第十五話 頼れる友
最悪の状況になってから時間だけがいたずらに過ぎていく。何をどうしていいのかわからない。何をどうすれば状況が好転できるのか考えつかない。いや、そもそも思考が正常に働いていない。それを戻すのが先決なのだが、どうすれば冷静に考えることが出来るのかさえわからなくなっていた。
「……おいっ! ヴィンセント!」
名前を呼ばれて顔を上げる。執務室のデスクを挟んで向こう側にエルドルドがいた。
「ああ、エルドルドか。いつ来たんだ?」
「いつ来たんだ、じゃない。熟練の兵士達に迷宮を荒らされた情報を手に入れて、状況を聞こうにも連絡が取れなかったから急いで駆けつけたんだ」
「ああ……そうだったのか」
執務室の椅子に座る自分の体に包帯が巻いてある。誰が手当てをしてくれたのだろうか。
「……あっ! ベアトリクスは? あいつは無事か?」
ボルジャンに終われて逃げていたベアトリクス。あの状況から考えれば無事だとは思うが、あれ以来姿を見ていない。
「何言ってんだ? お前の手当をしたのがベアトリクスだろ」
「あ……そう、なのか?」
「はぁ……いつまで放心状態で寝ぼけていやがる。いい加減しっかりしやがれ!」
エルドラドが頬をつねってくる。痛みが少しだけ頭をはっきりさせる。
「い、痛っ! わかった。目が覚めたって!」
手が離れてもエルドラドにつねられたところが痛む。
「お前ドラゴニュートだから爪が痛いんだよ。うわぁ、血が出てる」
「お目覚めにはちょうどいいだろ」
精神状態も思考もまとまらなかったところで長い付き合いの幼馴染みとの会話。いつも通りの調子を取り戻すにはこれ以上の薬はないだろう。
「えっと、フィオラは?」
「俺が来たときにはもういなかったな。ベアトリクスに聞いたら、フィオラの直属の上司に報告しに行ったらしい」
フィオラは研修でこの迷宮に来ている。研修に派遣した元の部署には当然上司がいる。その上司を訪ねての外出と言うことだろう。
「ボルジャンのやつ……管理者への暴力で制裁対象になったからな」
「……ボルジャン? これをやったのはボルジャンなのか?」
「ん? ああ、そうだ」
エルドラドの表情が険しくなる。どうやら何か思い当たる節があるようだ。
「何か知っているのか?」
「あー……まぁな。トロール族だったか。ボルジャンってやつは少々特殊で面倒なやつなんだ」
「特殊で面倒?」
「ああ、あいつは生まれながらに何というか……壊衝動というか闘争心というか、そういった類いの感情が異常でな。戦闘能力は高いんだが、組織や集団の中ではとにかく問題ばかり起こす。前の所属先でも管理者に襲いかかったくらいだ」
「そんなやつが野放しになっていたのか?」
「いや、前の所属先で管理者を襲ってからまだ一ヶ月も経っていない」
「最近かよ……」
ボルジャンが野良としてこの辺りに流れてきた理由がわかった気がする。管理者を襲って行く当てがなくなり、寝床を転々としていたのだろう。
「他にも逃がす人間と殺す人間の命令を聞かなかったり、モンスター間での諍いから仲間を血祭りに上げたりしたこともあった」
「……早くなんとかしておいてくれよ」
問題行動ばかり起こすようなやつだ。どう考えても早急に上層部が手を打つべき案件だろう。
「それがな。やつは意外に狡猾なんだ」
「狡猾?」
「前の所属先で管理者を襲ってからこの一ヶ月、広域統括責任者の管轄地域をうまく転々としているんだ。このカッサバルド様の管轄地域で四カ所目、侵入したのはおよそ三日ほど前だと言われている」
「ボルジャン対策が行われる前に俺が声をかけちまったってのか?」
「その可能性は高いな」
がっくりと肩が落ちる。運が向いてきたと思ったらとんでもない落とし穴が待っていた。いいことが立て続けに起こるのと同じように、悪いことも立て続けに起こる。そしてそのきっかけを作ってしまったのは他ならない自分自身。怒りの矛先を向ける先がなくてフラストレーションがたまる。
「ボルジャンのやつがどこへ行ったかわかるのか?」
「それは現在情報収集中だ。ボルジャンの情報はなんとなく聞いていたが、詳細な位置を知ったのが昨夜だったからな。忠告が遅れた」
「いや、エルドラドは悪くないよ」
危機管理意識が薄くなっていた自分の責任だ。
「まぁ、なってしまったものはしかたがない。ボルジャンのことは上に任せるとして、これからどうする? さすがにこのままだと蘇生もままならないだろう」
「そうだな。また貧乏迷宮に逆戻りだな。もしかしたら前より悪くなっているかもしれないっていうのが怖い。フィオラなら把握しているかもしれないけど、今はいないから聞けないのが聞きたくないって言う感情と合わさって正直ちょっと安堵している」
詳細を聞いたら血の気が引いて気絶してしまいそうだ。
「事情が事情だ。もし借り入れがしたくなったら特別安い金利で貸してくれるところを紹介してやれるし、何だったら俺も少しくらいなら用立てられる」
持つべき者は友だと心から思った。幼い頃からの付き合いでここまで親身になってくれるやつは他にいない。長い付き合いのやつのほとんどが魔王の血縁だとか遠縁だとかいう血筋があっての付き合いだったからだ。そういうやつは管理者になってからなかなか結果が出ない時間が長い間にどんどん疎遠になっていった。残ったのがエルドラドだけ。だから信頼しているし、向こうも親身になってくれる。
「ありがとう。全部の数字が出たらたぶん頼むことになるかもしれない」
「いつでも言ってこい」
絶望の淵で友の心強さを知った。最悪の事態ではあるがまだやれる。友の存在がそう思わせてくれる。
心に少し生気が戻ったときだった。慌ただしい足音とともに執務室へベアトリクスが顔を出した。
「ヴィンセント、お客さんですよ」
見たところ怪我はなさそうだ。自分の目ではっきり見て理解するまで心配だったが、無事だったようで安堵の息が一つ漏れる。
「お客? 誰だ? 迷宮で対応できるモンスターは今いないぞ」
ベアトリクスは人間も同僚もどちらの意味でも使うため、どういった客なのかが彼女の言葉では全くわからない。
「あ、いえ、こちらに……」
「はぁい、初めましてぇ。あなたがヴィンセントね? 私はノーリィ。以後、お見知りおきを」
ベアトリクスに続いて執務室に姿を現したのは女。悪魔のような翼と尻尾が黒々と目立つ、赤毛で褐色肌の女。サキュバス族だ。甘ったるい猫なで声で話してくるこの女は初めて見る。迷宮への立ち入りを許可した覚えはない。
「一体何のようだ? それよりもどうやって入ってきた?」
「あらぁ、いきなり敵視? 怖いわぁ」
全く怖がっているように見えない。むしろ挑発されている様な気さえする。
「私はカッサバルド様からの言いつけできたのよぉ。仕事は経営状況の確認や指導っていうコンサルタントみたいな仕事をしているの」
見た目の印象で判断して悪いが、全く頼りにならなさそうだし信頼も出来なさそうだった。サキュバス族という種族の特性上、最も向かない仕事なのではないかと思ってしまうほど彼女のことを信頼できなかった。
「最近調子いいみたいだったからぁ、カッサバルド様から手伝ってやれって言われたんだけどねぇ……」
どうやら状況が好転して様々なことが上向きになったことが評価され、ノーリィが派遣される事態になったようだ。しかし何というタイミングの悪さだ。上り調子は一転して奈落の底となってしまい、その最低のところでの到着となってしまった。
「この状況……なぁにぃ?」
今まで余裕がある猫なで声だったノーリィが本気で首をかしげているように見える。こんな話は聞いていない、と言わんばかりだ。予想外の現状にさすがに戸惑いが見える。
それもそのはずだ。コンサルタント業は結果を出すことで評価される。結果が出なければ評価は下がっていく一方だ。一朝一夕で結果が出るほど簡単な仕事ではないが、結果を出せる糸口すらなさそうな状況での到着は彼女にとっても不本意だろう。
「あー……俺から説明しよう」
エルドラドが代わりに位置から説明してくれた。ボルジャンの今までの動向の情報も踏まえ、現状の悲惨さを情報屋らしく環状抜きで的確に。
「えーっとぉ……」
所属モンスターの大半が戦死、残りがほとんど戦闘不能。迷宮としての機能が完全に停止してしまった状態に、さすがのノーリィも言葉を失った。
「これぇ……困るんですけどぉ……」
結果こそが全てのコンサルタント業を行うノーリィ。カッサバルドという地位の高い者に認められて契約するほどの彼女も、さすがにこの状況はお手上げのようだ。
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