第十二話 目標達成の喜び
負ければさっさと帰る。一回戦や二回戦で負けたのなら表彰も何もない。賞金はその日のうちに受け取って帰る。最後に上司に挨拶をしようと思ったが、遠目から見ても大会主催者席に客人と一緒にいるのがわかったので諦めた。
ガンテスの修復を大会治療室で済ませてもらい、来たときと同等かそれ以上の速さで帰還した。これで遠征にかかった費用は最小限に抑えられたはずだ。それで目標だった一回戦突破を成し遂げた。上出来だ。いや、最上のできかもしれない。
「お帰りなさい。結果は良かったようですね」
迷宮に帰るとフィオラが出迎えてくれる。そして開口一番、まだ伝えていない結果について話し始めた。
「結果がわかるのか?」
「直接はわかりませんが、移籍リストに載っているモンスターについての問い合わせが何件か来ています。他の管理者から目をつけられるくらいだったので悪いものではなかったという推測です」
「なるほど。それでその問い合わせは本移籍希望か?」
「はい。レンタルもありますが、本移籍の問い合わせも来ています」
「おぉ、いい傾向だな」
今まで見向きもされない弱小迷宮だったが、ここに来て少し風向きが変わった気がする。
「ふっふっふっ、やはりこの俺があのリビングアーマーを倒したのが良かったようだな。あれだけの大活躍、注目を浴びてしまうのも致し方のないことよ」
アルゴリウス七世が得意げにしている。見た目は体がいつも通りぷよぷよとしているだけだ。見慣れないとわからないかもしれないが、得意げにしている。
「それで問い合わせの内容は?」
「必要な移籍金と当人の希望する給料のおおよその額などですね」
「名残惜しいが……さらばだ、あるじよ。俺はこれより新天地で高給取りとなる!」
「問い合わせは誰のことを?」
「トリニッチですね」
「……へ?」
アルゴリウス七世の体のぷよぷよした動きが止まった。見慣れないとわからないかもしれないが、冷えて固まったかのように動きが止まった。
「結果は二回戦負けだったけど、二回戦では格上とされる相手に真っ向勝負で勝っていたからな」
「試合内容でトリニッチの移籍金を多少高額にしても交渉の余地があり、なおかつ一回戦突破で賞金を得る。目標達成が出来たようで何よりです」
フィオラと本格的に話し込んでいると、その会話にアルゴリウス七世が割り込んできた。
「あ、あのー……俺は?」
「何がですか?」
「いや、ほら……俺も大いに活躍したわけだ。移籍の話の一つや二つ来ていてもおかしくはないだろう?」
「いえ、来ていません」
フィオラは無情にもアルゴリウス七世の希望を一言で打ち砕く。
「い、いや、そんなはずはない。リビングアーマーだぞ? かなりの強敵なのだぞ?」
「ですから来ておりません」
「そ、そんなバカな……」
アルゴリウス七世はがっくりと落ち込んでいる。見慣れないとわからないかもしれないが、やや球体が楕円状に変わっているのでおそらく落ち込んでいる。
「俺はどこだろうとおっぱいさえあれば気にしないぜ」
ベアトリクスの胸に一度飛び込んだアルデロ。胸の柔らかさを堪能してからバタバタと翼をはためかせて廊下の奥へと消えていった。
「……僕は部屋で……かわいい物……作れたら満足……」
ガンテスは移籍話に一切興味がなさそうに廊下の奥へと歩き去って行った。
「トリニッチ。問い合わせに対する返答に必要な詳細な意見も聞いておきたいので、今から少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
「ああ、かまわない」
フィオラとトリニッチも廊下の奥へと消えていく。
「ベアトリクス。少し疲れたか?」
「いえ、大丈夫です」
「今日は休んで良いぞ」
ベアトリクスとともに廊下を歩いて行く。その間、ずっとアルゴリウス七世は落ち込んで固まったままだった。
「あ、あるじよ……」
「ん? どうした?」
呼び止められて振り返る。
「さ、さっき言った新天地云々のことなのだが……」
どうやら自分の言ったことを少し気にしているようだ。新天地で高給取りになると言ったことを悔やんでいる。望み通りの結果が得られなかったからだろう。
「みなさん、家族みたいなものじゃないですか」
「……へ?」
「そんなことくらいでヴィンセントもみなさんも嫌ったりしませんよ」
ベアトリクスの優しい笑顔での返答。まさに天使の微笑み。その救済の笑顔はアルゴリウス七世の不安を大いに和らげる。
「あ、あるじ……そ、そうなのか?」
「ああ、そんなことをいちいち気にしたりはしない」
アルゴリウス七世に活気が戻る。見慣れたからこそ、楕円形から球体に戻った様がまさしく精神復活の様子だ。
「あ、あるじ……俺は主に一生ついていくぞぉっ!」
ぽよぽよ……ではなく、ぼよんぼよんと激しく跳ねながらアルゴリウス七世も廊下の奥へと消えていく。
「……そもそも前からずっと似たようなことは言っているからな」
アルゴリウス七世が移籍の話や新天地に関することを言うのは別に珍しいことではないので、いちいち気にしているとこちらの身が持たない。こちらからするとあのような言動は相変わらずだった、というだけの話だ。
気むずかしい管理者は自分の迷宮に関して不平不満を言っただけで解雇対象にしたりする様なやつもいる。失言を恐れるのは悪くはない。しかしそんなことを言う性格でもなければ、そもそもそんなことを言っている余裕もない。
「微々たる額だけど、今回頑張ってくれたから少しだけボーナスでもつけてやるか。あと、」酒でも振る舞うのもいいかもしれないな」
功労者には少しでも報いてやりたい。長期間ボーナスを支払う余裕はないため一回限りになってしまうが、やらないよりははるかにいいはずだ。
「ヴィンセントは優しいですね」
「……そうか?」
「はい。そうです」
ベアトリクスに優しいと言われて少々戸惑ってしまう。管理者の立場で優しいと言うことがプラスになるのかマイナスになるのか。どちらにでも転ぶ可能性があることに不安を感じつつも、彼女の性格上マイナスの意味はおそらくないだろう。今回は素直に喜んでもいいかもしれない。
大会期間中だけという短い時間。ここしばらく感じたことのないような濃い一時を送ったような気がする。それだけに小さくも良い方向に風向きが変わったことは、何か大きな事を成し遂げた様な気にもなる。
今は気を緩めず謙虚に着実に、しかし確実に前に進んで行く。全く見えなかった先行きに光が差し込み、真っ暗だった未来に好転の兆しが見えた。今はひとまずこの結果に満足しつつ、これから先のことを考えていこう。
心には久しぶりにやる気や自信が復活していた。
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