第十九話 対決
人里からはるか離れた山奥。山々囲まれ、木々生い茂るその中心にそれはある。巨大な城だ。城だけでも天高く、面積も広い。だが迷宮は城だけでなく、周辺の山々までの全てが迷宮なのだ。正直ここまでの大きさを目の当たりにすると思ってしまう。
「王様気取りかよ」
この山には幾重にも罠が仕掛けられており、数多くの強力なモンスターいる。人間があの城へたどり着くにはこの山々を踏破しなければならない。
しかし人間でなく、しかも直属の部下はそんなことをしなくても入ることが出来る。上司のいるところに行くのに山を越える必要はない。迷宮に入るときと同じだ。許可されているものは魔法で転移してはいることが出来る。
山々を一瞬で飛び越え城の舞台裏の最深部へ。上司のいる執務室の目の前に降り立つ。
いつもならば城の最深部で、直属の上司のいる執務室を前にすると緊張する。しかし今日は全く緊張がない。それどころか怒りを感じていることもあってか、早くこの扉を思い切り開け放って中に突撃したいとさえ思うくらいだ。
「落ち着け……頭に血が上るとまた失敗するぞ……」
失敗を忘れず、自分に冷静になるように言い聞かせる。長い付き合いの友人のおかげで頭は冷静、心は正常。友がいるという心強さと、一つのものだけを取り返しに行くという集中した思いが原動力となる。
「行くぞ」
勢いよく扉を開け放ち、直属の上司であるカッサバルド様……いや、カッサバルドの執務室へと踏み込んだ。
「……ノックくらいしろ」
「すみません。急いでいたもので」
デスクに座るカッサバルド。その姿は相変わらず威圧感に満ちている。しかし恐れは一切ない。やるべきことは決まっているからだ。
「ヴィンセントか。いきなり何のようだ?」
にらみつけてくる眼光が全身を射貫く。緊張はない。恐れはない。ただ威圧だ。しかしその威圧感による見えない圧力が呼吸を難しくさせる。これだけの地位に上り詰めるものはこれだけの力がなくてはならない。そう言われているかのようだ。
「ベアトリクスのことで話があってきました」
「ああ、あの天使族の女のことか」
カッサバルドはすっと席を立つ。自分よりも大きな体。立ち上がるだけで少し見下ろされる。それが威圧感をさらに増幅させる。
「よくやってくれた」
「……は?」
何を言われるのかと思っていた。責められるのかと思っていた。しかしカッサバルドが発した言葉はまさかの褒め言葉だった。
「実にいい仕事をしたな、ヴィンセント。魔王様の敵である天使族を捕まえたのだ。魔王様もお喜びであろう」
「な……何を言って……」
「ああ、そうだ。おまえのこの功を労うために特別に報酬を用意しよう」
予想外の対応に言葉が出てこない。何を言い返せばいいのか全く見当がつかない。その間もずっとカッサバルドのペースで話が進んでいく。
「最近人間に手ひどくやられたそうじゃないか。しかも制裁対象のモンスターにまで襲われたらしいな。これではお前の迷宮はやっていけないだろう。本来ならお前の失態となるわけだが、今回の功績を考えれば特別に報酬を用意するのが正当な評価だ。よかったな。これで迷宮の立て直しが出来るぞ」
まるでこうなることがわかっていたかのように、カッサバルドはすらすらと言葉が出てくる。もしかしたらこうしてベアトリクスを取り返しに乗り込んでくることも承知の上だったのかもしれない。
その上でベアトリクスを捕まえた功労者として報酬を支払う。迷宮の立て直しのためにはその報酬はのどから手が出るほど欲しい。しかしここで報酬を受け取ってしまうと、ベアトリクスを捕まえて上司に差し出したことになる。
「まったく……ここまで乗り込んでこなくともこちらから正式に使いを出したというのに、ずいぶんとせっかちな性格だったのだな。いや、違うか。迷宮の立て直しのためには金がどうしても必要になる。戦死した部下の蘇生は急がなければならないからな。これは失念していた。では今すぐ用意させよう」
「違うっ!」
カッサバルドが動き出そうとしたとき、その動きを静止させるための声がようやく出た。
「……何か、違うか?」
カッサバルドのその声を聞いた瞬間、背筋が凍り付いた。威圧感が今までの比ではなかった。どうやら今までは友好的な態度を取っていたようだ。この体が凍り付きそうな威圧感こそが、カッサバルドの本気だ。
「違う……俺は、ベアトリクスを取り返しに来た」
「ほぅ……」
言いたいことがあるなら言ってみろ。無言でこちらを見ているカッサバルドは態度でそう伝えてくる。
「俺はベアトリクスと契約する気でいた。あいつもそのはずだ。それが諸事情で契約を結べないまま時間が経ってしまい、報告が遅れてしまったことも謝ります。ですが……」
「何を言い出すかと思えば……俺はお前のことを利口なやつだと思っていたのだが、買いかぶりすぎだったか?」
こちらの言い分などに意味はない。そう言うかのように、カッサバルドは小さく笑った。
「ベアトリクス、来い」
カッサバルドの声に応えるように、執務室にベアトリクスが入ってくる。
「……ベアトリクス?」
しかしその姿は以前の彼女のものではない。金色だった髪や純白の翼はともに漆黒の闇の様に黒く染まっていた。
「ベアトリクスは天使族から送り込まれた諜報員ではないかという疑いがかかっている。その諜報員を契約も結ばずに迷宮に招き入れていたということは、諜報員だとわかっていてその諜報活動を幇助したのではないかという疑いもお前にもかかっている」
「なん……だと?」
「だがベアトリクスはこれを否定した。お前は関係ない、自分も諜報活動などしていない、とな。しかし天使族は魔王様の敵。その言い分をそのまま聞き入れるなどあり得ない。よってその証明に彼女は自ら堕天使となることを選択した」
自ら選択した。そう聞いてベアトリクスを見る。彼女の表情は硬い。
「天使族であることを捨てたことでひとまず言い分は聞き入れることとした。しかしその疑いが全て晴れたわけではない。ベアトリクスはしばらく監視下に置く。天使族との接触がないかを確認した後、移籍を許すことにした。取り返したければ移籍許可が出てから獲得すればいいだろう」
「ふ……ふざけるなよ……堕天使を獲得できる管理者なんて……全世界を探しても数えるほどしか……」
「ほぅ、闇の雫のことは知っているか。さすがは遠縁とはいえ魔王様の血族だな」
天使族の移籍金はとんでもなく高い。そこにさらに魔王に認められた一部の管理者しか与えられない闇の雫を使用して堕天使となった。その移籍金額を生きている間に見ることがある管理者ですらごくわずか。そこからその移籍金を準備できるとなると、片手で十分数え終わるほどしかいない。
「この俺の見立てが間違っているとするなら、ヴィンセント。お前には魔王様に対する反逆罪の疑いがかけられることとなる。最悪、処刑ということにもなり得る。わかっているのか?」
思考も追いつき理解も出来て、ようやくカッサバルドの言いたいことがわかった。
カッサバルドが作り上げたシナリオ通りに動けば特別報酬と功労者として無罪放免。しかしそのシナリオを外れるなら、魔王への反逆罪として処罰の対象となる。処刑という言葉を持ち出す当たり、殺したあとで処刑にしたとでも言うつもりなのだろう。
「くそっ……」
選択肢は二者択一。カッサバルドの言うシナリオ通りに従い、ベアトリクスを諦めて特別報酬を得る。もしくは処刑を承知でカッサバルドのシナリオに抗う。最悪の場合は処刑されて終わり。このどちらかだ。
「さて、ヴィンセント。俺の見立てが間違っているかどうか、お前の考えを聞こうか」
あくまでカッサバルドは見立てであり、こちら側の考えを要求する。脅迫ではないやりとりにわざとしているのだろう。
「……ヴィンセント、少しいいですか?」
回答に迷っていたとき、堕天使となったベアトリクスが話し始めた。どうやら話せない状況にいたわけではなかったようだ。
「私はヴィンセントに助けてもらいました。恩返しがしたくても私はどうもズレているみたいで、何も出来ませんでした。むしろ足を引っ張ってしまっただけです。申し訳ありませんでした」
この状況でのいきなりの謝罪。
「ですからどのような状況になっても私はヴィンセントのためになることをしたいと考えています」
ベアトリクスはそう言ってニコッと笑う。いつもの慣れ親しんだ顔がそこにあった。その顔を見ていると緊張や恐怖といった感情が緩和される。
「ヴィンセントの望む選択をしてください。私はヴィンセントのためなら、どんな選択も恐れません」
きっぱり言い切った。その決断と言葉には驚いた。しかしもっと驚いているのがカッサバルドだ。
「ベアトリクス! お前は自分が何を言っているのかわかっているのか? すでに契約は結ばれている! 契約違反は重罪だぞ!」
「はい。ですが契約内容にはヴィンセントの身の安全は保証するとしたはずです」
ベアトリクスはカッサバルドと契約した。しかしその内容にそんなことを盛り込んでいたとは知りもしなかった。彼女なりに恩を返そうとした結果なのだろう。
「もちろんだ。俺が直接手を下すのではない。魔王様が定めた法によって裁かれるのだ」
しかしカッサバルドがこの程度で引き下がらなければならないような契約を結ぶはずがない。管理者とモンスター間の契約には重きを置かれるが、それ以上の絶対的な規律として魔王の定めた法というものが存在する。ここの契約は守りつつ、魔王の定めた法に抵触する絶妙な線引きが出来ている。カッサバルドが一切譲らない理由はまさにそれだ。
「ならばあなたはヴィンセントを守るために何をしていただけるのですか?」
「……なに?」
ここに来て初めて、カッサバルドの言葉が少しだけ詰まった。
「ヴィンセントの身の安全を保証する。出来なくてもその努力はするべきです」
個々のルールよりも魔王の定めた法の方に重きを置かれる。だから守る必要などない。そう考えていたのだろう。だがベアトリクスは契約した以上は努力義務があると言いたいのだろう。その努力の内容を彼女は問いただしている。
「もし努力をする気がないのなら、私だって契約は守りません!」
ここに来てベアトリクスの逆襲が始まった。いつも思うが彼女はマイペースで結構自分勝手。そして自分がいいと思ったことを相談無しで思いっきりやってしまう。それが迷宮の一回目の全滅につながったわけだが、今はその性格のおかげでカッサバルドが逆にうろたえている。
「ベアトリクス……覚悟は出来ているんだろうな?」
契約違反は重罪。あくまでカッサバルドも譲る気はない。しかし彼女にここまで反抗されることは予想外だったのだろう。カッサバルドの言葉が怒気のこもった脅迫めいたものになっている。
カッサバルドも相当参っているようだが、ベアトリクスもこのまま押し通せば勝てるとは言いがたい。決め手に欠けているのだ。
「カッサバルド様、お取り込み中失礼します」
カッサバルドとベアトリクスの言葉のやり合いの最中だった。執務室に響いたのは大会で会ったあのルドガー。上司に何かしらの報告にやってきた。
「ルドガーか。人間と制裁対象はしっかり仕留めたのだろうな」
カッサバルドはベアトリクスから視線をそらすことなくルドガーの結果報告を待つ。
「そ、それが……その件なのですが……」
「なんだ! またしてもしくじったのか?」
カッサバルドの視線がルドガーの方を向く。すると今まで何者にも文句を言わせないという雰囲気だった男が、急速にその勢いを失って硬直した。
「な、なぜ……」
驚き硬直する上司の視線の先が気になり、ベアトリクスと一緒にルドガーの方へ視線を向ける。するとそこにはルドガーが意外にもう一名、立っていた。
「ケルーナ殿……」
カッサバルドが驚いた理由。それは魔王直轄の特別監査官がルドガーの横に一緒に立っているからであった。
ドラゴン族は過去に何度か見たことがあった。しかしその中でも群を抜いて有能で強いとされるケルーナは見たことがなかった。二足歩行で人型形態のドラゴン族として立ち姿が凜としていて息をのむほどだ。
「お取り込み中失礼します、カッサバルド殿。少々私の話を聞いていただいた上で質問にお答えいただきたいのですが、お時間はよろしいでしょうか?」
圧倒的な存在感を放っていたカッサバルドの勢いは失われ、新たに現れたケルーナがこの執務室の支配者となる。
「な、何用か? ケルーナ殿」
執務室での主導権はケルーナに移行した。
「ちょっとした仕事上の話に対して意見を求めるだけですよ」
ケルーナはそう言って、ゆっくりと自分がつい先ほど済ませてきた仕事について話し始めた。
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