第六話 ないもの同士
執務室で事務仕事をする、といっても今日の分はもう終わっている。突発的な何かが起こらない限りはもうすることがない。
「……」
執務室にいるのは息が詰まる。ヴィンセントに待っていろと言われて律儀に執務室で待っているベアトリクス。同じ空間にいるだけで彼女に対するいらだちが募る。
そもそも今まではぎりぎりではあるがなんとかやってこられたのだ。それを彼女がやってきて、掃除と銘打って余計なことをしたことで大惨事となった。本来なら即刻追放するべきだが、なぜか主であるヴィンセントは彼女を追放しようとしない。
だからといって追放せずに移籍市場に出す様子もない。損失を被ってまで手元に置いておくべき理由がわからない。
「……少し出てきます」
「あ、はい。いってらっしゃい」
こちらはいらだちを募らせているというのに、ベアトリクスはまるで何事もなかったかのようににこにこしている。待っていろと言われて律儀に待つのは良いが、反省の色や申し訳なさというものが雰囲気や態度に表れても良いはずだ。だがそれは全くない。いらいらする自分が短気なのかと思ってしまうほど、彼女は全く意に介していないように見える。
執務室を出るのも彼女と同じ空気を吸っていたくないからだ。いらいらで息が詰まってしまう。ベアトリクスは気にならないようだがこちらは気になるのだ。
「おー、フィオラ。ちょうど良いところにいた」
歩きにくそうに廊下を歩いているピアナと出会う。歩み寄ってきたかと思えば手に持っていた紙を差し出してきた。
「査定書……ですか?」
「うん、あのスライム。トリニッチの査定書」
ピアナは自分の仕事をして、そして出来た書類を渡しに来ただけだ。
スカウトや仲介屋の仕事は信用度合いや実力が命だ。目利きの力がどれだけ確かであるかで顧客の数も活躍の場も変わってくる。ピアナはそんな実力社会の業界で裸一貫から今の地位を築き上げた。
評価によって査定書の信頼度が変わってくる。ピアナのようにある程度実力が認められたスカウトのサインが入っている査定書なら、ほぼその額面通りの額で移籍の取引が行われる。能力が低かったり悪評が立っていたりすると額面よりも当然値切られる。信用されていないのだから当然だ。
「ありがとうございます」
実力が全ての世界で信用を勝ち取って生きる彼女が出した査定額だ。今後の予定もほぼ記されたガスそのままで計算しても問題はない。その信頼を元に査定書に書かれた数字に目を向ける。
「特殊型のスライム族としては少々高値だと思いますが?」
平均的な市場価値は把握している。その平均値から多少上下はあるとしても、この額は少々多いのではないか、そう思った。
「いや、適正値だよ。ヴィンセントは契約してすぐに移籍市場に出したい。トリニッチと契約の話になると、当然移籍の話は出さないわけにはいかない。ヴィンセントの下心を知った上で契約に応じるとなると、トリニッチは義理堅く真面目で組織には必要なタイプ。能力も見たところ特殊型のスライム族としては平均以上みたいだし、その額で間違いないよ」
目利きの実力だけで生き残ってきたピアナの自信満々の言葉と様子。それが査定書に書かれた数字の信頼性を増す。
「あなたはヴィンセントと仲が良いようなので彼に気を遣ったのかと思いました」
「あはは、まさか」
自らが心に抱いた不安を彼女は一笑に付す。
「確かにヴィンセントとは仲が良いよ。ヴィンセントの能力も評価している。でもだからといって公私混同はしないよ。そんなことをすると信頼を失って仕事にならなくなるのは自分だからね」
信頼が何よりも一番。だからこそたとえどれだけ仲が良い相手であっても公私混同はしない。それがピアナの考え方だ。
「そうですか。では契約がまとまり次第、この査定書付きで移籍市場に登録します」
「うん、それでも結構早めに買い手はつくと思うよ」
平均的な市場価値よりも高い。それでも買い手がつく。ピアナが高値をつけるだけの実力があると他所の管理者が判断するからだ。
「ところであと一回、査定をして欲しいのですが」
「ん? 誰を?」
仕事はもう終わった気でいたピアナ。彼女に追加で仕事を頼むのは私情だけでなく、ヴィンセントの未来を考えた上で必要だと部下の立場で考えたからだ。
「ベアトリクスを」
「え? ベアトリクスを移籍市場に出すの?」
ヴィンセントはそんな気配を微塵も見せていない。だからピアナもベアトリクスの査定を頼まれたことに驚いているようだ。
「すぐに売りに出すわけではありません。将来的にそうなった場合のために数字を知っておきたいだけです。正式な仕事の依頼ではないので査定書はいりません。ですがお手間を取らせるので料金はお支払いします」
「んー……まぁ、いいけど……」
ヴィンセントの意思ではない査定にピアナの表情は晴れない。ヴィンセントの知らないところで行っているということに後ろめたさがあるようだ。
「査定くらいならするけど、ヴィンセントは売らないと思うよ」
「状況が変わればわかりません」
「いや、状況が変わっても売らないと思う」
ピアナはやけにヴィンセントがベアトリクスを売りに出さないと主張する。まるで何かそう確信する要素があるかのように、頑なだ。
「なぜそう思うのですか?」
「なぜって……ヴィンセントだからね」
返答にも説明にもなっていない。だがピアナが言うのならそうなのだと思ってしまう。目利きの実力は折り紙付きだからだ。
「ヴィンセントって弱いものを放っておけない性格なんだよね。この迷宮にいるモンスターってみんなどうしようもない奴らばっかりでしょ? 普通なら契約延長拒否か解雇で追い出すよ」
「確かに。事務方の私の戦闘能力の方が戦闘要員の彼らよりも高いくらいですからね」
「あはは、そうだね。この迷宮のモンスター全員を同時に相手してもフィオラの方が普通に強いよ」
目利きの実力者のお墨付きをもらってしまった。情けないことにこの迷宮に所属しているモンスターはそれだけ弱小揃いなのだ。
「それでもヴィンセントは切り捨てない。弱いモンスターは契約が切れて野良になると行くところがなくなるからね。野良で人間にやられるか、故郷に帰るかの二択。故郷に帰ってももう戦闘要員としては無理だから他の仕事を探すしかなくなるんだ。迷宮の戦闘要員は他の仕事に比べると収入は良いから、みんな契約が切れると困るんだ」
人間を相手に戦う。その危険度が他の仕事よりも割の良い給与体系になっている。そして実力があればあるほど収入は増える。多くのモンスターはどこかの迷宮に所属して高給を手にしながら人間と戦うことを目標に生きている。
当然夢破れる者も少なくない。迷宮の戦闘要員になりたくてなれない者は掃いて捨てるほどいる。自ら進んで野良となって人間を狩り、名をあげてスカウトされるのを待つ者もいるほどだ。
「彼は弱い者を切り捨てない。それは迷宮を管理する者としてはどうかと思いますが、それが仲良くしている理由ですか?」
「んー……まぁ、理由ってほどでもないけどね」
ピアナは頭をかきながら少しうなる。
「私って今はスカウトか仲介屋なんだけど、前は迷宮の戦闘要員だったんだ」
「そうでしたか。それは初耳です」
「ほとんど言ったことなかったからみんな知らないと思うよ」
ピアナの思いがけない過去の話に少し驚いた。
「戦闘要員としてはまずまずだったんだけどその迷宮も財政難でね。負傷したときの治療室がまぁひどい。ちゃんとした治療が出来なくて病気になってね。戦闘要員としての役目が果たせなくなったんだ。そして長期離脱をしていると契約を更新してもらえなくてね」
「それはその管理者の責任ではありませんか?」
「うん。設備投資をケチったせいなのに貧乏くじを引いちゃってね。戦闘要員として働けないからどこからも声がかからなくて、給料はほとんど故郷に送っていたから手持ちもないまま戦えない体で野良になったんだ」
普段から軽い彼女からは想像出来ない過去だった。どう反応して良いのかわからずにいたが、彼女は引き続き過去を語ってくれた。
「野良になったらとにかく生き延びなきゃいけない。襲ってくる人間の中で勝てそうなやつと勝ち目のないやつを見極めて、野良のモンスターを見つけたら自分より強いと頼って弱いと囮にして、なんとか生きていったんだ。そのときに命がけで身につけたのが目利きで人間とモンスターの実力を知ることが出来る能力。そのおかげで今こうして仕事が出来ているんだから、運命ってどう転ぶかわからないものだよね」
戦えない状態で迷宮を追い出され、戦えないからこそ目利きを身につけた。命がけのひびのおかげでもあるが、決して手放しで喜べるようなものではない。
「スカウトの仕事が軌道に乗り始めた頃にヴィンセントの噂を聞いてね。それで直接聞いたの。弱いモンスターを追い出さないのか、ってね。そしたらヴィンセントは『こいつらは他に行く場所がないからな』って言ったんだ。私は自分の過去を振り返ってまさかこんなことを言う管理者がいるとは思わなかったの。そこからかな。よく話すようになって、ヴィンセントも仕事をくれるようになって、仲良くなっていったのは」
自分が役立たずになったときに追い出されたからこそ、戦力としては不十分でも追い出したりしないヴィンセントと仲良くなりたかったのだろう。
「ヴィンセントだったらきっと私を追い出さなかったし、もし私が野良の時にヴィンセントと出会っていたらきっと迎え入れてくれたと思う。だから私は力になれることだったらできる限り手を貸すよ」
自分が生きていくために必要な信頼の失墜は出来ない。しかし一個人として助けられることは助けてやりたい。追い出されたことによる苦しみを味わった彼女だからこその選択だと思った。
「さて、じゃあ仕事っと」
ピアナは一枚の紙を取り出すとそこにサラサラと文字を書いていく。そしてさほど時間をかけることなく文字を書き終えると、その紙を差し出してきた。
「これは?」
「ベアトリクスの査定書。今後もヴィンセントをよろしくって意味も込めてこれはサービスにしておくよ。たぶん無駄になるだろうし」
ベアトリクスの査定額を見てさらにいらだちが募る。自分が見た限り大した能力を持っているとは思えないのに、市場価格はとんでもない桁数が書かれていたのだ。
「天使族というだけで私がどれだけ頑張っても届かない市場価格だというのはさすがに頭にきますね」
「種族間の稀少の度合いはしかたないよ。持って生まれたものだけはどうしようもないからね」
天使族。それだけで破格の査定金額だ。この査定金額に対抗できる種族がいったいどれだけいるのだろうか。
「さて、じゃあ私もそろそろ帰ろうかな。今日はこの後何カ所か査定に回らないといけないからね」
「引き留めて申し訳ありませんでした」
「いや、いいよ。フィオラとはなかなか話す機会もなかったから楽しかったよ」
「ほとんどあなたの自分語りでしたが」
「あはは、確かに。でも楽しかったからいいや」
明るい笑顔のピアナ。仕事以外の会話はあまりなかったため今まで関係性ということを意識したことはなかった。しかし今日の会話でその関係性が大きく変わった気がした。
「また機会があればお話しできますか?」
「うん、いいよ」
仕事場で友達が出来た。そんな気がしてお互いに微笑んでいたときだった。
黒い塊が慌ただしく羽ばたきながら急接近してきた。
「全快だぁっ! さらにパワーアップだぁっ! あの柔らかは世界の至宝! この世のオアシスに向かう俺の邪魔はさせんぞ! そこをどけっ! 断崖絶壁ガールズ!」
羽ばたきながら急接近してくるのはコウモリ族のアルデロ。向かう先は執務室にいるベアトリクスの胸の間だろう。それはいい。それはいいのだが、自分に対して言った言葉に納得がいかなかった。
ベアトリクスに感じていたいらだちも込みで発散してやろうと思った瞬間、友達意識が芽生えたピアナと目が合った。そして無言のままお互い同時に頷く。
「誰が絶壁ガールズですかぁっ!」
「誰が絶壁ガールズだってぇっ!」
ピアナと息の合った拳がアルデロにクリーンヒット。高速で迫ってきていたコウモリは弧を描き、風に飛ばされる紙切れのように宙を舞って廊下に落ちた。
「私は慎ましい美乳ですから」
「私は控えめな美乳だからね」
ピアナと目が合い、自然とお互いがお互いの胸元に目が行った。なんともいえない親近感とともに、友達としての絆がより深まったような気がした瞬間だった。
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