第十八話 囚われの天使

 目が覚めたとき、最初に感じたのは体の痛みでした。翼と腕は動かないように背中で縛り上げられているようで、翼の付け根と肩が痛みます。どこかわからない部屋の中に閉じ込められているようでした。

「ここは……どこなのでしょうか?」

 身動きがとれないながらも身をよじりながら部屋の中を見渡したのですが、あいにくこの場所がどこかはわかりませんでした。そして背中で縛り上げられた翼と腕を自由にする方法もわからないままです。

 しばらく部屋の中でどうすればいいのかを考えていた時でした。部屋の中に誰かが入ってきました。とても大きな、銀色の鎧を身につけているモンスター。見られているだけで心臓を鷲掴みにされたような息苦しさがありました。

「お前がベアトリクスか」

「そうですが……あなたは?」

「俺はカッサバルド。多くの迷宮を統括する広域統括責任者だ」

 カッサバルドと名乗った彼が行った地位の名前は私にはどれだけすごいものなのかよくわかりませんでした。ですがカッサバルドという聞き覚えのある名で、彼がヴィンセントの上司の方だということが理解できました。

「えっと……確かヴィンセントの上司の方ですよね? 私はどうしてこんな状態になっているのでしょうか?」

「どうして? それはお前が天使族に他ならないからだ」

 息苦しさを感じさせる鋭い視線が怖い。

「天使族は遙か昔、魔王様と人間との戦いで人間に味方した。その天使族が魔王様の傘下にある迷宮の中にいることは極めて望ましくないというわけだ」

 私が天使族だから、こんな目に遭っていると言うのですか。

「私はヴィンセントのところに帰らないといけません。今、ヴィンセントは大変な状態なんです。だから少しでも私が役に立てるように頑張らないと……」

「残念だが、それは叶わない」

「な、なぜですか?」

「お前は天使族。雇用契約を結んでいたというのであればまだしも、雇用契約を結ばずに迷宮に滞在していた。これは天使族が再び魔王様と事を構えようとする前段階、諜報活動の可能性が疑われる」

「そ、そんなことありません! 私はただヴィンセントに恩返しがしたいだけで……」

「天使族の言うことなど信用に値しない」

 天使族は敵だから、何を言っても信じないというのですか。そんな乱暴な。私は何も嘘を言っていないのに、信じてもらえないなんてひどすぎます。

「天使族のお前をかくまっていた。状況に寄ればヴィンセントも魔王様への反逆罪が疑われるな」

「ヴィンセントが……反逆罪?」

「そうだ。敵である天使族を魔王様の参加の迷宮にかくまっていたのだ。天使族の諜報活動を幇助していたかもしれない。もしそうだった場合、ヴィンセントの処刑は免れないか」

「そんなことありません! 乱暴な言いがかりです!」

 言いがかりでの罪を否定しても彼は全く聞く気がありません。何を言っても無駄なのでしょうか。

「どうすれば信じてもらえるのですか?」

「ほぅ、信じて欲しいと?」

「当然です。私は何も嘘を言っていません」

 彼はしばらく黙っていると、懐に手を入れて小さな小瓶を取り出しました。なんだかよくわからない黒い液体が入った小さな小瓶です。

「これは闇の雫という、魔王様に認められたごく一部の管理者にしか与えられないものだ」

 縛られている私の目の前に黒い液体の入った小瓶が近づけられます。その瞬間、背筋がゾクッとしました。

「わかるか? これは魔王様の魔力からあふれ出たものだ。これを我々が口にすると一時的に強大な力を手にすることが出来る。魔王様の魔力の一部を借りることになるのだから当然だな。だが雑魚が飲めばその身を滅ぼし死に至る。つまり選ばれたものしか飲むことが許されない代物だ」

 自分は選ばれし者だという自信が彼の表情に表れています。

「人間はこれを飲むと人間ではなくなる。力のある人間が飲めば我らと同族になり、力のない人間が飲めば死ぬ。しかし天使族は潜在能力と保有している魔力が生まれつき優れている。よって闇の雫を飲んでも死ぬことはない」

 彼は小瓶の蓋を取り外しました。おそらく私に飲ませようとしているのでしょう。

「天使族が飲めば堕天する。我らと同族となる。そうすれば、俺はお前の言葉を信じられる」

 天使族では信じられない。でも堕天使となれば、もう天使族ではないから言うことを信じてもらえる。そんなに簡単なものなのでしょうか。ですがそれが彼の線引きなのかもしれません。

「堕天使となって俺と契約しろ。そうすればヴィンセントは魔王様の敵である天使族を捕まえたという功労者だ。処刑はまずないだろう」

「堕天使となれば言うことを信じてもらえるのですよね? ならヴィンセントの元へ帰ってもいいのではないですか?」

「残念ながらお前が天使族としての諜報活動をしていたという疑いは完全に晴らすことはできない。それに潜在能力の優れた天使族に闇の雫を使うのだ。その戦闘能力はかなりの物となる。今のヴィンセントには扱いきれない。よって俺の手元でしばらく監視することにする。お前も堕天使となった体に慣れる時間が必要だろう。なに、疑いが晴れたらヴィンセントの迷宮へ『移籍』すればいい」

 ここで移籍と言いますか。ヴィンセントに余裕がないことはわかっているはずです。彼は私をヴィンセントの元にすんなり返すつもりはないのでしょう。

 私は闇の雫を飲むしかありません。ヴィンセントにかけられる疑いから彼を守るために、彼を殺してしまう処刑から彼を逃れさせるために、選択の余地などないのです。

「わかりました。飲みます。契約もします。ですが契約の中にヴィンセントのみの安全を保証するようにしていただけますか?」

「それくらいならいいだろう」

 私はゆっくりと口を開きます。彼は私の口の中に黒い液体、闇の雫を流し込みます。大した量ではないのですぐに飲み込めました。味は苦くて風味も癖がすごくて、正直二度と飲みたくないと思いました。

「堕天するのにしばらく時間がかかる。ゆっくり休め」

 私にそう言うと彼はさっさと部屋から出て行ってしまいました。

 私はというと、闇の雫を飲んでから胸からお腹の辺りがものすごく気分が悪いのです。内臓が体の中をぐるぐると回転しているかのような気分の悪さ。そして視界もだんだんぼやけてきて頭もクラクラしてきます。

「すみません……ヴィンセント……」

 私のせいでかけられそうになった疑いを私が晴らすだけ。私は役に立てませんでした。私は結局、彼の元で何が出来たのでしょうか。足を引っ張っただけで、邪魔をしただけで、何も恩返しなど出来ませんでした。

 ヴィンセントへの申し訳なさを考えていましたが、気分の悪さなどからもう何かを考える余裕もなくなってきました。私はただ気分の悪さと戦いながら、心の奥底でヴィンセントに謝ることしか出来ないのです。

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