第五話 思わぬ拾いもの
ゆらゆらと真っ暗闇の世界が揺れ動く。誰かの声も聞こえる。しかし体が動かない。
「ん……なん……だ……?」
真っ暗闇の世界の中に自分が一人だけいる。そして揺れ動く世界。週末の時を迎えてしまったのではないかと思った瞬間だった。ゆらゆらと揺れ動いていた世界が突如崩壊。平衡感覚を失い、全身に強烈な衝撃が走る。
「いっ……痛ぇ……」
衝撃で体に感覚が戻り、目が開いたことにより暗転していた世界が眠りに落ちていただけだと言うことを理解した。
「ヴィンセント、大丈夫ですか?」
傍らに立つベアトリクス。彼女は慌てたような表情でこちらの顔をのぞき込んでいる。どうやら執務室の自分のデスクで椅子に座ったまま眠ってしまったようだ。
「あぁ、大丈夫だ。目覚めもばっちりだよ」
まだ多少衝撃に痛む体をさすりながら立ち上がってもう一度椅子に座る。とんでもない目覚ましの一撃になってしまった。しかしおかげで一気に目が覚めた。
「それで? 何か用か?」
眠っていたところを起こすくらいだ。用事がなければやらないだろう。
「あ、はい。あの、お客さんが来ています」
「客?」
ベアトリクスが客という言葉を使う。その瞬間体に電気が走った気がした。
「人間がまた来たのか?」
全滅となった今では、元々足りていなかった戦力がさらに弱体化している。こんな状態で人間が侵入してきたら大変だ。攻撃どころかさらに傷が深くなってしまう。
「あ、いえ、違います。ヴィンセントにお客さんです」
「……俺に?」
迷宮にやってきたのは人間ではなく味方。それも知り合いのようだ。
「私がお呼びしておきました」
なぜ客がやってきたのか、どういった用件なのか、と考えていた。するとフィオラが執務室に二名の客を引き連れて入ってきた。
「おっはよー! ヴィンセント、まだ寝ぼけているの?」
起き抜けの耳に響く元気な少女の声。茶色の翼に膝から下が鋭い爪のある鳥の足。翼と足以外は人間の小柄で細い少女と変わらない姿。ハーピー族の少女、ピアナだ。
彼女は戦闘要員ではない。特定の迷宮や管理者との専属契約は行ってはおらず、フリーランスで仕事をしている。彼女の職業は『仲介屋』や『スカウト』である。迷宮に所属しているモンスターの市場価格の査定と迷宮同士での移籍の際の交渉の代理や仲介が主な仕事である。
「朝早くから失礼します」
ピアナに続いて執務室に入ってきたのは短い銀髪と尖った長い耳が特徴的な背の高い浅黒い男。ダークエルフ族のマヌエル。
彼も同じく戦闘要員ではない。彼の職業は『商人』や『運送』だ。注文があれば迷宮に商品を手に入れて運ぶのが主な仕事になる。
ハーピー族のピアナ、ダークエルフ族のマヌエル。二人とも知り合いで顔見知りだ。その二人がなぜ足を運んだのか、フィオラの説明を待つ。
「お二人をお呼びした理由ですが、ゴーレム族のガンテスの補修のための素材の調達、並びに迷宮内の改装に使える資材の有無と値段の確認、そして昨日迎え入れたスライム族の彼を移籍させる場合の価格査定を行っていただこうと思い、お二人をお呼びいたしました」
仕事の早い彼女らしい先を読んだ手配だ。ゴーレムの体を修復するための素材は出来るだけ早いうちに取り寄せる必要がある。昨日かくまうように迎え入れたスライムと雇用契約をするとなると市場価格を参考に給与を決めなければならない。他の迷宮と契約をしている可能性は否定できないが、その場合でも彼の情報があるに越したことはない。
「えっと、じゃあフィオラはピアナを昨日のスライムが休んでいる案内してくれ。無理は禁物だぞ。俺はマヌエルを治療室に連れて行く」
せっかく来てくれた二人を待たせるのも悪い。用件をまず済ませるためにも、フィオラに手伝ってもらうのが一番だ。
「では、私は掃除を……」
「あ、いや、しなくていい。ここで待っていてくれ」
何も指示が出ていないベアトリクス。彼女なりに仕事をしようという熱意にあふれているのはわかった。しかし昨日のことを考えるとそれを許すわけにはいかない。
「お仕事……しなくていいのですか?」
「今日はいい。臨時休業ってことで」
昨日の今日で仕事をしてくれとはさすがにいえない。フィオラの視線がきついこともある。ここは静かにしていてもらわなければ後々面倒なことになる。
「わかりました。ではここで待っています」
笑顔で明るい返事が返ってきた。彼女のことだ。こちらの意図を理解しての笑顔ではないだろう。だが聞き分けがいいということはひとまずありがたい。
ベアトリクスを執務室で待機させ、マヌエルを連れて治療室へと向かう。フィオラはピアナを連れて客室へと向かった。
「大変そうですね」
治療室へと向かう廊下。そこを歩いているときにマヌエルが声をかけてきた。
「そう見える?」
「ええ、とても。私に管理権限がなくてよかった」
管理権限。魔王から直々に迷宮の管理者に任命されること。管理権限を得た者は迷宮の管理を行う立場になる。もちろん経営ややりくりに失敗して管理権限の剥奪や返上なんてこともざらにある。楽な立場ではない。
しかし出世ということを目標の一つとしておくとするなら、管理権限を与えられることほどいいことはない。管理権限を持たない者の出世はどこかで頭打ちとなる。戦闘要員として名をあげたとしても、それは末端にいる一戦闘要員としての評価が上がるだけ。人間で言うならば英雄と呼ばれるようなよほどの功績がなければ、魔王直轄の精鋭部隊に組み込まれることもないまま現場で一生を終えるか引退のどちらかだ。
管理権限を与えられた場合、こちらも功績が必要となるが戦闘要員よりかは遙かに認められやすい。魔王直轄の一軍の将となることも可能だし、一地域の迷宮を統括する役目もある。出世により地位や権限が目に見えて変わる。しかし管理権限はそう簡単に与えられることはない。長く魔王に忠誠を誓った忠臣や代々忠臣であり続けた一族の中の優秀な者に管理権限が与えられる。
「魔王様の遠縁ということでの特例と聞いています。実績もなければ経験もない。さぞ風当たりも強いことでしょう」
「……そうかも、な」
否定できなかった。管理権限を与えられたがまだ若造だ。実力で這い上がってきた者達から見ればいい気分はしないだろう。長らく魔王に忠誠を誓ってきた一族の中のエリートから見ても、楽をして管理権限を手に入れることが出来たと思われてもしかたがない。
武闘派の王が納める人里。それも人口の多い大都市だ。そこから歩いてさほど時間をかけることなくたどり着ける一番近い迷宮。そんな難易度の高い迷宮を経験も実績もない若造に任せるとは考えにくい。そう、これは間違いなく『嫌がらせ』なのだ。
しかし管理権限を与えられて一管理者としてこの地域に配属された以上、この地域を統括する上司には従わなくてはならない。そして一度任されたからにはそこで結果を出さなければならない。投げ出せば自分の力不足という評価をされるかもしれないし、魔王の血筋を汚すことになるかもしれない。始まったそのときからすでに後に引けないのだ。
「私は一人の商売人として活躍できることで満足です」
「ははっ、たまに気楽な立場に立ってみたいと思うときもあるよ」
しかし戦闘技能に関してはさほど自信はない。一個人として活躍できるとするならフィオラのような事務方になるのだろう。しかし現在の迷宮のさんざんな具合から考えると活躍できるか怪しい。
「もし管理権限を剥奪や返上となってしまったら、見習いとして受け入れてもかまいませんよ」
「おいおい、縁起でもない」
そんなことにはならないし、なってしまうわけにはいかない。そう思ってはいるものの少し、今以外の立場や場所での仕事というものに気持ちが行ってしまい、慌てて気を引き締め直す。気弱になるなと自分に言い聞かせる。
「ここが治療室だ」
「はい、では拝見させていただきます」
治療室に着くなり扉を開いて中に入る。治療室では昨日と変わらず多くのモンスターであふれかえっている。その中で一番場所を取るゴーレムのそばに二人で立つ。
「どうだ?」
「なかなか手ひどくやられましたね。核が無傷なのが信じられません」
「まぁ、相手は新人だったからな。とどめを刺し損なったようだな」
「なるほど。新人相手ですか。確かに不必要なひびや破損が目立ちますね。効果的な攻撃というよりは、とにかくダメージを与えようとした結果でしょう」
慌てるとなかなか効果最優先で判断できない。とにかく目の前の敵に少しでも大きなダメージを与える。あの新人の四人組はそこまで緊張こそしていなかったかもしれない。しかし初の実戦だ。冷静さを多少欠いて戦闘行動を取っていたのかもしれない。
「完全に元通りにするには自己治癒では不可能ですね。ゴーレムの体を構築する素材の購入を考えられた方がよろしいかと」
「やっぱりそうか。まぁ、そうなるだろうな。それで見積もりはどれくらいになる?」
自己治癒では限界があることはとうにわかっていた。それが確実だと言われただけで特に動揺はない。問題はどれだけのコストになるかだ。
「そうですね。現状の素材は最低ランクのものです。核のキャパを考えて現行と変わらない大きさと二足歩行型でいくとするなら、最低ランクならこのくらい、可能な限りの最上限となるとこのくらいでしょうか」
マヌエルはポケットから一枚の紙を取り出す。そこにはゴーレムの体に必要な素材がいくつも記されている。その中でいくつかの候補を指定した後、必要な分量の値段を計算して書いて見せてきた。
「……高いな」
「大量購入をしていただければもっと安く出来ますよ」
「いや、それも悪いが無理だな」
商品はだいたいが大量に同時購入するよりも一個ずつ買った方が高くつく。仕入れや取り扱いに一手間かかる上に利益が小さいのだから致し方ない。だからといって大量に購入できるかといわれればそれは出来ない。
「ゴーレムの素材か。なんとかして少しでも安くすることはできないか?」
「難しいですね。ゴーレムの素材自体がそもそも安くありませんから」
どこかで岩石を拾い集めてくればいいというわけではない。ゴーレムの素材として適した岩石を取りに行かなければならないのだ。
「なんとかできないか……」
考える。とにかく少しでも安く済む方法を考える。ゴーレムの体にふさわしい素材は魔力の通りが良くて丈夫であること。高価な物はさらに材質が堅かったり加工に適していたりと様々だが、そもそも魔力の通りが悪ければゴーレムの体は当人の思い通りに動かせなかったりする。魔力の通りというのは非常に重要なのだ。
「……マヌエル。これだと値段はどうなる?」
魔力の通りの良い石材関係を見ていて目にとまったものについて聞いてみた。
「これですか? そうですね。値段は最低ランクのものより安く済みます。耐久力などもそれなりです。ですがゴーレムの素材としては可動範囲などを考えると不向きかと」
「やっぱりそうか」
「はい。建築資材ですから」
目をつけたのは建築資材の粘土。迷宮を作る際に使用されるものだ。粘土のため扱いは比較的楽だ。しかし形状を固定してしまうとそこから動かなくなってしまう。それもそのはずだ。建物の安定性が根底から揺らいでしまう。そのため固まってしまうとゴーレム当人の意思でもその部分は動かなくなってしまう。
「代用できるかと思ったんだけどな」
「そんなことを考えるのはあなたくらいですよ」
他はみんなゴーレムにはゴーレムの素材以外を考えない。考えるのは素材のランクをどうするかということくらいだ。代用品で安く済ませるなど普通の思考ではない。
「そっか。じゃあゴーレムの素材の見積もりを……一応建築素材での見積もりも頼む。出来れば両方混ぜて使った場合の見積もりも」
「あきらめの悪い人ですね。ですがご要望とあれば」
マヌエルは頼んだとおりの見積もりを紙に書き込んでいく。負傷したゴーレムの体を見ながら、建築素材をどの部分になら使えてどれだけコストが下がるかを計算して、導き出された数字を紙に記入した。
「最低ランクの素材だけの見積もり、そして建築素材を使っても行動にさほど支障が出ないレベルでの合わせ技での見積もりです」
「おお、助かる」
「本当はあまりおすすめ出来ないのですが、お応えできるご要望でしたので」
マヌエルは商売人だ。自らの利益を多少削ることはあっても赤字は論外。しかし顧客のためなら出来るだけのことはしてくれる。赤字になること以外ならほとんどのことは聞き入れてくれるのだ。
「注文したらどれくらいかかる?」
「これくらいなら在庫がありますのですぐにでも」
「わかった。また後で連絡するよ」
「はい、ご連絡をお待ちしております」
マヌエルは営業スマイルを見せた後、もうここには用はないといわんばかりに治療室から出て行く。商売人は利益のために時間が惜しいものだ。引き留める理由もなかったため黙って見送ることにした。
「……ボス……」
昨日からずっと治療室の中で仰向けに倒れたままのガンテスの低い声に反応して視線を向ける。すると岩石で出来た巨大なゴーレムの手が何かを差し出してくる。
「いい物が……出来た……」
巨大な手の上の乗っている者。それは岩で出来た小さな花の形をした置物。子供の指くらいしかない小さな置物だ。
「これは?」
「体の……一部で……作った……」
岩石で構成された体に入ったひびから砕けて欠けた一部で作ったという。
「いや、これお前の体の一部だろ?」
自分の体の一部で置物を作るなど普通なら考えない。しかもその体は補修の度にコストがかかると来ている。余計なことをするなと言いたかった。
「かわいい……置物……良作……」
ガンテスは手の上に乗った小さな花の置物をじっと見ている。
その姿を見て思い出した。ガンテスという名を持つこのゴーレムは小物やかわいい物が好きだった。自分の部屋には壁に棚を作って小さな置物や小物などがびっしりと並んでいる。巨体に似合わないかわいい物収集が彼の趣味だった。
「頼むからその体の素材だけは無駄遣いしないでくれよ」
当人の趣味趣向をとやかく言うつもりはない。しかしコストがかかることだけはどうしてもやめてもらわなければならない。趣味趣向と経営管理は全く別物なのだ。
「わかった……ここで……やめておく……」
「ああ、そうして……って、ここで?」
ガンテスのその言葉を聞いて周囲に視線を走らせる。すると倒れている巨体の傍らに小さな置物が一列に並んでいた。どれも小動物や花などをモチーフにした物で実にかわいらしい。かわいらしいが、今はそれがとてつもなく憎々しく感じられた。
「……はぁ」
一瞬で疲労感が増した気がする。
無計画に子作りを続けて給与アップを申し出てくるスライム。迷宮内のモンスターの全滅もどこか他人事のスケルトン。女性の胸に飛び込んでその時を謳歌することを最優先とするコウモリ。かわいい物好きで自分の砕けた体まで材料にして小物を作ってしまうゴーレム。問題が多いメンバーだとは思っていたがここまでとは思わなかった。
彼らは移籍リストに載せても他の迷宮がほしがらない。給与が安いから雇用せざるを得ないメンバーなのだが、何年たっても移籍リストに名前が載ったままで声がかからない。その理由をまじまじと思い知らされている気がした。
「ある意味かみ合っていると言えばかみ合っているのか?」
高給取りを雇用できないから給与の安い者を雇用する管理者。高い能力がなく引き取り手もないため安い給与になるモンスター。適材適所とはよく言ったものだ。
「なんとかしないとな」
状況の改善の可能性が日に日になくなって行っているような気さえする。焦りは禁物だと冷静になろうとするのだが、どうしても先のことを考えると不安になって焦りだしてしまう。
とにかく現状が最悪に近いことは間違いない。その状況を打開するためには何かしらの行動が必要だ。治療室を出て客室へ、ピアナの査定を聞きに行く。
「あ、ヴィンセント。そっちの用件は終わった?」
客室の前で待っていたピアナ。彼女の頭は肩より下。身長差がややある。鳥の足をしていることから屋内での歩き方がややスムーズではない。
「ああ、マヌエルはもう帰った」
屋内が動きにくそうなピアナを歩かせるのは申し訳ない。早足で近づいて相手に移動の手間を取らせない。
「それで、目利きはどうだった?」
「おぉー、それだけどね。久しぶりにいい当たりくじかもよ」
ピアナがニコッと歯を見せて笑う。彼女がこのような表情を見せるということは、昨日迎え入れたスライムは移籍市場で高値がつくのかもしれない。
「詳しく聞かせてくれ」
いい話なら早く聞きたい。そう焦る気持ちを落ち着かせながらピアナの説明を待つ。
「えっと、まず聞き取りをした結果、他の迷宮との契約はないみたい。今回は野良生活をしていたところを人間に襲われたらしいの。それで彼はスライム族なんだけど、ただのスライム族じゃないんだ」
「ただのスライム族じゃない?」
「うん。スライム族はスライム族でも特殊型で能力も高い。アレなら移籍市場に出したらこれくらいが目安になるかな」
ピアナが指でだいたいの数字を提示する。その数字を見て一瞬時が止まった。
「ほ、本当か? 嘘じゃないよな?」
予想外の額に表情の筋肉が緩んでいるのがわかるが、動揺してしまって平静な表情の作り方がわからなくなった。手も微妙に震えている。
「ほ、本当だけど……喜びすぎじゃないかな。大した額じゃないよ。下の上くらいのモンスターを一体ほど購入したらこれくらいの移籍金がいるし……」
「いや、最高だ。久しぶりにいい話だ。それだけの額が手に入れば全員の給料の二年分くらいにはなる」
「……ここの給料ってそんなに安いの?」
ピアナが査定した移籍市場での目安となる額はそこまで大きな額ではないにもかかわらず、この迷宮では全員の給与の二年分に相当する。その発言に彼女は少々困惑しているようだ。
「ヴィンセント。ここの給料は私が知る限りの迷宮内で最も低いよ。恵まれた状況じゃないのは知っているけど……」
ピアナは何かを言おうとして、そこで口を閉ざした。
「……まぁ、とにかく早く良いモンスターを手に入れることね」
「ああ、ありがとう」
ピアナの手を取ってぎゅっと握りしめると彼女は少し視線をそらした。
「まぁ、移籍金がそれなりの額になるのはわかったとして、その前にヴィンセントが彼と契約をしないと移籍話が始まらないけどね」
「おっと、そうだった。じゃあ俺は契約の話をまとめてくる」
「そう、じゃあ私は査定書をフィオラに渡してから帰るわ」
「わかった。助かるよ。また何かあったら頼む」
「いいよ、いつでも」
ピアナに笑顔で見送られるように、客室へと足を踏み入れる。
客室内では昨日のスライムがいた。昨日のように水溜まりのような形状ではなく、アルゴリウス七世などと同じように液状球体の形態を取っている。
「おお、昨日の……えっと……」
「ヴィンセントだ」
「ああ、ヴィンセントというのか。自分はトリニッチという」
昨日は急な出会いと急展開だったこともあり、お互い自己紹介がまだだった。
「トリニッチ、か。体の方はどうだ?」
「悪くない。球体の形もとれるようになった。もう少し休めばそれ以外の形も取ることが出来るようになる」
先ほどピアナが言った特殊型。スライム族は基本的に水溜まりのように伸び広がった状態と球体の状態の二通りがスタンダードの形態だ。しかし特殊型はそれ以外に様々な形に体を変えることが出来る。
たとえば人型。二足歩行の人の形になることで人間用の防具を身につけることも出来るし、人のような手になれば武器も持つことが出来る。戦闘要員として戦略の幅が広がるだけでなく、平凡なスライム達に比べるとそういった特殊型のスライム達は戦闘技能も高いことが多い。移動速度から跳躍の高さや勢いなど、計測すれば単純な身体能力の数字からも違いが見える。
「人間に襲われたと言っていたな。何か特別に襲われる理由はあるか?」
人間にとってモンスターは外敵であることに変わりはない。遭遇すれば交戦となることは必至だ。しかしその中でも人間に狙われるモンスターもいる。種族によれば牙や爪や皮が人間にとって希少価値のある物となる。または人間との戦いで功績を挙げたモンスターは人間側からすれば優先して倒すべき敵となる。そういったモンスターは比較的狙われやすい。
「わからん。人間とは何度か戦ったが、特別なことでもない」
「それもそうだな」
人間との交戦など日常茶飯事だ。そんなことをいちいち特別な出来事だと考える者はモンスターだけでなく人間側にもいないだろう。
「じゃあ人間に襲われた話はひとまず置いておこう。それよりもトリニッチはこれからどうする気だ?」
特殊型のスライムとは是非契約したい。そして当人が許すなら移籍市場に出して移籍金を手に入れたい。だがそのためにはまず当人がその気にならなければダメだ。
「これから……か。正直、悩んでいたところだ。隠れ家は人間に襲われてもう戻ることは出来ない」
「そうか。ふるさとは?」
「そちらも人間の手で焼き払われている。もう何年になるかな」
故郷を失い、孤独に生きていた隠れ家も失った。トリニッチにはもう帰る場所がない。彼には悪いが、これなら契約の話を進めやすい。
だがただ契約の話を進めるだけではダメだ。移籍市場のその存在が出れば間違いなく欲される。移籍リストに載せて数年たっても声が一切かからない者達とは違う。短期間で移籍が可能だからこそ移籍してもらわなければならない。それにピアナの目利きに寄れば彼は有能のようだ。長く雇用していけるだけの余裕もおそらくない。
「トリニッチ。もし人間を相手に戦いたい、そう思っているなら俺ならその手助けが出来ると思う」
トリニッチは人間の手で多くのものを失った。人間に復讐したいと思っていてもおかしくはない。
「人間を相手に戦う……か」
「ああ、俺は迷宮の管理者だ。残念ながら俺の迷宮は弱い。立地条件も良くない。ここにいただけじゃ人間相手に戦うどころかやられる毎日だ。でも俺ならトリニッチを少しでも戦力のある迷宮に紹介することは出来る。さっきのピアナだけじゃなく、他にも腕の良い知り合いがいるからな」
嘘をついて契約させるのは気が引ける。だからなるべく本心で真実を語る。それでトリニッチの思いと合致して契約と移籍の話になってくれるのが理想だ。
「迷宮に属して人間と戦う、か。そうだな。そういう道もあるな」
野良では人間に殺されてしまうリスクが高い。しかし迷宮に属せば治療の体制も整っている。迷宮によれば戦死しても蘇生できるところもある。人間相手に戦うとなれば野良よりも断然迷宮に所属した方がお得なのだ。
「それも悪くない。だが、それをするとヴィンセントに何の得がある?」
善意だけではないだろう、そう言われた気がした。確かに下心はある。それを言って機嫌が悪くなるのではないかと思ったが、あまり隠しておくのも悪いと思いゆっくりと本心を話し始める。
「実は今、うちの迷宮は経営状態が良くないんだ」
「なるほど。移籍金を手に入るのが目的の一つと言うことか」
彼の生い立ちを聞いた。善意だけでも様々な迷宮を紹介したことだろう。だが手に入れられるものならなるべく資金は手に入れておきたい。
「かまわんよ」
「……え?」
トリニッチの了解の返事に驚く。まさか下心を知った上でこんなに早く了解の返答がもらえるとは思わなかった。
「ヴィンセントには命を救ってもらったからな。こちらも自分を求めている迷宮の方が今後もやりやすいし、それがわかるのもありがたい。これくらいのことで恩返しにはならないだろうが、移籍金くらいは助けてもらった礼になるのであれば是非もない」
トリニッチは助けてもらったお礼として、契約して即移籍するという話を受けてくれた。
「ありがとう。こんな話を受けてくれて……」
「いや、自分のようなものを助けてくれたのだ。これくらいのことはさせてくれ」
契約した後に移籍してもらうことで移籍金が手に入る。契約することで多くの迷宮の中で自分を求めているところへ行くことが出来る。双方の利益に叶った素晴らしい契約を交わすことが出来たのだった。
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