで立ち止った。

 真っ暗闇のはずの不忍が池に、稲光と大火のおかげで雨夜の姿がぼんやりと確認できた。


「旅子さん、盲目の私になにが出来るのか、不思議でしょ?」


 雷鳴の中、暗い池から雨夜の声が聞こえた。

 そうか、既に私が内偵だとバレていたのか。


「そこで見ていて下さい。こんな私にも出来ることがあると」


 一瞬、全ての音が消えた。


 闇の向こう、雨夜の前方で、黒々とした野太い柱が夜の曇天へと向かって立ち昇っていく。

 息を吸い、吐いた瞬間、ドォォォという大音響が響き渡る。

 まるで巨大な滝を前にしているような。


 そう、あれは、柱は柱でも、水柱なのだ。


 池の黒い水が、天に吸い上げられていく。


 これは、もはや黒龍ではないか。


 想像を絶する現象に、旅子は成す術もなく立ち尽くすし、ただ静観するしかなかった。

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