第十四話 危機感の欠如

 大会が終わって数日がたった頃、迷宮はいつも通りの様相を取り戻した。ベアトリクスの掃除で通りやすくなりすぎた通路を改修し、負傷したモンスター達も自己治癒で復活出来る者達は徐々に戦列に復帰して行っている。

 新たに獲得するモンスターにもある程度目星はつけた。トリニッチと比べればランクはいくらか下がってしまうのは致し方ないが、今まで保有していた戦力を十分強化することが出来る。

 単純に戦力を増強するというだけではない。戦力増強が出来れば、先日のような大会に出場して賞金を得ることが出来やすくなる。小さい大会に頻繁に参加して賞金を少しずつ得ることができれば、またそれが良いモンスターを獲得することへとつながる。

 トリニッチを手放してしまったのは正直戦力ダウンだが、長い目で見れば良い傾向だ。小さな余裕が好循環を生み出している。変わった風向きを生かせるかどうかは手腕の見せ所だ。

「さて……欲深くってわけじゃないが、野良でも良いモンスターと巡り会うことが出来ればありがたいんだけどな」

 他所からモンスターを獲得するのにはどうしても移籍金が必要になる。他所で戦力として数えられている、もしくは数えられていた。そのどちらかに当てはまるモンスターには質の悪い者はあまり見かけられない。もちろん向き不向きや得手不得手や条件の善し悪しなど、広く見ていけば合わないモンスターも多い。しかし何かしらの力量や特徴を見いだされて雇用された以上、ある程度の能力は期待できるのだ。

 好循環が始まり、風向きが変わり、今の自分の状態を一言で表せば勢いに乗り始めた状態といったところか。ここでレベルの高い野良モンスターが見つかれば、運まで向いてきていることになる。さすがにそこまでうまくはいかないかもしれないが、それでも悪くないモンスターを手に入れられれば言うことなしだ。

 しばらく迷宮周辺を散策していると、複数人の人間の一行を見かけた。装備はなかなか年季が入っており、年齢は二十代後半から四十代前半の男女合計二十名ほど。熟練の戦士達だろう。

 人間を見かけた瞬間、とっさに隠れてしまった。外見は人と変わりないため人里に入っても人間ではないと見抜かれることはない。しかしやはり日頃、人間を敵として見て獲物として考えているせいだろう。体がとっさに彼らを避けてしまったようだ。

「方々を探し回ったが見つからないな。情報は確かなのか?」

「情報屋によると間違いないらしい」

「賞金がかけられるくらいの化け物らしいな。そんな強いモンスターは見当たらなかったぞ」

「こんな人里近くに賞金がかけられるレベルのモンスターが本当にいるのか?」

「そこは疑問だが、もしどこかから流れてきた場合は被害が出る前に退治しておきたい」

「とにかく町の安全を守る意味合いもある。巡回を続けよう」

 熟練の戦士達が周辺を警戒しながら山林を歩いている。その会話を聞いて武者震いのように体が一瞬震えた。

「熟練の戦士が二十人近くかり出されるレベルのモンスターがこの周辺に?」

 人間一行の戦力を概算で見れば、彼らが狙っているモンスターのレベルはかなり高そうだ。彼らの戦力ならかなり強いモンスターを相手取っても戦える。モンスター単体を戦力として見れば、トリニッチを遙かに上回るモンスターがこの近辺をうろついていることになる。

「どんなモンスターだ? 強いやつってだけじゃ手がかりがなさ過ぎるな」

 幸い自分は人間と変わらない見た目をしている。今から直接熟練の戦士達に聞きに行くのも手段の一つだ。しかし熟練の戦士ともなれば侮れない。こんな場所に一人でいることを怪しまれるかもしれないし、人間でないということが見抜かれてしまう可能性もゼロではない。もし見抜かれてしまったら、間違いなく死を覚悟しなければならないだろう。

「あの中に入っていくのはリスクが高いな。なら、町の方に行くか」

 熟練の戦士達の会話を聞いて胸が躍る。運が向いてくることまではないと思っていたところだった。そこに突如舞い込んできたモンスターの情報。良い流れは確実に来ている。この情報を耳にしてそう確信できた。

 熟練の戦士達をやり過ごして、人里へと向かっていく。向かう先は当然、目の上のたんこぶであり続けた大都市。武闘派の王が治めていることから、ただでさえ人口の多い大都市なのに戦闘訓練を積んだ人の割合が高い。

 その大都市から一番近い迷宮の管理者である身からすれば、これほど面倒きわまりない人里はない。しかしそういった傾向のある大都市だからこその利点もある。戦士が多いからこそモンスターの情報が集まりやすいのだ。

 人里の立ち寄ると相変わらず人の多さに目が回りそうになる。迷宮もかなり大規模なものになると軍隊の基地かと思うほどモンスターが迷宮内に溢れているらしい。しかしあいにくまだそれほど大きな迷宮に縁はなかった。

「えっと……あった」

 見つけたのは行政が運営している施設。その中に賞金がかかったモンスターの手配書を取り扱っている部署があり、そこに行けば無料で手配書をもらうことが出来る。町中にも何カ所も掲示板を設置して手配書が貼り付けられているのだが、手配書をもらうにはこういった施設を利用しなければならない。

 熟練の戦士達が捜索している。もしかしたら今この瞬間、すでに発見されて戦闘が行われているかもしれないし、討ち取られてしまっている可能性もあり得る。けれどもしかしたら先に見つけることが出来るかもしれない。その可能性にかけるために、少しでも情報が欲しいと手配書をもらいに来たのだ。

「熟練の戦士が二十人も出張ってくるほどのモンスターはいないんじゃないか?」

 現在手配されているモンスターを見る限り、あの集団は明らかに戦力過多だ。

「まだ手配書が発行されていないのか? 遠くから流れてくるとしても、どこかで手配書が発行されると思うんだけどな」

 モンスターを脅威と思って討伐隊が組まれて動き出すほどだ。どこかでモンスターに関する情報が人間側に渡っているなら、姿形の情報かどれだけの被害が出たかなどの、全容が判明していない状態の手配書として出回っているはずなのだ。それがないことが少々気がかりだった。

「……あ、トリニッチの手配書だ」

 トリニッチはすでにこの地を離れて新天地に行ってしまった。この手配書がこの人里で生きることはないが、移籍などの情報を人間が知っているわけはなく、しばらくこの手配書は出回ったままになるだろう。

「うーん……人間の方の情報屋のガセネタか、それとも誤報か?」

 人間が脅威に感じるモンスターがいる。その情報に喜んだが、どうやら空振りに終わるかもしれない。それでも探せば何か見つかるかもしれない。期待値は先ほどよりも低くなったが、そもそも野良探し中だったのだ。やることは変わらない。

「とにかく良いノラを探すっていう方針に変わりはないな」

 もらった手配書はひとまずまとめてポケットにでも入れておき、人里を出て野良探しを続行することにした。

 野良探しを続行して迷宮周辺を散策してしばらく経った。日も少し低くなって収穫無しで帰ろうかと思った時だった。迷宮付近で巨大な体躯をした何かを発見した。灰色の肌を下二足歩行の巨体。ブヨブヨに肥えた腹と太い足。見にくくも威圧感のある顔。そして何より太い木と変わらない腕が持つ根っこから引き抜かれた木はまるでただの棍棒。

「トロール族……か」

 自分の倍はありそうな背丈に肥えて太った体。しかし動きはそこまで遅くはなく、ただ太いだけではない腕から繰り出される攻撃は驚異。灰色の皮膚は硬度もあって守りもそれなりに堅い。熟練の戦士といえども少数で相手にするのは骨が折れるはずだ。

「こいつを探していたのか……」

 熟練の戦士一行が探していたモンスターを見つけた。間違いなくこいつだ。熟練の戦士が二十人も出張ってくる価値は十分ある。

「あぁ……誰だ?」

 こちらの存在に気がついたのか、トロールは巨体で周囲の木々をへし折るかのように荒々しく身を翻す。

「人間か。ぶち殺してやる」

 トロールが根こそぎ引き抜いて棍棒としている木を振り上げる。その瞬間命の危機を察した。外見が人間と変わらないため人間だと思われているようだ。

「ま、待て! 俺は人間じゃない」

「あぁ?」

 振り上げた棍棒を振り下ろしかけたところでトロールは動きを止めた。

「人間じゃねぇだと?」

 疑り深そうにじろじろとこちらを見てくる。人間が助かるために人間じゃないと嘘を言っている可能性を疑っているのかもしれない。

「俺はこの近くの迷宮で管理者をしているヴィンセントだ」

「管理者だと?」

 疑っていたトロールは数回頷いて振り上げた棍棒を下げる。どうやら攻撃する意思はなくなったようだ。

 それもそのはずだ。迷宮の管理者などという職業を人間は知らない。真っ先にそういうということは人間である可能性は低くなる。

「その管理者様が一体俺様に何の用だ? ふざけた理由だと人間じゃなくてもぶち殺すぞ」

 ずいぶんと粗野で口が悪い。

「俺は迷宮の管理者だ。もしあんたが野良だったら俺のところに来ないか?」

「あぁ? どうして俺様が誰かの下につかなきゃならねぇんだ」

「もしかしてずっと野良でやってきたのか?」

「お前には関係ねぇだろ」

 トロールの口ぶりからして少なくともどこかの迷宮に長く所属していたということはなさそうだ。しかし問題なのは今が野良かどうかだ。

「もし俺のところに来たら、あんたの行きたい迷宮にコンタクトを取ってやることが出来る。現に少し前にも野良だったやつも俺のところから新天地を求めて移籍していったばかりなんだ」

 ひとまず野良かどうかを聞き出さなければ話は始まらない。とにかく野良に関する何かしらの話題でトロールの状況が知りたい。

「けっ、俺様は群れるのが嫌いなんだよ。得に迷宮とかいうやつに所属するのはもうごめんだ」

「じゃあ前はどこかに所属していて、今は訳あって野良ってことか?」

「ああ、そうだよ。しつこいんだ。お前に関係ねぇだろ」

 このトロールはどうやら迷宮に所属することに対して言いイメージを持っていないようだ。その理由がわからなければ説き伏せることが出来ない。

「しつこくて悪かったな。でも気になるんだ。何があったんだ?」

「……ちっ。うるせぇ野郎だ」

 トロールがにらみつけてくる。あまり刺激しない方が良いかもしれない。

「迷宮に所属して何の得がある? 俺様はただ人間をぶっ殺してやりたいだけだ。なのに所属した先ではどいつもこいつも決まり事を守れと抜かしやがる。人間が入ってきたらぶっ殺せばいいだけだろうが!」

 どうやらこのトロールは自分の自由に戦わせてもらえなかったことにいらだちを感じているようだ。モンスターの中には故郷を人間に襲われたり、家族や仲間を殺されたりして復讐心をもって迷宮に所属する者も少なくない。彼らにとって迷宮という場所は衣食住をするための場所であり、同時に人間を殺せる場所と考えている。

 しかし管理者側から言わせてもらえばそんなに単純ではない。

 迷宮では基本的にある程度の人間は生きて返す。迷宮の存在と危険度合いなどの情報を人里に具体的に届けるためだ。侵入してくる人間を全て殺し尽くしていると、その迷宮の存在を知った者がいなくなってしまい人間が来なくなってしまう。口伝えでの宣伝というわけだ。さらに死者が増えれば当然やってくる人間の強さは増してくるし、強者の数も増えてくる。そうなると被害が大きくなってしまうことも考えられる。

 ベアトリクス風に言えばお客を呼び込むと言うことで集客。その集客による収支という観点で考えれば、いちいち情報屋に情報を流してもらうのも手間で支出になる。人間がやってこなくなると収入源が減る。適度に殺し、適度に逃がす。これが迷宮を管理運営していくコツなのだ。

「なるほど。じゃあ迷宮に入ってきた人間を全員殺していい迷宮があったらそこに行きたいってことか?」

「当たり前だ。人間をぶっ殺す」

 迷宮に侵入してきた人間を全員殺していい。そういう迷宮がないわけではない。ないわけではないのだが、そういった特殊な迷宮は色々と難しい点がある。まず、所属しているモンスターが全員異常なほど強い。そしてやってくる人間もとんでもなく強い。人間が自分の命をかけて挑んでくる、人間にとって名声と自己満足のための迷宮。モンスターにとって強い人間と戦いたいだけの戦闘狂のための迷宮。そういう迷宮が存在する。

「あんたの希望の迷宮に心当たりがないわけじゃない」

「……なに?」

 このとき、トロールの表情が少し変わった。今まで特に相手にするつもりもなかった相手が自分の欲している未来へのきっかけを持っている可能性がある。その事実を察してのことだ。

「俺様が行きたい迷宮に行けるって言うのか?」

 こちらの話に興味を抱いた。なら後は相手の希望に出来るだけ答える形で、なんとかこちらの利になるようにしたい。

「確実に行けるとは限らない。向こうがあんたを欲しいと思うことが大前提だからな」

「この俺様の実力にケチをつける気か?」

「俺はあんたの実力はかなりのものだと思っているよ。でも相手がどう判断するかはわからない。実力不足だと言われる場合もあるし、トロール族はもう十分いるからいらないって言われる可能性もある。そこはなんとも言えない」

「ほぅ……つまり、俺様の実力次第ってわけか」

 トロールはニヤリと笑みを浮かべる。どうやらかなり自信があるようだ。

「どんなやつがいても俺様が欲しいって言わせてやるよ」

「とんでもない自信家だな。じゃあ一緒に来てくれるか? あんたの希望する迷宮をリストアップするためにも条件について詳しく知りたい」

「いいぜ。俺のためにいい迷宮を探してもらうぜ」

 実際条件の聞き取りや迷宮のリストアップはフィオラの仕事だ。彼女には悪いがこの面倒くさそうなトロールは一任することにしよう。彼女も大金が動く移籍話になる可能性があれば請け負ってくれるだろう。

「ところであんたのことはなんて呼べばいいんだ?」

「俺様か? 俺様のことはボルジャンと呼べ」

「わかった。じゃあボルジャン。どれだけの期間になるかわからないけど、よろしく頼む」

 組織に所属するには難ありだが、戦闘要員として見れば相当レベルが高い。この前の大会にこのボルジャンが出ていたとしたら、勝てるのはヴァンパイア族のリーシュリーくらいじゃないだろうか。

 とんでもない実力を持ったボルジャンとの出会いに手応えを感じ、最高の気分で迷宮へと帰って行く。このいい知らせを早く知らせてやりたい。その一心だった。

 しかし迷宮に到着すると、普段とは全く違う雰囲気が迷宮内を支配していた・

「ど、どうしたんだ? 何があったんだ?」

 急いで執務室に行くと、そこには頭を抱えているフィオラの姿があった。

「フィオラ? どうしたんだ?」

「ああ、お帰りですか」

 いつもの冷静で堂々とした様子がフィオラから感じられない。

「先ほど人間の一行がやってきました。熟練者の集団です」

「熟練者の……集団って!」

 ボルジャンを見つけるに至る情報を話していた熟練の戦士達。その数は約二十人。彼らはモンスターを探していた。その捜索の矛先がこの迷宮に向けられる可能性をどうして見落としていたのか。

「被害は?」

「戦闘態勢に着いていた全員が戦死状態です。蘇生するとすればかなりのコストがかかります。蘇生せずに埋葬し、新たなモンスターを獲得するにしても相当なコストがかかります」

 せっかくトリニッチを馬脚して手に入れた移籍金。その移籍金でモンスターを新たに獲得する予定だった。その心躍る未来が完全に消え去ってしまった。

 迷宮には特殊な魔法の結界が張られている。ただ戦って戦闘不能状態になっただけのモンスターならば、結界の力と当人の自己治癒能力で時間をかければ復活が可能だ。死んでしまうのだが、結界が生きている迷宮内では本当の死ではなく仮死状態になる。

 ではどうすれば戦死の状態になるか。それはモンスターが原形を残さないほどやられてしまった場合や、戦闘不能という仮死状態になった後も追撃でとどめを刺された場合などだ。

 新人の戦士ならば戦闘不能の状態からさらに攻撃を加えてとどめを刺すのは稀だ。しかし熟練者は修羅場をくぐってきている。仮死状態や気絶しただけのモンスターに隙を見せてしまったがために痛い目に遭った経験があるはずだ。その習慣なのだろう。たとえモンスターが相手にならないくらい弱くても、確実にとどめを刺して回ったのだ。

 しかし戦死したからといって終わりではない。迷宮内で戦死したモンスターはしばらくの間は結界の力で蘇生を行う猶予がある。蘇生を行えば復活することは可能。しかし通常の治療や修復以上に当然ながらコストがかかる。

 この迷宮に来るのは新人ばかりだ。戦死など月に数回あるかないかくらい。だから完全に失念していた。

「あのとき、手配書をもらいに行かずに帰っていれば……」

 いい流れがやってきて、運が向いてきて、どこか油断していたのだろう。最悪の展開を考えの中から消してしまっていた。とんだ失態だ。

「ベアトリクスは?」

「治療室……と、いうより遺体安置所ですね。そこにいます」

「そうか」

 迷宮で戦闘態勢に入っていた全てのモンスターが戦死状態となった。残ったモンスター全員をフル稼働してもやっていくには数が足りない。最悪の展開だった。

「ひとまず蘇生のために必要なコストの計算を……」

「おいおい、お前は何を言ってんだ?」

 執務室に入ってきたボルジャン。彼の表情は呆れと怒りが混在していた。

「すまない、ボルジャン。希望の迷宮を見つけるのには少し時間が……」

「ああ、違うな。違う。お前は大きな間違いを犯していやがる」

 ボルジャンが一気に距離を詰めてきた。

「どういう……意味だ?」

「仲間がやられたんだろ? だったらやった人間をぶっ殺しに行く。それだけだろ」

 実にボルジャンらしい考え方だ。しかしそれだけの戦力はないし、ボルジャンを今好き勝手に暴れさせるわけにはいかない。あの熟練者達は対ボルジャンのために組織された討伐対だ。その討伐対に討伐対象をぶつけるなど正気の沙汰ではない。

「それはダメだ。あの人間達は……」

「あー、うるせぇ。腰抜けは黙ってろ」

 ボルジャンの太い腕が迫ってくるのが見えた。次の瞬間、吹っ飛ばされて執務室の壁に衝撃とともに叩きつけられていた。

「げほっ……」

 言葉が出なかった。激痛と衝撃で思考すら定まらない。

「あ、あなた! 一体何をしているのですか! 迷宮の管理者への暴力は規律違反で制裁対象となりますよ!」

 怒鳴ったフィオラにボルジャンが一気に距離を詰める。そして巨大な手でフィオラの細い体をがっしりとつかんで軽々と持ち上げる。

「うるせぇよ。規律だ? そんなのはクソ食らえだ!」

「あっ……うぐぅ……」

「痛いか? 苦しいか? やめて欲しかったら、ここを襲った人間がどういった奴らでどこへ行ったかを教えろ。さもなきゃ、このまま体を握りつぶして、下半身の蛇の部分にかぶりついて夕食としゃれ込んじまうぜ」

「う……わ、わかり……ました……映像を……お見せしますので……は、放して……」

 ドサッと音がしてフィオラが地面に落ちる。

「そうだよ。わかればいいんだ。ほら、さっさと見せやがれ」

「はぁ……はぁ……」

 体に感じる激痛に表情をゆがめながら、フィオラは映像を見せる準備をする。水晶玉を出し、白いシートに映像を照射する。映っている映像は数時間前、実際にこの迷宮へとやってきた人間達。彼らは間違いなく山林で見かけた熟練者の一行だった。

「へぇ、なかなか殺しがいのありそうな奴らじゃねぇか」

 ボルジャンのその一言を聞いて一つの結論に達した。

 出会ってからずっと人間に対する復讐心で動いている戦闘狂だと思っていた。しかしボルジャンは人間に対する復讐心で動いているわけではない。ただ人間を殺すこと、獲物として狩ることを楽しんでいる戦闘狂だ。手応えのありそうな人間と戦って殺す。それが彼の生き甲斐なのだ。

「くそっ……とんでもないやつだったのか……」

 またしても失態。どうやら久しぶりにいいことが続いてしまったことで、とことん視野も考え方も狭くなってしまっていたようだ。

 ボルジャンは強い。ここで下手に抵抗して被害を増やすより、このまま人間狩りに出て行ってくれれば被害が小さくて済む。このまま穏便にただ出て行ってくれることを願って、ボルジャンが映像を見終わるのを待った。

「ヴィンセント、帰っていますか? 大変ですよ!」

 ただ穏便に、ボルジャンが去って行ってくれるのを待つだけだった。しかし執務室にベアトリクスが登場し、ボルジャンと目が合った。

「あ、あれ? 新人さんですか?」

 ボルジャンを見て彼女は開口一番そう言った。このまま何事もなく穏便に、そう思っていたがその思いは次のボルジャンの一言に打ち砕かれる。

「おいおい……何でこんなところに天使族がいるんだ?」

 ボルジャンは映し出された映像もう目もくれず、執務室に現れたベアトリクスに狙いを定めて歩み寄る。

「ベアトリクス! 逃げろ!」

 ボルジャンは間違いなくベアトリクスを狙っている。人間を狩るのが好きなあいつのことだ。天使族を捕まえたら間違いなく殺すことだろう。ベアトリクスは契約をしていないため、迷宮内で死んでも蘇生が出来ない。死なれるわけにはいかないのだ。

「は、はいっ!」

 聞き分けのいい彼女はすぐさま執務室を飛び出して逃げ出す。その後をボルジャンがブヨブヨの巨体とは思えないほどの速さで走って追いかけていく。

「逃げてんじゃねぇぞ!」

 必死に逃げるベアトリクスと追いかけるボルジャン。その間に巨体が割り込んでボルジャンの前身を止めた。

「ガンテス!」

 体が強化されたことで戦力の温存や次の大会のためという思惑もあり、ガンテスは迷宮内に配置されていなかった。そのガンテスが以上を察して駆けつけたのだ。

 ゴーレム族の中でも質は高くない。しかし素材は過去最高のものが揃っている。そしてゴーレム族もトロール族も物理攻撃のパワータイプ。似通ったタイプ同士の激突だ。

「邪魔すんじゃねぇよ! この石ころ野郎が!」

 過去最高の素材で構築されたガンテスだが、並のゴーレムではボルジャンの前では歯が立たない。一度はボルジャンの全身を止めたガンテスだったが、力負けして壁に叩きつけられるとボルジャンの豪腕の連続攻撃を食らってその場に崩れ落ちる。

 ガンテスは戦闘不能となったが少しは時間が稼げた。しかしボルジャンはまだ諦めずにベアトリクスを追いかけていくのだが、その前にまた影が現れる。

「おっぱいは俺が守る!」

「この迷宮で好き勝手はさせんぞ!」

「これほどの強敵は死んだとき以来でしょうかね」

 コウモリ族のアルデロ、スライム族のアルゴリウス七世、アンデッド族スケルトン型のカリヤン。彼らだけではない。この迷宮に所属する、戦死していないモンスター全員が総出でボルジャンの行く手を遮る。

「雑魚共が俺様の邪魔をするんじゃねぇ!」

 一体、そしてまた一体……戦力に乏しいこの迷宮にいるモンスターは総掛かりでもボルジャンの敵ではない。瞬く間に蹴散らされていき、さほど時間をかけることなく全てのモンスターが敗れ去った。

「ちっ、逃げやがったか」

 しかしベアトリクスを逃がすだけの時間はなんとか稼げたようだ。

「天使族をぶち殺してみたかったが、まぁいい。人間狩りでもしに行くか」

 ベアトリクスを捕まえることは諦め、ボルジャンは迷宮の外に出て行く。人間用の出入り口ではなく関係者専用の出入り口のため、一度外に出てしまえば管理者かもしくは直属の広域統括責任者かそれと同等の地位にいる者の許可がないと入ることは出来ない。

 これでひとまず嵐は過ぎ去った。しかし……

「……なんだよ。これ……」

 ほとんどのモンスターが戦死し、残りのモンスターは全て戦闘不能。事務方のフィオラさえも負傷している。今まで苦しかったとはいえ、これほど凄惨な状況は初めてだった。

「ちく……しょう……」

 余計な欲を出していなければ、人間の集団を見かけたときに危機感を感じていれば……ボルジャンと出会うこともなかったし、人間相手にも対応が出来た。全ては追い風が吹いたことで多くのことを見誤った自分の不甲斐なさの結果だ。

 悔しさで、どれだけぶりかわからない涙が流れ落ちた。

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