第54話  誰にだって優しいのだ

「犬八、申し訳ないが風呂を沸かしてくれないか?」


 草平は朝から犬八に頼み込んだ。


「へい、もちろんいいですが、朝風呂なんて珍しいですね」

「彼を風呂に入れてやりたいんだ」

 草平は行き倒れ男がまだ眠っている寝室を顎で示した。

「さすがに風呂屋には迷惑だろう。あの汚れでは」

「・・・承知しやした」


 犬八はなんとなく不満だったが、主人の頼みでは仕方がない。

 せっせと朝から風呂焚きにいそしんだ。


「先生、風呂の支度が出来ましたぜ」

「うん、ありがとう」


 草平は眠っていた行き倒れ男を起こし、なんとか連れだって風呂場へ向かった。


「え、先生! もしかして二人で風呂にはいるんですか⁉」

「彼一人では、とても風呂に入れなさそうだしね。体を洗って、髭も剃ってあげたいし」

「そ、そうですか⁉」


 犬八は素っ頓狂な声を出し、服を脱いでいる二人を残して、そそくさと風呂場を離れた。

 先生の風呂ならともかく、なんで俺があんな怪しげな男の世話をしなきゃならんのだ。

 ぶつくさと文句をいい、やり切れない思いにさいなまされながら、もう昼飯の準備だ、とそれにっとりかかった。

 米を研いだり竈に火を入れたりしていると、犬八の気持ちも幾分落ち着いてきた。

 そうだ、先生はお優しい。誰にだって優しいのだ。

 今朝、草平がいったことを思い出す。


 この年の瀬、強盗、追剥ぎ、人攫いが横行し、世間は不穏このうえない。しかもこの時期だけではなく、天下は増々暗い影で覆われていくような気がしている。戦争の噂、貧富の格差、荒んでいく人心。そんな中で、僕に出来ることは本当に少ない。だからせめて、自分の家の前で起こった出来事にくらい、善処したいんだ。

 物事はすべて繋がっていると思う。


 そんな先生を支えると俺は決めたんだ。

 決意も新たに犬八は裏庭の風呂焚き場へと急ぎ出た。


「先生ぃ、湯加減はどうですか? ぬるくないですか?」

「大丈夫だよ。寒い朝には丁度良い加減だ。ありがとう。もう直ぐ上がるよ」


 犬八は忙しく家の中に戻り、今度は行き倒れ男用に、着替えの筒袖などを準備して風呂場へ伺った。


「せ、先生ぃ、入りますよぉ」


 緊張しながら脱衣場に這入ると、中の様子を目の当たりにして犬八は驚きと困惑の声を上げた。


「え、先生、誰です? そいつは」

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