第72話  八の雷神

「しゃらくせぇな」


 榎木二郎は人込みを避け、家屋の屋根伝いに神社へ向かおうとした。しかし数軒先の庭に立つ杉の木に雷が落ち、真っ二つに割いたのを見て、慌てて屋根から下りた。


「あぶねぇあぶねぇ。そうだよ落雷があるんだよ」


 榎木は胸を撫で下ろし、呼吸を整えてから、今度は庭や畑や裏道を駆け抜けることにした。


 まさかなんの前触れもなく、こんな急激に空間の歪みが悪化するなんて。

 あの金属音のような耳鳴り、あれがなによりの証拠だ。

 推し量るに、空間に穴、いやもっと強引な、亀裂からのこじ開け。

 大晦日の歳の更新による空間の不安定化だけでは、説明がつかない。

 もっと他に原因があるはずだが、今はここで起こっている現象の確認が優先だ。


 落雷で、至る所で火災が起きていた。


 だいたいこの雷だって、異常なものだ。

 おそらく、なんらかの理由で空間に断裂が起こり、そこを通ってナニかがこの世界に現れた。

 そいつがこの落雷を引き起こしている。


 ようやく榎木は、急峻な斜面の麓に辿り着いた。

 そこには小川が流れ、朱色の橋が架かっていた。


 ふん、三途の川でもあるまいし。


 気合を入れ直し、駆け出すと、勢いそのまま鳥居を潜り、先の石段を登り始めた。

 上の方から人の声に加え、なにか激しい破裂音のようなものが聞こえてきた。


 いったいなにが起こっている。


 遂に階段が終わり、開けた場所に出た。

 そこには、焼け崩れ燃え盛る社があり、囲むように立ち並ぶ神職者たち。

 熱風が吹き荒れる炎の中心には、一目でこの世のモノではないとわかる存在が居た。

 燃え盛る煉獄に浮かぶ、人のカタチをした漆黒の影。

 墨汁のような、黒煙のような、得体の知れない暗黒のその身には、禍々しくも猛々しく弾ける八つの雷光を宿していた。


「おい、そこの君! 手伝ってくれ!」


 神職の男が榎木に気付いて叫んだ。


「我々だけでは、もうこやつを抑えきれん!」

「アレはいったい何なんだ⁉」

「この神社の奥宮に祀られていた、聖なる神火から現れたのだ!」

「しかし手伝えっていったって」


 榎木は戸惑っていると、頭に直接声が響いた。


『今すぐそこから離れろ、榎木!』

『雨夜さんか。この現状、わかるのか⁉』


 雨夜の切迫した声に気を取られていたが、ハッとして前を見れば、暗黒の影はゆっくりと腕のような部分を水平に持ち上げ、その先端にある雷光が激しく光を増して・・・。


『君の存在を通して、現場を感じている。それは、いうなれば、八の雷神やくさのいかづちを纏った、イザナミノミコトだ! 早く逃げろ!』

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